忠実って言葉が好きなJW。
でも、この言葉を使う上で大切なのは、忠実である事そのものより、「誰に対して」忠実であり、「何のために」忠実であるか、だと思う。
「神に対して」忠実であり「神を愛するが故に」忠実であるなら、それは立派なことだ。
我が親族も、とても熱心なJWなんだが。
年末に、宴会をしてプレゼント交換をしたがる。
これ、ほぼクリスマスだ。
年末年始に子や孫に小遣いを渡したがる。
これ、まんまお年玉だ。
で、お節やお雑煮は普通に食べる。
いずれも、「神に対する」忠実があれば、やらない所業だろう。
神から見れば、彼らが特定の行為を何と呼ぼうと、その精神が不健全であれば、不忠実であると受け止めるだろうから。
でも、彼らの信仰には、そーゆー健全な思考がない。
ほすまんは、現役の彼らとつきあつていくうえで、彼らのそのゆる〜いスタンスは、ありがたいと思ってる。
個人的には親族でワイワイ騒ぐのも好きだし、プレゼント交換も楽しみだし、子どもらにお年玉もどきを頂けるのも、ありがたいしね。
さて。
今年は、この年末のクリスマスっぽくてお正月っぽい習慣を改めよう、とのLINEが、グループLINEで突如宣言された。
神に対する忠実を真剣に考えた、わけではない。もちろん笑
コロナ禍における振る舞いについて、組織から指示があったから、だそうだ。
神への良心に痛みはないが、組織には逆らえない、って事だ。本人たちは気付いてないけど。
なんだか高尚な文章が送られてきたが、結局は「組織の指示に従う」ことが大切らしい。
そーゆーことを書けば、カッコいいとすら思ってる節がある。
が、三密は避けてプレゼントは渡すし、義父母のお節はネットで注文したから、分担して払おうね!、だそうだ笑
アホらし。
おお、神よ。
彼らに「忠実」を求めるのは、無理だ、って気付いてやって下され。