今月も歌舞伎座に観劇に行ってきた、猿若祭二月大歌舞伎の昼の部、11時開演、3時20分終演、席はいつもの3階A席、そこから見ると満席に見えた、来ているのは例によって圧倒的にご婦人たちだ

 

 

「猿若祭」は、寛永元(1624)年に江戸で初めて幕府公認の芝居小屋「猿若座(のちの中村座)」を初代猿若(中村)勘三郎が建てたことが江戸歌舞伎の発祥とされることから、その発展を祈念して、昭和51(1976)年に十七世中村勘三郎を中心に歌舞伎座で始まった公演、今回の「猿若祭」は、歌舞伎座で3年連続、7度目、本年で50年の節目を迎えた

 

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一、 お江戸みやげ

川口松太郎 作、大場正昭 演出

 

(配役)

お辻/中村 鴈治郎

おゆう/中村 芝翫

阪東栄紫/坂東 巳之助

お紺/中村 種之助

角兵衛獅子兄/中村 歌之助

女中お長/中村 梅花

行商人正市/中村 寿治郎

市川紋吉/中村 歌女之丞

鳶頭六三郎/坂東 亀蔵

常磐津文字辰/片岡 孝太郎

 

(ものがたり)

  • 結城から江戸へ反物(結城紬)を売り歩く対照的な性格の後家のばあさんコンビ、お辻(中村鴈治郎)とおゆう(中村芝翫)が主人公の喜劇、江戸で1年分の稼ぎを手に入れた二人は酒を飲んで気が大きくなって歌舞伎見物をして人気役者・阪東栄紫(坂東 巳之助)に惚れ込んで推しに熱狂したり、思わぬ騒動に顔を突っ込む、二人のでこぼこした会話で笑って、江戸の町の活気など描き、最後はしんみりする人情物語

(観劇の感想など)

  • イヤホンガイドによれば、この二人が観たのは湯島天神でやっていた宮地歌舞伎である、当時歌舞伎は「江戸三座」以外は認められていなかったため寺社の境内で見世物興行の形で黙許されていたもの、そして、この宮地歌舞伎は江戸三座の歌舞伎に比べると格下になり、阪東栄紫は元江戸三座の歌舞伎役者だったが人気がなくなり落ちぶれて再起を図っている境遇であった
  • 主役のお辻を演ずる鴈治郎はキャラクターとしてひょうきんなところがある歌舞伎役者だと思っている、この日のイヤホンガイドの説明でも、鴈治郎が三谷幸喜の作品に出演した時に三谷幸喜からこんなにコメディセンスのある人だとは思わなかった、もっと早く出会いたかったと言われた人であると聞いて、やはり、と思った
  • この日の演目ではコメディアン的な役というよりは、田舎者の世間知らずなおばさんが都会で商売がうまくいって安心し、歌舞伎を初めて見て舞い上がってしまう悲喜劇を演じるものであり、うまく演じていたと思う
  • お辻の相方であるおゆうを演じた中村芝翫であるが、何だかやはり少し太ったなと感じた、そして、役柄としてはこうした役にはあまり合っていないように感じた、むしろ、この日の弥栄芝居賑の猿若町名主幸吉の役や、呉服屋の主人などの貫禄ある役の方がお似合いではないかと思った、ただ、イヤホンガイドによれば、この役は芝翫のお父さんである七代目芝翫が得意としていた役であり、6回演じたという、当世芝翫は今回が初役というから、今後、役柄を広げるためにも頑張ってほしいと思った
  • 阪東栄紫の坂東 巳之助は非常に良い感じであった、かつての江戸三座の役者としてのプライドから田舎後家のお辻をぞんざいに扱うのかと思ったら、丁寧に接し、いったん別れた後でも再度お礼を述べるためにお辻を探すなど真面目なところのある歌舞伎役者をうまく演じていたと思った、これは巳之助の地が出た演技ではないかとさえ思った

 

二、鳶奴

 

(配役)

奴/尾上 松緑

(ものがたり)

  • 江戸の風情や粋を感じさせる快活な舞踊演目、主人から言いつけられて大切に持っていた「初鰹」を鳶にさらわれてしまった奴(武家や町家の従僕)が、鳶を追いかけ、何とか鰹を取り返そうと奮闘する様子を踊る、江戸の町人文化の粋と活発で軽妙な面白さがある舞踊

(観劇の感想など)

  • 10分程度の短い風俗舞踊、松緑が鳶に初鰹を奪われる間抜けな男をうまく演じていた
  • 音楽は長唄連中であり、総勢10名くらいで演奏していたが、その中心に唄い方の杵屋勝四郎と立三味線の杵屋巳太郎がそろって出演していた、久しぶりに御両名揃い踏みであったが、巳太郎の方は例の週刊誌報道があったせいか、まだ暗い顔つきで演奏していたのが気になった、もともと軽妙洒脱でユーモアセンスもある人なんだけどね、いつまでも引きずりなさんなと言いたい

 

三、猿若祭五十年 弥栄芝居賑(いやさかえ しばいのにぎわい)

猿若座芝居前

 

(配役)

猿若座座元/中村 勘九郎

猿若座座元女房/中村 七之助

男伊達/中村 歌昇、中村 萬太郎、中村 橋之助、中村 虎之介、中村 歌之助

女伊達/坂東 新悟、中村 種之助、市川 男寅、中村 莟玉、中村 玉太郎

呉服屋松嶋女将吾妻/片岡 孝太郎

猿若町名主幸吉/中村 芝翫

芝居茶屋扇屋女将お浩/中村 扇雀

猿若町名主女房お栄/中村 福助

呉服屋松嶋旦那新左衛門/片岡 仁左衛門

 

(ものがたり)

