ACT7 黄金のシェーン
「シェーン!」
「シェーン!」
デイモス星に歓呼の渦が巻き起こる。デイモスの若き将軍シェーン・スカイリッパー・ハーケンが、凱旋将軍として、半年ぶりにアルファロメオ戦線からデイモス本星に帰還して来たのである。
シェーン・スカイリッパー・ハーケン。
艦隊を指揮させれば右に出る者はいないと評さ
れるこの若い将軍は、デイモス一とうたわれるその天才的な手腕で、デイモスに数多くの勝利をもたらして来た。総統シーザスの絶大な信頼に応え、その忠実な部下として、文字通り片腕となって働いている優秀な若者である。
宇宙港から総統府までの沿道は、出迎えの人々で一杯だった。盛大な紙吹雪の舞う中を進むオープンカーの上から、シェーンが片手を挙げてニコリと微笑むと、人々の歓声が一段と高くなる。澄んだエメラルドグリーンの瞳と、サラリとした豪華な金の髪。その光り輝くような端正な容貌がまた、人々を熱狂に駆り立てるのだ。
やがて、凱旋パレードが総統府に到着すると、総統府の前庭も、シェーンを一目見ようと集まった人々で、既に超満員であった。そして、総統シーザスが自らシェーンを迎えるために壇上に姿を現すと、人々の興奮は絶頂に達した。
「シーザス総統!」
「シェーン!」
二人の名を連呼する人々の熱狂を背に、シェーンは、一歩一歩石造りの階段を登って行く。緋色のマントを翻して堂々と歩く長身のその姿は、若いながら確固たる武人の風格を漂わせ、まさに『黄金のシェーン』と呼ばれ、讃えられるに相応しかった。
「総統。シェーン・スカイリッパー・ハーケン、アルファロメオ戦線より、只今帰還しました。」
シーザスの前に立つと、シェーンはきっぱりと礼をした。
「うむ。ご苦労だったな。シェーン。」
シーザスは満足気に頷いた。
黄金の髪と緑の瞳、緋のマントの全身から湧き出て来るような若さは、見ていて快いものだった。この素直さが戦場で決してマイナスにならぬのは、不思議でもある。
型通りの挨拶が終わると、二人は並んで民衆の歓呼に応えた。
これも総統としての威厳と知性に輝くシーザスと、きらめくような若さと覇気を発散させる黄金のシェーン。まるで一枚の絵のように長身の二人が並び立つ姿は、デイモスの誇りそのものであった。
「シーザス総統万歳!」
「黄金のシェーンに栄光あれ!」
熱狂と興奮の坩堝と化す前庭を後に、二人は総統府の奥へ引き取った。
「早速ですが、総統。」
執務室に入り、二人を待っていた副総統ラルアと挨拶を交わすと、シェーンは、待ち切れない様子でシーザスに問い掛けた。
「地球の『ハヤト』という艦の話を小耳に挟んだのですが。」
「ほう、さすがに耳が早いな。」
この問は、若さ故の性急さの表れである。シーザスは、好意の笑いを漏らした。
「知っての通り、銀河へはヘルマスを遣ったのだがな。ヘルマスともあろう者が、たかが戦艦一隻に敗れおった。……まぁ座れ。」
「ヘルマスが?!」
勧められてソファーに座りながら、シェーンは思わず声を上げていた。
ヘルマス・メイランドは、士官学校時代、シェーンの次席にいた男で、シェーンに次ぐ将軍として、将来を期待されていた。シェーン同様、数知れぬ武勲を立てて来た優秀な若者だったが、ただ、真面目というのか育ちが良過ぎるというのか、野性味に欠ける嫌いがあった。それが、臨機応変という点でシェーンに一歩譲るという評価に繋がっていたのだが、それは、あくまで天才的と絶賛されるシェーンに比しての話であって、デイモス軍の中では、優秀な若手と目されていたことに間違いはない。だからこそ、今回、デイモス
の銀河系への侵出に当たって、銀河方面作戦司令長官という大役に抜擢されていたのだ。
ヘルマスは、それをこの上なく名誉に思い、また、劣勢を挽回して、シェーンを出し抜くチャンスだと見て、大いに張り切っていたはずである。
そのヘルマスの率いる艦隊が、戦艦一隻に敗れるとは、シェーンにはとても信じられなかった。よほど相手が強敵なのだろうか?
「どんな艦なのです? その宇宙戦艦ハヤトとは。」
シェーンの緑の瞳が光を帯びる。一戦交えてみたいという軍人の血が騒ぐのだろう。こんな時のシェーンの瞳は、獲物を狙う若い豹のようである。
「そう急くな。今、記録を見せてやる。」
そのエメラルドの輝きをゾクリとするほど美しいと感じながら、シーザスはラルアを差し招き、件のビデオを用意させた。
興味津々に映像に見入るシェーンの表情に、やがて感嘆の色が浮かんだ。
(早い!)
