さて、京都迎賓館の見学を終わり、車で中心街の四条河原町で早めの昼食、車を京都市鴨東駐車場に入れて、歩いて四条河原町交差点から直ぐの京寿司屋の「ひさご寿し」を目指す

この店も「遺したい味」に紹介されていた店、京都の寿司と言えば祇園新地「いづう」の鯖寿司が好きだが、今回は「ひさご寿し」に行ってみたくなった、初訪問、ここは創業昭和

11時15分くらいだったか、この店はテイクアウトも多く取り扱っているが、店で食べることもできる、2階に案内されて腰かけ、名物の蒸し寿しセットと都路(みやこじ)という盛り合わせを注文

少し時間がかかりますよ、と言われたけど、それでもOK、しばし待っていると他のお客さんも上がってきた

蒸し寿しを食べて見ると、なるほど美味しい、ここの名物はちらし寿しだが、これにひと手間ほどこし、ふたつき茶碗に盛り込んで蒸しあげ、これに茶碗蒸しをセットにしたのが蒸し寿しセット、冬場だけの提供、これは京都の寒さゆえの蒸し料理であるため
そして盛り合わせも実はこの店のもう一つの名物とのこと、戦後の食糧難から生まれたもので、一皿でこの店のいろんな種類の寿司が食べられるので重宝である

美味しかった、店を出るころには店内は満席になっていたので、早めに来てよかった、そして次の目的地の八坂神社近くの「何必館 」に行く途中、車を停めた鴨東駐車場前の四条大橋のたもと歌舞伎のルーツ「出雲の阿国」の像が立っているのに気づいた






いよいよ、最終日の午後、四条河原町から祇園に向かって少し歩き、通り沿いにある「何必館 京都現代美術館」に行く、初訪問、この日は「サラ・ムーン展」を開催中だった

何必館(かひつかん)は、1981年開館、人間は学問でも芸術でも定説にしばられ、自由を失ってしまう。定説を「何ぞ、必ずしも」と疑う自由の精神を持ち続けたいという願いから、「何必館」と名づけられた、「好きですね、こういう発想が」、疑うことをしない日本人に最も不足しているものの一つでしょう

何必館の柱は、村上華岳、山口薫、北大路魯山人らの作品、近・現代の絵画、工芸、写真を収蔵・展示する、常設展示は地階の北大路魯山人作品室と、5階の自然光が差し込む「光庭」と茶室がある

魯山人の作品コレクションは日本有数と言われている

この館は5階建ての縦に細長いビルで、展示は地階から3階までと5階がある、一歩館内に入ると祇園の雰囲気は全く感じられない静寂な場所となり、ちょっと戸惑うくらいだ

サラ・ムーンのことは知らないけど、1941年生まれのフランスの写真家、元々はモデルとして活動していたが、1970年代にファッション写真に転向し、1985年以降はギャラリーや映画の仕事に専念している女性、写真禁止だったので、彼女の意味深な抽象的な写真作品を「よくわかんねーなー」と思いながら見物した、全部モノクロ写真だった
魯山人のことは良く知らなったが、彼の陶芸の本を読んで、少しはその人となりや、来歴を知った
私は陶芸の知識がないけど、魯山人が料理や食に取り組み、その後、自分の料理や食を引き立てる器に興味が向き、陶芸の世界に入って行ったというところに興味を惹かれた、魯山人の「器は料理の着物である」という名言に「なるほど」と思った

京都中心部での観光はこれでおしまい





最後は、伊丹に向かう途中にある「アサヒグループ大山崎山荘美術館」に向かう、車で40分くらい

この美術館には駐車場がないので最寄りの阪急大山崎駅の近くのコインパーキングを探して駐車した、そこから坂道を上り、15分くらいで入口に到着、ここに来るのは2度目だが、嫁さんは初訪問

この美術館は、大阪府と京都府の境にある天王山の山腹、京都府乙訓郡大山崎町に位置する京都府の登録博物館で、運営は公益財団法人アサヒグループ芸術文化財団
実業家の加賀正太郎氏が昭和時代初期に建物の他、庭園や道路、家具、調度品なども含めて自ら設計、デザインして建てた英国風の山荘の建物を復元整備し、1996年(平成8年)に美術館として開館した