  • 「猿若祭」にゆかりが深く、主に中村屋(勘九郎・七之助)の興行や平成中村座などで、祭の幕開けとして上演されてきたもの、歌舞伎のさらなる繁栄(弥栄)を寿ぐ、非常に華やかで賑やかな一幕
  • 江戸時代の猿若座を舞台にし、芝居小屋の木戸前(入り口)が華やかに描かれ、中村座の座元夫婦(勘九郎と七之助)が登場し、舞台の成功と歌舞伎の弥栄を願う口上を述べ、出演する役者たちが歌舞伎の登場人物(男伊達・女伊達など)の姿で勢ぞろいし、賑やかに挨拶を交わす「口上」の要素を持つ芝居仕立てであり、お祝いの言葉とともに、今回は三三七拍子をお客さんと一緒にやった

(感想など)

  • 中村屋とゆかりの役者が勢揃いした華やかな演目であった、仁左衛門のセリフの中に勘九郎に向かって「俺が生きている間に勘三郎を襲名しろ」というのがあった、勘九郎は1981年生まれで45才、親父の勘三郎の襲名は49才であるから、もうそろそろ襲名のことは考えていることでしょう、それが楽しみである

 

四、積恋雪関扉(つもるこい ゆきの せきのと)

 

(配役)

関守関兵衛実は大伴黒主/中村 勘九郎

小野小町姫/傾城墨染実は小町桜の精/中村 七之助

良峯少将宗貞/八代目尾上 菊五郎

 

(ものがたり)

  • 雪の降る逢坂山(滋賀県・大津市)の関を舞台に、天下を狙う悪人の大伴黒主と、300年余りの樹齢を持つ桜の精が繰り広げる妖しくも美しい常磐津の大曲
  • 雪の降り積もる逢坂山に咲き誇る季節外れの満開の桜、先帝の忠臣・良峯少将宗貞(八代目菊五郎)のもとへ、恋人の小野小町姫(七之助)が訪ねて来る、関守の関兵衛(勘九郎)は二人の馴れ初めを聞き、取り持つが、実はこの関兵衛の正体は天下を狙う大伴黒主で、そこに関兵衛を口説く傾城墨染(七之助)が姿を現し、それぞれが本性を現すぶっ返り、黒主の「荒事」のすごみと、桜の精(墨染・小町姫)の「和事」の艶やかさのコントラストが、舞踊の技巧と共に描かれる

(感想)

  • 映画「国宝」にも登場したという演目、少年時代の喜久雄が宴席で 父が招いた花井半次郎の前で踊ったものだそうだが、知らなかった
  • 1時間30分と長い演目で3人だけの出演で単調な気がしたのか途中で何回も眠くなって寝てしまった、ただ、菊五郎、勘九郎と七之助の演技は良かった

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さて、今回の猿若祭であるが、予定では中村鶴松(1995、中村屋)が初代舞鶴を襲名し、それを披露するはずであったが、例の事件の報道により取りやめになったのは残念であった、先月の新春浅草歌舞伎で観たばかりだったので、いっそうがっかりした、この業界も役者の不祥事が多すぎるのではないか

 

生ビール生ビール生ビール生ビール生ビール

 

さて、幕間の楽しみはお弁当と甘味、この日はいつもの通り三越銀座の地下で、日本橋弁松の弁当と仙太郎の桜もちにした

 

栃木県那須烏山市の風月カントリーでゴルフをした、最近行ったばかりだがまたプレーしたくなった、比較的すいているのでスイスイラウンドできるのが良い

 

 

この日の天気は晴れ、気温は10度以下だったが風が弱く、それほど寒さは感じなかった、前回来たときは、朝イチは地面が凍って白くなっているところが多かったけど、今回はそれはなかったのはラッキーだ、真冬でもゴルフができるのは有難い

 

 

このコースはティーグラウンドもグリーンも緑に着色していない珍しいコースだ、フェアウェイまで着色するのが好きだけど、全く着色がないコースもホカホカ温かそうな気がして悪くはない

 

 

この日も前回同様、南コースから北コースとラウンドした、カートはナビ付リモコンカートなのでスピードは遅いけど、グリーン周りが楽だ、歩きたいときは歩き、カードは自動で動いてくれるので便利である

 

 

ここはけっこう不便な場所にあるが、車があれば大丈夫、谷和原インターから常総バイパス294号線を北上し、寺内から新しくできたバイパス408号線を使って高根沢までの30キロをかなりのスピードで飛ばせるので、高速に乗っているのとそんなに変わらない、途中渋滞する交差点が4つあり、そこが全て立体交差化工事中で今まで2つが完成している、これが全部完成すると一段と時間短縮になるので、さくら市、那須烏山市にあるゴルフ場へのアクセスが相当楽になる

 

 

ストレスのないラウンドができました、コースは申し分なく素晴らしいレイアウトでした、グリーンの状態も最高でした、芝が青くなったらまた来てみたい

昨年末に初訪問して美味しかった東向島の天ぷら屋「河原のあべ」にまた行ってみた、前回は天丼を食べたので、今回は天ぷら定食を食べてみようと思った

 

 

11時半開店で、あとの用事があったので早めに開店10分前に到着した、すでに2人開店を待っている人がいて、開店までにさらに3名が集まった、店内のダクトからごま油の香ばしいにおいが出てきて食欲をそそられた

 

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時間になると大将が出てきて「寒いところで待ってもらってありがとうございます、どうぞお入りください」と言われ、店内に入る、調理場を囲んだL字型のカウンター席のみで全部で15人くらいは座れるか、天ぷら定食3,200円を注文

 

目の前で大将が天ぷらを揚げているところが見られるのはうれしい、YouTubeの「まかないチャレンジ」の時のようなイメージとは違い、黙々と天ぷらを揚げている

 

最初に3品の前菜とお茶、おしぼりが出される、手を拭いて、お茶を飲み、早速、前菜を食べて天ぷらが揚がるのを待つ

 

 

しばらく待って天ぷらが運ばれてきた、お新香と赤だしの味噌汁がつく、ご飯はおかわりできるとのこと

 

 

天ぷらの種類は天丼の上に乗っかっている天ぷらと同じだったかもしれないが、十分な品数があり、それぞれが美味しかった

 

 

