「あら、美央。そのコサージュ、ちょっといいじゃない?」

「そうでしょ。私も気に入ってるの。」
「生花なのね? うん。いいわ。ステキステキ。ドレスともピッタリよ。」
「ありがとう。」
「いくら美央でも、自分で作ったんじゃないわよね? どこで作ってもらったの?」
「うーん、教えちゃうのもったいないなぁ。ナイショ。」
「もう、そんなにもったいぶらないでいいでしょ。教えてよ。」
「ハイハイ。あのね、ダウンタウンの花屋さん。」
「ジュエリーショップの向かい側に新しくできた? 確か『夢』っていう名前の?」
「そう。いい花置いてるし、店長さんが私たちと同い年くらいの女性なの。とっても感じのいいお店よ。」
「ふーん。センスの方もなかなかいいわよね。私もいつか、ブーケを頼もうかしら。」
「……。」

 



フラワーショップ

「おはようございます!」
「おはよう。今日もいい天気だね。」
 近隣の店の主と挨拶を交わしながら、菜々子は、てきぱきと開店の準備を始めた。この界隈では新参者の彼女だが、持前の明るく爽やかな気性で、短期間のうちに商店街の一員として認められるようになっていた。
「うーん、見れば見るほどいい蘭ねぇ。可愛いわよ。いい人に買ってもらえるといいね。」
 今朝仕入れて来たばかりの大輪の蘭の花に話し掛けながら、空を見上げると、鮮烈な朝日の昇り始めたメガロポリスの空は青く、今日も天気の良い暑い一日になりそうだった。
 菜々子は、メガロポリスのダウンタウンのフラワーショップ「夢」の若き店主である。働き詰めに働いて、ようやくこの小さな店を手に入れた。オープンしたての店の経営は楽ではないが、菜々子の表情は明るい。花屋の仕事は、見た目ほど綺麗でラクなものではないが、好きでやっている彼女には、何もかもが楽しかった。

 あの悲惨な戦いから、既に三年。
 多くの、本当に多くの人々が亡くなった。菜々子も、家族や友人、多くの大切な人を失った。一人生き残ったことを、嘆き悲しんだ日々もある。
 しかし、長い時間、そうしていることは許されなかった。ハヤトが奇跡のように遥かな旅路を戻り、地球は復興への道を歩み始めて、誰もが働かなければならなかったからである。
 菜々子も働いた。それは、彼女にとっては幸いだった。人の心の優しさ、暖かさに触れ、何より、全てが失われたかと思われたその場所に、再び新しいものが造られて行く光景を目の当たりにして、菜々子は、再び自分が元気を取り戻して行くのを感じていた。
 人々は、今も毎日働いている。あの明日をも知れぬ日々を思えば、働くことには何の苦もない。そうして、ようやく以前のように物を売ったり買ったり、という暮らしが戻って来ようとしていた。
 辛い出来事を乗り越えようと、深い傷を自ら癒そうと、明日に向かって懸命に生きている人々。それが、菜々子は好きだった。しかし、頑張り過ぎて、ふっと疲れを感じる日もあろう。蘇る悲しみに埋もれてしまう時もあるだろう。
 そんな時に、小さな慰めを届けたい。また明日から元気になれるよう。大好きな花で。
 それは、彼女の子供の頃からの夢だった。デイモスとの戦いの後、その夢は一層強く大きくなった。夢の第一歩、晴れてフラワーショップのオーナーになったのは、つい先日のことである。人々の心に、小さくてもほっと温かな幸せの灯を灯したい、という彼女の夢は、まだ始まったばかりだった。
「おや、菜々子ちゃん、今日はまた一層ご機嫌ね。何かいい事でもあったの?」
「わかります?」
 何かと良くしてくれる隣のレストランの女将さんに、愛想良くそう返事をしながら、菜々子は、仕入れた花を店内に運び入れた。
「強い子だ。」
 レストランとは逆の並びの、雑貨屋の店主がやれやれといった顔で微笑む。菜々子の辛い過去を薄々知っているだけに、その言葉には実感がこもっていた。
「本当に。いい子だわ。」
 隣で、レストランの女将も穏やかに笑った。
 菜々子を見ていると、こちらの気持ちまでパッと明るくなる。辛い過去を乗り越えて、こうして元気を取り戻すまでに、どれほどの努力をしたことだろう。それを思うと、心底いじらしかった。
 きっと菜々子は幸せになるだろう。そう彼らは信じている。こうして、人に幸せを与えることのできる娘なのだから。
 それにしても、若さとは良いものである。
「さぁ、我々も、今日も一日頑張りますか。」
「はい。まだまだ若い子に負けてられませんものね。」
 あちこちでシャッターの開く音が響き始め、街は本格的に目覚めの準備を始めていた。


