「オレのような身体障害者は犬同然に扱われる」
そう感じさせられることが多い。
それはたとえ全く悪気などなく、むしろ好意的に接してくれようとする場合にも平然と起きている。まあ、気づかないのだろうが。
私はそれを「犬扱い」と呼んでいる。しかし私は一人の人間だ。人権も尊厳も持ち合わせている。犬は好きだが、犬同然に扱われるのは御免だ。というか、そんなことがあってよいはずがない。
例えば、ある日突然人がアポ無しで訪ねてきたり、勝手に打ち合わせ日時を設定してしまったりする。
なぜこちらにアポを取らない?事前に予定を打診しない?
また、事前に決まっていた予定が、私に何の連絡もなく延期、もしくはキャンセルされていたりもする。
なぜ予定を変更する前にひと言かけない?
考えられる理由は、身体が不自由なんだからどうせ予定なんかないだろう。四六時中暇を持て余しているに違いない。準備なんかしているはずない。だから問題なんかあるはずない。
…少なからずそのような決めつけをしているはずだ。そして、当然のように多忙であろう健常者の予定だけを調整し、決定事項とする。
これはほとんどの犬の飼い主が自分の都合で散歩に連れ出すのと同じではないか?他の予定を優先して、散歩をドタキャンするのと何が違うのか?犬だって実は朝の爽やかな空気が好きなのに、とか夜は眠いんだけどなぁとか、なんだよ!ぬか喜びさせやがって!なんて思っているかもしれない。
それでもほとんどの飼い主は、ああ、コイツは毎日散歩に行けて幸せな犬だ。俺は優しいご主人様だ、なんて信じていたりする。だが、実際には犬にとっては散歩に行けないよりは行けるだけマシか、程度とは夢にも思わない。
障害者になったというだけで私は私だ。しかし、そうなった途端、私に関係する決め事でも私以外の意思だけで物事が決まったり、延期されたり、潰されるようになった。障害者の意思や都合はないも同然なのか?関わってやってるだけでもありがたいと思え、とでもいうのか?
それでも私は声を上げ、理論的な言葉で常識とされる非常識を正したい。犬と違い、私は言葉を操る「人間」なのだ。
©️2024 Koichiro