美味しく頂きました、ご馳走様でした、一つだけ、天つゆは途中で足りなくなるのでもっといっぱい入れてもらうとありがたいと感じた

渋谷にある喫茶店「羽當」に入った、初訪問、カフェを紹介する雑誌に出ていたのを見て機会があれば行ってみたいと思っていた店だ、場所は渋谷駅のヒカリエ側、明治通りを少し新宿に向かって歩き右折、坂道を上る途中にあった、中に入ると、カウンター席に案内された

 

 

店内は木のぬくもりを感じる大人の雰囲気、入ってすぐ右側が長いカウンターになっている、何かバーに入ってきたような雰囲気がある

 

こちらは珈琲と紅茶のみの店のようだ、テーブルの上に置いてあったメニューを見るとすべての飲み物は1,000円以上する高めの価格設定、これは来る前から知っていたが、その値段に相応しい雰囲気がある店だと思った

 

店を見ると四人掛けの座席や大き目のテーブル席もあり、けっこう広く、収容力がある店のようだ

 

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カウンター席に腰かけると、カウンターの背後には高そうな珈琲カップが収納されており、良い雰囲気、この日はブラジル・サントスを注文、1,100円だったか、注文を受けてから豆を挽き、抽出する、出てくるまでに少し時間がかかるが、しばしカウンター内部や店員さん方の仕事を観察したり読書をした

 

 

しばらくすると有田焼の源右衛門の高価な珈琲カップに入ったブラジル・サントスが出てきた

 

 

飲むと味は想定した通りの味、酸味がなく、軽い苦みのある好きな味、これをゆっくり頂きながら読書をした

 

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滞在している間、次々とお客さんが入ってくる、来ているのはいろんな年代の人で、若い人も多い、こんなに高い喫茶店に来るなんてこの店の存在を知っている人でしょう、この店は知る人ぞ知る有名店だ

 

ゆっくり1時間くらいくつろぎました、良い雰囲気でした

最初は「珈琲アロマ」、過去に2回は行ったことがあるがしばらくぶりである、この日は嫁さんと新春浅草歌舞伎を観に来た日、開演前に早めに来てどこかで時間をつぶそうと思って、いつもの舟和本店にしようかと思ったが、ふと「珈琲アロマ」の前を通ったので、久しぶりに入ってみようと思った

 

 

この店は国際通りから少し入ったところ、あのシューマイのセキネの近くにあるカウンターだけの店、空いていたので手前の方の席に腰かけ、メニューを見て、ホットコーヒーを頼む

 

まわりにいる人はほぼ常連客ではないか、カウンター内の店主夫妻だろうか、その二人と親しく世間話をしている、地元住民の憩いの場という感じがした

 

 

カウンターの背後にはテレビがあり、その声が邪魔にならないくらいに聴こえてくる、それを聴きながらゆっくり珈琲を頂いた、そして、ここで提供されるサントイッチやトーストのパンはあのペリカンのパンだ

 

この日は、カウンター席の奥の方に野球の江本孟紀氏がいたのには驚かされた、近くに住んでいるのだろうか、皆さんと親しく野球の話などをしていた、「背が高いなー」

 

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さて、別の日、今度は私一人、夜のクラシック音楽の公演前に夕食をとろうと思って浅草に来た、この日は千束通りの方にある「珈琲ロッジ赤石」、初訪問、人気のある喫茶店のようだ、何だか以前夏休みによく行った安曇野や信濃大町、白馬あたりの景色が思い浮かんだ

 

 

夕方5時ころに入った、ここには食事メニューもあるので、事前にメニューを確認して、エビサンドを注文した、1,400円くらいだったか

 

2階もあるのかわからないが、1階の奥の2人掛けの座席に案内され、エビサンドが出てくるまで店内をゆっくり観察した、外国人のお客さんや若いお客さんがけっこう入って来る、テレビに出たかSNSなどで名が知れているのだろうな、などと想像した

 

 

この日、私が注文した時はそれほど店内は混雑していなかったが、どういうわけかエビサンドが出てくるまで30分もかかった、確かにエビを揚げるのは時間がかかるのかもしれないが、あとの予定が詰まっていたので焦った

 

 

出てきたエビサンドを慌てて頂くと大変美味しかった、人気があるのもわかるような気がした、贅沢なサントイッチだと思った

 

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食事を済ませて外に出るともう真っ暗、浅草駅まで歩いて行ったが、夜の浅草寺を初めて見た、そんなに混んではいかかった

 

 

そして、新仲見世の松屋浅草のすぐ手前にある入口からあの浅草アンダーグラウンドに入り、銀座線の浅草駅に向かった

 

 

「反田恭平&ジャパン・ナショナル・オーケストラ 冬ツアー2026」を聴きに行ってきた、場所はサントリーホール、19時開演、終演21時10分、チケットは完売と出ていた

 

 

出演

指揮&ピアノ:反田恭平

管弦楽:Japan National Orchestra

  • JNOは、説明によれば「音楽家である反田恭平が株式会社を設立し、奈良を拠点に持続的かつ発展的な活動を行い、音楽家自らが活躍の場を創出いたします、また、志のある音楽家が安心して音楽を学び、音楽活動に専念できる環境を確保し、将来的なアカデミーの創設も目指す」とある

【ウェルカムコンサート】

モーツアルト木管六重奏のためのディベルティメント第12番変ホ長調KV252

オーボエ:荒木 奏美、浅原 由香

ホルン:庄司 雄大、鈴木 優

ファゴット:皆神 陽太、古谷 拳一

 

 

曲目

ショパン:ピアノ協奏曲第2番 ヘ短調 Op. 21

チャイコフスキー:交響曲第4番 ヘ短調 Op. 36

(アンコール)

ブラームス:6つの小品より 間奏曲 Op. 118-2(ピアノ・アンコール)

チャイコフスキー:白鳥の湖(組曲版)Op. 20aより「チャールダーシュ(ハンガリーの踊り)」

 