速力も火力も劣っているはずの相手の戦闘機が、味方の戦闘機を易々と撃墜して行く。パイロットの反応が早いのだ。反射も鋭い。
加えて、ハヤトの砲撃がまた見事だった。主砲の威力自体は、デイモスの基準で見れば超強力というほどではなかったが、たったの二十発で十七艦を沈めたその命中率は、驚異的としか言いようがなかった。
しかも、そのほとんどが、各艦の心臓部とも言うべきエンジン部を直撃しており、標的となった艦は瞬時に四散してしまっている。これでは乗組員が退避する間もない。
自分の部下に、これだけの力量を持つ者が果たして何人いるだろうか? これだけのカンの良さを持つ者は……。
そう考えて行ったシェーンの思考は、やがて、ある一つの言葉に結び付いた。
「ハヤトは、太陽系を出て、デネブ星系方面へ進路を取りつつある。どうだ。行ってみるか、銀河へ。」
それを察したように、シーザスが口を開いた。その口調には、シェーンの反応を楽しむような響きがある。
「望むところです。総統。」
「……セシリアも連れて行け。」
シーザスの鳶色の瞳が鋭くそう切り込み、シェーンはギクリと顔を上げて、それを見返した。
「では、やはり、総統もこのハヤトをイアラと……。」
「うむ。そう思える。」
『イアラ』とは、直訳すると「拡大された認識」という意味で、ある特殊な能力を持つ者を指す。危機的環境からしばしば生まれるとされており、「ある特殊な能力」とは透視や瞬間移動などのような、いわゆる「超能力」とは明らかに異なるのだが、明確には定義されていない。
イアラなる概念が考え出されたのは比較的最近で、その源はデイモスの隣星ティアリュオンにあった。
数年ほど前から、ティアリュオンは急速な衰えを見せていた。子供が生まれなくなり、人々は虚弱になって次々に倒れ、人口は急激に減って行った。星自体の生命が寿命に近づいているためとも言われたが、原因は不明である。
そんな状況下のティアリュオンで、女王アルフェッカを始めとするティアリュオン人の間に、人の思惟を感じ取る能力が発達し始めたのだった。それは、決して「テレパシー」と呼べるほどの明確な思考の伝達ではなかったが、危機に対する連帯がそうさせたのだろうか、人々の間には、思惟の明晰な繋がりが存在するようになっていたのである。
一方、デイモスが枯渇に喘ぐ資源を他に求めて他星へ侵出し始めた頃、侵略された星の人々の中に、ごく稀に、いわゆる「カン」のいい者が見出されるようになっていた。ただ単に「カンがいい」という非常に曖昧な言葉で表すしかないその能力は、しかし、ある特定の個人に顕在し、それらの者とそうでない者とは、明確に区別することができた。
デイモスの科学者たちは、そのカンの良さを、ティアリュオン人と同じ、人の思惟を感じ取る能力や、数秒先といった極近未来を予知する能力の、複雑な融合の結果であると考えた。そして、その根本は、超能力的な根拠のないものにではなく、長い危機的環境の中で生き延びるために、人の認識力と洞察力が拡がったことにある、と結論したのである。
例として「予知」を挙げよう。突然、何の脈絡もなく心に未来の出来事が浮かび、それが事実であれば、それは、超能力であろう。だが、事象を広く認識し、深く洞察することによっても予知はできる。この場合の「予知」は、「判断」や「予測」に類するものと言えるが、認識が広いほど、洞察が深いほど、その予知は正確なものとなろう。そして、その認識力と洞察力とが従来の人間の枠を越えた時、それは、枠内の人間からは超能力とも見える特殊な力になり得るのだ。
拡大された認識力と洞察力に根ざす、鋭敏な反射神経や予知能力、臨機応変の応用力。
イアラとは、そうした能力を持つ者なのである。
言葉では説明し難い、しかし、明らかに異なる能力を有したこれらの人々は、こうした経緯で『イアラ』という名で呼ばれるようになったのだが、この概念のわかり難さ故に、イアラはまた「持続する火事場のバカ力の持ち主」とも呼ばれた。この表現は、イアラという言葉の持つ意味の本質からは外れているが、直観的に理解するための方便としては、当たらずとも遠からずといったところであろう。
そうしたイアラの存在に、シーザスは、強く魅かれた。
人の思惟を感じ取り、数秒先と言えども未来を予知できるイアラを戦場に出せば、恐らくは無敵! それが一人や二人であれば、せいぜい撃墜王として名を馳せるくらいのことしかできまいが、より多くのイアラを集めて「イアラ部隊」とでも言うべきものを作り、それを利用できれば、少ない人数でより多くの星を侵略することができる。
宇宙制覇を夢でなくするためにも、一人でも多くイアラを集めたい。そうした考えが、いつかシーザスの胸深く宿るようになっていた。
相手を一気に滅亡させず、遊星爆弾を使って放射能で追い詰めるという、一見非効率的な戦法を取るのも、そのためである。
遊星爆弾は、元々未知の惑星の気候をコントロールするために開発された物で、その発する高熱は、地表の水分を瞬時に蒸発させ、デイモスによく似た高温多湿の気候を作り出す。しかし、同時に多量に発生する放射能を後で除去する手間が生じるため、近年、放射能が発生しない新しいタイプの爆弾が開発され、無人の惑星にはそれが使用されている。有人の惑星に対しては、未だに遊星爆弾が攻撃の主力として使われているのだが、そ
れは、イアラを生むとされる極限状態を作り出すためなのであった。
だが、シーザスは、自分が神などではないことを知っている。目的はあくまで侵略なのであって、イアラを生み出すことではない。彼にとって、イアラは、まだまだロマンの域を出たものではないのだ。
実際、そう簡単にイアラは出現しはしなかった。イアラに関する研究は、上層部のほんの一握りの人間しか知らない極秘プロジェクトである。事情を知り得ない現場の人間からは、遊星爆弾の使用を訝る声も出ており、さすがのシーザスも、近頃ではイアラへの夢を諦めかけていた。
しかし、今、ロマンは現実になろうとしている。シーザスの前に、ハヤトというイアラらしきものが出現したのだ。それも、一人二人ではない、イアラの集団が。
事実、ハヤトは、二十倍の戦力を持つデイモスの冥王星基地をあっさりと破っている。
ただ一艦で二十倍の敵に勝利できるのなら、それはまさに無敵と呼んでよい。
(欲しい!)
