「舞。気分はどうだい。」

 猛が、舞の入院しているホスピタルの病室に顔を出すと、舞は、ベッドの上に半身を起こして、窓の外を眺めているところだった。差し込む柔らかな日差しが、景色に見惚れる穏やかな舞の横顔を、これも穏やかに照らし出している。
 正確に言うと、艦の内部にある病室に窓はないのだが、ベッドの脇に、通常は病状や治療方針の説明に使われる大きなスクリーンがあって、それに外の風景やその他様々なものを映し出し、いわば擬似窓として使うことができる。病人の精神衛生を考慮したもので、その映像は本物と見紛うばかりだった。
 今、舞が見ているのは、海から宮殿へと連なる一面に花の咲く丘である。
「ありがとう、猛さん。明日、やっと退院させてもらえそうなのよ。」
 振り向いて、舞は笑った。
 舞は、その後もなかなか状態が安定せず、血圧の低下や発熱を繰り返したため、経過観察のために入院させられている。ハヤト出港を明後日に控えた今日になって、ようやく状態が落ち着き、佐渡が、渋々ながら明日の退院を許可したところであった。
「そうか、良かった。」
 ホッとして、猛も笑った。
 確実に舞は立ち直って来ている。しかし、全体の印象が、どことなくたおやかに、儚げになっていることに、猛は気付いていた。一見したところでは、知的なひらめきも強さも冷静さも、何も変わらない。が、どこかに今にも崩れ掛かって来そうな脆さがある。少し痩せてほっそりした顔がこれまでよりずっと大人びて見え、猛は胸を突かれた。
「ベッドの上ばっかりじゃ、退屈だろ? いい天気だから、外へ出ないか?」
 気を取り直して、猛は舞の顔を覗き込んだ。
 明日は、出港の最終準備で何かと忙しい。だから、今日のうちに、この美しい星の風景を胸に刻み付けておきたかった。
 初めてこの星を宇宙から見た時と同じように、舞と一緒に――。
「素敵だわ。でも佐渡先生が何て言うかしら。」
「ご心配なく。許可は取ったよ。」
 二人がそんなことを言い交わしていると、ドアが開いて佐渡とアナライザーが現れた。
「猛サン、毎日毎日、御苦労サマデスネ。」
「皮肉か?」
 猛は、カタカタとキャタピラの音をさせて近寄って来たアナライザーの丸い頭を、コンと小突いた。
「仕方ないだろ。この星では戦闘隊は暇なんだ。どうせまた寝る暇もないくらい忙しくなるんだから、悪いけど、ここにいる間は少しはのんびりさせてもらうよ。」
「全く、その暇に任せてくどくどと頼み込むんじゃからのう。わしもいい加減面倒になるわい。」
 ぼやきながら、佐渡は舞の脈を取り、
「まあ、いいだろう。」
と軽く頷いた。
 そこへ、舞の着替えを手に看護師長が現れて、
「外出するならお着替えしましょう。準備ができたらお呼びしますから、殿方は外でお待ちください。アナライザーもよ。」
と、もの柔らかく、しかし断固とした口調で、三人を退出させた。
「ナンデ私マデ追イ出サレルンデスカ。」
「何だよ、ちゃんと人間扱いしてくれるいい師長さんじゃないか。」
 普段、自分だけロボット扱いされると怒るくせに、と、アナライザーがプンスカしているのを面白がりながら、猛は佐渡に舞の様子を尋ねた。
「まだ本調子とは言えんが、だいぶいい。」
 佐渡が飄々としている時は、大きな問題はない。猛は改めて安心した。
「外を散歩するのは、いい気分転換とリハビリになるじゃろう。外出を許可したのはその目的もある。だが、あまり無理させるんじゃないぞ。夕食までには戻って来い。いいな。」
「わかってますよ、先生。」
 その他、注意点などを確認しているうちに、
「準備できました。戦闘隊長、どうぞお入りください。」
とドアが開いた。
 猛が中に入ると、就寝着の白いローブに肩からショールを羽織った舞が、ベッドに腰掛けていた。プラネタリウムで初めて会った時も、こんな感じだったろうか。
「少し歩いた方がリハビリにもなりますので、車椅子は用意しませんでした。ただ、タラップはまだちょっと心配なので、歩くのは下りてからにしてください。お願いしますね、戦闘隊長。」
