ACT7 金の星・惑星グラディオーナ
「ワープ終了!」
剛也の声にやや遅れて、艦内に生気が戻った。
ハヤトは、金の星が隠されていると言われる惑星グラディオーナから約二千宇宙キロの地点に、姿を現していた。わずか一日のインターバルで、約十五万光年の長距離ワープを三度繰り返す、という離れ技を、彼らは、見事にやってのけたのである。
前代未聞の過酷な連続長距離ワープに、乗組員たちの顔にも、さすがに疲労の色が濃い。だが、その影も、真の目的地を目前にした緊張で、見る間に払拭されて行った。金の娘を有し、絶対的に優位な立場に立つ紫色彗星帝国に、ハヤトが勝利するためには、ここで、絶対に金のラ・ムーの星を手に入れなければならない。もし、金の星が手に入らなければ、そこで全てが終わってしまうのだ。
「波動エンジン、異常なし!」
機関長徳川の声が凛と響いた。
「全艦異常なし!」
グラディオーナに着いたらすぐに職務に復帰できるよう、二回目の長距離ワープの後、ホスピタルから第二艦橋へ戻って来ていた独も、負傷を感じさせない、張りのある声でそれに続けた。
「座標確認、DX-二〇。当初の計算通り、惑星グラディオーナまでの距離、約二千宇宙キロの地点です。」
抜かりなくレーダーを読み取ってそう告げたのは、舞ではなく美央であった。久し振りの艦橋勤務ということもあってか、彼女にしては珍しく、声に緊張が滲んでいる。メイン通信士の席では、飛翔に代わって通信班長に就任した諒が、忙しく艦内各所からの報告を受けていた。艦内任務を解かれ、グラディオーナで金の星捜索の任に着く舞と飛翔は、ラ・ムーの星と共に、左舷格納庫で待機している。
心配されたエンジンや艦体への影響もなく、ハヤトは、最初の難関である連続長距離ワープをクリアしたようだった。その事実に皆が一様にホッと安堵の息をついた次の瞬間、突然、ハヤトは大きな振動に包まれた。
「うわぁっ!」
その衝撃で、まだシートベルトを着用していたごく一部の者を除く、多数の乗組員が、床に投げ出された。
「どうした! また重力波なのか?」
際どいタイミングで体を固定した猛が、振り向いて叫んだ。
「レーダーに反応はありませんでした!」
一呼吸置いて、美央が答える。エンジンにも艦体にも異常がないことを確認した矢先のことだけに、たちまち艦内に動揺が広がった。
「艦が流される!」
猛の隣では、剛也が、必死で操縦カンにしがみついている。振動が一段と激しくなり、計器の針が一斉に大きく揺れた。宇宙空間の色が、わずかに薄くなったようである。
「あっ。あれは……。」
その時、猛は、ハヤトの前方を猛烈な勢いで流れて行く隕石群を認めていた。
「宇宙気流だ!」
それに気付いたのだろう、剛也も声を上げた。
「よし、わかった。……艦長! どうやらこの付近の空間は、特殊な宇宙気流で遮蔽されているようです。メインパネルに投影します。」
観測室と連絡を取り合っていた独が、土方を振り向き、同時に、吹き荒れる気流の全貌がメインパネルに映し出された。
「うッ!」
「何だ、これは一体?!」
たちまち一同の間から不審の声が上がった。それは、気流と呼ぶには、あまりにも特殊な形だったのである。
気流は、ハヤト左舷前方の空間の一点から突然吹き出し、球面を形作るように流れて、右舷前方の空間の一点で突然終わっている。まるで、宇宙に浮かぶ風の球体を見るようであった。
「恐らく、この始点には、極小規模のホワイトホールが存在していて、様々な物質を吐き出しているのだと思われます。ところが、その近傍に、重力の強い次元断層、すなわちこの終点が存在するため、始点から吐き出され、猛烈な勢いで拡散を始めた物質は、拡散し切る前に終点の重力に捕らえられ、やがて吸い込まれて、再びこの空間から姿を消してしまうのです。」
「なるほど。その物質の流れが、この宇宙気流というわけか。」
説明を受けて、剛也が言った。
「うむ。なぜ中心が空洞になっているのかは謎だが……。」