冥王星基地の全滅を聞いて、シーザスの中でそんな思いが爆発していた。諦めかけていただけに、その欲求は前にも増して強烈なものになった。
ハヤトの乗組員を手に入れることができれば、それをそのままデイモスのために働かせるのは難しいとしても、少なくとも、イアラに関する研究は、ずっと進むはずである。研究が進んで、イアラ発生の仕組みが解明されれば、デイモスのために自在に動かせるイアラを生み出すことができるかもしれない。そうした考えが、シーザスを突き動かした。宇宙制覇の野望を持つ者にとって、ハヤトは、何としても手に入れたい、この上なく魅力的な存在なのである。
が、奇妙なことに、イアラの集団かもしれぬハヤトが、いつかその無敵とも言える力でデイモスを脅かすことになるかもしれない、という考えは、この時のシーザスの頭脳からスッポリ抜け落ちていた。
イアラに繋ぐシーザスの夢が大き過ぎたのか? ただ一艦ということで、シーザスほどの者にも油断があったのか? いずれにせよ、シーザスがデイモスの力に露ほどの不安も抱いていなかったのは確かである。
「とにかくお前はハヤトを叩け。沈められれば、それはそれで良い。」
冥王星基地を破ったとは言え、ハヤトの力はまだまだ未知数であった。
ただのまぐれなのか? それとも実力なのか?
シーザスは、シェーンを直接ハヤトに当たらせることによって、それを見極めようと考えていた。
今のデイモスには、シェーンの艦隊と同程度に優秀な艦隊が幾らもある。それ以上のものでなければ、わざわざ手に入れる必要はない。つまり、シーザスは、ハヤトがデイモスにとって価値あるイアラであるか否かを判別するために、シェーンを使おうというのである。
たとえそれが愛する部下であっても、デイモスの野望のために、利用すべきものは利用する。大デイモスを統べる者として、当然の如くそうした冷徹さを持ち合わせているシーザスであった。
だが、それは、シェーンの自尊心を逆撫でする。
「ハヤトがイアラであれば、私は、何らかの遅れを取ることになりましょう。私の勝利と、ハヤトがイアラであることと……。総統はどちらをお望みですか?」
シェーンは不敵にそう言い放った。それは、シェーンの自信がそう言わせるのだが、幾ら何でもこの言い様は不遜であろう。実際、ラルアがわずかに眉を寄せたほどだったが、それもこの若者になら許される。シーザスは苦笑し、
「ハヤトがイアラであれば、必要な戦力は回す。……お前は死ぬなよ。」
とシェーンを見返した。
シーザスらしくない最後の一言は、大部分、彼の私的感情から出たものである。シーザスは、シェーンを大いに気に入っているのだ。
「シェーン・スカイリッパー・ハーケンを、銀河方面作戦司令長官に任ずる。七日間の休暇の後、セシリア・セシィ・セシカを伴い、大マゼラン星雲基地へ赴任せよ。」
「はっ!」
大マゼラン星雲基地には、銀河方面作戦司令本部がある。辞令を受けると、入って来た時と同じように、シェーンはきびきびと礼をした。
「ハヤト……。今度はどうするかな?」
辞去するシェーンの揺れるマントの後ろ姿を見送りながら、あるいは自分はシェーンが負けることを望んでいるのかもしれぬ、と、シーザスはふと思ってみるのだった。
総統府を下がったシェーンは、軍差し回しのエアカーに乗り込んだ。
「お疲れ様でした、閣下。真っ直ぐご自宅に向かわれますか?」
「うむ。そうしてもらおう。」
シェーンがそう答えると、古参の部下は、
「わかりました。奥様が、首を長くしてお待ちであられましょう。」
と和んだ顔で頷いた。
実に半年ぶりの帰宅である。彼の帰りを待ち詫びているであろう、妻セシリアの美しい面影が心一杯に蘇り、シェーンは、部下の余計な一言を叱責するのをやめた。シェーンの部下に、彼の愛妻家ぶりを知らぬ者はない。
(不思議だ……。)
暮れなずむ景色を眺めながら、シェーンは、もう一度妻の面影を心に思い描いてみた。それだけで心がほのぼのと温められるような気がする。セシリアに遇うまでは、こうではなかった。どんなに華やかな武勲を立て、どんなに賞賛されても、決して満たされず、いつも何かに飢えていた。
「鬼神」とさえ呼ばれ、デイモス一の将軍と讃えられる自分も、愛がないと心が渇く。それが、シェーンには不思議に思われるのだった。
地平線に近く、雲の切れ間から覗く夕暮れの空に、一際明るく光を放っている星は、隣星ティアリュオンであろう。満ち足りた気分に沈みながら、シェーンは、ふと、未だに独身であるシーザスの身辺に、思いを馳せずにはいられなかった。
シーザスが独身を通している理由は、下々の間では様々に噂されている。隣星の女王アルフェッカに報われぬ思いを抱き続けているからだ、というのも噂の一つであったが、その真偽はともかくとして、シーザスの身辺は、厳し過ぎるほどに清潔だった。
英雄色を好むという言葉は、デイモスにもある。あるいは、愛人と呼ばれる立場の者の一人や二人はいるのかもしれないが、少なくともシェーンはそうした者の存在を耳にしたことはなかった。
そのシーザスが、デイモスの総統という強大にして過酷な座に確固としてあることを考えると、愛を必要とする自分は弱い人間なのかもしれない、とシェーンは思う。だが、今の彼は、もうそうした強さに憧れはしなかった。
「それにしても、イアラとは……。」
視線を車内に戻したシェーンはそう独りごち、端正な顔を思案の海に沈ませた。
総統シーザスがイアラの存在に大きな夢を抱いていることは、彼も知っている。困ったことだ、とシェーンは思う。その夢は、彼自身だけでなく、彼の最も大切な者の未来を左右するからだ。
やがて、エアカーは、懐かしい我が家の前に着いた。
わざと取り次がせずにシェーンが中に入ってゆくと、セシリアは、リビングルームで花を活けているところだった。既に家中が花で飾り立てられているのだが、セシリアにしてみれば、それでもまだ足りないらしい。若妻らしいピンクのドレスが初々しく、一心に花を活ける横顔が言いようもなく気高かった。