 店に入った菜々子は、昨日の出来事を思い出していた。
 昨日の花市場で、彼女は、飛び切りの薔薇に出会った。
 市場と言っても、そこは、通信ネットワーク上の仮想市場で、品物は香り付きの立体映像で示され、入札も全てネット上で行う。通信端末の前に座ればそこで何でもできる、便利なシステムだった。
 さらに、品物の輸送に至っては、「瞬間物質輸送システム」とかいう、ハッキリ言って素人にはワケのわからない途轍もないシステムによって行われている。
 これは、ハヤトがティアリュオンから持ち帰った技術の一つを応用したもので、物体を、ある地点からある地点まで、瞬時に移動させることができる。移動できる物体の大きさや重量に制限があるため、本格運用には至っていないが、生花の流通システムに最適として、花市場と連動して、試験運用されているのだ。
 とにかく、これを使えば、地球上のどこの花でも、その日のうちに手に入れることができる。落札者は、最寄のシステムセンターに、品物を取りに行けばいいだけである。
 その薔薇が目の前に映し出された時、菜々子は思わず息を飲んだ。それは、全く見事なものだった。
 完璧なまでに美しい形、素晴らしい深い芳香。何よりも、色が秀でていた。
 輝くような赤! 暗過ぎもせず、オレンジがかってもいない、赤の中の赤。
 場数も踏んで、それなりに花を見て来た菜々子も、これほどの薔薇を見るのは初めてだった。その場にいない、他の入札者たちのため息が聞こえてきそうなほどである。
(欲しい!)
 菜々子は思った。
 これほどの見事な薔薇には、もう二度と会えないかもしれない。立体映像で見るだけでなく、この手で触れて、眺めてみたい――。
 しかし、問題は値段だった。これほどのものが、手頃な値段で手に入るわけがない。安からぬ額から始まった入札額は、みるみる上がって行く。
(どうしよう。)
 さすがに菜々子は迷った。
 売れればいいが、万一売れ残れば、この月の稼ぎはパァである。悪くすると、赤字になるかもしれない。
 しかし、考え込んでいる時間はなかった。入札終了時刻は、もうすぐである。
(ええい、ままよ!)
 菜々子は、半分目をつぶって金額を入力した。ほどなくして入札は終了し、端末に落札を示す赤い表示が点滅したが、彼女は、やったという気持ちよりも、どうしようという気持ちで一杯だった。
 この薔薇の価値を認めて、買ってくれる人はいるだろうか?
 もし、売れなかったら……、そう考えるだけで、目の前がさーっと暗くなる。
(いいえ、必ず買う人がいるはずよ!)
 菜々子は、無理矢理気を取り直してシステムセンターに出向き、地球の裏側からやって来た3ダースの薔薇を受け取った。
「うわぁ。」
 彼女は、感嘆の声を上げ、思わず顔を綻ばせた。
 立体映像で見た通り、いや、それ以上の素晴らしさだった。
 何ていい香り! それに、何て見事な赤! 朝の日差しの中で、それは光を反射して、より一層艶やかな赤に輝いた。
 やっぱり思い切って買って良かった!
 菜々子は、もう後悔していなかった。これほどの薔薇に出会うことは、もうこれからもないかもしれない。たとえ売れ残って、食うや食わずの日々が続こうとも、こうして出会えただけで、本望というものだ。
 急いで店に戻ると、彼女は、丁寧に水揚げをして、店頭に並べた。真紅の薔薇は、そこだけスポットライトが当たっているかのように、輝きを放っている。
 この薔薇の良さをわからない人なんて、いるはずがない。必ず売れる。先刻までの弱気はどこへやら、輝く赤い薔薇を惚れ惚れと眺めながら、彼女は自信を強めた。
 だが、売れなかった。
 さすがに目を引くのだろう、多くの人が足を止めたが、値段を見ると、誰もがしばらく考え込んだ挙句、首を振って立ち去った。
 昼が過ぎ、夕方になっても、結局、薔薇は一本も売れなかった。
