大変ご無沙汰しております。

 皆さん、お元気にしておられるでしょうか。


 ワシは相変わらず怒ったり笑ったりしながら日々過ごしております。


 

 それにしても。

 今年の夏も暑かった….いや、まだ夏継続中なので、暑いですね、の方が正しいか。

 この先の予報も猛暑日が続く予想の関西。

 湿度も高く、完全に亜熱帯ですな。

 いやはや。



 皆さんは、どんな夏でしたか?

 現役JWの時は、夏季はひたすら奉仕をした記憶しかないのですが。

 現役の方は、今年の夏も忙しかったのでしょうか。



 ワシは、学生時代、夏はとにかく補助開拓をしてましたもんね。

 それも、今の生ぬるい(ごめんなさい笑)、テキトー奉仕で15時間、とかでなく、ストップウォッチで一軒目から最終の家まで計測する、ガチの60時間。


 高校時代は近所の再訪問先に雑誌を届けて、チャリで遠方の集落まで汗だくになって向かいました。

 オカンは他の開拓者の車やオヤジの送迎で奉仕場所に、先に来ていて。

 汗して「尊い奉仕」に打ち込むワシを、嬉しそうな視線で見ていましたね。

 まあ、多少方向性は歪んでましたが笑、オカンなりの息子愛だったんでしょうね。最近はそんな風に思えるようになってきました。


 当時は、田舎ということもあって、信者の足である、軽自動車が集落のはしに10台以上並び、それはそれは壮観でした。

 そして、午前9時からの奉仕が始まるまで、会衆の面々が数十人、大きな輪を作って談笑しながら開始を待つ、ってスタイルでした。


 田舎でしたから、移動はとにかく軽自動車。

 時々旦那さんの普通車で来る信者がいたら、羨望の眼差しで見られてましたね。


 今思うと80年代の日本のJW信者、特に田舎の信者達は、まだまだ貧しかったんでしょうね。

 が、あれくらいの貧しさが、宗教家としては丁度良いサイズ感だったように思います。


 奉仕の開始を待つ信者の輪が、汗をカキカキ自転車で到着したワシを、暖かい目で迎えます。


 長老の1人が、「ほすちゃん、汗、絞れるんじゃない?」と囃し、ドッと笑いが起こります。

 そんなワシを、オカンは誇らしそう?というか、愛おしそう?に見ていましたね。


 子どもの多かった時代といえ、ワシの会衆には、ワシと同年代では熱心党はおらず、みんな中途半端2世でした。

 二つ上に現役兄貴がいましたが、彼はとにかく気分屋で社会性も低めでしたしね。


 まあ、そんなこんなで、ワシは地元では数少ない、熱心な若者だったのよ笑

 

 今振り返ると、よくやってたなー、と思いますけどね。

 生まれ変わったら、もう出来ませんよ。

 

 結婚し、家庭を持ってからの夏も、忙しかった記憶しかないですね。

 とにかく夏の休暇を全て、大会や自発奉仕に消化してましたし。

 長老になってからは、会衆の模範?として、仕事をしながら補助開拓をした年もあったなー。

 ヨメや子どもはしないのに笑


 まあ、ワシは見栄っ張りなんですよ。


 小さい子どもを連れて、遠方の夏の大会に出席するのは大変だったけど、それなりにいい思い出でもあります。

 大会が全て終わった後、友人達と別れて、駐車場から帰路に着く時の寂寞感は、なかなか味わい深かったなー、と。

 蝉時雨の中、「祭りの後」感と、達成感と。


 大会でいい子にしてたご褒美に、マクドでポテト買ってやるよ!、ってな程度のサプライズで、きゃっきゃっと喜ぶ幼かった子ども達。


 可愛かったな〜😂



 とまあ。

 そんな、夏。

 