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感想など

  • 反田恭平は、2021年ショパンコンクール2位入賞という偉業を成し遂げたピアニストであるが、さらにコンクール後の活動に目を見張るものがあると思っている、若手の演奏家を集めて切磋琢磨しながら演奏機会を設け、成長する環境を整えることをやっており、素晴らしいと思う
  • ショパンコンクールにはいろんな批判もあるようだ、過去優勝したピアニストで現在でも高額なチケット代でコンサートを開催できるピアニスとはわずかだとの指摘もある、この世界もただピアノがうまいだけでは経済的に成功はできないのでしょう、自分の人気や価値をいかに維持し、公演やCDなどで稼げるか、反田のように人を集めて育成し、人々に音楽を届け、地域にも貢献するような大きな構想力が求められるのでしょう、今後のJNOとそのメンバーたちの成長が楽しみだし、期待している
  • 日本には優秀だけどまだ知名度も演奏機会も少なく、自分を売り出す押しの強さもない音楽家は大勢いるでしょう、音楽の師匠の紹介くらいしかチャンスはないのかもしれないが、何か業界として支援できる仕組みがあると良いと思うがどうだろうか、以前、渋谷ゆう子氏の「揺らぐ日本のクラシック」を読んだときにも拙ブログに書いたが、まだまだ工夫の余地は大いにあると思う、例えばSNSの活用だ、これがほとんどの音楽家はできていない、誰かがアドバイスやサポートする仕組みがあれば全然違ってくるのではないか
  • この日の音楽だが、実はショパンもチャイコフスキーもあまり好んで聴く作曲家ではない、曲よりも反田恭平の指揮する姿や演奏を聴きたさに来たのである、その点でこの日の演奏にはほぼ満足できた、特にチャイコフスキー交響曲4番の第4楽章は全ての楽器が生き生きと演奏で来ており、にぎやかで楽しい楽章であった
  • 反田恭平はショパンコンクール入賞者だからと言ってショパン弾きだけのピアニストではないことが良いと思う、チャイコフスキーやモーツアルトその他のいろんな作曲家の作品を手掛けていることはビジネス的にも必要なことでしょう
  • さて、この日の私の座席は左側の2階席(LA席)であった、目の前に舞台の左側からの景色が見える位置である、そして、最初のショパン・ピアノ協奏曲第2番の演奏を聴いているときに反田恭平の弾くピアノの上のカバーが取り外されていてピアノの内部が全部見える状態であることに気づいた

 

  • 通常、ピアノ協奏曲の時はピアノが指揮者の方に向かって設置されており、ピアノカバーは客席の方に向かって斜めに開かれているが、この日は反田の弾き振りであったため、ビアノは舞台奥に向かって設置されていた、この設置で通常通りのピアノカバーの開き方をすると舞台の右側にしかピアノの音がきちんと聴こえないことになる、反田はそれを避けるためにカバーを外し、ピアノの音が四方八方に伝わるように配慮したのではないかと思った

  • サントリーホールのような舞台の全方向に座席がある場合、ピアノカバーを付けていると、必ずどちらかの方向の観客にはピアノの音が聴こえずらいことになる、これは私が今年、同じサントリーホールでマケラ指揮、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団とカントロフの公演を聴きに行ったときに、舞台後方席で鑑賞したらカントロフのピアノカバーが舞台正面に向かって開かれていたため、後方席にはあまりよく聴こえなかった経験をしたので、この日の反田の配慮は「よく考えているな」と思った

 

楽しめました

東京二期会 歌劇「さまよえるオランダ人」(全3幕)をテレビで観劇した、収録日は2025/9/11、場所は東京文化会館、上演時間は2時間半で休憩なしで上演された

 

「さまよえるオランダ人」は今まで1回だけしか観たことがなかったので、ほとんど内容は知らない演目、今回の録画は2度観た

 

 

オペラ

台本・作曲:リヒャルト・ワーグナー

指揮/上岡敏之

演出/深作健太

 

ダーラント/山下浩司

ゼンタ/中江万柚子

エリック/城宏憲

マリー(ゼンダ乳母)/花房英里子

舵手/濱松孝行

オランダ人/河野鉄平

合唱/二期会合唱団

管弦楽/読売日本交響楽団

 

(あらすじ)

  • 18世紀、嵐の航海中、悪魔に呪われ、死ぬことができず海をさまようオランダ人船長、7年に一度だけ許される上陸の時、愛を誓う女性が現れれば救われるという、その幽霊船に出くわしたノルウェー貿易船の船長ダーラントは、オランダ人の財宝に目がくらみ、娘ゼンタを彼に引き合わせることを約束する、ゼンタはオランダ人と運命的な出会いを果たすが、すでにゼンタには恋人エリックがいた、エリックに責められるゼンタ、それを知りオランダ人は絶望し出航、ゼンタは彼を追う

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観劇した感想など

 

(演出について)

  • 演出の深作健太は、日本の映画監督・演出家・脚本家で、近年では演劇やオペラ、テレビドラマの演出にも活動の場を広げ、二期会のオペラも既にR.シュトラウス「ダナエの愛」、R.ワーグナー「ローエングリン」、L.V.ベートーヴェン「フィデリオ」の3作を演出してきた
  • 彼は今回の演出にあたってどういうことを考えたのか、テレビ番組や二期会のwebサイトのインタビュー動画で語られている、その要点は、ワーグナーと同時代のロマン派の作家カスパー・ダーヴィド・フリードリヒの絵画「氷海」とイギリス人作家メアリー・シェリーの小説「フランケンシュタイン」、ワーグナーの借金からの逃避行の3つの共通点、すなわち、極北への関心であるとのこと、ゼンタの父ダーラントは北極探検隊の船長であるのもそのためだ、そしてオペラの舞台にもこのフリードリヒの絵画を登場させている
  • さまよえるオランダ人は愛により救済を受けられるバージョンと受けられないバージョンがあるが、今回は救済を受けられる話であった
  • 全体としてそんなにわかりにくい小難しい演出ではなかった、特徴としては舞台に大きな額があり、その中にフリードリヒの絵が入れられていたり、オランダ人の幽霊船が映し出されたりすることだ、これはうまく考えた演出だと思った
  • 第3幕で、オランダ人船長の乗組員だろうかカラフルな衣装で客席の方からペンライトを揺らして舞台に上がってくるところがあるが、これが何を意味しているのか分からなかった

(歌手について)