独も、パネルを見上げて腕組みをする。
「艦長。あの気流は、宇宙座標DX-三〇、すなわち惑星グラディオーナを中心とした半径約千八百宇宙キロの球面上を吹いているようです。」
傍らのレーダーとコンピューターを忙しく操作しつつ、美央が報告した。
「まさに天然の要塞だな。」
じっとパネルを見つめて、猛は唸った。
宇宙気流に守られ、接近することすら難しい惑星グラディオーナ。金のラ・ムーの星の隠し場所として、これ以上適当な場所は他にあるまい。
「ミスター! ワープで近づけませんか?」
「こんな気流の中で、無茶言うなよ。それに、計器がいかれてるんだ。距離が測定できないことには、話にならんぞ。」
猛の問い掛けに、独は首を横に振った。
メーターの針は、相変わらず激しく左右に揺れ動いている。これだけ短い距離をワープしようと思えば、少なくとも小数点以下一桁の精度で距離を正確に測定する必要があるのだが、この状態では、とてもそれは望めなかった。
「剛也! コースターンできるか? 一旦、気流の外へ出よう。」
「ターンしても同じだ! このまま突っ切った方が早い!」
ハヤトは、既に気流の中ほどまで流されていた。戻るにしても、相当のエネルギーを消費するのは同じである。必死に操縦カンを握り締めて、剛也はそう怒鳴り返し、
「機関長、エンジンパワーアップ!」
と、徳川に指示した。
「了解。エンジンパワーアップ!」
それを受けて、徳川が機関室に指示を出す。
既に、強い気流に巻き込まれていたハヤトは、その間にも、右へ右へと流されて行った。
時々、流れて行く大小の隕石が激しくぶつかり、艦を大きく震わせる。ハヤトは、フルパワー噴射で、懸命にその流れから脱出しようとしていた。
その甲斐あってか、次第に流れが緩やかになり、やがて、艦体の振動も収まった。
「脱出したのか?!」
猛が尋ねたのに、独が答えた。
「まだだ! だが、この辺が始点と終点の中間地点で、気流の流れが一番弱い。ここを過ぎると、終点へ向かって、また流れが速くなるぞ。脱出するなら今だ。」
「了解! 最大噴射、続行!」
艦の安定を保つために、せわしなく機器を操作しながら、剛也が答えた時、
「ああっ!」
と、レーダー席で美央が声を上げた。
「前方に敵艦隊発見!」
「何っ! メインパネルを切り換えろ!」
素早く切り換えられたメインパネルには、ミサイルを装備したミサイル艦を始め、戦闘空母など、およそ三十あまりの艦が、堂々と布陣している様子が映し出された。やはり、彗星帝国と戦わずに済む幸運は、ハヤトを待っていてはくれなかったのだ。
「距離、左舷前方千宇宙キロ。密集隊形を取り、気流の対岸に待機しています!」
レーダーを操作しながらそう報告した美央は、続けて、
「あっ……!?」
と、驚きの声を上げた。
「敵艦隊の後方に惑星発見! メインパネルの拡大率を上げます。」
美央がてきぱきとスイッチを操作すると、気流の向こうに待ち構えている艦隊の遥か後方に、ぼんやりと丸い星の輪郭が見えた。
「グラディオーナだ!」
メインスタッフたちは、息を呑んでその映像に見入った。
「くそっ。ハヤトを近づけさせないつもりだな。」
第二艦橋に冷たい戦慄が走った。
敵と遭遇したこの瞬間から、事態は敵に有利に展開する。ハヤトの出現は、そのまま金のラ・ムーの星存在の証拠となるのだ。敵は、すぐにでも惑星上での探査活動を開始するだろう。
「あのミサイル装備では、まともに戦っては危険だ……!」
猛も、敵の威容に唇を噛む。
一刻も早くグラディオーナに到達し、敵より先に金の星を探し出すために、ここは何としても、一気に決着をつけたいところだった。猛の頭に真先に浮かんだのは、波動砲を使うことだったが、砲を撃つためには、波動エンジンのエネルギーを、全て波動砲に回す必要があり、推進力が失われてしまう。この気流の中で推進力を犠牲にすれば、ハヤトは、このまま押し流され、遂には次元断層に引き込まれてしまうだろう。第一、これだけの激しい流れの中から撃ったのでは、砲の威力も半減し、敵に決定的なダメージを与えるほどの効果は得られまい。
