ハヤトの中央作戦室は、集まって来たメインスタッフ及びセカンドスタッフの熱気で、むせ返っていた。他の乗組員たちは、交替で休息を取り、また、諸点検や整備に励んでいるはずである。惑星グラディオーナへ向けてのワープまであと六時間、いよいよ紫色彗星との正面切った戦いが始まろうとしているのだ。
 集合したスタッフたちの中には、ルーナンシアの滅亡を目の当たりにしたショックを、ようやくやり過ごした舞の姿も混じっていた。
 その頬に涙の跡はなく、悲嘆の色を残さぬ澄んだ瞳は、遠く未来を見据えてきらめいている。毅然と上げられた横顔は、舞本来の気丈さをたたえて美しく、何もかも吹っ切った清々しささえ感じさせた。だが、か細い全身から、哀しいまでの透明さが音もなく揺らぎ出て行くのは隠しようもなく、それが見る者をギクリとさせるのだった。
 舞はまた、否応なく運命の渦に巻き込まれてゆくのだ。逃げも隠れもせず、むしろ自分からその巨大な渦の中に飛び込んで、逆巻く流れの底に密やかに眠る、微かな希望を掴もうと努力している……。それは、確かに健気ではあったが、同時に、己の力をギリギリまで振り絞ってようやく踏み止まっている、そんな危うさをも感じさせた。
 今の地球があるのは、半分以上、舞のお蔭なのである。レア・フィシリアとしての務めを果たすために、彼女がどれほど苦しんだか、ハヤトの乗組員なら知らぬ者はない。本来ならば、何ものからも守られて、花に埋もれて幸せそうに微笑んでいることこそが、舞には似つかわしいはずなのだ。その舞が、精一杯の無理をして、恐怖と怯えをひた隠し、ことさらに強くあろうと、自分自身を鞭打っている。その姿はあまりにも痛々しく、彼らは、何もできない自分を嘆かざるを得ないのだった。
 それでも、側にいかにも心配そうに見守る猛がさり気なく付いているのを認めると、皆の心に勇気が蘇る。舞の側には、いつも猛がいるのだ。重い意志が光となって宿る猛の瞳は、厳しくも頼もしく、ラ・ムーの星の奇跡が、決して舞一人の力によってもたらされたものではないことを、彼らに思い出させた。
 舞を守り、支えて来たのは、猛だけではない。彼らハヤトの乗組員たちの支えがあったからこそ、猛は舞を守り切り、救うことができたのである。それは、彼らの誇りでもあった。
(必ず守り抜いてみせる!)
 二人には幸福になって欲しい。誰もがそう願いつつ、決意を新たにしていた。
 自分たちの存在が、精神的な意味だけでなく、二人を、ひいては宇宙を守る力に「具体的に」なり得ることは、彼らに快哉を叫ばせた。
 生き抜けばよい。
 簡単ではないが、単純なことだった。
 極端なことを言えば、手を失おうと、足を失おうと、生きてさえいれば、大いなる力の一翼を担うことができるのである。もちろん、生き抜くということの難しさを、彼らは嫌というほど知っていたが、どんな困難な状況の下でも、最後まで諦めずに生き抜く努力をするというのは、「ハヤト魂」そのものなのだ。彼らの士気は、いやが上にも高まって行った。
 しかし、それも、惑星グラディオーナで、首尾よく金のラ・ムーの星を手に入れることができれば、の話である。
 一方、肩に重傷を負って入院治療中だった独も、車椅子の助けを借りて姿を見せていた。無論、佐渡の厳重な監視付きではあったが、顔色などもそれほど悪くはなく、表情も落ち着いている。独が負傷した、という報せは、少なからず乗組員たちに衝撃を与えていたから、こちらも車椅子で点滴を受けながら、という痛々しい姿ではあったが、ハヤトの頭脳とも言うべき、科学技術長ミスター神宮寺が健在であるという事実は、皆を安心させるのに十分だった。
 この時、独の傍らにさり気なく付き添っていたのは、看護師ではなく麗だったが、常とは微妙に異なるその風景に気付いた者は少ない。
 床一面の大パネルを前に、航海班航海計画グループを代表して、風祭霜が、長距離ワープの計画を述べていた。既に、麗が独の補佐として科学技術班に移籍し、その後は霜が引き継ぐことが、正式に承認されている。
「以上、惑星グラディオーナへ向けてのワープ計画です。」