シェーンは、久し振りに美しいものに触れたような気がして、思わず妻の姿に見入ってしまった。長い戦場暮らしとハヤトのこととですっかり高ぶっていた神経が、緩やかな波に抱き取られるかのように静まってゆく。
結婚して五年。この妻の存在が、デイモスの常勝将軍であるシェーンの大きな支えなのであった。
「シェーン! あなた……!」
見つめるシェーンの気配を敏感に感じ取って、セシリアは振り返った。
「お帰りなさいませ。」
夫を迎えた喜びを素直に表す明るい声が、宙を翔ぶ。シェーンほど豪華ではないが、波打つ黄金の髪と、宇宙の輝きにも似た紫の瞳。例えようもなく優雅なその立ち姿が、柔らかにシェーンの緑珠の瞳を圧した。
と、次の瞬間、セシリアはその軽くウェーブのかかった金髪を散らして、シェーンの懐に流れ込んで来る。シェーンはこの瞬間が好きなのだ。
「セシィ。元気だったか。」
再会の喜びが込み上げ、シェーンは、妻の細い体を抱き締めた。やや髪が伸びただろうか。しなやかな手触りの金の髪が、緩やかな光を弾いて微かに揺れた。
「はい。お帰りをお待ちしておりました。」
そう答えて、セシリアはシェーンを見上げた。
神秘的な紫の瞳が、うっとりとシェーンを見つめて行く。甘えているのだ。
「今度の休暇はいつまでですの?」
シェーンの腕の中で、セシリアは尋ねた。
一年の大半を戦場で暮らす夫である。今度はいつまで共に過ごせるのか。それをまず第一に質すのが、デイモス一と言われる将軍の妻の哀しい習性であった。
「七日間だ。その後は銀河へ行くぞ。」
銀河と聞いて、セシリアのアメジストの瞳がふと曇った。
「ヘルマス様が地球の戦艦に敗れた話は、私も伝え聞いております。」
心配そうに言う表情に、女らしさが透けて見える。
「今度はセシィも一緒だ。総統のご命令でな。」
「ではイアラが?」
その反応の早さと正確さを思いながら、シェーンは頷いた。
「うむ。可能性はある。地球には、アルフェッカ殿から援助があったようだ。」
「サリオお姉様の……。ではフェルナが……。」
セシリアの姉妹と同じ紫の瞳が、激しく揺れる。
セシリア・セシィ・セシカ。
『セシカ』は、ハーケン家の女性に与えられる名称である。
元の名は、セシリア・セシィ・グランチェスター。女王アルフェッカを姉とする、デイモスの隣星ティアリュオンのグランチェスター王家の元王女で、テティスの姉に当たる。
そして、彼女は、ティアリュオンで最も高い能力を持つと言われるイアラであった。
アルフェッカ・サリオキス、セシリア・セシィ、テティス・フェルナンデス。
ティアリュオンのグランチェスター王家の三人の姫の名である。王家に伝わる紫の瞳と輝く金の髪を持つ美しい三人姉妹は、ティアリュオンではもちろんのこと、デイモスに於いても憧れと尊敬の的だった。まだティアリュオンとデイモスの間に国交があった頃、王家のダンスパーティで、シェーンは、初めてセシリアに出会ったのである。
ティアリュオンのグランチェスター王家の姫は、代々、紫の瞳と金の髪を持って生まれて来る。この三人姉妹も例外ではなかったが、よく似た紫の瞳に比べると、黄金の髪は、姉妹それぞれに個性的であった。
長姉アルフェッカは、長く豊かな輝くばかりの黄金の髪、末の妹テティスは、真っ直ぐでサラサラとしたプラチナブロンド。そして、中の姫セシリアの明るい金の髪だけに、緩やかなウェーブがかかっていた。
セシリアのこの髪は、しばしば悶着の種になった。
ウェーブのかかった髪を持つ姫は、不幸と災厄をもたらす――。
そんな言い伝えが、王家にあったからである。
王家の血を引く者の髪は、絹糸のような美しい直毛であることがほとんどだった。中には、そうでない者も少なからず存在したが、大多数が男性で、それが女性であることは非常に稀であった。
記録によれば、王家の長い歴史の中で、ウェーブのかかった髪を持って生まれて来た姫は、わずかに二十人。ところが、その二十人に、幸せな一生を全うした者は一人もいないのである。
悪人に陥れられて一生日の目を見ることなく終わったり、国を追われたり、果ては処刑されたり、とにかく、全員が何らかの不幸な形で生涯を終えている。そして、それは必ず周囲を巻き込み、姫に関わった全ての者を不幸にしたので、太古の昔には不吉な者として忌み嫌われたこともあるほどだった。さすがに今ではそのようなことはなかったが、王家の姫の髪が直毛でないということは、それだけである種の異端なのである。
「このお髪さえ、直ぐであられれば。」
周囲の大人たちが、何度そう嘆いただろう。姉の、妹の、サラサラと揺れる真っ直ぐな美しい髪が、子供心にどれほど羨ましかったことか。そのため、幼い頃のセシリアは、劣等感を抱いた感受性の強い子供であった。
だが、セシリアは、どんなに勧められても、決してそのウェーブを矯正しようとはしなかった。それは、ありのままの自分を認め、愛そうとする、彼女の勝気がそうさせたのだが、何より、そんなセシリアを当の姉妹たちが愛して止まなかった。
特に、早世した両親に代わって、若くして女王として立ち、惜しみなく妹たちに愛を注いだ姉アルフェッカの影響は大きかった。誰の、どのような作為も入り込ませぬ大きな愛に育まれて、セシリアは伸び伸びと少女時代を過ごし、その感受性の強さと劣等感とを、いつか、他人を癒そうとする優しさへと転化させた。
そこにいるだけで周囲の者に安らぎを与える、優しく美しい中の姫――。
春の日の光のようなその暖かさは、次第に周囲の者に忌まわしい言い伝えを忘れさせて行き、やがて、生来の素直な気性を遂に歪ませることなく健やかに成人したセシリアは、「春姫」と呼ばれ、皆に愛される穏やかな日々を送るようになっていた。