では、どうするか。猛の迷いを察知して、剛也が決意を込めた目で言った。
「猛! 今のこの流れなら、強行突破できる! 気流を渡りきると同時に、波動砲を発射したらどうだ。」
気流を渡りきると同時に、補助エンジンによる航行に切り換え、可能な限り敵の攻撃を回避しつつ、エネルギーを充填し、波動砲で敵艦隊を撃破する。もたもたしている間に、敵が先に金の星を手に入れるようなことになったら、それでおしまいなのだ。今は、それ以外に方法はなさそうである。
「よし!」
猛は決断した。
「波動砲発射準備!」
「待て。」
だが、猛の指令を、土方のずしりとした声が押し止めた。なぜ? という思いで、一同は艦長席を振り返った。
「この角度で発射したら、グラディオーナに被害を与えるぞ。」
「!」
土方の言葉に、皆は愕然と押し黙った。言われてみれば、当たり前のことである。敵の大艦隊に浮き足立ち、惑星グラディオーナへの上陸を急ぐあまり、波動砲の強大なエネルギーの星への影響に思いが及ばなかったのだ。
「エンジン圧力ダウン。流れに任せて下流に下降する。」
「えっ?!」
続く土方の意外な指示に、一同は、思わず顔色を変えた。
「艦長! そんなことをしたら、次元断層に引き込まれてしまいます!」
「命令通りにしろ。」
剛也が血相を変えて抗議したが、土方は、落ち着いた声で、しかしぴしりとそれを撥ね付けた。
「機関部の故障と見せ掛けて、距離と時間を稼ぐ。」
土方には、何か勝算があるのだろうか。あくまで信念に満ちたその声を、徳川が引き取った。
「了解。エンジン圧力ダウン。」
『了解! エンジン圧力ダウン!』
機関室からも復唱が返り、エンジンを停止したハヤトは、水の流れに翻弄される木の葉のように、激しく振動しながら下流へと流されて行った。
「ハヤトめ。気流の影響で機関部が故障したな……。」
彗星帝国第三艦隊の旗艦『ガーナ』のブリッジで、そうほくそ笑んだのは、ティレル・サラ・ドナデリック将軍である。
「グラディオーナの調査隊と連絡は取れたのか?」
「ハッ。既に調査活動を開始しております。」
ティレルが振り向くと、副官が手を挙げて返答した。
ハヤトが現れたことで、金のラ・ムーの星が惑星グラディオーナ上に存在することは、もはや決定的になった。後は、取り敢えずハヤトを足止めできれば、目的は達成できる。金の星さえ先に手に入れてしまえば、銀の星と娘を手に入れる機会など、幾らでもあるのだ。だが、それをまたの機会にする気は、ティレルには毛頭ない。
(あのような戦艦一隻、この私の手に掛かれば、造作もないわ!)
彼の心中には、これでアシュレイの鼻を明かしてやれるという気負いがある。
「ハヤトめ。このまま次元断層に引き込まれて、一網打尽となるか?」
ティレルは、パネルを見上げて不敵に笑った。
調査の結果、気流の終点にある次元断層は、別の三次元空間に通じていることが、既に判明している。その出口にも、抜かりなく艦を配してあるのだ。
「それとも、死んだふりでもしているのか? いずれにせよ、命運は尽きたな。」
彗星帝国軍にとっても、この気流は、生易しいものではなかった。かつて、アシュレイが捜索した時も、調査用の艦がこの気流を突破することができなかったため、十分な調査を行うことができなかったほどなのである。
実際、ティレルも、己の艦隊を無事に渡すために、丸一日を費やしたのだ。それほどの難所を、ハヤトがあっさり切り抜けられるとは、到底思えなかった。仮に脱出に成功しても、その時にはもう、第三艦隊に正面からぶつかるほどの力は、ハヤトには残されていないはずである。
「全艦、左九十度反転! ハヤトを追うぞ。」
隕石群に翻弄され、気流に流されて行くハヤトを眺めながら、ティレルは、全艦に命令を下した。その命令に従って、艦隊は整然と回頭し、気流に沿って、ハヤトを追跡し始めた。ハヤトは、それ以上の速さで、激しい宇宙気流の中を流されて行く。