 霜が、歯切れの良い口調で説明を終えると、居並ぶスタッフたちから、思わず溜め息が漏れた。
 その計画は、ワープインターバルをわずか一日に短縮し、惑星グラディオーナまでの約四十四万光年を、三日で踏破するというものだった。通常、長距離ワープのインターバルは、四日は取らなければならないとされている。銀河系からルーナンシアへの行程では、それを半分に短縮して二日としたのだが、今度の一日というのは、さらにその半分である。二日でもかなり厳しかったのだから、それが一日ということになると、乗組員にもエンジンにも、相当の負担を強いることになろう。
「ふむ。どうかね、機関長。」
 土方が、まぁ致し方あるまい、という顔で機関長徳川に意見を求めると、徳川は、
「一日とは言え、インターバルがあるだけましですな。何とかなるでしょう。」
と、渋い顔とは裏腹に、自信を感じさせる口調で答えた。
「そうですね、エンジンの方は問題ないと思います。」
 横で、独も同意した。
「とすると、問題は人間の方か。佐渡先生のご意見は?」
 問われた佐渡は、これも涼しい顔で、
「とても健康的とは言えません。しかし、殺しても死なないような連中ですから、短期的に見れば、大きな問題はないでしょう。」
と答えた。
「但し、負傷者には、ちと厳しいかもしれませんな。」
 佐渡は付け加えた。
「ルーナンシアで負傷した空間騎兵隊の隊員五名ほどと、ここにいる技師長。ついでに申し上げれば、艦長、あなたもまだ完全に回復したとは言い難いですぞ。」
「いや、私はもう全く問題ないが……。」
 痛いところを突かれた土方は、慌てて遮り、突然自分に向けられた鋒先をかわすかのように、車椅子の独に視線を投げた。負傷を押して艦長に就任した土方も、事あるごとに、もう少し休むよう、佐渡からうるさく言われていたのである。
「私もです。今だって、佐渡先生の手前、仕方なくこうしているんですから。休養はワープの間に取ります。」
 独は、ややムキになって、そう言った。病室でのやり取りを思い出したのか、独の後ろで麗がクスリと笑った。
「奴らも心配ないでしょう。半端な鍛え方じゃないですからね。そんなに柔にはできていません。」
 ベッドに拘束されて、不平たらたらだった仲間たちの顔を思い出しながら、恭一郎も言った。
「まぁ、今の状況では、一日を二日に延ばしたところで、大した違いはないわけですが。」
 佐渡が言い、それを受けて、土方は断を下した。
 何しろ、惑星グラディオーナについては、宇宙座標DX-三〇に存在する、ということ以外、何もわかっていないのである。当然、彗星帝国も激しく妨害して来るだろうし、金のラ・ムーの星がすぐに見つかる保証もない。運良く金の星を手に入れた後、どんな展開が待っているのかに至っては、見当もつかないのだ。彗星は、着々と地球へ近づいている。今は、時間が最優先項目であろう。
「よし、いささか厳しいスケジュールではあるが、ワープはそれで行こう。もたもたしている間に地球が滅ぼされてしまったら、元も子もないからな。」
 地球が滅ぼされてしまったら、という土方の言葉に、一同の顔に、サッと緊張の色が走った。そうなのである。それを考えたら、文句など言ってはいられない。ワープインターバルに一日を費やすことすら、勿体ないほどなのだ。
「ここは、君たちの若さと体力に期待しよう。他に何か?」
 土方が皆を見回すと、暗がりで、舞が遠慮がちに手を上げていた。
「私を、艦内任務から外していただけないでしょうか。」
 舞の隣で、猛が、険しい眼差しを上げた。彼には、舞がそう言い出した理由が、すぐにわかったのである。
「理由は?」
 土方に問われて、舞は、整然と説明を始めた。それは、ホスピタルのベッドで絶望に打ちひしがれながらも、ずっと考え続けていたことだった。