 その横で、美人の師長がニッコリ笑う。
「わかりました。ありがとうございます。じゃあ舞、行こうか。」
「きゃ……。」
 猛は身をかがめると、ひょい、と、舞を抱き上げた。
「いやよ、猛さん。恥ずかしいわ。」
 舞の白い頬が赤く染まる。
「何言ってるんだ。歩くのは下りてからって、今言われたろ?」
「そうだけど……。」
 だからと言ってお姫様抱っことはいかがなものなのか。舞はまだ何か言っていたが、猛は、そのままさっさとドアの外へ出て行った。
 その後ろ姿を見送りながら、呆れたようにアナライザーが言う。
「恋スル男トイウモノハ、強イモノデスネ。佐渡先生。」
「まぁ、あれだけ開き直れりゃ、立派なもんだわな。」
 佐渡も、半分呆れながら同意した。
 意識を取り戻した舞の治療が一通り終わった後、佐渡は猛を呼び出し、
「いいな、猛。こうやって舞を連れ戻した以上、途中で投げ出したりしたら、わしゃ許さんぞ。」
と厳しく釘を刺したのだが、猛は、あっさりと頷いただけだった。その時は、その手応えのなさを物足りなくも思った佐渡だったが、今はこれでよいのだと思う。
 猛にとって、全ては自然なことなのだ。気負う必要もなければ、深刻になることも、照れる必要もない。猛のこれからの人生は、常に舞と共にある。それを、猛は理解したのである。
「たかだか二十才になったばかりの子供がのぅ……。」
 佐渡は呟いた。
 だが、人を愛するのに年齢は関係あるまい。猛も舞も、自分が本物の相手に巡り会ったことを知った。だから、行く道が辛く苦しいことを正確に理解していても、不幸ではないのだ。
「それにしても、ずいぶんめかしこんでやったものじゃの。」
と、白一色の装いで可憐そのものだった舞を思い出しながら、佐渡は師長に声を掛けた。佐渡の隣で二人の後ろ姿を見送りながら、師長は、
「だってこんな機会、この先もうなさそうじゃないですか。明後日出発したら、仕事以外で口をきく暇もないかもしれません。せめて今日は、二人でゆっくり過ごしてもらいたかったんです。きっと舞さんも元気になります!」
と、舞の仕上がりと、猛が彼女の思惑通りに行動したことに満足して、小さくガッツポーズした。
 珍しく口数多く語りながら、その瞳は微かに潤んでいる。彼女もまた、二人の運命を憂い、その行く末を心配して、少しでも力になりたいと願う仲間の一人なのである。
「……いや、さすがは我が師長、わしからも礼を言うぞ。」
 佐渡も満足げに頷いた。
(二人とも忘れるな! お前たちにはわしらがついておる!)
 仲間たちの存在を忘れぬ限り、舞は、あの二人は大丈夫だろう。そう思えることは、佐渡にとっても救いであった。

 猛と舞が通路に出ると、向こうから美央がやって来るのが見えた。
「舞! 猛くん!」
 美央は、いつもの屈託のない笑顔を見せて、駆け寄って来た。
「美央……。」
 舞は、その翳りのない笑顔を嬉しく思う。
 美央が心から心配し、レムリアに食ってかかりさえしたという話は、佐渡からも聞かされていた。こういう友がいてくれたから、帰って来られたのだと思う。
「良かったわ、もう起きられるようになったのね。」
「ごめんね、心配掛けて……。」
 詫びる舞に、美央は黙って首を振り、しみじみとした思いで、二人の顔を見比べた。
 実を言うと、舞を連れ戻したのが猛だったことに、美央は、少なからずムッとしていたのだ。
 猛が舞を連れ帰った時、美央は心底からホッとした。一方で、
(私があんなに呼んだのに……。)
と思うと、心境は複雑だった。
 自分があれほど呼んでも、ピクリとも反応しなかった舞なのに、猛が行ったらあっさり戻って来た。いや、あっさりと言っては語弊があるのだろうが……。とにかく、舞は、それほどに猛のことを信じ、愛しているのだ。そう考えると、何となく寂しいような、悔しいような気がした。
(友情は愛に負けるって、このこと?!)