「金の星も、銀の星も娘も、全て我が第三艦隊が手に入れるのだ。大帝も、さぞお喜びになるだろう。」
傲然と言い放って自分の席に腰を下ろしたティレルは、ハヤトが意外な速さで流されて行くのに、この時まだ気付いていなかった。
「ううッ。」
ラ・ムーの星が格納されている左舷格納庫で、宇宙服を着て待機している飛翔と舞は、突然襲って来た激しい振動の衝撃に耐えられず、投げ出されて床に転がった。
「あっつぅ……。上の連中は、何を考えているんだ。」
したたか壁に頭をぶつけた飛翔が、ボヤきながら立ち上がった。宇宙服を着込んでいるので、何とか怪我はせずに済んでいるものの、こうたびたびではたまったものではない。
「大丈夫か、舞。」
飛翔は、少し離れた場所で身を起こそうとしている舞に呼び掛けた。艦内では、乗組員たちが体を固定しようとそれぞれ必死になっていたが、この格納庫には体を固定する適当な場所がなく、ちょっと気を抜くと、すぐに放り出されてしまう。
「ええ。」
まだヘルメットを着けていなかった舞は、頭を振り振り立ち上がった。舞もまたどこかでひどく頭をぶつけたらしい。頭を振るたびに、艶やかな長い髪がさらりと揺れた。
「一体どうしたんだ。エンジンが停止したようだが……。」
ついさっきまで気流と戦い、唸りを上げていたエンジンの音が、今は全く聞こえない。飛翔が不安そうに見上げると、舞は、
「心配ないわ。エンジンを止めたのよ。どうやら、艦長は、死んだふりをして時を稼ぐつもりのようね。」
と言った。
自信に裏付けられたその横顔は、既に舞だけのものではない。
未来を見据えるかのように、遠く澄んだ印象的な瞳。強靱な意志をたたえる唇。
見覚えのあるその表情は、舞であって舞でなく、レア・フィシリアの存在を色濃く窺わせている。いよいよなのだ、と、飛翔は、身が引き締まるような思いで、装備の点検にかかった。
二人の前には、銀に輝くコスモエネルギー解放装置、ラ・ムーの星がある。
固定装置によってしっかりと固定され、微動だにしない、直径二メートルほどのその球体は、時折、虹色の光を放って、様々な思考を紡ぎ出した。ハヤトの艦内は、恐れと不安に支配されている。ただ一つ抜きんでる確固たる輝きは、土方のものであろうか。
「ラ・ムーの星……。」
舞は、ラ・ムーの星の表面に手を触れて、そっと語り掛けた。
「会いたいでしょう、金の星に……。大丈夫よ。必ず会わせてあげるから……。」
それに答えるかのように、ラ・ムーの星は、一瞬柔らかな光を放った。
金と銀のラ・ムーの星。今は引き裂かれているこの二つの星は、どれほどの時を共に過ごしたのだろう。
「レダ・フィオリナ……。」
舞は、ふと視線を宇宙へ向けて、金の娘の名を呟いた。
星と対を成す金と銀の娘。遠い昔、仲の良い姉妹だったというこの二人が、再び出会う時が来るのだろうか?
舞の脳裏を、再び金に輝く美しい髪がよぎってゆく。
宇宙を破滅に追い込む紫色彗星帝国に在って、その偉大な力でルーナンシアさえ滅亡に追いやった金の娘。彗星帝国を打ち破るためにこそ、彼女に与えられたはずの聖なる金の力が、事もあろうに、他ならぬ彗星帝国の邪悪な野望を達成せんがために使われているとは、何という皮肉であろう。
一体、どんな運命が彼女に道を誤らせたのか?
舞は、金の娘の運命に思いを馳せた。
自分とて、猛や仲間たちの支えがなければ、とっくの昔に運命の重さに潰されていたに違いないのだ。金の娘の使命は、銀のそれより遥かに重い。その運命の過酷さも、舞には容易に想像できた。
「必ず会ってみせるわ、私も……。」
金の星を探し出し、金の娘に会って、その閉ざされた目を真実に向けて開かせる。金と銀が対であるのなら、自分以外に果たせる者はなく、自分にできぬはずはない。
舞はそう信じ、決意と共にヘルメットを着けると、改めて振動に備えて体を固定した。
(お姉様……!)