「彗星帝国に勝利するためには、金のラ・ムーの星を手に入れ、その上で、帝国の手中にある金の娘とコンタクトを取らなければなりません。惑星グラディオーナに着いたら、まず金のラ・ムーの星を探さなければならないわけですが、金のラ・ムーの星が隠されている場所について、女王レムリアは、『惑星グラディオーナのどこか』としか教えてくれませんでした。つまり、私たちは、よく知りもしない惑星で、当てもなく宝探しをしなくてはならないわけです。それに、金の娘とコンタクトを取ると言っても、一体彼女がどこにいるのか、どうコンタクトを取ればいいのか、それすらわかっていません。」
 舞は、自信と不安がない交ぜになった瞳で、土方を見上げた。
「レムリアが言うには、金の娘レダ・フィオリナと銀の娘レア・フィシリアは、遠い過去において、非常に仲の良い姉妹だったそうです。ですから、金の星の隠されている場所も、金の娘の居所も、きっと私にはわかると思うんです。少なくとも、闇雲に探して回るよりは、ずっとましなはずです。」
 舞の脳裏で、美しい金の髪の女性が振り返った。金と銀が対である以上、お互いをわかりあえるはずだ、と、舞は確信している。
「金の娘とのコンタクトについてはまた考えるとして、金のラ・ムーの星を探すのは、私に任せていただけないでしょうか? その際、自由に動くためにも、艦内の任務から外していただきたいのです。」
 土方は、舞の言葉を頷きながら聞いていたが、即答はしなかった。
「艦長。それについては、私も舞と同意見です。」
 横合いから、独が賛意を述べた。レア・フィシリアとしての存在を持つ自分を完全に受け入れた舞の発言は、彼には嬉しく、そしていじらしい。
「ルーナンシア星に到着した時、ラ・ムーの星が突然発光して我々を驚かせましたが、どうも、今回は、舞がラ・ムーの星を使う、という従来の図式が全く成り立たないように、私には思えるのです。むしろ、今回、主導権を握るのは、ラ・ムーの星の方なのかもしれません。つまり、ラ・ムーの星が舞を導くことによって、事態が推移して行く……、そんな気がします。」
 それは、独のカンであったが、ハヤトの頭脳中枢を成す彼のカンは、おろそかに扱われてよいものではない。
「とにかく、キーとなるラ・ムーの星によるエネルギーの現れ方が、前回の航海の時とは異なる、全く予想もつかないパターンになると思われる以上、柔軟かつ自由に対処できる体制にしておくことは、必要だと思います。ただ……。」
 独の逡巡を、土方が引き取った。
「うむ。私もそう考えてはいたんだが……。片桐一人、というわけには行かん。護衛が必要だな。」
 惑星グラディオーナで、敵と戦わずに済む幸運が待っていてくれるとは、土方には思えなかった。金のラ・ムーの星は、敵も手に入れたがっている。レムリアの話から考えて、ハヤトが金の星の在り処について情報を得たであろうことは、当然、敵も予想しているはずだ。つまり、ハヤトが惑星グラディオーナに現れたということは、そのまま、星のどこかに金のラ・ムーの星が存在するということの証明になるのである。
 彗星帝国にしてみれば、ハヤトに金の星を発見させておいて、それを横取りしてもよいし、捜索活動ができないようにハヤトを適当に攻撃し、その間に自分たちでゆっくり惑星中を探し回ってもよい。惑星グラディオーナにたどり着いたその瞬間から、事態は敵に有利に展開するのである。
 一方で、ハヤトの出現と共に、ルーナンシア星が突然銀色の光に包まれたことからも、ハヤトに銀のラ・ムーの星が存在していると、敵は考えているに違いない。帝国は、銀の星も手に入れたがっているから、それを果たすまでは、ハヤトを生かしておいてくれるだろう。ハヤトに有利な点ががあるとすれば、それだけだった。
 となれば、敵に先んじて金の星を手に入れる方法はただ一つ、ハヤトに敵を引き付けておいて時間を稼ぎ、同時に、敵に悟られないように、密かに金の星を探すのである。
 本人が言うまでもなく、ハヤトの乗組員の中で最も早く金の星を探し出せるのが舞であろうことは、土方も信じて疑わなかった。しかし、舞もまた、彗星帝国が喉から手が出るほど欲しがっている「銀の娘」なのである。いかに男並みの戦闘能力を持っているとしても、とても単独行などさせられたものではない。
 だが、誰を護衛に付けるべきか?