 親友を取られてしまったような、そんな嫉妬めいた気持ちもあった。
 だが、今、二人のこの姿を見た瞬間に、卑屈なわだかまりは吹っ飛んでしまった。この二人の繋がりは、そういうレベルにはないのだ。
 舞を大事そうに、だが軽々と抱く猛と、猛を信じて、その肩に静かに頭をもたせ掛けている舞。その姿には、まるで完成された絵を見るような美しさがあり、こうなるはずだったのだ、と美央に思わせる。
「ちょうどよかった。はい、お茶とお菓子。外はいい天気よ。散歩にでも出ればいいと思って、作って来たの。持って行ってちょうだい。頼むわね、猛くん。」
 美央は、籠に入れた飲み物と手ずから作った特製のフルーツクッキーを渡すと、行ってらっしゃい、と二人を見送った。
「帰りたいものだわ。ううん、絶対に帰らなくっちゃ。」
 二人の姿が通路の角を曲がって消えた時、美央は、口に出してそう呟いていた。
 美しく、平和な星、ルーナンシア。
 ここで過ごした日々は、まるで夢のようだった。だが、それも終わる。ハヤトが飛び立てば、また死と隣合わせの毎日が始まるのだ。夢はいつか醒める。
 しかし、二人のあの姿が、いつかは消えてしまう儚い夢であるはずはない。猛と舞は、これから先もずっと共に生きてゆく。生き抜いて、至上の幸せを掴むべき一対なのだ。
 それを現実のものにするためには、何としてもティアリュオン星にたどり着き、コスモクリーナーを手に入れて、地球へ帰らなければならない。
「帰ってみせるわ。必ず!」
 ハヤトは挫折し、地球は滅び、何もかもが失われる。そんなことがあってはならない。
 絶対に。
 片時も忘れたことのないその決意が再び胸を浸し、心が元通りの緊張を取り戻して行くのを、美央は感じていた。そうとなれば、今のうちに準備しておきたいことが、まだ山ほど残っている。
「もう一度食糧倉庫をチェックして、と、そうそう、次の種蒔きの準備もしておかなくっちゃ。」
 毅然と上げたつぶらな瞳が、星のように光を放つ。美央は、燕のように身を翻すと、いつものように軽やかな足取りで、生活ブロックへ向けて歩み去って行った。
「よう、お二人さん。デートか?」
 目敏く二人を見つけて声を掛けて行くのは、美央だけではない。  
「舞、早く元気になってな。」
「猛。落っことすなよ。」
「風邪引かせるんじゃないぞ。」
「また歌を聞かせてな。皆、待ってるからな。」
 通路で擦れ違う乗組員たちは、別に二人を冷やかすつもりはないらしい。皆、口々にさり気なく労りの声を掛けては、一様にホッとした表情で過ぎて行く。そのたびに、彼らの心の手が頭を撫で、頬を包んでゆくように、舞は感じるのだった。
(皆、すぐに追い着くのね……。)
 猛が言ったように、自分は皆よりほんの少し先へ行く者なのだ。彼らはすぐに追い着くだろう。そして、猛と彼らのある限り、どんな苦しい道もきっと越えて行ける……。
 舞は、久し振りに安らかな気持ちでそう思っていた。

「ゆっくり行こう。」
 タラップを下りたところで、猛は舞を降ろし、手を差し伸べた。舞は素直にその手を取り、二人はなだらかな丘をゆっくり登って行った。
 満開のレアの花が甘く香り、二人の周囲でその色を変えてゆく。――舞の側では紫に、二人の間では赤に。
「結構登ったな。大丈夫?」
「大丈夫よ。思ったよりキツくないわ。」
 そう言いながら、舞の息は弾んでいる。無理をさせることになってはいけない。
「この辺にしようか」
 高原の一番見晴らしのいいその場所で、二人は歩みを止めた。
「寒くない?」
「ええ。」
 猛は、舞をふわりと座らせると、自分もその隣に腰を下ろした。
「本当にいい天気ねぇ。」
 何日ぶりかで触れる外の空気を胸一杯に吸い込んで、舞は周囲の景色を見回した。
 地球で言えば、晩春の陽気である。青い空に輝く太陽が地上の全てのものを暖かく照らし出し、草原を渡る爽やかな風が緑の木々を揺らしている。停泊しているハヤトの彼方で水平線が光を弾き、海鳥たちが穏やかに鳴き交わす。デイモスとの熾烈な戦いを忘れてしまいそうな、平和な風景であった。
「地球にも、早くこんな日が来るといいわね。」
 空を仰いで、舞は呟いた。
「うん。」
 隣で、早速美央の作ってくれたクッキーを頬張りながら、猛は頷いた。
「必ず地球へ帰って、地球の皆にルーナンシアのことを伝えたいな。星と人が溶け合って暮らしているこの美しい星のことを……。そして、今度こそ、愛と平和に満ちた地球を造り上げて行くんだ。それから……。」
「それから?」
「……いや。」
 猛は、舞の顔をちょっと見つめ、それから目を伏せて首を振った。
 舞には人の思考を読むことはできない。猛の胸には、地球へ帰ってからの二人の未来がある。しかし、その未来を掴むためには、必ずコスモクリーナーを手に入れて、地球に帰らなければならない。舞が感じ取るのは、猛のその決意の重さである。
(レア・フィシリア!)
