ACT4 宇宙戦艦ハヤト
一日の訓練を終えた猛は、トウキョウ・ベースの居住区の一角に与えられた私室のベッドに横になり、ムッとした顔で天井を睨みつけていた。体は綿のように疲れてくたくただったが、頭は妙に冴えている。
猛が突然通常の任務を全て解かれ、宇宙戦士訓練学校時代以上の猛訓練に明け暮れるようになってから、ほぼ二週間が経とうとしていた。
(一体どういうつもりなんだ、上の連中は……。)
こんな状態で、何のための訓練なのか?
今さら訓練を積んだところで、役に立つ当てもないのだから、無駄以外の何ものでもないではないか。
そんな怒りともつかぬ不満が、ありありと表情に出ているのだろう、
「コラァ、本城! 何だ、その顔は!」
と、教官に怒鳴られることもしばしばだった。
だが、ささくれ立った気分そのままに訓練の手を抜くなどということは、猛の性格ではできることではない。結果、ベテランの教官も舌を巻くほどの成績を示すことになり、最初は怒鳴った件の教官も、あまりあからさまに褒めるわけにも行かず、
「全くお前という奴は、お前という奴は……!」
と口籠もりながら、少し照れたような顔で、猛の髪を乱暴にくしゃくしゃとかき回すしかない、ということになる。
結局のところ、どの教官も、教え子としての猛が可愛くて仕方がないのだ。しかし、その可愛い教え子たちの行く末を思うと、彼らは暗澹たる思いに沈む。
猛を筆頭に、訓練生たちは皆驚くほど優秀だった。これだけ優秀な者が揃うのは、稀有なことだろう。
なにしろ、地球渾身の技術を結集した全く新しいタイプの戦闘機コスモゼロすら、軽々と乗りこなしてみせるのだ。これならば、あの恐ろしい敵にも勝てるかもしれない。そう彼らは期待さえする。
--戦闘機戦ならば。
だが、母艦となるべき艦がない。敵と互角に渡り合える母艦なしでは、いかに戦闘機隊が強くとも確かに意味はない。
コスモゼロは間に合った。彼らの実力に見合った機に乗せてやれるのはせめてもの慰めだったが、その素晴らしい能力を発揮する機会は来ないのか?
忸怩たる思いに身悶えしているのは、教官たちも同じなのである。
そんな彼らの思いを知ってか知らずか、猛の方は、いかに褒められようがそんなことは嬉しくも何ともなく、役にも立たない訓練に真面目に取り組んでしまう自分にさえ腹が立って、苛立ちを募らせるばかりだった。
(そう言えば、今日は土方先生も来ていたな。)
土方は、猛たちが三年間を過ごした宇宙戦士訓練学校の校長である。
校長なのだからおとなしく校長室にでも収まっていればよいものを、土方は、いつもわざわざ現場に出て、直接訓練生たちを指導した。
「若い者は絶対に死んではいかん。」
というのが口癖で、その訓練は壮絶なまでに過酷だった。あまりの厳しさに、よく仲間同士で、
「あの鬼校長!」
などと陰口を叩き合ったものである。
その土方が、猛の訓練ぶりにやはり満足そうに頷いて、
「お前は死ぬなよ。必ず生き抜いて、兄貴以上の大きな男になってみせろ。」
と、しみじみとした言葉を掛けて来たのだった。
誰も彼もが疲れ果て、生きて行くのを諦めようとしている時代に、生き抜け、希望を捨てるな、という土方の言葉が、いつも少年たちに一条の光を与えたことは確かだった。
だが、それも今の猛には空々しく響く。
(希望を持ち続けてどうなるというんだ、この状況で!)