舞の心の深い場所で弾けたその呼び掛けは、舞の中のレア・フィシリアが発したものである。舞さえ気付かぬその密やかな輝きは、たちどころに光に姿を変え、遥かな宇宙へと翔け去って行った。
その頃、彗星帝国第七艦隊の旗艦カーレルは、惑星グラディオーナからの距離約十五万光年の地点に停泊中だった。一刻も早くハヤトに追い着くべく、被害の少なかったカーレルだけが、彗星本体からの補修部隊を待たずに、先発して来たのである。
自室に戻ったアシュレイは、乱暴にソファに体を投げ出すと、淡いグレーの髪をかき上げて、大きく溜め息をついた。
被害が少なかったと言っても、ルーナンシア星爆発の衝撃は大きく、カーレルも、かなりの影響を受けていた。通常の三分の一以下の距離しかワープできない上に、ワープのたびに種々の調整に時間が取られる。今も、調整に時間がかかるという部下を、怒鳴りつけて来たところなのであった。
「少しお休みあそばしては……。」
全身に疲れを濃く滲ませているアシュレイに、そう言って飲み物を勧めたのは、金の娘イルーラである。
「いただこう。」
少々強めのその酒を一口だけ口にすると、アシュレイは、改めてイルーラの美しい横顔を見つめた。
「どうなさいました。焦っておいでに……?」
問い掛ける青い瞳が、凪いだ海のように穏やかにきらめく。
認めたくはないが、そのようだ。そうアシュレイは思い、無言でもう一口酒を飲んだ。レムリアにしてやられた怒りも未だ冷めやらず、ティレルごときに先を越されてなるものかという焦りが、かつてないほどに彼を追い立てている。
「それにしても、グラディオーナとは……。やはり、私もお供すればよろしゅうございました。」
花瓶の花を華奢な指先で直しながら、イルーラがぽつりと呟いた。細い肩に豪華な金の髪が揺れる。
「それはもう言うな。」
アシュレイは、イルーラの言葉を語気強く遮った。
確かに、グラディオーナへの調査の際にイルーラを伴っていれば、間違いなく金の星を発見できただろう。だが、よほどの体力と精神力がなければ、あの激しい宇宙気流を渡り切ることはできない。屈強な戦士であるアシュレイの部下たちでさえ、あれほど苦労したのだ。ハロルドに進言されるまでもなく、ひたすら静かに穏やかに暮らさねばならないイルーラを、そんな危険な目に遇わせるわけには行かなかった。
アシュレイの心に、この件に関する後悔は全くない。
「あ!」
その時、突然、イルーラが小さな声を上げた。ルーナンシア以来、自分を呼び続けている何者かの声が、再び聞こえたのである。
「呼んでいる……!」
イルーラの瞳が妖しく光を放つ。
ルーナンシアでハヤトと遭遇し、不思議な呼び声を聞くようになってから、イルーラの中で、確実に何かが変化しつつあった。それが、アシュレイには気に入らない。
「またなのか?」
やや尖ったアシュレイの声に、イルーラは、少し驚いたように目を見開いた。
イルーラは、己の過去を知らない。彗星帝国の調査船で目覚めた時、覚えていたのは自分の名前だけだった。その他のことを思い出そうとすると、割れるような頭痛がして、どうしても思い出せないのである。帝国の誇る精神分析装置デュアナでさえ、途切れた記憶の糸をたどることはできなかった。
生まれたての赤子であればいざ知らず、ある日突然過去を失った人間に、精神の平衡を保つのは至難の技である。
一体、己は何者なのか?
どのような過去に導かれて、今こうしてここに存在するのか?
その果てしなく遠い疑問に、イルーラは、大海を漂う浮き草のように、不安定に揺れた。だが、アシュレイと出会ったことで、イルーラは、暗い不安の淵から救い上げられたのである。
「これからは、私が側におります。」
ある日、浅い眠りから覚めたイルーラに、淡いグレーの髪と目の長身の青年がそう告げた時、彼女は、失ってしまった大切なものを取り戻したような、二度と会えぬはずの誰かに再び巡り会ったような、そんな不思議な、眩しいほどに幸福な感覚に包まれていた。
彗星帝国の若き将軍、アシュレイ・フォン・アトレイデ。その姿に、その声に、その優しさと労りに触れるたびに、イルーラの心は、どこか懐かしく、暖かい思いで満たされ、同時に、頭痛や吐き気などの苦痛を伴う身体的症状からも、徐々に解放された。デュアナの分析通り、アシュレイとイルーラの間には、理屈抜きに惹かれ合うものが確かにあったのである。
アシュレイと共にひたすら静かに穏やかに過ごす日々は、醒めることのない幸福な夢に似ていた。その夢に抱かれて、いつしか、イルーラは、己の過去を問うことをやめていた。
だが、夢に埋もれて朽ち果てたかに思われた過去への疑問は、彼方からの呼び声によって掘り起こされ、再びイルーラに示されたのである。
宇宙を席巻するこの強大な紫色彗星帝国に在って、比類なき力を持つ金の娘としてこの上なく丁重に扱われ、大帝グレゴリウスさえ姫と呼ぶ。
そして、今また不思議な未知の呼び声を聞く、イルーラ・ソム・リスレルたる己は、一体何者なのか?
「一体、誰が、何のために呼ぶのか……。」
呼ぶと言っても、実際に声が音として耳に聞こえるわけではない。何かが風のように通り過ぎてゆく、そんな「感覚」であった。イルーラ以外の者には感じ取ることさえできないその一瞬の輝きは、いつも確実にイルーラに触れて、染み入るような懐かしさを残して行く。その懐かしさは、アシュレイに対して感じるものよりももっと深く、イルーラの精神の根底にあるものを震わせるのだった。
「会ってみたいか? その者に。」
そんなイルーラの思いを本能的に察して問うアシュレイの声には、剣の鋭さと冷たさがある。
「はい。……いいえ。……よくわかりません。」
イルーラの瞳が、曖昧な色を宿して揺れた。
呼んでいるのは己の過去に繋がる者だ。イルーラはそう直観していた。会えば己の過去も示されよう、という強い誘惑に駆られる一方、そうなれば、アシュレイとの幸せな日々とは訣別せねばなるまい、という予感もする。
どちらが良いことなのか?