一方、シェーンは、デイモスの常勝将軍スカイリッパー・ハーケンとしてもてはやされてはいたが、戦いに明け暮れする生活に、次第に心が冷たく凍って行くのを止められないでいた。星々の輝きすら美しいとは思えず、彼を愛する総統シーザスでさえ、その孤独を理解しはしない。勝利の美酒に酔うのもほんの一時だけ、得体の知れない虚無の翳りが、そのエメラルドグリーンの瞳を暗く覆い始めていた。
しかし、シーザスの命令で、気の進まぬティアリュオンのパーティに出席したことが、シェーンの運命を変えた。そこで、彼は、未来の妻と邂逅したのである。
浮かぬ気で王宮に参じ、挨拶に罷り出たシェーンは、女王アルフェッカを中心に寄り添う三人の姉妹の明るさと健やかさに、目を見開かれるような思いだった。いつものニヒルさはどこへやら、
「ようこそティアリュオンへ。どうぞ楽しくお過ごしくださいますよう。」
と花のように微笑む姉妹に、何と言葉を返したか、覚えていないほどである。
姉妹の前を下がってからも、シェーンは、半ば茫然と、光り輝くようなその一角を見つめていた。
地上のあらゆる美を集めて生まれて来たのではないかとさえ思われる、美しい三姉妹。中でも、ウェーブのかかった明るい金の髪を持つセシリアが最も美しいように、シェーンには思われた。
テティスはまだ子供だったし、アルフェッカの完璧なまでの美しさは、女王としての気品に溢れ、文句の付けようもなかったが、同時に、ある種の近寄り難さを伴って、シェーンを圧倒した。その姉と妹の間で、常に微笑みをたたえているセシリアのふわりとした柔らかさが、渇いた青年の心を魅き付けたのである。
そんなシェーンの様子を、シーザスは興味深げに観察していたが、宇宙艦隊を指揮させれば右に出る者はない自慢の部下が、並の青年のようにドギマギしているのを見兼ねて、
「若い者がいつまでも壁に張り付いているものではない。」
と、苦笑しながら背中を押してやった。
総統直々の勧めとあっては撥ね付けるわけにも行かず、シェーンは、渋々ながら、しかし、迷わずセシリアにダンスを申し込んだ。この場合、デイモス一の将軍という地位は、ティアリュオンの王家の姫と一応は釣り合うと言える。
隣星の若き将軍のためらいがちな申し出に、ティアリュオンの中の姫は、
「私でよろしければ。」
と、ニコリと笑って透けるように白い手を差し出した。
ホッとしてその手を取ったのも束の間、ダンスの神髄は会話にあるとされていることを思い出したシェーンは、今度は話題の選択に頭を悩ませねばならなかった。
戦場暮らしの長いデイモスの将軍と、深窓に育ったティアリュオンの姫君の間に、共通の話題などあるはずがない。一通りの作法は身に付け、踊ること自体には何の不安もないシェーンだったが、王家の姫と語るのに相応しい話題は持ち合わせていなかった。だが、まさかむっつりと黙ったまま踊るというわけにも行くまい。
既に軽やかな音楽が流れ始め、若く美しい一対の男女は、フロアの中央で衆目を集めている。いよいよ困ったシェーンは、踊りながらセシリアの髪を褒めた。ティアリュオンの慣習とは無縁な彼には、そのウェーブの描く緩やかな曲線が、セシリア独特の柔らかさを象徴しているように思われたのである。
セシリアは、あら、と明るい声を上げ、
「ティアリュオンには、そう言ってくれる人はなかなかおりませんのよ。」
と、愛らしい口許をほころばせた。
シェーンにすれば思ったことを口にしてみただけなのだが、セシリアにとって、これは新鮮な物言いだったろう。それが世辞に類するものでないことは、シェーンのぎこちなさを見てみればわかる。そうでなくても、セシリアの前で嘘を口にできる者はいないのだ。
自分に向けられた暖かいその微笑みに胸ときめくものを感じながら、シェーンは、何も
かもを誤りなく映し出す水晶のようなセシリアの瞳に見入っていた。セシリアもまた、そんなシェーンのエメラルドの瞳をじっと見返していたが、何を感じたのか、ふと視線を逸らせて、
「お辛いのですね。」
と呟いた。
それは、シェーンにとって衝撃的な出来事だった。ギクリとするあまり、セシリアを抱いたまま数秒立ち尽くしてしまったほどである。
華々しい武勲に目を奪われて、誰もシェーンの思いなど理解しようとはしない。彼を類
稀なる戦巧者と見る者はあっても、心を持った人間として正面から向き合おうとする者は少なかった。そんなシェーンの孤独を、セシリアは正確に理解したのである。それも、初めて会ったその日に。
これは、後にイアラと呼ばれるようになるティアリュオンの人々の、人の思惟を感じ取る能力の表れだったのだが、この瞬間から、シェーンの心がセシリアに惹かれて行ったのも当然と言えよう。
一方、セシリアにとっても、シェーンは好ましい青年だった。
その気性の直截さは、清々しく爽やかだったし、華やかな外見の奥で孤独に身悶えする様にも、幼い頃の自分と通じるところがあるような気がして、親近感を覚えた。何より、シェーンが自分の髪を褒めてくれたことが、セシリアには、自分でも驚くほど嬉しく思われたのである。
王家の姫として皆の敬愛を集めているセシリアも、髪だけは褒められたことがない。自分でも時に疎ましく思う、不吉と烙印された波打つ髪。そんなセシリアの髪を、美しいものとして無心に褒めてくれたのは、姉妹以外ではシェーンが初めてだった。
それは、セシリアにとって、「グランチェスター王家の姫」ではない、ありのままの自分を認めてくれる人間が、姉妹以外にも存在する、ということでもあった。
シェーンの、ティアリュオンには存在しない物の見方にも、セシリアは次第に引き付けられて行った。もちろん、その考えの全てを肯定できたわけではないが、たかが髪のこととは言え、ティアリュオンの因習を言わば打破して生きて来たセシリアには、共感できる部分が多かったのである。あるいは、幼い頃の悲しい思い出が、セシリアに「外の世界」に憧れる素地を持たせたのかもしれない。
こうして、二人は会うたびに惹かれ合い、いつか、お互いを一番大切に思うようになっていた。