 微かにルーナンシアが呼んだ。が、それは、今度は舞に飛び込まずに、宇宙へ向けて駆け去って行く。
 アンドロメダ星雲の方向に――。
 今、舞は、その光の彼方にハヤトの未来を見ることはできない。
「綺麗ね、紫のレアも……。」
 摘んだ花を日に透かして眺めながら、舞が言うと、
「ああ、そうだな。綺麗だ。」
と猛も頷いた。もっとも、その言葉は花だけに向けられたのではない。
 舞の指先で、甘やかな香りを放つレアの花。あれほど嫌悪した紫の花色が、水晶のような輝きで舞の目に映る。あれほど恐れた大地も海も空も、今は舞を包むように優しく、それは、この星の全てが、レア・フィシリアとなった舞を祝福しているようであった。
 自分の身の上に劇的な、あまりにも劇的な変化をもたらしたルーナンシア星。ほんの十数日の滞在だったのに、なぜかとても懐かしい。それは、舞の根底が、この星と深い繋がりを持つ故なのだろう。
 舞の隣で、猛は、いつもハヤト農園でしているように、組んだ手を枕代わりにして寝転び、空をゆく雲を眺めている。二人の間に咲くレアの花は赤い。その赤が、周囲の紫と空色の花の境で見事なグラデーションになっていた。
 赤いレアは祝福の花――。
 愛を祝して、レアは再びその色を変えるのだ。
 むせかえるような甘いレアの芳香、舞い降りて来る暖かい日差し。その中に、舞は、規則正しい鼓動を聞いていた。
 意識の底で聞いた猛の胸の鼓動。そして、眠りに落ちる寸前に見た猛の瞳の色。それらは、ただ一つの猛の思いを刻み、映していた。
 愛している、と――。
 透かした紫色のレアの花の向こうには、青い空が広がっている。その青さに覆われて今は見ることができないが、夜になれば、空の向こうに広がる宇宙に、アンドロメダ星雲の輝きを見ることができる。
 恐らくは、そこが、レア・フィシリアとしての自分の運命の地――。
 舞は、ハッキリとそう予感していた。
 星々の輝くその場所で、一体、どんな運命が自分を待っているのだろう?
 だが、そうした不安を思うのはもうやめよう、と、舞は思う。どうせ、死ぬより悪いことは起こらない。どんなに辛く、苦しいことが起こっても、きっとそこにはいつも猛が一緒にいるだろう。それは、舞にとって救いである。
 猛から流れ出る感情はやはり緩やかだった。それが穏やかに渦を巻いて、自分の感情と溶け合うように、舞は感じた。それは、プラネタリウムで初めて出会った時の不思議な感覚を思い出させる。あの時も、フェアウェルパーティの夜の展望室でも、この感覚は同じだった。
 猛とは、ずっと前から、ここにこうして一緒にいたような気がする。遥かな遠い昔の約束。バイオレット・シリウスを駆け抜けて行った一筋の光は、二人がここに共にいる現在をも予見していたのかもしれない。
(帰りたい!)
 その瞬間、舞は強く思っていた。もう一度、こうして猛と空を見たい。
 地球の空を――。
 それは、舞だけでなく、猛が、美央が、乗組員の誰もが、静かに、そしてこれまでになく強く、胸に思ったことであった。
 日がわずかに傾いて、柔らかく吹く風が舞の髪をなびかせる。
 地球に帰り、花咲く丘の上で、猛と、仲間たちと、こうした風景を見ることができたらどんなに幸せだろう。自分のレア・フィシリアとしての使命がそのために果たされることを舞は祈り、ゆったりとした気持ちで改めて辺りを見回した。
 透明な青い空、輝く海、花と緑に埋め尽くされた豊かな大地。自分たちを暖かく迎え入れてくれた、限りなく美しいこの星の全てを、胸に焼き付けておきたい。
 永遠に忘れぬよう――。
 二人は、黙ったまま長いことその風景を見つめていた。何も話す必要はないような気がした。
 時が流れ、いつしか空が茜色に染まり、風は止んだ。間もなく、太陽は凪いだ海の向こうへ姿を消すだろう。
「少し冷えて来たな。そろそろ帰ろうか。」
「ええ。」
 猛が手を貸して、舞を立ち上がらせた時、ザッと草が鳴った。
 しばらく無風だったルーナンシティの丘を、風が吹き抜けて行く。陸から海に向かって吹く一陣の風。それが、辺り一面に咲き乱れていたレアの花弁を、一斉に舞い上がらせた。
 鳥が舞い立つように――。
 丘の上から無数の空色の花びらが飛来する。それらが、二人を追い越すたびに、紫に、赤に、様々に色を変えながら、茜色に染まった海に向かって流れて行く。
 七色の花吹雪の中で、二人は、やはり身じろぎもせずに、幻のようなその光景をじっと見つめていた。
 朝陽を浴びて咲いたレアの花は、日暮れと共に風に乗って一斉に散り、海に還る。それは、この星で毎日繰り返される儀式である。
 ――まるで大地の流す涙のよう。
 舞は思う。
 何のための……?
 ルーナンシアの風は、今はその答を語らない。ハヤトの上空で舞っているだけである。