うちの息子達は、ワシの事を「厳しいお父さん」と言う。


 昨年、社会人1年目の長男がメンタルを病みそうになった時。

 現実逃避をしようとする彼を暫く泳がせながら、ある晩、「社会人として甘過ぎる」と、かなり強めに説教した。

 その夜、過呼吸になるくらい泣いた彼は、今、立ち直って、影はありつつも元気に職場に通っている。


 下の息子が高校で問題を起こし、親として学校に呼び出された時。

 三者面談の席で親の援護を期待した息子は、ワシが「お前が調子に乗ってるからやろ?」と教師の前で頭をハタいた事に、面食らった顔をした。

 彼は、一瞬、下唇を噛んでワシを睨んだが、先生に頭を下げるワシを見て、涙目になった。



 厳しくしたから息子達が強くなった、とは言わない。

 長男も次男も、ワシの対応でメンタルやられる可能性だってあったろうから、そんなもの紙一重だ。

 だが、仮にそれでダメになるような子どもたちなら、確実に後々、人生の荒波に飲まれる。

 今溺れるか、この先、いつかどこかで溺れるか。


 ならば、ワシが側にいる間に、溺れるがよい、と。


 厳しさに負けて息子達がニートになろうと、病んでしまおうと、親である以上、守ってやるつもり。もちろん、そんな展開は望まないが。

 だが、それもワシが生きている限り、の条件付きだが。


 

 翻って、ワシの事を、「優しいですね」と評する人もいる。

 職場の同僚、部下達、友人達、ご近所さん達、そして、JW関係者の面々。


 そう。

 ワシは、基本的に優しい笑


 何故か、って?


 関係性が薄い人には、「優しい」方が楽だからよ。

 うん、それに尽きる。


 現役時代の牧羊でも、職場の面談でも、とにかく相手の主張を受け止めるし、言いにくいことは言わない。

 だから、「優しい」ように見えるのよ。


 

 ワシが厳しく言うのは、その人のことを愛しているから。

 息子にもヨメにも。


 脱塔した時に親がワシを避けようと画策した時、ワシが親に何度も会って、ボロクソ言ったのも、両親のことを心から愛していたからに他ならない。



 今。

 世の中、「優しい」ブームらしい笑

 何でも「優しい」のが正しい。


 子どもには自由にさせるのがいいし。

 校則なんて無くていい。

 仕事も嫌だったら辞めていいし、しんどかったら休んじゃえばいい。

 上司の指導が癪に触ったらパワハラだし、素敵な異性以外が近付いてきたらセクハラだし。

 男女交際も当人同士だけで盛り上がるのがいい。

 同意の上で性行為があっても、後々不満があったら、不同意だった、と翻えしても良いらしい。

 イジメや虐待の被害者は、何年、何十年経ってもその傷の代償を求めていいそうだ。


 世の中、傷付いた、病んだ、と言ったもん勝ち。

 自己愛の権化に見えて、そんな風潮がワシには薄気味悪く映る。


 被害者になれば、そして弱者としてのポジションを取れば、その人には「優しく」接しなければならない。

 それ以外の人間は「昭和」で「アップデートできていない」「男性社会の呪縛にある」人で、社会から激しく非難されても致し方ないらしい。



 元メジャーリーガーのイチロー氏が、特別指導を行った高校の野球部の子達に、深いことを言っていた。


 「大人が厳しく君たちに接する事が出来ない今の時代、君たちは自分で自分に厳しくしなくてはならない。この環境で成長するのは、逆にとても難しいよ。」


 そう。ほんと、そのトーリ。

 自由には自由の代償がある。


 優しい連中ばかりの優しい社会は、これから大人になる若い子達にとって、果たして良い事なのだろうか、と疑問に思わずにはいられない。


 こんなに窮屈なことあるか?とワシは思う。


 今の社会、そして大人は、愛のある厳しさと、サディストの違いすら見分けられないのか?


 優しくしてりゃー、叩かれないから、「無難に優しくしよう」が、今の主流で。



 だから、ワシは職場で、とっても「優しい」笑

 優しい、くらいの評判の方が、面倒がなくてよいからね。


 弱者が生きやすい社会、ハンデのある方々が社会で普通に生きられる世界は、素晴らしい。

 そんな事、分かってる。

 だが、行き過ぎちゃいかんよ。 



 余談だが、ワシは、「ほすまんさんのこと、優しいから好き❤️」と近付いてくる人は、苦手だ。

 男性でも、女性でも。


 ましてや、こっちもその人に好意があったなら、この先ワシの側の愛が深まると共に、ワシは「優しく無くなる」から。

 

 「優しいから好き❤️」は、「あなたの事、分かってないの❤️」に聞こえる。


 歪んでんのかな…笑



 まあ、ワシは。


 みんなが優しくしてくれる、そして、優しくしてくれるべき、なんて言う社会的幻想を、全く信じていない。

 ワシがそんな考え方を支持するようになったら、それはきっと、ワシが究極の偽善に気付かない、老害と化した時だろう。

 



 息子達よ。

 お父さんが厳しいのは、君たちのことを愛しているからだよ。それは間違いなく。


 君たちのためには、命を張ろう。


 だが。


 ナメた生き方をしていたら、シバく。

 君達の弱さを暴き、時に心をかき乱しても、無関心で偽善的な「優しい社会」に毒されて生きるよりは幸せだ、とワシは思うから。


 「優しさ」に逃げるな。

 社会の過剰人権主義を笑ってやるくらいの、あざとさを持て。


 ピュアである事と、「阿呆」であることは表裏一体だぞ。

 傷付いても、自己を憐れむな。

 他の人の顔色ばかり見て、「優しいフリ」をするような人には、なって欲しくないよ。



 そう、強さを知れ。

 

 

 おトーさんは、生きてる間は君たちの骨を拾ってやるよ。


 だから。


 おトーさんも、君たちがもう少し大人になるまで、強くなきゃならんな😌