1週間で一番怠惰な日曜の朝、ワシを起こしたのは、親族グループLINEの通知音でした。
そこにあったのは、JW組織によって地方に派遣された甥っ子による、現地での「励み多い交わり」や、繰り返される仲間達のもてなしに「エホバの深い愛を感じた」と綴る、ハイテンションなコメントの数々でした。
彼は地方の王国会館をリニューアルして回る一団に任命され、現在日本各地を転々としています。
現役の皆さんのお近くにそーゆーグループがいるなら、その中にワシの甥っ子も含まれているかもしれません。
送られてきたコメントにある、些か大袈裟な感情表現の奥に、普段ポーカーフェイスだった彼をも突き動かす、現地での熱烈な歓迎ぶりを想像できます。
添付された複数の写真に映る彼の弾ける笑顔。
仲間に囲まれて幸福そうな笑顔。
改装作業中に突然向けられたレンズをはにかみながら見つめる笑顔。
親でなくても、ちとキュンとくる、甘酸っぱいシーンの数々です。
彼の心の中に生じた暖かな感情や。
示される親切に対する、純粋な感謝の念は、尊いものだろうし。
そのラブシャワーの先に、唯一神の意向を見たという彼なりの悟り(誤解)の境地も、かつての若輩ほすまんを想起すると、分からないではありません。
かつてワシもそんなラブシャワーに浸り、自らを包む幸福感の正体を、あっさりと「神の恩寵」と解釈していた、稚拙な日々がありました。
まあ、若いが故の無双感、無敵感の先にある安直な結論なわけです。
JWが得意とする、こうした内向き愛情ごっこは、深い愛情が源泉ではなく、どちらかというと自己愛や精神的不安定がもたらす、魂の擬態であることに気付かされたのは、かなり経ってからでした。
カルトは集団主義を助長し、社会からの孤立を促進することで、信者を取り込み、骨の髄までしゃぶり尽くします。
そこには「神の愛」などという高尚なシロモノとは無関係な、人の弱さにつけ込んで人生を骨抜きにする、一部の特権階級を中心とした人々の極端な欲望の発露であることは、ワシなような阿呆でも、半世紀生きていれば分かるようになるわけです。
人間は弱く。
自分の理想に沿った考えを意識的に採用していってしまう、正常性バイアスの虜になる人々がカルトに陥るわけで。
JWも、本来愛情を向けるべき肉親よりも、同じくバイアスの虜となり、卑怯な生き方を優先する仲間に磁力を感じてしまいます。
そりゃ、楽だもんね。
そっちの方が。
まあ。
もはやそんな講釈を、親族や、ましてやカルトに夢中な甥っ子に直接放つようなヤボは致しません。
悲しいけど、甥っ子が自分で気付くようになることを、祈ってやみませんがね。
さて。
一方で「この世」に生きる我が子たち。
上の息子は、サラリーマンな日々のストレスを土日に一気に解消すべく、合法賭博と性欲笑を満たすために、昨日から帰ってきておりません。
下の息子は、テスト前であるにも関わらず、でっかいヘッドホンをつけて、数時間で何十人も殺戮するアクション映画を、ポテチを食べながらベッドで鑑賞しています。
一見。
爽やかで高尚な甥っ子の日々と。
堕落して怠惰な息子達の日々。
このコントラストに笑いが込み上げる、不道徳なワシ。
どちらが幸せなのかは、本人達が決めれば良い。
だが、一つ言えること。
甥っ子が歩く道は、ワシが「かつてきた道」。
途中でその闇に気付いて、軌道修正する「謙虚さ」と「勇気」があれば良いが。
その願いを抱いた、日曜の朝でした。