  • ゼンタの中江万柚子が何といっても素晴らしかった、美貌だし、声量豊かで歌唱力も十分にあると思った、彼女は2015年まで宝塚歌劇団99期生の雪組で男役の万名月洸(まなづき・こう)として活動していた、その彼女が今回初めてオペラ歌手としてデビューしたというからすごいと思った、そんなことも知らずにテレビを見た際、第3幕での彼女の白いドレスで歌う姿がまるで宝塚の歌手みたいだと感じたから、あとで調べて元宝塚と知ってびっくりした
  • その中江万柚子に歌唱力で全然負けてなかったのがエリックの城宏憲であった、声量豊かで表情も役柄を十分に表した素晴らしいものだった、自分としてはオランダ人船長の伝説などを信じて恋人を裏切る女性より、真面目そうなゼンタの恋人役のエリックに感情移入したくなった
  • オランダ人の河野鉄平も頑張っていたが、どうもその衣装や化粧が好きになれなかった、原作のイメージそのままなのでしょうが、フードをかぶった姿は犯罪人のようだった
 

(指揮者と管弦楽について)

  • 上岡敏之の指揮での読響の演奏だけど、非常に良かったと思った、メリハリがしっかりついていたし、重みを感じる演奏だった

 

楽しめました

ゴルフの帰りにつくば市にある「WASHI no COFFEE」に行ってみた、初訪問、場所はつくばエクスプレス線の「みどりの」駅と「みらい平」駅の中間くらいの住宅街にある、付近一帯は土地区画整理事業などで戸建て住宅街に開発したような雰囲気を感じた

 

 

「みどりの東」という住所になっているが元々の地名は別のものだったのでしょう、こういう地名変更の東京における例が荻窪圭氏の本に書いてあった、むかしの人は良く考えて地名をつけていたんだけどね、新駅の名前なら洒落た名前にしても良いと思うけど地名まではね、ただ、市町村が統合した場合などは許されるかな・・・このカフェには何の関係もないけど

 

 

ここにはこの店以外にはレストランやコンビニなども何もない住宅街、これで採算が成り立つのだろうかと心配になるけど、余計なお世話か、店の前に4台停められる駐車場があり、そこに停めて店内に入る、若い店主から「最初にレジ付近にあるメニューと珈琲豆のサンプルを見て注文と支払をしてください」と言われ、私は「羽やすめブレンド」、嫁さんはミルク珈琲を頼み、ケーキを一つ注文した

 

 

奥の座席に腰かけ、店内を眺めると、ゆったりとくつろげそうな良い雰囲気、店主のセンスの良さを感じる、珈琲の作り方の本やカフェ関係の本も置いてある

 

 

注文を受けてから豆を挽いて抽出する本格的な珈琲店、出てきたものを飲むと大変美味しい、珈琲カップも洒落ている、こちらのカフェは何種類かの豆が用意されており、その中から好きな豆の種類(エチオピアとかケニアなど)を選んで、それを浅煎りに焙煎して提供するという、その方が豆の特徴が味に出やすいからとのこと、私もそう思う、スタバのような深煎りはあまり好きではない

 

 

この日、私が頼んだのは「羽やすめブレンド」だが、これは店主が「珈琲を飲みながら羽をゆっくり休めてほしい」という思いを込めてブレンドしたもので、酸味が少ないと説明してくれたので注文したもの、普段自宅で飲んでいる珈琲と同じような味であり美味しかった

 

 

帰りがけに店主とちょっと話をしたら、ここはまだ開店してから1年とのこと、頑張ってほしいと思った

 

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さて、この後、谷和原インターに入る前に、またしても「たまご屋本舗 TAMAHON」に寄って、当日採れた卵「美の里」10個入りと、今回はプリンを2つ買って帰った

 

 

帰宅して、卵はゆでたまごにして、プリンは夕食のデザートとして食べてみると、両方とも美味しかった

(承前)

 

 