(もう、誰もこの薔薇の価値がわからないって言うの? そりゃ、確かに高いけど、このくらいの価値はあるでしょう。ああ、でも、そりゃ無理もないわよねぇ、たかが薔薇の花にこれだけのお金を払えるほど、皆、余裕があるわけじゃないもの。やっぱり私ってバカ! 身の程知らずってこのことよね。あー、明日の仕入れはどうしよう~。)
 等々、一人、頭を抱えて、嘆いたり後悔したり悩んだりしていた時、
「すみません。」
と、店先で声がした。
 反射的に振り向いた菜々子がいらっしゃいませ、というより早く、防衛軍の制服を着た長身の男は、
「この赤い薔薇を下さい。全部。」
と言った。
 菜々子は、それこそ地獄に仏を見たような気持ちで勢いよく立ち上がり、
「こちらの赤い薔薇ですね。全部。はい! お包みしますので、お掛けになってお待ちください。」
と、大切に薔薇を水桶から上げると、丁寧に棘を落とし始めた。
 男は、返事の変わりに、少し照れたように微笑んだ。
 こんな高価な薔薇を3ダースも買うということは、愛する人へのプレゼントだろう。ハンサムという形容がぴったりな割に、表情に照れが出るということは、こういうことに慣れていないということに違いない。優しそうな人、と、菜々子は好感を持った。
 相手の人は、どんな人だろう?
 きっと、聡明で美しい女性に違いない。この薔薇のような。
 とても愛しているんだろうな。これは、是非とも、喜んでもらえるような花束に仕上げなくっちゃ。
 長身の身を包む防衛軍の科学将校の制服をチラリと見返って、軍の人、もしかしたらハヤトの乗組員だったのかもしれない、と、菜々子は想像した。実は、その上に、例のわけのわからない「瞬間物質輸送システム」の開発者だったりもするのだが、そこまでは、想像の埒外だった。
 何と言っても、自分が今こうしていられるのは、ハヤトのお蔭と言っても過言ではない。戦いの第一戦に出ていた人たちは、自分には想像もつかないほどの苦しみを味わって来たことだろう。だから余計に、そういう人が、愛する人のためにこの薔薇を買う、そのことが嬉しく、また、贈る人にも贈られる人にも喜んで欲しかった。
 菜々子は、ごく淡いピンクの薄紙を広げ、手際よく薔薇を並べた。この場合、カスミソウを合わせようなどと思うのは、愚の骨頂である。リボンも、ピンクや赤ではいけない。彼女は、抽斗の奥から、とっておきの金のリボンを取り出した。隣の雑貨屋で見つけた、細いけれど、華のある金のリボン。こんなこともあろうかと、用意しておいた甲斐があった。
 包み紙を綺麗に整えて、仕上げに金のリボンを結ぶ。その先を少しカールさせると、これ以上はないという花束が出来上がった。
「こんな感じに作ってみましたが、いかがでしょうか?」
 菜々子は、花束を差し出した。男は、やはり黙ったまま花束を眺めている。
「この薔薇には、シンプルな包装の方が合うかと思いまして……。」
 気に入らないのだろうか? 菜々子は、少し心配になって、思わずそう言葉を添えたが、男は、至極満足そうに頷いた。
「結構です。」
 男は笑った。菜々子の顔にも、思わずホッと笑みがこぼれる。きっと、彼女が、薔薇を贈られる人を頭に思い描きながら仕事をしたことが通じたのだろう。
 男は、カードで支払いを済ませると、大切そうに薔薇を抱えて出て行った。
「ありがとうございました!」
 弾むような声で送り出すと、雑踏の中でしばらく思案した男は、おもむろに花束を肩に担ぎ上げた。長身で、周囲の人波から頭一つ出ている男と共に、赤い薔薇が遠ざかる。
 その微笑ましい光景が見えなくなるまで見送ってから、菜々子は、
「やったー!」
と、声に出して叫んだ。
 自分が惚れ込んだ薔薇が、全部売れたのだ。
 嬉しかった。
 荒廃しきっていた地球が、こんな薔薇ができるまでに蘇ったこと。花を買ってくれた人がいたこと。こうした高価な買い物ができるまでに、人々に「日々の暮らし」が戻って来ていること、作った花束を喜んでもらえたこと。
 あとは、花を贈られた人が喜んでくれたら、どんなにいいだろう。
 どうぞお幸せに。
 菜々子は、感謝の気持ちで一杯になりながら、そう祈った。