考え方としては立派なのだろうが、精神論はもうたくさんだった。猛が欲しているのは具体的な反攻のプランなのである。目的もなく訓練を繰り返すような日々には、これ以上耐えられそうもなかった。
ダン! と腹立ち紛れに壁を蹴飛ばすと、その振動で、飾ってある兄の写真がカタカタと音を立てた。
「兄さん……。」
猛は思わず首をすくめた。
自棄は男のすることじゃないぞ、という兄の声が聞こえるような気がしたのである。何があっても希望を捨てるな、生きていればこそ道も開ける、というのは兄の持論でもあったのだが、その兄ももう帰っては来ない。
猛の兄、本城隼人は、猛より五才年上で「宇宙駆ける鷹」と讃えられた勇敢な宇宙戦士だったが、激烈を極めた冥王星海戦で戦死した。
地球と敵との科学力の差は如何ともし難く、地球防衛軍の敗北は緒戦から決定的だったが、それでも、隼人の指揮する宇宙駆逐艦『ゆきかぜ』は果敢な攻撃を見せ、敵に多くの損傷を与えたという。だがそれも、旗艦を帰すために追い縋る敵艦の渦の中に突っ込み、最期を遂げたということだった。
猛と隼人は、仲の良い兄弟だった。
二人の両親は、世界的に有名な楽器の演奏家だったが、猛がまだ幼い頃、演奏旅行中の事故で亡くなった。祖父母は既に亡く、両親が共に一人っ子だったために、叔父や叔母といった親戚さえもなかった兄弟は、頼る者もなく世間に放り出され、二人きりで肩を寄せ合って生きて来たのである。
今は自分でも嫌になる、何に対しても手を抜かないという猛の性質は、この頃から形成された「他人に迷惑を掛けずにしっかりやろう」という彼の行動規範に因るものである。
いつも兄に負担を掛けまいと思ってやって来たので、そう簡単には道を踏み外すことができない性分が身に付いてしまったのだ。
一方、兄思いの健気な弟とは言え、まだ幼かった猛を抱えた隼人の苦労も、並大抵ではなかった。だが、隼人は、猛の前では決して弱音を吐かなかったし、両親のいないことで猛に肩身の狭い思いをさせたこともない。猛にとって、隼人は、兄であると同時に父であり、時には母ですらあった。そうやって弟の成長を見守り、助けながら、隼人自身も真っ直ぐに道を歩み、やがて皆の賞賛を一身に受けるほどの素晴らしい戦士へと成長して行ったのである。
常に猛の誇りであり、目標であった、優しく強く男らしい兄。その隼人も今はいない。壁に飾った写真の中で笑っているだけだ。
(兄さん。兄さんの仇はきっと……!)
猛はもう泣きはしない。だが、誓いを果たせぬ悔しさは、いつもじりじりと猛を苛んでゆく。それは、目標を失った者の哀しい揺らぎでもあった。
本当に、地球にはもう反撃の手段は残されていないのだろうか。郷田司令は何をやっているのだろう。冥王星からただ一艦帰還して来たという、沖田司令もだ――。
猛は、思い詰めてゆく時の癖で、じっと宙に視線を据えた。
出撃前に、必ず生きて戻って来る、と、隼人は約束した。隼人は、猛との約束を一度も破ったことはない。だから、旗艦を帰す必要がなければ、きっと無事に地球へ帰って来ただろう。猛は今もそう信じている。
だが、兄にとって、沖田は、猛との約束よりも遙かに重要な人物だったのだ。兄に自分との約束よりももっと大切なものがあったこと、そして、自分がそれを知らなかったことも悔しかったが、何より、そんな重要な人物が敗戦後二ヵ月経った今になっても何の手も打たずにいることが、猛には悔しく、許せなかった。兄だけでなく、大勢の戦士たちの命が、沖田を地球へ帰すために失われている。生命すら懸けたその信頼に、なぜ応えようとしないのか……。
『本城猛・陣剛也の両名は、B通路に迎えのエアカーで至急出頭せよ。繰り返す……。』
その時、突然のスピーカーからの声が、猛を現実の世界に引き戻した。そして、その声が同じ言葉を繰り返す頃、猛は跳ね起きて、部屋の外の通路へ駆け出していた。
「猛! こっちだ。」
エアカーの横で、先に来ていた剛也が片手を上げた。
「おう!」
剛也に会うのも、墜落した謎の宇宙船を調査して以来、二週間ぶりのことである。二人が乗り込むと、それを待っていたかのように、エアカーは勢いよく滑り出した。
「あのアナウンスからすると、司令部直々のお呼びだな。教官と喧嘩でもしたか?」
猛の横で、剛也が陽気に怒鳴った。
この問は、今日、危うく教官に喰って掛かるところだった自身の経験に基づいている。
剛也も、なぜか通常任務を解かれ、再び宇宙船の航行シミュレーション訓練を受けるようになっていたのだが、これも、猛と同じように、目的のない訓練を繰り返す日々に爆発寸前だったのだ。だが、猛以上に根が真面目な剛也には、一歩手前で踏み止まる分別がある。
「冗談じゃないよ! でも、ひょっとしたら、この前の宇宙船に関係のあることかもしれないな?」
オープンカーの風を心地好く感じながら、猛も怒鳴り返した。
自分と剛也という組合せで呼び出しが掛かるということは、それ以外にはちょっと考えられない。持ち帰った資料の中から何か良い材料が見つかって、より詳しい報告を聞きたい、ということにでもなったのだろうか?
