友よ。


 虚構から覚めたとて、それが必ずしも幸福に繋がるとは限らない。


 いや、現実を生きるからこそ、辛く、生きにくい世の中なのかもしれない。

 

 知らぬが仏、とはよく言ったもので。

 現世における無知という状態は、ある意味幸せを指す、とすら言えるのかもしれない。


 

 脱塔して10年とちょっと。

 いろんなものを見て、色んな人と会って。


 脱塔当初、ワシの気持ちは「釈放」という表現がピッタリとくる、ある「しがらみ」からの解放を心から喜ぶ、澱みない感情だったと思う。


 現役の家族や友人との関係もあったので、感情の浮き沈みの大きい、実に複雑な日々ではあったけど、何よりもカルトから足を洗った爽快感に満たされ、誇りに思っていたような。


 だから、過激派のワシは、両親の「信仰」を引き剥がしにかかったし。

 教団に残る友人に冷たい言葉を吐き、遠ざけることで自分の心を守った。


 でも、病魔に苦しむ母を前に、この人の仮初めの信仰を引き剥がすことは、助けることでなく、苦しめることに他ならないのではないか、という迷いが生じた。


 その後、脱塔した仲間たちと合流し、心の隙間を埋めることも、覚えた。

 同じ場所に傷のある仲間と心を通わせることは、それなりの治療になる事を知り、癒されもした。


 しかし。

 教団における自己の扱いに不満を持ち、ただ単に教団に恨みを持っているだけの人もいることに気付かされる。

 それに、教団批判に人生を賭けようとする人の危うさも、見えてきて。

 特に、運動家たちとの接触が、ワシを大いに覚めさせた。


 ワシはいつしか、脱塔した事が人生のアドバンテージになっている、と勘違いしていたのかもしれません。


 いつからだろうか。

 一部の脱塔者の現役批判が、「兄弟ゲンカ」に見えてきたのは。


 人間なんて、愚かしい。

 もちろん、ワシも含めて。



 ワシは。

 一つの真理があって、その真理さえ学べばオールオッケー、という価値観の中で幼い頃から生きてきた。

 ワンイシューで幸福が手に入るという、ビギナー向けの詐欺のようなおバカな世界にいた自分を恥じ。

 そして、その価値観の稚拙さに、はたと気づき。

 その価値観を脱ぎ去ることに成功した、と思っていた。


 

 が、しかし。

 教団とは距離を置いても、考え方は変わっていなかったようだ。


 教団は正しい!

 から。

 教団は間違っている!

 の。


 思考が反転しただけの、それでいて同じ、ある種の一神教に、ずーっと傾倒していたのかもしれない。



 もちろん、ものみの塔が、愚かな宗教団体であることは間違いない。

 聖書を都合よく解釈し、権威づけに利用し、私利を追い求め、他者を支配することが目的となっている、有害な宗教だと思う。

 

 しかし。

 そこに所属していないことが、幸福を意味するわけでも、「賢明さ」の証であるわけでもない。

 これは、JW達が、JWに所属しているだけで幸福で、賢明な生き方だ、と思い込むことの裏返しであり、同じレベルの思考だ。


 そんな単純な事を、最近しみじみと感じる。



 だから、友よ。

 なあ、友よ。



 好きに生きなよ。

 人生は、そんな単純ではないけど。


 ないからこそ、思想や宗教が成否の決定材料にはなり得ないのよ。



 

 長男の友人が、自死した。

 親御さんの苦悩の表情が居た堪れない。

 

 その一方で、似たような年齢の現役の甥っ子が、教団から「類稀な特権」を得て、現役親族は大いに沸いている。



 カルトというファンタジーから出て、現実に向き合うからこそ存在する辛さ、というのは、間違いなくある。

 一方で、虚構に身を沈めるからこそ苦悩をキャンセルできる愚かさが、その人の心を救うこともまた、あり得る。




 ワシはもう、JWに戻ることはないし、教団の幼稚な聖書ごっこも正視に耐えない悪行にしか見えない。

 ワシは、教団幹部が支配欲と保身のためにこの教団を運営し、無垢な末端信者を弄んでいる事実を知ってしまったから、幼稚な「バイブルワールド」に浸った童であり続けることは、もう出来ないのだ。



 でも。


 その結論が、ワシを幸福にしたわけではない。

 偉くなったわけでもない。



 そう。そもそもワシは、それで救われたわけでもない。



 ワシは、ワシらしく生きた、と。

 ただ、それだけだ。



 だから、友よ。


 君も、ただ。

 ただ、ただ、自分らしく生きてくれ。


 君がどこに所属するのか。

 誰に従うのか。

 何を喜び、何に泣くのか。



 ワシはそんな事で、君を峻別し、見下したりはしない、と。

 約束しよう。




 桜が美しい。

 今年もまた、この季節を迎えられた。

 今日食べる飯も。

 明日飲むお酒も、きっと旨かろう。


 妻と長く共にいられる事を喜び、子どもたちの些細な成長に感動し。

 大好きな映画に心を震わせ、壮大な雪景色に荘厳な神性を感じ。

 見知らぬ地への気ままな旅と、ベースボールをこよなく愛するベタなオジサンとして。


 時に亡き両親や友人を想い、泣き。

 いつか迎える自分の死を、覚悟しつつ。




 ワシは生きていく。

 それ、だけ。


 だけ。



 だから。

 友よ。


 君もそーしてくれ。



 そう。

 勝手にしてくれ。

 

 

 ワシも。

 これからも、ずーっと、勝手に生きるから。


 君がどんな神を信じていようと。

 必要だったら、呼んでくれ。


 出来ることだけ、やってあげるから笑




 宗教的フリーライダーとして、やっと10年と少し。


 JWを含め、他人の宗教なんて、どーでも良い、と気付かされたオジサンの。


 唐突な呟き。



 敬具