第四章      「不偏不党」と「政治的公平」

  • 非統治者=人民の側に立って権力を監視するのが、近代社会とともに誕生した第四権力の基本的な役割だが、政府は人民が選挙によって選んだ権力であるから、政府批判はいつも穏健的であることを求められる
    (コメント)
    今の新聞はその正反対のことをしているでしょう、そして、新聞の一番基本的使命は事実を報道することであり、権力の監視は副次的なものである、捜査機関でもないのにそれが主目的になっているところが問題であり、傲慢である
  • 朝日新聞の不偏不党は、政治的な独立とイデオロギー的な独立ということ、著者自身も共同通信の編集局長当時、考え方の対立する双方にとって読む価値のある報道をモットーに掲げた、左右両派のいずれにも有用な客観報道こそ、追求すべきジャーナリズムの基本的あり方と考えてきた
    (コメント)
    朝日新聞が不偏不党だと思っている人などほとんどいないでしょう
  • 朝日新聞の1986年10月15日は、野党精神が大事だからと言って、選挙で選ばれた政府のやることにことごとくたてついてのでは、まるで新聞が「民衆は愚かだ」と見下していることになる、第三者はもちろん権力者をもうなずかせるような説得力のある、是々非々の議論を展開するバランス感覚を持つことが言論人にとって最も重要な課題と言えよう、と書いている
    (コメント)
    テレビで、選挙で自民党の投票するのは「劣等民族だから」と発言したコメンテーターがいた、ネットが普及したおかげでテレビや新聞の論調に左右されない国民が増えてきたのは喜ばしいことだ、安倍批判を繰り返してきた左派新聞の報道にも関わらず安倍内閣は国政選挙で6回連続して勝利した、国民はよく見ている、その当時の左派新聞の社説を読むと「これだけ問題があるのに国民はなぜわからないのだ?」という悔しさがにじみ出ているのが滑稽である
  • 読売新聞の渡辺恒雄社長も、今日存在していない古い権力の幻影を、今なおあるかのごとく錯覚して、何でも反政府、反権力、反体制の論調をはっていればよいと考える新聞人がいる、こういう人々は日本の構造的な変化を認めようとしない(コメント)
    全くその通りである、世界情勢の大きなトレンドを見る能力が欠けているのが左派新聞である、いまやあの立憲民主党すら集団的自衛権の部分的行使容認は合憲であると言いだした、孤立無援になるのも時間の問題でしょう
  • 私としては、「不偏不党」や「公平」よりも、「多様性」こそ、いま日本のジャーナリズムにとって最も強調されるべき原則と考える、「真実を求めて多角的に取材報道し、常に少数派の動きや意見もジャーナリズム反映しなければならない」という原則である
    (コメント)
    その通りである、読者に多様なものの見方を示し、考えさせるのが新聞の大きな役割のはずだ、その発想が全く感じられないのが今の新聞だ、この点、私がよく見るアメリカのネットニュース「PBSニュース」は非常にフェアである、コメンテーターや解説者は常に2人呼んで異なる意見を戦わせ、視聴者にどちらの意見に納得感があるか考える材料を与えている
  • 「多様性」の原則は、多角的で多様な報道活動によってはじめて真実追及が可能になるという考えに戻づいているのに、この点が日本では軽視されているように思う
    (コメント)
    最近は何かというと「多様性」が大事だと国民に説教する新聞だが、自分たちの一番大事なところの多様性が欠けているという皮肉
  • 日本社会の集団主義、画一主義はマスコミにも強く、動物が一頭走り出すと群れを挙げて同一の方向に突進するスタンピード現象が報道にも出現する、これが民主主義に不可欠なオルタナティブを認めない環境を作り出す
    (コメント)
    その通りである、これの危険性を指摘するのが新聞の役割だができていない、例えば、環境問題だ、脱酸素が全てに優先するが如き政策や予算の使い方に何の疑問も提示していない、移民問題もそうだ、「多文化共生」を国民に「強制」し、移民増加の負の側面に懸念を示さないのが新聞だ、今回の選挙の論点にもしたくないようだ
  • テレビが政治をショー化し、ジャーナリズムがそういう現実を変革する方向に機能せず、政治をバカにする空気を培養するのに役立っている、政治一般について蔑視するのがより知的とみられるような風潮を生んでいる、一億総評論家作りに終わっている、政治家蔑視が無関心を強め、その陰で政治は一握りの政治家たちの勝手な振る舞いを許してしまう
    (コメント)
    政治の蔑視は今に始まったことではなく、過去にも昭和の初めの若槻内閣や田中義一内閣の時など激しかった、当時せっかく政友会と立憲民政党の二大政党制ができたのに、その健全な育成に意を注がず、政党批判ばかりしていたのは筒井清忠教授の指摘する通りだ、政治家の金の問題も大事だが、そればかりに国会審議や選挙報道がとらわれている現状は大問題である、そんな状況は我が国周辺の覇権主義国家が喜ぶだけだ、「しょせん政治家など金に汚いものだ、問題があれば司法が対処すればよく、いま日本にとって大事なことは何なのか」というリアリズムに基づいた報道をすべきであるがいまだに「政治と金が」「裏金議員が」と繰り返し叫んで国民が国家の重大事から目をそらすようにしている
  • 選挙報道ももっと有権者の具体的評価に役立つような工夫ができないものか
    (コメント)
    既存のメディアにそれを期待するのは無理でしょう

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第五章      ジャーナリズムとナショナリズム

  • 対外問題について、ジャーナリストはいつも時の政府の国益観に荷担してしまう、何が真の国益かを見分けるのは常に微妙で難しい
  • ジャーナリストは日常的に偏狭なナショナリズムを克服して、いつも真の国益とは何か冷静に追及することが求められる
    (コメント)
    偏狭なとは何か、偏狭ではないナショナリズムとは何か、自分たちと異なる主張に「偏狭な」などの表現をつけたがるのが新聞の悪い癖である
  • 明治政府の富国強兵をジャーナリズムは支持した、しかし実態は「内に自由民権、外に帝国主義」である、ジャーナリストにとって「国籍」の業の深さを痛感させられる
    (コメント)
    富国強兵を支持したのは間違えではないですよ
  • 大正デモクラシー期には、ジャーナリズムの大勢として「大日本帝国」の膨張主義は否定しきれなかった、愛国熱が高まろうとしているときに、それに水をかけるようなメディアは読者・視聴者から嫌われやすい
    (コメント)
    戦後、愛国心を戦争につながるものとして敵視し、国民の愛国心をずたずたに破壊してきたのがジャーナリズムである、これこそ「偏狭なジャーナリズム」と言えよう、愛国心=戦争、としか考えられない偏狭な発想である
  • 英BBCは1956年スエズ戦争に際し、政権から圧力をかけられたが、あらゆる意見を公正に扱う原則で抵抗し、アルゼンチンの見解も反英デモも報じた、真実の報道には戦争当事国のどちらの味方にならない客観報道が武器となった、『わが軍』ではなく「英軍」とした
    (コメント)
    BBCも立派な時もあったが最近は日本の左派新聞と同様、自分たちの批判対象となる政治家を叩く俗悪メディアに落ちぶれた、例えば、2024年にBBCの報道番組で放送されたトランプ大統領の演説映像で、2021年1月6日の議事堂襲撃当日のトランプ演説の映像を編集し、元の意味・順序とは異なる形でつなぎ合わせて放送し、視聴者にトランプが「暴力を扇動した」ような印象を与える可能性のある編集をしたとして、最高責任者とニュース部門最高責任者の両名がいずれも辞任した
  • ジャーナリストが忠誠を誓う相手は「国」ではなく、「真実」でなければならない、ジャーナリストにとって国籍はフィクションである、日本では「わが国」が乱用されている、政府審議会、学者の寄稿など、世界のジャーナリズムは地球市民時代の新しい国益論の再構築を迫られている
    (コメント)
    そもそも真実など相対的なものだ、例えば、どの立場で見るかで真実も変わってくる、絶対的真実などないのだ、世の中で議論を巻き起こすような問題はすべてグレーゾーンの問題である、裁判だって必ずしも真実がわかるわけではない、「地球市民」などと言っている時点で浮世離れした世間知らずだ