「コースは自動セットのようだ。どこへ行くんだろう。」
「こんな通路は見たことがないぞ。」
オレンジ色の照明灯が後へ後へとすっ飛んで行くその通路は、彼らが一度も通行したことのないものだった。が、それ以上に、その空間の孕む妙な熱気が、猛には気になった。
呼吸するのも憚られるような沈滞したムードのトウキョウ・ベースの中で、ここだけが生き生きとした人の生気で満ちている。そんな感じだった。
何かが始まる。いや、もう始まっている――。
そんな予感がして、猛の胸は高鳴った。
そう言えば、二人が突然訓練生活に引き戻されたのは、宇宙船を調査した翌々日のことである。もしかしたら、それも何か関係があるのだろうか。
そんなことを考えながら、二人が物珍しげに周囲を見回していると、やがて、照明灯の列が途切れ、眩しい光が前方から近づいて来た。その眩しさに一瞬閉じた目を再び開けた時、エアカーは見慣れぬ巨大な空間に出ていた。
「ここは!」
「大工場街じゃないか!」
二人は、辺りを見回して叫んだ。一体どこにこんな場所が残っていたのか、そこは、見渡す限り機械で埋まった大工場街だったのである。
「日本にまだこんな所があったなんて……。」
信じられないといった表情で、猛が呟いた。
『本城・陣の両名は、第二エレベーターにお乗りください。』
緩やかに止まったエアカーを降り、アナウンスの指示に従って二人がエレベーターに乗り込むと、エレベーターは上昇を始めた。
「あっ!?」
やがて、エレベーターが静かに止まり、微かな音を立ててドアが開くと、二人は、またしても声を上げていた。そこら中レーダーや計器類で埋まり、たくさんのエンジニアが行き来している。
「……凄い!」
一目で、宇宙船の艦橋らしいということがわかった。
「よく来たな。本艦の第二艦橋だ。」
正面のコントロールボックス付近から声がした。一人の老司令が立っている。
「沖田司令!」
いかに二人が新米の宇宙戦士でも、その顔を知らないはずがない。それはまさしく、地球防衛軍総司令の沖田だった。未だ傷が癒えぬとは言え、双眼に何とも言えぬ覇気が宿る歴戦の勇士。巨大な巌のようなその堂々たる風格に、二人は圧倒された。
「二人とも、こっちへ来い。」
沖田は、コントロールボックスに二人を差し招くと、正面の大パネルを点灯した。すると、そこに大戦艦の詳細な全容が映し出された。
「沖田司令。これは?」
「地球で造られる最後の艦、宇宙戦艦ハヤトだ。」
「宇宙戦艦ハヤト?!」
二人は、少年らしい驚きの顔を沖田に向けた。
(ハヤト……! 兄さんの名前だ!)
そんな思いが猛の脳裏をよぎり、その記憶一杯に快活な兄の笑顔が蘇った。今、目の前に立つこの人物を地球へ帰すために、その笑顔が失われたのだと思うと、猛の胸中は複雑に揺れた。
「艦内通信全系統、チェック完了! 異常なし!」
「よし、次だ。急げよ。」
二人の周囲では、大勢の技術者たちが、きびきびと作業を進めている。
戦士の損失は深刻だったが、優秀な科学者はまだ多数健在で、それが地球にとってせめてもの救いだった。彼らの存在がなかったら、波動エンジンを現実の物として作り上げることができず、せっかくのティアリュオンの好意も無駄になってしまっただろう。彼らは全力を挙げてハヤトの建造に取り掛かり、未知の波動エンジンさえも完成させて、今まさに作業を終えようとしているのだ。
その熱気を、若い者の心は敏感に感じ取る。
「司令! この艦で敵と戦うんですか?」
剛也が頬を紅潮させて聞いた。
「うむ。だが、ハヤトの目的は敵と戦うことではない。もっと大きな目的があるのだ。」
沖田の意外な返答に、二人は思わず顔を見合せた。
敵と戦う以上の大目的とは何なのだろう?
「君たち二人が持ち帰ったカプセルは、実は、ティアリュオン星の女王アルフェッカからのメッセージだったのだ。」
「ティアリュオン星……、のアルフェッカ? メッセージ?」
二人は、聞き慣れぬその名詞を舌を噛みそうになりながら繰り返し、沖田の顔を見返した。
沖田は、答える代わりに手元のスイッチを操作した。すると、パネルには、ハヤトの詳細図に代わって美しい金髪の女性の横顔が映し出され、同時に澄んだ声のメッセージが流れ始めた。
猛と剛也は、それを茫然とした思いで聞いた。
敵の正体、地球の寿命の宣告、地球を救うことのできるただ一つの方法……。
百戦錬磨の沖田ですら動揺したほどなのだから、二人の受けた衝撃は察して余りある。
「これがそのメッセージだ。どうだ、二人とも。」
沖田は、かつての自分と同じようにパネルを見つめて立ち尽くす二人に、興味深げに声を掛けた。この少年二人は、これを何と聞いただろう?