それは、今のイルーラに判断できることではなかった。
「私は離さんぞ。」
アシュレイの声は不機嫌だった。その短い一言に込められた激しい愛を感じて、イルーラは、柔らかに微笑んだ。
これほどまでに愛されている。その喜びは、いつも、過去への疑問をふわりと包んで、遠くへ運び去ってゆく。
「私はここにおりますわ。あなたの側に……。」
風のように懐に流れ込んで来る、イルーラの確かな暖かさが、アシュレイの全身を甘く駆け抜ける。
不思議な、美しい金の娘イルーラ。大帝の命令で近づいた。気に染まぬ命令だったはずなのに、いつからこれほどの愛しさを感じるようになったのか。
「私を呼ぶ者がいる限り、ハヤトは逃げることはできません。万一、ハヤトが先に金の星を手に入れてしまったとしても、取り戻すチャンスは幾らでもありますわ。こうして、私があなたの側にいる限り……。」
見上げる薄紅の唇が、花のようである。
イルーラは、アシュレイを愛していた。そして、アシュレイと引き離されることを、異常なほどに恐れていた。アシュレイを失うことを想像するだけで、叫び出したいような悲嘆と恐怖を感じる。
なぜ、それほどまでにアシュレイと離れることを恐れるのか?
ただ愛しているから、というだけではない、何か別の、深い理由があるように思われるのだが、それが何なのかは、イルーラ自身にもわからなかった。あるいは、それは、彼女がアシュレイに対して抱いている、失ってしまったはずの大切なもの、もう二度と会えぬはずの誰か、そうしたイメージがもたらすものなのかもしれない。にしても、なぜ、イルーラがアシュレイにそうしたものを感じるのか、それもまた謎なのだが……。
いずれにせよ、イルーラに、今のこの幸福を捨てることはできなかった。アシュレイなしでは生きてゆけぬ、とさえ思い詰める彼女の胸には、既に、アシュレイのために己の力を最大限に尽くそうという思いしかない。
どこまでもハヤトを追い、アシュレイの働きで星と娘を手に入れることができれば、ルーナンシアでの失態を帳消しにできる。そうなれば、大帝グレゴリウスの覚えめでたく、二人の未来も保証されることだろう。
自分が側を離れぬ限り、それも可能だ。
アシュレイの腕の中で、イルーラは、いつになく強くそう思う。
「……呼ぶ者な。」
だが、そう呟いたアシュレイの意識は、イルーラを呼び続ける何者かの上を、まだ離れていなかった。
それは恐らく、銀の娘なのであろう。
遥かな彼方から、遠く金の娘を呼ぶ銀の娘。
その声に魅せられて、いつか、イルーラは、自分の元を去って行くのではないか?
それが、アシュレイの不安と焦燥の根源にあった。イルーラの関心が、アシュレイ以外の者に向けられたのは、これが初めてなのである。
黒々と広がる外宇宙の海が、アシュレイの淡いグレーの瞳を覆い尽くすようであった。そこに、イルーラの揺れる瞳の色はない。
(誰にも渡さぬ!)
抱き締める腕に力を込め、アシュレイは、不吉な予感と戦った。
ハヤトは、彼の愛する者を奪って行く。それを断固阻止するためにも、何とか自らの手で決着をつけたい。アシュレイはそう切望した。それは、ハヤトの乗組員たちと寸分違わぬ思いであったのだが、そこに思い至る余裕は、今のアシュレイにはない。
カーレルの次のワープまで、あと十二時間。それが、惑星グラディオーナへの最終ワープである。
ハヤトは流されて行く。終点が近づいて、流れの速さはますます速くなり、追って来る第三艦隊との距離が少し開いて来た。
「艦長! 脱出体制に入りましょう!」
もう我慢できないというように、剛也が叫んだ。その声には悲痛な響きがあったが、土方の断固とした姿勢は崩れなかった。
「まだ早い。」
一言言って、再び目を閉じた土方を見上げて、皆は、気が気ではない。
(一体、艦長は何を考えているんだ?!)