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第六章      客観報道と署名記事

  • 客観報道は現代ジャーナリズムの一般的原則になっているが、主観的なものの見方や考え方を無くすことなど不可能であり、主観を排除することで客観報道を実現しようとするのは間違いと言える
  • 客観報道にも必ず主観が入る、それは①何を伝えるか、報道対象の選択②どういう立場で伝えるか、視点の選択③どのように伝えるか、表現の選択④どのくらいの扱うか、メリハリの選択、があるからだ
    (コメント)
    これはその通りである、新聞は日ごろの自分たちの主張に都合の悪いことは報道してこなかったが、ネットの普及により、それが国民にバレることになったのは喜ばしいことである
  • 記者クラブは政府や与党の考え方を社会に一方的に伝える宣伝の場になっていることが多い
    (コメント)
    これもその通りであり、記者クラブは廃止すべきである
  • 客観報道主義はジャーナリズム全体の批判機能を衰退させている、現代ジャーナリズムの諸悪の根源と言えるほど問題が多い
  • 日本では、多様な見方、考え方が1つの新聞に反映されるように心がけ、社内の異論もそのまま紙面化する方が真実発見や多角的世論形成に役立つ、という評価もできる、一千万部の大新聞が、個性の強いトップの思想で統一され、反対論が封じられるなら、その方が民主主義社会の世論形成にとって問題が大きいとも言える
    (コメント)
    これもその通りであるが、現実はその正反対である、角度をつけた報道をしているのが常態化している、これをやっている限り、新聞の将来はないでしょう
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第七章      ジャーナリズムと人権思想

  • 司法の判断が確定する前に、ジャーナリズムが捜査当局の見方に頼って一方的に懲罰的な報道をするのは、人権の原理にも報道の公正倫理にも反する、捜査段階の犯罪報道は控えめにし、被告人の言い分も聞くことのできる裁判報道に比重を移すべきである
    (コメント)
    その通りであるが、今もこれは変わっていないでしょう、それどころか被告人よりも加害者の人権を擁護するような報道も目立つのが現実である、安倍元首相暗殺犯が統一教会の被害者であるとの警察のリーク報道をまともに取り上げて大騒ぎしたのも類似の事例であり、被害者の妻の明恵さんに同情するような報道は少なく、加害者の暗殺犯に同情的なムードを作り上げ、加害者への差し入れなどが殺到する事態を招いている、5.15事件報道の教訓が全く活かされていない
  • ジャーナリズムが治安維持の主役を自認しているような振る舞いが目立つ、根底には「推定無罪」の近代法理よりも、勧善懲悪の「報理」を優先して疑わない考えがある
    (コメント)
    勧善懲悪の判断自体が主観的で、そこに新聞社の驕りがある、そして、しばし行き過ぎた報道で法的な責任が確定しない段階で批判一辺倒の報道をして被疑者を社会的に制裁する「加害者」になっているのが新聞・テレビだ、被疑者が検挙されず、また、裁判で無罪となっても悪いイメージは消えない
  • ジャーナリズムには「正義の味方」意識がしばしば過剰に現れる、日本社会の道義的価値観の基準を自分たちが決める、というような思い上がりも時にうかがわれる
    (コメント)
    そのとおりである
  • ジャーナリズムが報道の自由を一方的に振りかざして取材できる時代ではない
    (コメント)
    いまもそれを振りかざしているのが実態である、何をやっても良いとの思い上がりがある、フジテレビの中居問題で長時間の記者会見を強いたのがいい例である

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最後に、本書を読んで、いたるところに著者の左派的な主張がちりばめられているのに気づく、いくつか例を挙げよう

  • 財政赤字も破壊活動防止法の危険な意味もテレビによる映像化は不可能である(p37)
  • 君が代を歌う集会で、沈黙できる自由はどれだけあるだろうか(p85)
  • 経済大国化とともに、ふたたび「普通の覇権大国」への仲間入りをしたいという願望が政財官に生まれ、ジャーナリズムもそれに同調する動きが強まってきた(p126)
  • ジャーナリズムによる皇室ブームが起こり、学校教育への「日の丸」「君が代」の強制的導入とともに、ナショナリズムの舞台装置となった(p127)
  • 個々の韓国人ジャーナリストには、反日ナショナリズムの行き過ぎを心配する声も聞かれるが、ジャーナリズムの姿勢として、世論の反日感情に逆らうことができないというコントのようである、その世論を毎年のように刺激しているのは、植民地時代の歴史を今なお反省しない日本政府閣僚たちの妄言である、従軍慰安婦問題や教科書の書き直しを求めるナショナリズムの動きも見逃せない(p129)
  • 一国のナショナリズムは必ず周辺国のナショナリズムを強める、ナショナリズムは相乗作用によってエスカレートする(p129)
  • 今なお第二次大戦の侵略性を認めようとしない保守派の国家主義は警戒に値する(p130)
  • ジャーナリズムの大勢として「大日本帝国」の膨張主義は否定しきれなかった(p136)
  • 「人類から愛国心を叩きださない限り、平和な世界は来ない」ように私も思う、世界のジャーナリズムは地球市民時代の新しい国益論の再構築を迫られているように思う(p142)
  • 明治以降の女帝禁止が今も生きている、天皇制は性差別のままでありジャーナリズムは女性差別に鈍感だ(p191)

いずれの主張も同意できないが、一つだけコメントしたい、それは「個々の韓国人ジャーナリスト・・」の部分である、韓国とは日韓平和条約を締結して(1965年)過去の問題を清算し、将来に向かって平和的な関係を築く合意をしたにも拘わらず、新聞が教科書問題(1982年)や慰安婦問題で大騒ぎして(1982年)韓国人のナショナリズムを不必要に刺激し、日韓関係を悪化させたが両方とも誤報であった、事実の確認という基本中の基本ができていなかった、政治家云々する前に自分たちの怠慢を猛省すべきではないか

 

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いろいろ勉強になった、新聞がこの本に書いてあることを実践できていたら、今のように凋落することはなかったでしょう、ここに新聞再生のヒントがある

 