 それが昨日の「いい事」だった。
 今日も、いい花に出会った。今日は、どんなお客さんに出会うだろう。
 今日もいい日になりますように!
 花の手入れをし、新しく仕入れた花に値札を付ける。どの子も可愛く見えるように、細心の注意を払って並べ終わると、開店まであと十五分。これで、準備は全て整った。
 菜々子は、一息ついて、半分開いたシャッターから、外を見やった。
「あ!」
 菜々子は声を上げた。
(昨日の薔薇の人!)
 向こうから連れ立って歩いて来るカップルの一人が、昨日薔薇を買った男だったからである。防衛軍の制服を脱ぎ捨てたカジュアルな出で立ちは、いかにも寛いで楽しげに見えた。
(何て綺麗な人!)
 菜々子は、連れの女性に目を奪われた。
 本当に、昨日の赤い薔薇そのものである。ファッションモデルと見紛うばかりに美しく、華やかで、誇り高く、気品があって……、しかし、微笑むその顔は穏やかだった。
 この女性も、普段はこういう顔をしないに違いない。きっといつも、もっと隙がなくて、そう、美しい薔薇の棘のように、鋭い雰囲気を漂わせているだろう。それが、こんなに穏やかな幸せそうな顔で……。
 心から愛し合っているのだな、と、菜々子は思った。
 男が、ふと顔をこちらに向け、何事か言ったようである。女性も視線を向けて、頷いている。菜々子は思わず会釈をしたが、男は、それには気付かなかった。強烈な夏の日差しで朝から明るい外からは、シャッターが開ききっていない薄暗い店内は、よく見えまい。
 そんなほんの一瞬を残して、仲睦まじげに腕を組んだ二人は、ゆっくり遠ざかって行く。その背中には、確かに「世界一幸せ」と書いてあった。
 昨日の薔薇も喜んでもらえたろう。菜々子は確信した。
「嬉しい!」
 勢いよくシャッターを開けると、明るい光が店内に満ちる。
 人々に小さな幸せを、という、彼女の小さな望みは叶ったのだ。そして、それは、彼女自身をも幸せにする。
 その日も菜々子はよく働いた。眩しい日差しに、鮮やかさを増す花の色が目を引くのだろう、花もよく売れた。
「こんにちは~。」
 午後も過ぎて、菜々子が遅い昼食をかき込み終えた頃、若い女性が店を訪れた。
「はい、いらっしゃいませ。」
 菜々子が顔を出すと、その客は、にっこりと笑った。
 まぁ、向日葵のような人、と、菜々子は思った。いつでもどこでも太陽のように輝いて、周囲の人を明るくする、そんな感じがした。人を花に例えるのは、彼女の職業病のようなものである。
「明日、友人の結婚式に出るんだけれど、コサージュを作ってもらえないかしら?」
「かしこまりました。」
 ようやく世情が落ち着いて来たということの表れなのか、最近、結婚式に関する依頼も多い。おめでたい話はいいものだ。
「ドレスはもうお決まりですか? どんなお色でしょうか?」
「ええ。何の飾りもない、シンプルなAラインのワンピースなの。気に入っているんだけれど、シンプル過ぎて、ちょっと寂しいのよね。色はペールオレンジです。」
 菜々子はピンと来て、今日仕入れて来た蘭を手に取った。純白の花びらの花芯がわずかにオレンジがかるこの蘭なら、シンプルなドレスをほど良く引き立てるだろう。
「それでしたら、こちらの蘭はいかがですか? お色も合いますし、こちらとこんな具合に組み合わせると、ピッタリだと思うんですが……。」
「わぁ! そうね、いいじゃない?」
 客の方も、その見事な大輪の花が気に入ったらしい。
「最終的な出来上がりは、こんな感じでいかがでしょう。」
 菜々子は、デザイン用のスケッチブックを広げる。これが、今日の「いい事」になりそうな予感がした。
 小さな夢を紡ぐフラワーショップは、今日も忙しい。