猛にしても、土方の考えが読み取れず、ただ次の指示を待って、体を保持するのが精一杯なのである。
ハヤトは、気流に翻弄されながら、依然として押し流されてゆく。球面上を吹き荒れた風が、四方八方から激しい勢いで吸い込まれてゆく気流の終点が、既に、メインパネルに投影できるほどの距離まで近づいていた。
「艦長! 間もなく別の気流との合流点です。あそこまで流されると、脱出は難しくなります!」
独の声に、土方はようやく目を開け、
「敵艦隊との距離は?」
と問うた。
「左後方、約五百宇宙キロです。」
美央が数字を読み上げると、土方はうむ、と一つ頷き、声を張り上げて指示を下した。
「よし、百八十度反転、脱出! エンジン、フルパワー噴射!」
それを受けて、たちまち第二艦橋は生き生きと蘇った。
「エネルギー増幅、エンジン、フルパワー!」
復唱する剛也の声も弾む。エンジンをフル始動させ、左右に巧みに転頭しながら、ハヤトは、ようやく逆巻く宇宙気流を突破して行った。
「脱出したぞ!」
ハヤトを揺るがせ続けた振動はピタリと収まり、窓の外の宇宙の色にも、本来の透明な濃さが戻っている。鮮明になったメインパネルには、追って来る敵艦隊とその後方の惑星グラディオーナが、はっきりと映し出されていた。
「グラディオーナの位置は。」
土方の問に、
「右七十五度、敵艦隊より上方三十度!」
と、間髪入れずに美央が答えた。
この角度なら、グラディオーナに被害を与える心配は全くない。土方は大きく頷き、次の指示を下した。
「波動砲発射準備!」
「了解。波動砲内エネルギー注入。」
徳川がそれを繰り返す。
「ハヤト、気流を抜けました!」
観測員の狼狽した声が、彗星帝国第三艦隊の旗艦ガーナのブリッジに響いた。
「小癪なハヤトめ。やはり、死んだふりをしておったな。」
しかし、それを十分予想していた余裕のある表情で、ティレルは命令を下した。
「全艦攻撃隊形! 艦載機は発進準備!」
ティレルの命令は即座に全艦に伝達され、艦隊は、追撃のために縦隊隊形から、横に展開して、艦首をハヤトに向けた。
自慢のミサイル艦のミサイルでハヤトを釘付けにし、艦載機の波状攻撃でその武器を全て破壊し尽くす。ハヤトを完全に沈黙させてから、兵士を艦内に送り込み、銀の星と娘を手に入れる。
それが、ティレルの考えだった。
銀の星と娘がハヤトに在ると思われる以上、ハヤトを完全に叩き潰してしまうわけには行かない。ややもどかしくもあったが、止むを得まい。
元々、徹底的な殲滅戦を得意とするティレルにとって、相手を生かすような軟作戦は苦手なのだが、いつまでもそうは言っていられない。日頃から、アシュレイとの差はこの辺りにある、と言われているティレルなのだ。その印象を拭うためにも、何としてもこの作戦を成功させて、大帝にアピールしておきたかった。それは、アシュレイを出し抜くことでもある。
「よし、ミサイル発射!」
隊形が整ったのを認めたティレルの次の命令で、居並ぶミサイル艦から、おびただしい数の小型ミサイルが発射された。
その様子は、もちろんハヤトのレーダーに捕捉されている。
「ミサイルが来ます! 数約五十!」
緊迫した空気のみなぎる第二艦橋に、レーダーを睨んでいた美央の声が響いた。
「回避しますか!?」
「艦長! 迎撃ミサイルを……。」
猛スピードで突進して来る小型ミサイル群に、たまり兼ねたように、剛也と猛が土方を振り返る。
「いかん!」
土方は叱咤した。
「今は、無駄にエネルギーを使うな。」
銀の星と娘という切り札を今ハヤトが握っている以上、敵も、ハヤトに致命傷を与えようとはすまい。足を止めておいて、艦載機攻撃を掛けて来ようというのだろう。
土方の予想通り、ミサイルはわずかにハヤトを逸れて、艦側を通り過ぎて行った。
全く動じることなく、黙然とメインパネルを見上げる土方の姿を、その背後に飾られた沖田の像が、微笑んで見ているかのようである。
「艦載機来ます! 数約二百五十!」
再び美央が悲鳴に近い声を上げた。
「あの数にやられたら、ひとたまりもないぞ!」
独は、ハラハラしながら艦長席の土方を見上げた。だが、土方は、誰の声も耳に入らぬかのように、じっと目を閉じたまま、一言も発しない。
