廃れた旅館をどうするか | 四大陸

四大陸

経営支援に関する情報を中心に、仕事のlog、趣味や発見、スポーツ、マネー、介護、法律など残していきます。

「装置産業って廃業してその後どうするか、そういうこと考えてスタートしてるんですかね。してないか。そんなこと考えてたらできないですもんね」

廃業した旅館を売りたいという事業者の現地を視察したのちの同行者の言葉。

この日は雨が降っていて、もの悲しい空気を作っていたせいもある。温泉街は4~5件宿屋があったようだが、そのすべてが閉鎖。その状態で数か月経つと、入り口は荒れ、建物は朽ちてくる。定光寺駅前の有名な建物も、このような過程を経てああなったのだろうか。

 

 令和の世で、宿泊施設に対するイメージは大きく変わった。「ホテル」や「旅館」というワードでは括れない、多様なスタイルの宿屋が出現。本日見学した施設は、新しい建物でも築30年。改装をした痕跡はなく、30年前は平成だが、創業が50年前というから、昭和の雰囲気そのままの「宿」であった。大学生だったころ、サークル合宿と称してこのようなスタイルに泊まっていたことを思い出す。大浴場はともかく、部屋の中に風呂やシャワールームはない。トイレは様式だがシャワートイレがなく、部屋は畳に襖。縁側に置かれた小型冷蔵庫や床の間、絵画。昔はこれが流行ったんだろうな。

 

 これがこのまま宿泊施設として売れるのか、というところだが。再構築で、立て直しをしたら少しはきれいになるのだろうが、いかんせん集客力が弱く、目玉となるスポットが近隣にない。お世辞にも温泉街とは言えない場をわざわざ選んでくるか。

 

 発想を変えれば、こういう過疎地域特有の静けさや旨い空気、何もなさを集中力に変えて、研修施設や合宿所として再生するという手もあろう。都心のベンチャー企業が山間部にサテライトオフィスなり移住オフィスを構えるという報もよく目にするが、そういう手もある。但し、いずれも通信設備などのインフラが整ってないと、なので行政との方針の一致が不可欠となるが。

 町村合併を繰り返し、広大な市の山間部にある急小さな町の衰退には目をつぶって、都心の製造業、サービス業の税収を当てにする。悲しいがそれが現実路線だけど、得意げにわーケーションとかをSNSに上げている諸君にこそ、一度真剣に向き合ってみるといい題材じゃないでしょうか。