「遠い宇宙を旅していても、夢に見るのはあなたのことばかり、もうあなたのいない人生は考えられません。」
ある月の美しい夜に、シェーンは、セシリアの手を取って嘆息し、意を決したようにエメラルドの瞳をセシリアに向けた。
「これからは、私の側で共に生きていただけましょうか?」
これは、両星における典型的なプロポーズの言葉である。シェーンにとって、それは生涯で最も緊張した一瞬だったが、セシリアは、わずかに頬を染めて、躊躇なく頷いた。二人が出会って一年後のことである。
だが、何と言っても王家の姫の婚姻である。その頃、宇宙侵略を続けるデイモスとそれに反対するティアリュオンとの関係が次第に悪化しつつあったこともあって、二人の結婚問題は揉めに揉めた。
二つの星は、いつ破局を迎えるかわからない。そんな時に、大切な王家の姫であるセシリアをデイモスの将軍に嫁がせるなど、人質にやるようなものだ、というのが大方の重臣の意見だったし、セシリアを「小さいお姉様」と呼んでいつも甘えたテティスでさえ、
「デイモスの将軍などは人殺しも同然、その妻になるために、お姉様はグランチェスターの名をお捨てになるのですか。」
と、眉を上げて詰め寄ったほどである。
だが、シェーンと共に生きると決めたセシリアの意志は既に動かしようもなく固く、ただ一人、この優しい妹を心から愛した姉アルフェッカだけが、愛し合う者同士を引き離すようなことはできぬ、とそれを許したのであった。
デイモスの総統シーザスも、二人の結婚を大いに祝福した。が、愛する部下の恋の成就を喜ぶ気持ちは、なくはなくとも、ごくわずかだった。
当時のデイモスの密かな研究によると、王家の三人の姫は、ティアリュオンでも折り紙付きのイアラであった。その中でも最も高い能力を持つとされていたセシリアが、デイモスの手の内に入る。既に己の野望とイアラの存在を結び付けて考えていたシーザスにとって、それが賛成の第一の理由であったのは言うまでもない。
こうして、セシリアは、ティアリュオンを離れてデイモスのシェーンの元へ嫁ぎ、セシリア・セシィ・セシカとなった。その直後、ティアリュオンとデイモスは国交を断絶し、それと符節を合わせるかのように、ティアリュオンは急速に異常な衰退の道をたどるのである。
デイモスと袂を別ったアルフェッカが、星々にメッセージを送って、それに対抗し続けていることは、セシリアも知っていた。だが、姉が、遙か銀河系の地球にまでそれを成したらしいことは、セシリアに衝撃を与えた。
通信可能範囲外にある銀河系の地球へメッセージを届けようと思えば、直接使者を遣わすしか方法はなく、そして、それは妹のテティス以外にはあり得ない。衰退著しく、多数の有能な人材が失われたティアリュオンには、もう、女王の使者を務められるほどの者は残されていないからである。
どうやら、メッセージは無事に地球の手へ渡ったようだが、デイモスの防衛線を突破して太陽系に侵入したのでは、テティスが無事でいられるとは思えなかった。恐らく、その生命と引き換えに使命を果たしたのであろう。
そう正しく洞察しつつ、セシリアは、ティアリュオンを去る時の姉の言葉を思い出していた。
「何が正しいことか、それは誰にも決められません。」
ロイヤル・アメジストと呼ばれるに相応しい、この上なく高貴な紫の瞳でじっとセシリアを見据えながら、アルフェッカは言った。
「それを知るのは宇宙のみ、人は、己が正しいと信じた道を行くことしかできません。私はティアリュオンの道を行きます。あなたは、あなたの信ずる道をお行きなさい。」
二人の結婚は、セシリアにとっては、故郷を捨て、長い時を共に過ごした姉妹と別れることでもあり、女王としてそれを認めたアルフェッカにとっては、万一の時は、この心優しい妹を見捨てる決意をすることでもあった。
そのことで、アルフェッカをひどい姉と言う者もあったし、やはりセシリアは異端であったのだと言う者もある。だが、今も昔も、この姉妹の間には真実以外の何ものも存在しなかった。
「ティアリュオンとデイモスの行く道は違う。私たちの行く道は、いつか遠く離れて行くでしょう。ですが、私たちが姉妹であることは、誰にも変えることはできません。セシリア、愛する私の妹。いつもあなたを見守っています。決して後悔をせぬように……。そして、必ず幸せになるのですよ。」
紫水晶の瞳にしっとりと露を含ませてセシリアを抱き締めたアルフェッカの美しい面差しを、セシリアは片時も忘れたことはない。
「お姉様、お幸せにね……。」
一度は口を極めて結婚に反対したテティスも、別離の寂しさを全身に滲ませてそう言った……。
そして、今、アルフェッカの予見した通り、姉妹は遠く隔てられてしまっている。
長姉アルフェッカは孤高の女王としてティアリュオンに一人残され、中のセシリアは敵対する星の将軍の妻となり、末の妹のテティスは遙か彼方の銀河系で果てた。
同じ姉妹でありながら、なぜこうも違うのであろうか?
ティアリュオンでは極悪非道の悪魔の如く言われているデイモスだったが、嫁いで来てみると、それなりの正義が存在することが、セシリアにはよくわかった。
ティアリュオンも、デイモスも、星としての寿命はもう終わりに近づきつつある。ティアリュオンは、それを運命として受け入れ、時の狭間に没しようとしているのだが、デイモスは、他の星の持つ資源やエネルギーを取り入れることによって、がむしゃらに生き延びようとしているのだ。
デイモスの宇宙侵略は、デイモスの人々の生き延びたいという強烈な欲求に端を発している。その欲求が、シーザスという卓抜した軍事的政治的才能の持ち主を得て膨れ上がったのが、今のデイモスの姿なのだ。デイモスが得た何物も私しないという今の態度を取り続ける限り、シーザスは、人々の欲求を体現する救世主なのである。
だが、自分が生き延びるために、他者を犠牲にしてよいものなのか?