山荘は後に加賀家の手を離れ、様々な所有者の手に移り一時はマンションを建てる計画もあったが、住民の反対があり、アサヒビールの社長樋口廣太郎が知事の申し出に応じて企業メセナ活動として保存に協力することになった、この時、加賀氏はニッカウヰスキーの株式をすべてを自らの方針に賛同してくれたアサヒビールに譲渡し、ニッカはアサヒビールの連結子会社になったという経緯がある
美術館のコレクションの中核は、朝日麦酒株式会社(現・アサヒグループホールディングス)の創業者として知られる関西の実業家・山本為三郎の収集したコレクションである

山本氏が民藝運動にかかわる河井寛次郎、バーナード・リーチ、濱田庄司、富本憲吉、棟方志功および芹沢銈介といった作家たちとの交流の中で収集された作品が展示されており、モネの絵画『睡蓮』連作を複数所有するほか、モーリス・ド・ヴラマンク、アメデオ・モディリアーニ、パウル・クレー、イサム・ノグチ、アルベルト・ジャコメッティ、ヘンリー・ムーアなど、第二次世界大戦前後の近現代美術も展示されている
陶芸家の濱田庄司の作品は、ゴルフ帰りに立ち寄った益子の「濱田庄司記念益子参考館」で観たことがあったが、河井寛次郎美術館は京都にあるにも関わらずまだ訪問できていない、次回、京都に来た際は是非行ってみたい
訪問した日は、「くらしに花咲くデザイン ―大正イマジュリィの世界」展を開催していた、ここで「イマジュリィ(imagerie)」とは、仏語で、本や雑誌の挿画、装幀、絵はがき、ポスターなど大衆的な印刷物や版画の総称、監修者である山田俊幸氏(1947–2024)の貴重なコレクション約320点を展覧し、多彩なデザインやイラストレーションを展示するもの
館内は写真撮影禁止なのが残念、順路に従い、大正時代の雑誌の表紙や挿絵などがいくつも展示してあるところを興味深く鑑賞した、同時に館内の大正時代を彷彿させる山荘風の建屋内部をじっくりと味わった
館内の2階の眺めのいい部屋にはカフェもあり、お茶を楽しんでいる人も多かった、そのカフェの前にはテラスがあり、山崎駅方面を眼下に眺望できて最高の雰囲気を味わえた

この付近は戦国時代に本能寺の変(1582年)で織田信長を討った明智光秀と、主君の仇を討つために中国地方から電撃的に戻った羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の戦いである「山崎の戦い(山崎合戦)」が起きた場所である、その当時を想って景色を楽しんだ
美術館にはモネの睡蓮の絵が3点もあるので、山荘に接続されている別館のような地中館に行き、じっくりと鑑賞した、また、所蔵品の彫刻作品の「パルミラ饗宴図浮彫」も鑑賞できた

この美術館は山腹にあるため健脚でないと少し辛いかもしれない、元気なうちに来られて良かった





さて、これで今回の京都旅行で行ってみたいと思っていたところを見物した、天気は2日目だけ雨模様だったが、初日と3日目は晴れたので、観光にはもってこいの天気と陽気でラッキーだった
駐車場に戻り、車で伊丹空港のレンタカー会社まで40分弱で戻れた、ここはレンタカー会社が空港に併設されているので非常に便利である、バスで移動しないといけない空港が大部分だからだ
セキュリティーチェックを受けて、あとは飛行機に乗るばかりであるが、お土産売り場の一角にパンのメゾン・カイザーがあるので、そこで翌日の朝食用のクロワッサン2つを買った、少し大きめだとは言え、一つ450円くらいした

翌朝、少し温めて食べて見ると出来立てと思えるほどパリッとして、サクサクして美味しかった、さすがJALのファーストクラスやビジネスクラス、ラウンジで選ばれただけのことはある、こういった状態を翌朝までキープできる技術を持っている店は知る限り、ル・グルニエ・ア・パン麹町店と軽井沢沢村、それと私の地元のパン屋さんだけだ

3日間、楽しめました
(完)