 日々暑いですが、ワシは嫌いじゃないのですよ。



 今年の夏。

 ワシは甲子園と一人旅で夏休みを消化しました。

 ここ10年ほどのルーチンですが、現役時代とは比べ物にならないくらい、自由で開放的な夏の過ごし方ですね。


 もう、狂った終末論にも、監視社会にも関係がありませんから、好きなように休みを使っております。

 もちろん、ヨメの理解あってこその、自由気ままなバカンスだ、と言うことは分かっております。

 感謝しなきゃいかんです。



 楽観主義者であるワシの旅は、いつも想定外で溢れております。




 自宅から大阪に向かい、なんばから南海特急で和歌山へ。



 普段JRばかりのワシですから、たまには私鉄に乗りたいのよね。(←鉄ちゃん的思考)


 で、その特急で早速、酔いました。

 普段乗り物酔いなんて殆どしないワシですが、南海特急が、揺れる揺れる。あれ、あかんでしょ。


 出だしから不穏です。


 ワシは旅程を綿密に練ってから旅立つタイプで、乗り物の指定席チケットの事前確保は勿論、訪問先や食事の場所も決めてから出掛けます。


 なので、和歌山に着いたら、駅ビルにある有名なラーメン屋で、昼飯を堪能する!と決めていたのに。


 改札を出てすぐの、そのお店。

 既に長蛇の列😱


 乗り換え時間が50分しかないので、この行列に並んでる時間は無い、と。

 早速予定変更を余儀なくされ。


 しゃーなしで付近をウロウロしますが、テキトーな店もなく、結局、駅近のプロントに入りました。



 まあ、ジェノベーゼは美味かったけど、プロントなんてどこにでもあるし。

 何なら先週もプロントでコーヒー飲んだし。


 旅先で行く店じゃなかろうに、と自虐しながら、和歌山港に向かいました。


 ここから、南海フェリーで徳島に渡ります。

 南海フェリーは、某YouTuberが好意的に紹介していたので、いつか利用してみたい、と思っていたのと、今回の旅では四国に渡る必要があったこともあり。


 個人的に、長距離フェリーはちょっと抵抗がありますが、この航路は2時間半程度ということで、初心者のワシにピッタリだろう、と。


 それに、南海フェリーには展望デッキがあって(どんなフェリーにもあんのかな?)、爽快だよ!とYouTubeで紹介されていたことが、利用の決め手でした。



 そしてフェリーに乗船したら、↑こーんな真っ青な夏の空を展望デッキから見上げて。


 ワシは自由だぁぁぁ!

 と。


 風を受けながら叫んでくるよ!と、ヨメに宣言してきたのに。



 当日、実際の海は、どーんより…


 ワシが旅立つまでは、とにかく晴天が続いていたので、青空と潮風がワシを迎えてくれると信じて疑いなかったのに。

 ヨメに、「船で感動しすぎて、熱中症にならんようにな!」なんて言われてたのに。


 なんか、ぬる〜い天気笑

 ついには風と雨が強くなってきて…


 いやいや、こんなこともあるさ!

 でも、展望デッキに上がれば、こんな天気でもそれなりに気持ちいいはずさ!

 そうさそうさ、何てったって、「展望」できるんだよ!


 イソイソと、船室を出るワシ。

 


 ……。


 「天候等により閉鎖することがございます」


 