アルフェッカはそれを否定し、シーザスは肯定する。
ティアリュオンで育ったセシリアには、姉の思いはよく理解できた。だが、一方で、滅びてゆくだけのティアリュオンの道が正しいのかどうかは、よくわからなかった。
もちろん、デイモスが生き延びるための侵略以外の道があれば、それが一番良いことだと思うし、その方法や程度には問題があろう。が、もはや他の道がないからこそ、それをせぬティアリュオンは滅びてゆこうとしているのである。
元々、生命というものは、多かれ少なかれ、他の生命を犠牲にしなければ生きられぬ罪深い存在なのだ。しかし、生命というものは、そうやって生きてゆこうとするものではないのか? 生命である以上、人間とてそれは同じであろう。いや、人であるが故に、その欲求は一層深く激しいのかもしれない。
そうした欲求に忠実であることは、悪なのだろうか?
セシリアにはわからなかった。
だからこそ姉も言ったのであろう。何が正しいかは誰にも決められぬ、と。そして、その答は宇宙だけが知っている――。
(これが業なのだ……。)
セシリアは思う。
運命を受け入れて滅びて行こうとしている姉にも、ティアリュオンの女王として、その思想を宇宙のどこかに残したいと願う業がある。
ただ死にゆくことはできぬアルフェッカの業と、生き延びたいというデイモスの人々の欲求を一身に担い、それを己の権力欲に結び付けて、宇宙制覇の野望に燃えるシーザスの業。その二つの巨大な業が、広大な宇宙を舞台に激しく火花を散らしている。
それが、セシリアには見えるような気がした。
瞬く間にテティスの若い生命を飲み込み、ハヤトの出現でますます激しく燃え盛ろうとしている、地獄の業火が……。
無論、テティスとて、勝気で鳴るグランチェスター王家の姫、後悔はしていまい。むしろ、姉を説得し、自ら使者を買って出るくらいのことはしてのけたであろう。それは、そうせずにはいられなかったテティスの業だ。
そして、自分にも、シェーンを愛する業がある。故郷を捨て、あれほど愛した姉妹と別れても、なおシェーンと共に生きたいと願う業が。それは、ティアリュオンの血を生きようとする血筋の中に残したいという、本能の遠い声でもあるのだろうか?
「どうした。不安か?」
青ざめた頬で黙り込むセシリアを、シェーンのエメラルドの瞳が優しく見下ろした。
常勝将軍として、時に冷酷無比であらねばならないシェーンの苦しみと孤独に触れ、人を愛することを教えたセシリア。そのセシリアが、王家の姫という地位を捨て、住み慣れた故郷を離れて、自分の元へ来てくれたことが、シェーンには一層愛しく思われるのだ。
自国の誇る若き英雄が隣星の美しい王女を射止めたことを、デイモス国民は我が事のように喜び、遙々宇宙を越えて嫁いで来たセシリアを、熱烈に歓迎した。
やがて、常に微笑みをたたえ、気丈に夫の留守を守って、慎ましく暮らすセシリアの姿が広く知られるようになると、人々の熱狂に静かな尊敬が加わった。二つの星の関係が決裂した後もそれは変わらず、今も、誰もが、セシリアをティアリュオンにいた時と同じように「春姫」と呼んで敬愛している。
だが、故郷を訪れることも、懐かしい人々と連絡を取ることもできず、しかも、頼るべき夫は、長の宇宙暮らしで側にはいない。そんな生活が心細く淋しくないはずはない。
「私にはあなたがいてくださいますわ。」
案ずるシェーンに、セシリアは、いつもそう言って穏やかに微笑んでみせた。そうしたセシリアの愛情が嬉しく、シェーンの愛しさも募る。
自分を愛し、信じてついて来てくれたこの妻を、何としても幸せにしたい。そうでなければ、ティアリュオンでただ一人、二人の愛を認めてセシリアを託してくれたアルフェッカにもすまぬ、とシェーンは思うのだ。当分の間、宇宙を飛び回る生活からは抜けられそうになかったが、いつかはセシリアの側に腰を据えて働ける日が来よう。それまでは、せめて穏やかに健やかに暮らせるようにしてやりたい――。
それが、シェーンの望みであり、愛なのであった。
何ものにも勝る宇宙随一の宝。命懸けで守るべき、この世にただ一人の愛する人。
だが、そのセシリアを、シーザスはイアラを見分ける道具として使おうとする。
ティアリュオンとの国交を断絶した後も、その元王女であり、デイモス一の将軍の妻であるセシリアを、シーザスは厚遇している。しかし、それはセシリアに敬意を表しているからではない。デイモスの手の内にあって、意のままに動かし得るただ一人のイアラだから、大切にしているに過ぎないのだ。
シーザスの立場から見ると、イアラたるセシリアには様々な使い道があった。イアラの判別もその一つである。
セシリアは、宇宙空間を隔ててさえ、同じイアラである姉を始めとするティアリュオンの人々の気配を感じ取ることができるという。そのセシリアをハヤトに遇わせれば、ハヤトが同類、すなわちイアラであるか否かは、たちどころに判明するだろう。
今回は「伴え」としか命令しなかったシーザスだが、本音からすれば、セシリアのイアラとしての能力を以て、ハヤトがイアラであるか否かを判別させたいのだ。セシリアを使うのが、シェーンとその艦隊に危険を冒させることなくそれを判別する、最も確実で手っ取り早い方法なのである。
シーザスが敢えてそう命令しなかったのは、セシリアへの遠慮であり、シェーンの感情への配慮でもあるのだが、その一方で、セシリアを伴わせさえしておけば、命令せずともセシリア自身が動かずにはいられまい、というしたたかな計算も確かに存在していた。
夫の身を案じる妻の愛情さえ利用する。シーザスにとって、イアラとは、己の野望のために利用するだけの存在でしかないのだ。シェーンにはそれがわかる。
だが、イアラを利用して宇宙制覇を成すなどということは、決して叶えられることのない夢なのだ、と、シェーンは信じていた。何もイアラに限ったことではない。人を利用して大義を成すことなど、できはしないのだ。
シェーンにしても、シーザスに利用されていると思ったことは一度もない。シーザスの冷徹な理性の裏には、滴るような熱い情が隠されている。それをシェーンは知っていた。ゲームの駒のように部下たちを動かす一方で、彼らを人として愛し、信頼していることもまた事実なのである。
イアラほどには敏感でなくても、自分が利用されるだけの存在か否かはわかる。そうでないとわかるからこそ、シェーンを始めとする多くの者がシーザスに心酔し、彼とデイモスのために働いているのだ。利用する者とされる者の関係は、いつか破綻する。それはシーザス自身が一番よく知っているはずであった。
そのシーザスが、イアラとなると、利用することしか考えないのはなぜだろうか?
