の続きです。





その頃、父は80代半ば

元気で頭もハッキリして矍鑠としていますが、そこは80代半ばですから、紛うことなき爺です。

幸い事故などは起こしておらず、本人はまだ大丈夫だと思っていますが、客観的に見れば、色々な衰えは隠せません。
今までは大丈夫でも、次も大丈夫とは限らない。

何かあってからやめるのでは遅い

のです‼️

こういうことは、無事なうちにやめる決断をするもの。
しかし、父は、家族がどんなに免許返納を勧めても、聞き入れませんでした。

百歩譲って、自分だけで完結するなら、もう好きにしてって感じですが、それにしたって家族に心配を掛け、悲しい思いをさせるわけです。
万一、人様を巻き込もうものなら、もう本当に悲惨としか言いようがありません。


実際、そうした悲惨な事故が幾つも起こっているではありませんか😱😭

●↓これも同乗のゴルフ仲間3人が死傷

どうして、それが自分には関係ないと思えるのか?
「明日は我が身」と思えないものなのか?
自分は大丈夫というあの自信は、一体どこから来るのか?

全く以って理解不能‼️
そうした判断ができないのが「老い」というものなのでしょうか。

今回の追突事故のこともあり、言葉を尽くして説得したのですが、
「まだ大丈夫。」
の一点張り、自分のことは自分で決めるから、と怒り出す始末。

そうなんだよ、
早く自分で決断してくれ‼️😫


父が免許を返納したのは、それから約2年後。

毎日、薄氷を踏むような思いだったので、心底ホッとしました😮‍💨

父は、まだまだ大丈夫だけれど、周りがうるさいから返納した、みたいに言って回っていたようです。
幸い何事もありませんでしたが、それは結果論であり、僥倖だったに過ぎないとわからないものなのか?
周りにこんなに心配を掛けても、したいようにしたいのか。





高齢者が事故を起こすと、

「家族は何をやってるんだ。家族も同罪だ‼️

みたいな声が上がりますが、もう本当に無理なんですよ😢
本人が決断してくれないと。
もちろん、あの手この手で説得はしてますよ。
でも、本人が納得しないと、結局は運転をやめるまでには至らないのです。


自分を客観視できない人、家族が言っても聞かない人対策に、公的機関によって何らかの仕組みを整えて欲しい💦
偉そうにしている爺も、公的機関には多少は弱い💧

例えば、ある年令以上になったら、免許の更新時にテストをして、一定以上の成績がでなければ免許を更新できないようにするとか。
具体的に数値で示せば、説得力があるでしょう。
更新期間も一年毎とかの短期間にして、マメにテストする。そうすると、煩雑な手続きが面倒で止める、ということもあるかもしれません。

とにかく、家族の言うことなんか、聞きゃあしないのです。
本当に心配で憂鬱で困っているのです😰


よく、車がないと生活が不便、という話がありますが、それと人様を傷つけるかもしれない恐ろしさを天秤に掛けられるのか?

私には、到底理解できません。

車を取り上げたら生き甲斐がなくなって元気がなくなる、とかいう話も聞きますが、被害者側からしたら、そんなことは知ったことじゃないですよね。

生活が不便とか、生き甲斐とか、自分で考えろ‼️
そんなもののために、こちらが迷惑を被る道理はない‼️

そう言いたいでしょう。もっともなことです。


人生はいつか終わります。

その前に、だんだん出来ないことが増え、終わりが来ることは、幾つもあるでしょう。
車の運転もその一つだと思います。
人様に迷惑を掛けず、周囲の大切な人たちにも心配を掛けないよう、いつやめるか、やめた後どうするか、それは自分でよく考えておいて、その時が来たら、毅然と実行できるようにしたいと思います。

でも、もっと年を取ったら、そういう判断もできなくなったりするのかしら😥

いや、
私は絶対余裕を持って免許返納する‼️✊

ここに決意表明しておきます。