私の尊敬するIさんはすごく話をする人です。

恐ろしいほどの知識の量と、行動力を持っている人ですが、彼は異常なほどよく話します。

これについて「なぜ彼は話しまくるのか」を考えてみました。

いろいろ考えた結果、それは

「彼は聞き手にまわるとつまらなくて仕方がなくなるから」だと思いつきました。


最近私が知り合った経営者の多くは、昔からの友人が減ったと言いう話をしますが、その1番の原因はほかの友人たちとの会話がまったく合わなくなるからだということでした。

この点については私も非常に共感していて、やはりただの雇われ意識の人たちと同じ席上で話をしていてもとてもつまらなく感じることが多々あったのです。

最近ではあまりにもつまらなくて、ずっと黙りこんでしまう場面が多くなっていました。


しかし、これは私自身も非常につらいことでした。

みんなが楽しそうに話をしているのに、自分だけ話に参加していないという状況が辛くてさびしいのです。

かといって誰かが話しかけてくれるわけでもないので、もっとつまらなくなり、最後にはムカついてくる始末でした。


この問題を考えていた時に、私はIさんのことを思い出したのです。


もし、知識量が圧倒的なIさんが黙っていたら・・・

きっとIさんもつまらなくて仕方がなくなると思います。


普通の人が話している大概のことは、愚痴やねたみ、他愛もない話ですので、それに付き合っていたらIさんはつまらなくてしかたないはずなんです。

それを回避するには、聞き手にまわらなければいいのだと思います。

Iさんが話しまくってくれるのは、いい人だからかと単純に思っていましたが、ここから考えるときっと、聞き手にまわるとつまらなくて仕方がないから、その防衛のために話しているのでは?と思うようになりました。


ですから、私も話の聞き手にまわるのをやめようと思います。

自分がどんどん話して、もし煙たがられるのなら、それまでの人だと思ってすっきり別れられる気がします。


人の話よりも自分が話をどんどんする


明日からの自分の課題です。


質問の仕方について。

まず、そもそも質問は、「誰に対して」行っているのかをもっと自覚しないといけません。

友達に質問をしているのか、それとも目上の「教えを乞う人」へのものなのか?


最近、特に「教えを乞う」人への質問の仕方が違うな、と感じることが多々あります。

「相手からのベクトル」が最重要なわけで、受け手が「おお。この人にはたくさん教えてあげよう」という質問の仕方をする人は、やっぱり例外なく伸びる。


あくまでも「自分のためになる質問法」として、質問の仕方をしっかり学んで欲しいと思っています。


では、その質問方法とはどうすれば良いのか?

それは、次の2つを明確にし、相手に伝えることです。

1つ目は、自分は何に悩みを持っているのか。(何が分からない部分なのか)

2つ目は、それに対して自分はどのように対処しようとしているのか?

ということです。

この2つがあって初めて、「この考えで行動しています(しようと思います)が、どう思いますか?」となるはずなんです。


極端なことを言えば、これをせずに質問を送るようなことをしてはいけないと思っています。


「これってどうなんですか」で終わっている質問がすごく多いです。

「誰々は○○と言っていますが、どう思いますか?」で終わる。


いやいや、それよりも「あなたはどう思うのか?」ということが1番の問題なんです。

自分が分からないことをまず最初に明確にしてもらわなければ、こちらとしても応えようがあるはずがありません。

逆ギレしたように「分からないことが分からないんです」という人もいますが(本当にいるのが驚くのですが)、分からないことが分からない、ということに私が一体何を言えば良いのか?ということなんです。


質問をする、というのは、実社会でとても重要なことです。

これがスムーズにできる人とそうでない人では、絶対に仕事を覚えるスピードも違いますし、覚えてからの要領のよさまでもが変わるでしょう。


たった2つのことを明確にするだけです。

・何に悩んでいるのか(何が分からないのか)
・それに対して自分はどのように対処しようとしているのか

これを必ずチェックしてくださいね。

今、「地頭力を鍛える」という本を読んでいる。

ちょうど自分が気に入っている、フレームワークなどがでてくる本であるが、それよりも「フェルミ推定」をいう面白い話をしているのが興味深い。

「結論から」「全体から」「単純に」

フレームワークをこれだけ分かり易く話されている。これだけでもこの本を買った価値があるというものだ。

ただ、「全体から」という部分においてはちょっと曖昧としている感じだったが、文章中に例文があったおかげでなんとなくとらえられることができた。

こういう文を読んで、このブログにそれを即使用しなければ全く意味がない。いま気がついた。


==本題==

今日はどうやって「出していくか」ということを考えたい。

自分は、学習には2種類あると思っていて、それが「入れる」と「出す」だ。

「入れる」は本を読んだり、CDを聞いたりなど、要するに自分に知識を「入れる」ことを言う。

「出す」とは、こういうブログを書いたり、人に自分の意見として話すということを示す。


自分のスキルをアップさせるには、基本的には「出す」作業をしなければ、絶対にできないと持っている。

本を読んだり、自己啓発CDなどを読んでいるときは、ちょっと「勉強」している気になるが、ほとんどの場合、それは「やっている気」になっているだけだ。

こういう風にブログを書いたり、同じ知識を共有した人と話をして、自分の意見を言うなどをしていかないと、自分の中での知識は体系化されないと思う。

なので、「出す」作業をとても重要している。


そこで、今日の「どうやって出していくか」ということだが、基本的にはやはり、こういうブログなどで出していったり、商品を売る場合のレターなどで活用していくことになる。


今思いつくもので、

・ブログを書く
・レターを書く
・メモに書く

とこれくらいしか思いつかない。

「入れる」というのは、本を読んだりすればよいのに対して、「出す」というのは、あまり多くない気もしないではない。

問題は、「入れる」と「出す」のタイミングだ。

本を読んでいると、たまに文章中に「~について書いてください」というように、本の中に文章を書く、ということを促すことがあるが、それは全くやる気がしない。

これは、おそらく自分にとってはあくまで「入れている」最中であり、それに対していきなり「出してください」と言われても、その「気」の転換ができないからだと思う。


じゃあ、本を読み終わるたびに、ブログを書くのか、というと、それも面倒だ。

何より、「出す」作業にはパソコンなどを使用したりする場合、それが立ち上がるまで「待つ」という作業が入るのが問題だ。

本を読むのは、すぐにできるのに、「出す」ことに対しては「手軽さ」がまだない。

ノートに書いてもいいが、それを書いているだけではやっぱり続かないと思う。

ブログは誰かに読まれているかも、という思いがあるのがいい。


それを考慮にいれて考えた場合、今一番良いのは、「ブログを決まった時間に書く」ということだと思う。

問題点は、以前にそれをやっていた時、ブログの更新に時間をとられて、本業の時間が切迫したことだ。


だから、「定期」ということは今の自分には難しいので、しばらくは不定期でやることにする。



最後にこのブログを振り返って考えてみると、

「結論から」「全体から」「単純に」が全然できてないじゃん、ということに気がついた。