 土方は、その護衛役の人選に迷っていたのだった。
「護衛など、必要ありません。」
 舞が言った。
 舞は舞で、自分がレア・フィシリアであるばかりに、また誰かに迷惑を掛けることになると思うと、心苦しいのである。自分の身くらいは自分で守れる、という自負もあった。
「そうは行かん。銀の娘までが彗星帝国の手に渡ってしまったら、地球はおろか、宇宙はおしまいだ。自分も狙われているのだということを忘れるな。」
 土方は、その心情を汲みつつ、舞をたしなめた。
「本城か、坂本を付けられれば、言うことはないんだが……。」
 最強の護衛役ということでは、この二人の右に出る者はない。特に、猛などは、自らの手で舞を守りたいところだろう。しかし、二人は、ハヤトの両輪を成す戦闘隊と空間騎兵隊の、大切な指揮官なのである。猛の方は、戦闘隊と空間騎兵隊の連携を取りつつ、ハヤトの戦闘全体を指揮しなければならないし、恭一郎も、グラディオーナにおいて再び重要な役割を担うであろう空間騎兵隊が自在に動くためには、隊長として、なくてはならない存在だった。
 この二人に匹敵するだけの護衛役となると、どうしても、複数の人間が必要になって来るが、集団が大きくなればなるほど動きが鈍る上、敵にも発見されやすく、隠密行動には向かない。加えてハヤトは大幅に定員を欠いており、できればあまり人数を割きたくないところでもあった。
 中央作戦室は、沈黙に覆われた。
「艦長。私にやらせてください。」
 その沈黙を破って、ひっそりと申し出た者がある。
 飛翔だった。
「猛や恭一郎には及ばないかもしれませんが、他の者に引けを取らないだけの自信はあります。」
 確かに、ハヤトのメインスタッフともなると、緊急の場合に備えて、専門以外の訓練も万遍なくこなして来ており、どれも一流のレベルに達している。飛翔にしても、射撃や戦闘訓練を十分に積んでおり、訓練学校時代からかなり優秀な成績を修めていたことは、土方の記憶にもあるところだった。
「……うむ。新命か。」
 土方は、しばし思案した。
 通信班通信部門チーフの飛翔は、ハヤトの司令塔である。戦いにおいて最も重要な要因の一つである各種情報は、全て飛翔の所に集まって来る。彼は、それを取捨選択し、必要な情報を、必要な部署に、迅速かつ正確に伝えるのだ。情報の速さと正確さは、戦いの勝敗を大きく左右する。そのためのエキスパートが抜けるというのも、痛い。
「通信班長の任務は諒に、レーダーは美央に引き継いでもらいます。二人とも経験がありますし、適任だと思うのですが。」
 飛翔は、なおも言葉を継いだ。
 土方は考えた。
 飛翔になら、猛や恭一郎と同等の働きができる。また、後任の二人も十分な経験があり、信頼性という点では、何の問題もなかった。
 諒は、先の航海の時も、ハヤトの第二艦橋勤務の通信士を務め、地球へ帰ってからも、輸送船団に乗り組んで活躍している。美央も、これまでもしばしばレーダーに携わっていたし、特に、ティアリュオンからの帰路は、眠り続けていた舞の代わりに、高い頻度で艦橋でレーダーを担当していたので、まず不安はない。生活班の任務は、部下たちで切り盛りできるだろう。
 本人の実力と適当な後任の存在という意味で、飛翔以上の人材は他になさそうだった。
「よかろう。片桐舞と新命飛翔を、艦内任務から原則的に解放する。惑星グラディオーナに到着した後は、金のラ・ムーの星捜索の任に着くこと。通信班通信部門チーフは神谷諒、レーダー・解析部門チーフは海堂美央とする。生活班のチーフは、佐渡先生の兼任。」
 土方の決定に、飛翔の顔がわずかにほころんだ。
「但し、ハヤトとの連絡を怠らぬこと。急ぐなよ。」
 土方は、飛翔に向かって、そう念を押した。飛翔が舞の護衛役を申し出たのが、婚約者を失った自暴自棄からであっては困ると思ったのである。が、さすがに言わずもがなのことを口にしたと思ったのだろう、土方は、それ以上は言わずに、皆の方を向き直った。
「他の者にも言っておくが、生き抜くことだ。無駄に命を失うようなことがあってはならんぞ。」
「はい!」
 さらに二、三の事項の討議が行われて、会議は終わった。スタッフたちは、部下の点検作業を見に、あるいは短い休息を取りに、思い思いに散って行った。