「デイモス……!」
猛は、初めて知らされた兄の仇の名を、噛み締めるように呟いている。
「二百二十二万光年彼方のアンドロメダ星雲のティアリュオン星へ、放射能除去装置コスモクリーナーを取りに行く。それが、宇宙戦艦ハヤトの目的なのだ。」
「二百二十二万光年……。」
それがどれほどの距離なのか、想像することすらできず、二人は、その途方もない数字を繰り返した。
「二百二十二万光年をたった一年で往復するなんて、そんなことが本当にできるんでしょうか?」
やや平常心を取り戻して、まず剛也が問うた。既に、彼のパイロットとしての関心は、艦の運行に向けられているらしい。
「うむ、理論的にはな。無論、今までの地球の科学力では不可能だったが、メッセージに含まれていた設計図と墜落した宇宙船のエンジンを基に、ハヤトには、ティアリュオンの波動エンジンを取り付けた。言うまでもなく、これは、今までの地球のエンジンとは全く異なる恒星間航行用のエンジンで、光の速度を越えるワープ航法を可能にする。計算上では、一年で二百二十二万光年を往復することが十分可能だ。」
「波動エンジン……!」
未知のエンジンを操り、宇宙を駆け巡ることを想像して、剛也の瞳が輝いた。
「武器はどうなんでしょうか? 幾らエンジンの性能が良くても、武器が今までと同じでは、敵の妨害を退けてティアリュオン星へたどり着けるとは、とても思えません。」
戦闘員の興味はそちらへ向かう。
二人とも、息絶えていた可憐な美少女から通信カプセルを直接受け取ったという実感があるからだろう、メッセージそのものの真偽を問う気はないようだった。
「武器も、波動エンジンのエネルギーを効率的に利用するように改造されている。今までの十数倍の威力はあるだろう。切り札として、波動砲という究極の武器もある。敵とも十分渡り合えるぞ。」
「波動砲……?!」
猛の顔も、この大戦艦の武器を駆使して敵と戦う日のことを思って輝く。
そんな二人の様子を、沖田は好ましく見守った。
メッセージの内容を盲目的に信じるでもなく、頭から無理だと決めつけるでもない。自分の思慮の枠の外にあることを聞かされた動揺の中にあって、冷静に自分の立場なりの問を発し、行動を決めようとする。そんな態度がまだ十代の少年に自然に備わっていることが何とも頼もしく、沖田は、自分の十代の頃と比較して、内心舌を巻く思いだった。
少年らしい無鉄砲さもない代わりに、決して臆病でもない。このバランスの良さが、彼らの持つ素質なのかもしれない。
「沖田司令! 行かせてください! この艦で戦わせてください!」
「お願いします!」
懇願する二人を、沖田は暖かい目で見下ろした。
「地球で誰も経験したことのない大航海だ。恐らく長く苦しい旅になるだろう。成功する保証など何もない。それでも行くか。」
試すように沖田が言うと、
「行きます!」
「覚悟の上です!」
と、弾けるような若さがそれに答えた。
それは、二人には夢のようにも思われる途方もない計画だったが、もし、これを成功させることができれば、地球は救われるのだ。そう思うと、居ても立ってもいられない気持ちだった。
「わしは信じるぞ、本城! 陣!」
沖田の顔に、うっすらと笑みが浮かんだ。
「それがどんなに苦しい旅であろうと、我々は行かねばならない。そして、必ずコスモクリーナーを手に入れて帰って来るのだ。それ以外に地球を救う道はない。」
「はいっ。」
少年たちの熱を帯びたひたむきな視線が、ピタリと沖田に向けられた。
(やれる! この子らとなら!)
新しい時代は、この少年たちが中心となって切り開いて行くのだ。この子らとハヤトがある限り、どんな苦しい道も乗り越えて行けるに違いない。
沖田はそう信じ、心の底から希望が湧いて来るのを感じていた。
「命令を伝える。」
沖田は、笑みを消して厳かに言った。
ここに二人が呼び出されたのは、ハヤトの乗組員として選ばれたからに他ならない。今日以降、選ばれた者たちが続々と乗り組む手筈になっている。
威厳のある沖田の声に、二人は、慌てて不動の姿勢を取った。
「君たちに来てもらったのは他でもない。この艦の幹部として乗り込み、任務に就くために選ばれたのだ。本城は戦闘隊長、陣はチーフパイロットとして、今日からわしの指揮下に入る。ハヤト発進は二週間後だ。二人とも、しっかり頼むぞ。」
「ハッ!」
二人は、パッと顔を輝かせて敬礼した。
この艦に乗り組み、地球を救うために戦える。そう思うと、責任の重さより嬉しさが先に立った。
旅立ちを前に、未だ深い眠りの中にある宇宙戦艦ハヤト。
果たしてそれは、地球を救う希望の艦たり得るのだろうか?
己の運命を知らぬまま、東京湾の地下で、ハヤトは密かな胎動を始めていた。