土方は、敵との距離と艦載機の速度を計りつつ、波動砲のエネルギー充填が完了するのをひたすら待っていたのだった。この一発で敵艦隊を壊滅させてしまわないことには、いかにハヤトが歴戦の勝利を思いのままにして来た艦でも、ただ一隻の火力では、圧倒的な敵の攻撃をかわして、惑星グラディオーナに接近することは難しい。惑星グラディオーナに接近できなければ金の星を得ることはできず、それは、すなわち宇宙の滅亡を意味する。この一発に賭ける以外、生き延びる方法のないことを、土方は熟知していたのだ。
「波動砲エネルギー充填、百二十パーセント完了!」
待ちに待った報せを、ようやく徳川がもたらした。土方は、カッと目を見開き、凛然と指示を下した。
「波動砲発射用意!」
それを受けて、猛が飛び付くようにスイッチを押した。
「ターゲットスコープ、オープン。電影クロスゲージ、明度二〇!」
反射式照準器に捉えられた敵艦隊を、火を吹くような瞳で見据えながら、猛は、波動砲発射の手順を踏む。
「目標、前方敵艦隊、距離三百宇宙キロ。誤差修正、上下角+〇.五。」
波動砲の引き金に静かに指を掛けた猛は、もう余計なことは考えていない。
「発射十秒前! 対ショック、対閃光防御!」
土方の指令に、乗組員たちはそれぞれ姿勢を整え、猛は秒読みを始めた。
「……四、三、二、一、発射!」
ハヤトの艦首から発射されたエネルギーの束は、唸りを上げて突き進み、接近中だった艦載機群を粉砕し、第三艦隊の中心に突き刺さった。同時に、凄まじい光茫が広がり、威容を誇った第三艦隊は、一瞬のうちに爆発して四散した。
「やった!」
艦内各所で、歓声が上がった。
(これほどのものとは……!)
土方も、実戦で初めて見る波動砲の効果に驚嘆していた。土方が乗っていた太陽系外周艦隊の旗艦ゆうづきにも波動砲が装備されていたが、敵の奇襲を受けた時は、それを使う暇が全くなかったのである。だが、土方は、一瞬のうちにその心の動きを収め、あくまで冷静沈着に次の指示を下した。
「第一次作戦完了。惑星グラディオーナへ接近せよ。」
土方を振り仰ぐメインスタッフたちの顔には、感嘆の色がある。無論、彼らは、土方が沖田に匹敵する指揮官であることを信じて、艦長就任を要請したのだが、今や、その信頼は、不動のものとなっていた。
「了解! 微速前進一.〇、グラディオーナへ向かいます。」
剛也の復唱と共に、ハヤトはゆっくりと艦首を巡らせ、惑星グラディオーナへ進路を向けた。その前方では、遠く宇宙空間を駆けてゆく波動砲の残存エネルギーが、星の姿をくっきりと浮かび上がらせている。
「おお、グラディオーナが……。」
ハヤトの乗組員たちは、息を呑んでその光景に見入った。
エネルギーのきらめきを霧が反射し、金色に輝く惑星グラディオーナ。
それは、まさしく金の星であった。
「ああっ?!」
その時、惑星グラディオーナの輝きに呼応するかのように、格納庫のラ・ムーの星の内部に、ぽうっと銀色の灯が灯った。同時に、固定装置が微かな音を立てて解除され、ラ・ムーの星は、そのまま宙に浮かんで、瞬くように二度光を放った。
舞も飛翔も、機器には一切手を触れていない。なのに、これは一体どういうことなのだろうか?
二人が茫然と見守っていると、今度は、外壁のハッチが勝手に開いた。
「ラ・ムーの星が……!」
ラ・ムーの星は、緩やかに宇宙に流れ出ると、そのまま、黄金色に光る惑星グラディオーナ目掛けて降下して行った。
まるで意志を持っているかのような、ラ・ムーの星の行動である。
(見つけたのね!)
これは、惑星上にある金の星と、ラ・ムーの星が呼び合ったのに違いない。銀の星は、金の星会いたさに、自ら、グラディオーナに降りて行ったのだ。舞は、咄嗟にそう判断していた。
「舞っ!」
次の瞬間、舞の体がタッと宇宙に舞った。銀の光に包まれ、風のようにラ・ムーの星を追ってゆくその姿は、あっと言う間に飛翔の視界から消えた。
「くそっ、無茶苦茶をやってくれる。」
こんな所で舞を見失ったら、猛に会わせる顔がない。飛翔は、ボヤきつつ、グラディオーナへ向けてダイビングし、自分の降下装置を巧みに操りながら、これも風のように、舞の後を追って行った。