 人生、思い通りにならんのです。

 ええ。

 思い通りになるんなら、苦労なんかしないんですよ。


 にしても、天気は良くないが、展望デッキを閉鎖するほど悪天候でも無かろうに。

 とか、ブツブツ言いながら船室に戻るワシ。


 と、地獄はここからでした。


 もうね。

 南海フェリーも、揺れる揺れる!😰



 雑魚寝の出来る、↑こーんな安めのエリアで横になっていたのですが。


 もうね、ずーっと、上下、左右に揺れます。

 この日の海が荒れていたのか、フェリーとはこんなもんなのか知りませんが、とにかく気持ち悪い😰

 湾を出たら揺れが余計に強くなり、もう、2時間半、苦行でした。


 周りではしゃいでいた家族連れも、ママさんを始め、子どもたちまでもエチケット袋どこやー、と騒ぎ出す始末。


 もうね。

 フェリーは、もう乗らん。

 ジェノベーゼが出てきそうになったわ。マジで。



 で、やっとの事で、四国に上陸。徳島駅へ。



 うすーく気持ち悪いまま、ディーゼル天国徳島を味わい、マニア垂涎の2700系の特急「うずしお」で高松へ。



 指定席を確保してたのに、自由席の方がガラガラで快適やないかい!的なツッコミはありましたが、まあ、高松へ向かうことができ。



 船酔いが少し残っていたワシですが、そこはせっかくの一人旅。

 おまけに「うどん県」に来たのですから、讃岐うどんはマストでしょ!とばかりに意気込みます。


 とは言いつつ、乗り換え時間と、キャリーバッグ持ち、かつ雨天であることを勘案して、周辺をウロつかずに、駅ビル内のうどん屋で食欲を満たすことに決定。


 ところがところが。

 店に入ったワシは、すぐにうどんを頼まず、お店のお姉さんのお勧めにノって、よせばいいのに「ほろ酔いセット」に手を出します。



 ↑これに、さらに、とうもろこしの天ぷらまでついて、1000円!

 こりゃお得でしょ、と上機嫌なワシ。


 そーだよな、お昼にお目当てのラーメンも食べられんかったし。

 まだ時間はあるから、飲みのシメに、讃岐うどん、ってシナリオで、ゆっくり攻めていきましょーや、と。

 1人で納得してまして。


 つい、気分よく、生をおかわり。

 

 お。この、シラスおろしも美味そうですね?と、追加注文。

 いやー、ビール飲むと、脂っこいもん欲しくなるよね、と。串カツ盛り合わせをオーダー。

 串カツ食べると、ビール足らんよー、と。

 生をおかわり。


 で。


 結果、腹一杯に😤


 うどん?

 無理無理無理無理。


 って事で。

 うどん県のうどん屋まで来ながら。

 どこの居酒屋でも食べられるメニューでエンド。


 まあ、アホですわ笑




 今回の旅のメインは、↑でした。


 そう、知る人ぞ知る。

 定期運行する唯一の寝台特急、サンライズ瀬戸です。出雲市から来るサンライズ出雲と岡山で併結し、東京に向かうという、子どもたちや鉄ちゃん憧れの列車なのです。


 ワシは予約が始まる1ヶ月前の午前10時丁度に予約サイトにアタックする、いわゆる「10時打ち」に何度もチャレンジし、やっとチケットを手にすることができたのです。


 しかも、最も快適でグレードの高い、A寝台シングルデラックスをゲット。


 それからと言うもの、毎晩、サンライズの旅を夢想して興奮する夜を過ごしましたよ笑


 で、高松駅に入線してきたサンライズに乗り込み、自分の部屋に入ると。



 もう、テンションマックスです。

 ↑こーんな素敵な個室なんですよ!


 いやー、諦めずに何度も10時打ちして良かったー、と。暫し、感慨に浸りました。



 が。



 噂には聞いておりましたが。

 これまた、揺れる揺れる笑



 でね。

 結果。


 東京までの10時間弱、ほぼ酔ってました笑


 もうね。

 この日は午前中の南海特急に始まり、南海フェリー、ほろ酔いセット(←これは自業自得笑)、サンライズ、と。


 ずーっと酔ってる。

 いやー、なかなかメンタル鍛えられる1日でしたね。


 あ、それと。

 上りサンライズの見所は、小田原市の高台にある、根府川駅周辺から見える朝日なんですが。



 ハイ、ここもしっかり曇天でした笑

 朝日を眺めるどころか、この時間帯、この辺りに大雨警報が出てるくらい、大雨☔️


 もう、何から何まで、うまくいかないのよね。



 でもね。

 ワシは諦めんのよ。


 今回の楽しみはまだあって。


 そう、「人生最高標高更新」のミッションです。

 今回の旅では、東京に用事は無かったので、サンライズで早朝に東京駅に着いた後、軽く朝ごはんを食べて、すぐに北陸新幹線で長野に向かう行程。


 そしてレンタカーに乗って、志賀高原の横手山山頂を目指すのです。

 横手山の山頂はなんと2307mもあり、おまけにそこまでスカイレーターとリフトで気軽に登れちゃうのです。


 登山の苦労はゴメンなのに、高い所が大好きなワシ。

 リフトで絶景、ってのなら、こんなワシにフィットした山は無いではないか!と。



 フェリーからの美しい水平線に、高山からの雲海を、一つの旅で見る。

 おまけに、途中の移動手段は夢に見た寝台特急で!