著者の「新聞社には多様な意見を読者に提供することでより真実が明らかになる」とする主張には、自分の日ごろの主張も間違えではなかったと、我が意を得た思いがした

新国立劇場で「こうもり」(全3幕)を観劇した、金曜日、開演14時、終演17時20分、途中休憩1回、自席はD席で4階、舞台に向かって少し右側だが舞台は全部見えた、見える範囲では4階の後ろ2列は空席が目立った

 

 

【指 揮】ダニエル・コーエン

【演 出】ハインツ・ツェドニク

【美術・衣裳】オラフ・ツォンベック

【振 付】マリア・ルイーズ・ヤスカ

【照 明】立田雄士

 

 

【ガブリエル・フォン・アイゼンシュタイン】トーマス・ブロンデル

【ロザリンデ】サビーナ・ツヴィラク

【フランク】レヴェント・バキルジ

【オルロフスキー公爵】藤木大地

【アルフレード】伊藤達人

【ファルケ博士】ラファエル・フィンガーロス

【アデーレ】マリア・シャブーニア

【ブリント弁護士】青地英幸

【フロッシュ】ホルスト・ラムネク

【イーダ】今野沙知恵

 

【合 唱】新国立劇場合唱団

【バレエ】東京シティ・バレエ団

【管弦楽】東京交響楽団

 

 

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(演出について)

  • 今回の演出は、ウィーンの名テノール、ハインツ・ツェドニク(1940-)、webサイトの説明では、小粋でエレガント、洒脱な仕掛けがたくさん用意されウィーンの香気あふれる舞台、クリムトの絵から飛び出したようなユーゲントシュティール風の華やかな美術・衣裳とある
  • 彼の演出の「こうもり」は2023年にも新国立劇場で見ていた、その時のブログを読むと2006年に新制作で公演を始め、今まで6回の公演が行われているとのこと、この日は7回目となる
  • 舞台設定は奇抜なところがなく、オーソドックスで好感が持てたのは前回と同じであるが、今回は特に第1幕の舞台で一部の家具や柱などが実際のものではなく、ボードに絵を描いて家具に見せるという歌舞伎のようなやりかたであることが気になった、前回と同じものだろうが、なぜか今回は安っぽく感じた
  • 私の好きな第2幕のオルロフスキー公爵邸での有名なポルカの「雷鳴と電光」の演奏と踊りだが、今回は何だかあまり楽しそうには感じなかった、ここはやはり主人公のアイゼンシュタインやロザリンデ、ファルケ博士たちが我を忘れて先頭に立って踊ってはしゃぐようにしないと何となく盛り上がらないと思った、ツェドニクの演出はバレエ・ダンサーのカップルたちが一番前に出て音楽に合わせて踊るのが強調され過ぎて、上品なものになったせいで奥の方で踊っている歌手たちも楽しそうには見えなかった

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(歌手について)

  • アイゼンシュタインのトーマス・ブロンデルはまあまあだったが、ところどころ低音が出ていないように思えた
  • ロザリンデのサビーナ・ツヴィラクは、先ず、その髪型がおばさんくさく、あまり好感が持てず、化粧も目の周りが真っ黒で眉毛もどでかいものをつけて、同じくあまり好感を持てなかった、いずれも個人的な好みの問題だから人によって感じ方は異なるでしょう、歌は高音で張り上げるようなところは声が出ていたように思うが、中低音の歌の部分はよく聴こえなかったところもあった、高音についても第2幕のチャルダッシュは全体としては素晴らしかったが、最後の雄たけびは全く声が出ていなかった、これはダムラウでも難しいので無理はないでしょうけど、私が愛聴する1986年クライバー指揮、バイエルン歌劇場のライブ演奏のDVDを観なおしたらロザリンデのパメラ・コパーンはしっかりと最後まで声を出していた
  • オルロフスキーの藤木大地のカウンターテナーの歌声は良く響いたが、第2幕の最後に海老反りになって幕が閉まるところが「変な演出だなー」と思った、また、彼は自分が持っているオルロフスキーのイメージには合わなかった、オルロフスキーは尖がった個性のあるカウンターテナーが一番適任だと思うが藤木大地はイケメン過ぎて似合っていないと思った、また一部だけど歌で声が出ていなかったところがあった
  • 良かったと思ったのがアデーレのマリア・シャブーニアだ、美人だし歌声もしっかり出ていたように感じた、このオペレッタではアデーレは準主役であり、各幕とも独唱する箇所がある、いずれもよく聴こえるいい声だと思った、ただ、こんな美人な小間使いではなく、貧しい身分のイメージを出せる歌手の方がふさわしい役だと思う、化粧や衣装・かつらなどで何とかできなかったのだろうか
  • 次によかったのはファルケ博士のラファエル・フィンガーロス、アルフレッドの伊藤達人、フランクのレヴェント・バキルジ、イーダの今野沙知恵と弁護士の青地英幸だ、いずれも良い声を出していた、弁護士の青地のコスチュームは最高であった、イメージにぴったりだ、また、警察署長のフランクの第1幕の衣装がベージュの背広だったが警察署長のイメージに合わないなと思った

ナイフとフォークナイフとフォーク

 

(指揮者と管弦楽について)

  • ダニエル・コーエン指揮による東京交響楽団の演奏は良かったと思った、違和感を覚えたところは全くなかった、ただ、このオペレッタの演奏はそれほど難しくはなく、指揮者や楽団による演奏の差はあまりつかない演目ではないかと思う
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この日の舞台は録画がされていますと開始前にアナウンスがあった、そしてこの日は最終日であり、それぞれの歌手や指揮者、オーケストラは普段に増しても頑張っていたと思う、その結果、全体として一定の水準はあったと思ったが、ところどころ演出や衣装に違和感があり、歌手の歌い方に完全ではないものを感じた、カーテンコール時の拍手にそれが表れていたような気もしたし、ブラボーも少なかった、各歌手が一人ずつ前に出てお辞儀をするときも、いずれも声援や拍手がイマイチ盛り上がらず、指揮者が出てきた時に少し盛り上がった気がした、人には好不調があるので毎回完璧は無理でしょうがもう一段高いところを目指して引き続き頑張ってほしいと思った