恐らく、宇宙制覇の野望を持つ者にとって、イアラの存在は、七色の虹の光にも似た魅惑的な夢なのだろう。しかし、その夢を諦めさせない限り、セシリアが戦争の道具として利用される危険は、どこまでも付きまとう。
シーザスの全てに心服し、忠誠を尽くすに足る主君として、尊敬もし、その望む通りの働きをして来たシェーンだったが、この件に関してだけは、シーザスの意図通りにセシリアを動かす気はなかった。
元々、イアラとは、拡大された認識力と洞察力を持つ人々のことを指す。彼らの根幹とも言うべき、その認識力と洞察力は、イアラに鋭敏な反射神経と予知能力、臨機応変の応用力などの、シーザスの期待する「戦争屋」としての素質を持たせる一方で、他者の痛みを我がものとする、溢れるような優しさを与えた。
人の思惟に敏感な、心優しい者――。
シェーンにとってのイアラとは、そうした人々のことであり、最愛の妻セシリアそのものであった。それを戦争の道具として利用するなどという発想は、シェーンに容認できるものではない。
この美しく心優しい妻が、血生臭い戦場に駆り出され、利用される。その想像はたまらなく厭わしく、セシリアを幸せにしたいと願うシェーンの愛と望みに、真っ向から対立する。
(そんなことは断じてさせぬ!)
シーザスの心に、セシリアをイアラとして利用しようという考えがあることに気付いた時、シェーンは少なからず動揺した。だが、今の彼は、それに対抗する恐らくは唯一の方法を見出していた。
シーザスが欲し、イアラと呼ぶのは、自分と同等以上の者である。ならば、自分は勝てばよい。易しくはないが、単純なことだった。自分が勝ち続けている間は、セシリアの平穏な暮らしは保たれる。そうして、シェーンは勝ち続けて来たのである。
今回も、シーザスは、シェーンと戦わせることで、ハヤトがイアラであるか否かを判別しようとしている。万一、ハヤトに後れを取るようなことにでもなれば、ハヤトはイアラであると認定され、シーザスのイアラへの夢は、より具体的な計画に変わるだろう。そうなってしまえば、もはや、セシリアもイアラを取り巻く渦の外に立つことはできまい。ハヤトの勝利は、ハヤトをイアラであると認定すると同時に、その利用価値を決定付け、さらに、イアラ=利用すべきもの、という図式を成り立たせるからである。一度、イアラ
という名がハヤトに冠せられてしまえば、真にハヤトがイアラと呼ばれるべき存在であるか否かという疑問には関係なく、その名の下に、セシリアは戦いに巻き込まれてゆくだろう。
(必ず勝ってみせる!)
シェーンは、固く決意していた。
ハヤトをイアラと呼ばせてはならない。ハヤトだけでなく、今後いかなる強敵が現れようと、それをことごとく撃ち破って、シーザスのイアラに繋ぐ夢を断ち切ってみせよう。そうすることでセシリアを守ることができるのならば、己がイアラ判別のための試験紙に使われることなどに、こだわる必要はない。
愛する者は、己が手で守ればよいのだ。
シェーンのその決意が重く降りて来て、緩やかにセシリアを包み込んだ。ティアリュオンの人々の中でも格段に優れていると言われるセシリアのイアラとしての能力は、その重さを正確に感知する。が、思考は読めるものではない。
「あなた……。」
セシリアは、遙かなティアリュオンを見通すかのように、虚空へ視線を投げた。
誇り高く、美しく、優しい姉、アルフェッカ・サリオキス。
妹テティスは既に失われ、一人残された姉は、愛する夫と敵対している。それは身を切られるような辛さだったが、今のセシリアは、身も心もデイモスの将軍シェーン・スカイリッパー・ハーケンの妻であった。もはや、妹の冥福と姉の無事を祈りながら、シェーンと共に歩んで行く以外に、進む道はない。姉や妹とは異なるその道を、セシリアは自分自身で選んだのだ。それを後悔するようなことだけはしたくなかった。
後悔はせぬように。それは、姉の望んだことでもあった――。
常に姉妹に思いを残しながら、自分の選んだ道を行くセシリアの心は、同じイアラであるアルフェッカにも通じているだろう。姉もまた、デイモスに嫁いだ妹のことを、案じてくれているに違いない。
行く道は違っても、互いを案じる姉妹の心に変わりはないのだから……。
セシリアはそう信じ、シェーンの緑の瞳を見返した。そして、彼女は、自分に向けられた愛がシェーンの全身から溢れていることを知る。
「……いいえ。」
セシリアは笑って首を振った。彼女を捉えているのは、シェーンへの愛だけである。