 っていうキャッチフレーズの、今回のワシの旅の集大成、横手山。


 ここまでは何一つ予定通りに行かず、酔いっぱなしだったけど笑


 最後に、スコーン!と絶景を見て、フラストレーションを、吹き飛ばせ!と。



 HPでは、↑こんな素晴らしい景色が紹介されていたので、もう、そらテンション上がりますよね。


 でもね。

 もう。

 ほら。今回のワシの負のパワーですよ。



 うっすら、皆さんもお気付きでしょうが。



 濃霧で、見事に、なーーーんにも、見えませんでした笑



 サンライズで東京に着いた時は雨模様だったのに、長野に降り立った時は、真っ青な夏の空だったので、期待してたわけですよ。


 長野の夏空を見て機嫌を直したワシは勢い込んで志賀高原にレンタカーを走らせたわけですが、山岳地帯に入ってから天気が急変。

 バケツをひっくり返したような大雨に😂


 それでも諦めの悪いワシは、悪天候で閑散としたリフト乗り場に意地で向かって。

 係のお姉さんに、「今日登っても、カフェも営業してませんし、景色もこんな感じ(乗り場で既に雨模様の濃霧笑)ですよ」と言われつつ。


 いや!

 登ります!登らせてください😂と泣きつき。


 カッパを頂いて、ひとり、ホンマにひとり、スカイレーターとリフトに乗り込みました。

 リフトの係員のオジサンが、「ホンマに行くのかよ」ってな顔してましたし。

 駐車場にそこそこ車はありましたが、そんな天気でしたから、そこから登る人は本当にいなかったのですが。


 まあ、ここまで来たら、意地ですね笑


 おまけに、あんなに曇ってたのに。

 泣きながら下山してきて、恨めしげに山頂を振り返ったら、すっかり霧が晴れてる笑


 いやー、きっとワシは、なんかに取り憑かれてますわ。



 

 帰宅後、こんな思い出ををヨメに面白おかしくしたら、まあ、爆笑してくれましたわ笑


 おまけに。


 「人生最高標高」って言うけど、パパは富士山行ったことないの?と言われ。


 ん?

 そー言えば、中学の修学旅行で、富士五合目までバスであった事を思い出し。

 ググってみたら、富士宮側の五合目は2400mあるらしい事を確認。


 なんじゃそら、とまた泣き笑い😂


 そもそもミッションがミッションとして成立してなかったのね。


 と。




 まあね。


 こうして、当初の思惑が全く達成できなかった、オジサンの夏休みでしたが。


 こうやってネタにもなるし。

 ヨメや、職場の同僚には、そこそこウケたし。


 まあ、人生、思い通りにはならんのよ、という貴重な教訓にもなったし。(←ちょっと強引笑)



 トータルで見ると。

 また、楽しい、夏の思い出が積み上がりましたよ。



 カルトに翻弄された夏も。

 オジサンになってからの、失敗続きの夏も。


 ネガティブに振り返ろうと思えば出来るけど。



 なかなかどうして。

 今のワシは、全て、楽しい思い出と美化出来る強さ、鈍感さがある。



 カルト布教の合間にみた親の愛情深い視線や表情。

 高校生の宗教少年を讃える貧しき信者達の、ある種、羨望の眼差しも。


 はっきりと映像として記憶に残る今。



 すっかりオジサンになったワシが、酔いながら見た海も、見えなかった山も。


 記憶のフォルダに残して、ジジイになってから思い出し、ノスタルジックに笑おうと思う。



 そんな。


 ワシの夏。



 カルトを脱出して10数年。



 ワシの心は、とても健康ですよ、と。

 ひさびさのブログで報告させて頂きました。




 では、また✋