【消えたゲイラカイトの“目”】
お正月の子供の遊びというと、カルタ取り、羽子板、双六、福笑い、駒回し、凧揚げ……令和のトレンドはわからないが、昭和の子供だった私たちは確実にこれらで夢中に遊んだ。
中でも私にとって最も思い出深い遊びの一つが、凧揚げだ。
とはいえ、当時の凧といえば竹ひごの骨組みに和紙を貼った四角い凧や、人型の奴凧。これが子供がうまく空に揚げるにはなかなか難しい代物だった。
しかも構造上、何本もの糸を結びつける必要があるものだから、凧が落ちるたびにそれらが絡まる。それをいちいち解くのも面倒だった。
だから、幼い頃の凧揚げは、正直好きではなかった。
ところがある年、画期的な凧が発売された。「ゲイラカイト」だ。
それは三角形の、なぜか血走った大きな“目”がプリントされたスタイリッシュなデザインで、素材もビニールと現代的。しかも凧糸を結びつけるのは1箇所のみ。子供にも扱いやすそう。私はこのカッコいい凧が欲しくてたまらなくなった。
私は早速両親にねだり、デパートに買いに連れて行ってもらった。
憧れの凧は玩具売り場にあった。TVCMで見た空高く舞う姿ではなく畳まれてはいるが、確かに私が欲しいゲイラカイトだ。
よく見ると、色とりどり数種類あるようだ。パッケージに小さく広げた時の絵柄がプリントしてある。私はメインデザインの白いゲイラカイトを選んだ。CMで見て一目惚れしたヤツだ。
次に弟が選び始めた。父や私は、弟に白以外のものを勧めた。同じものでは紛らわしいし、それぞれの個性が出ている方が面白い。弟もそう思っていたのか、素直に黒いゲイラカイトを手に取った。
コウモリを連想させるそれもなかなかカッコよく、私の気持ちは少し揺らいだ。しかし、結果的に二人とも第一印象で気に入った白と黒のマイ・カイトを手に入れたのだった。
帰宅後、元旦まで待てない私たちは、早速開封、組み立てた。確かにCMで見たのと同じだ。否応なしに新年が待ち遠しくなった。
ところが弟の黒い凧は、少し事情が違った。“目”がない。のっぺらぼうなのだ。
よく見ると、凧本体とは別にシールの“目”が付属している。どうやらユーザー自らこれを貼らなければならないらしい。
父が上手く“目”を貼った。まぁ、空に飛ばしてしまえばプリントだろうがシールだろうがまず見分けはつかないし、特に気にすることもないだろう。
しかし、口数が少ない弟からは“これじゃない”感が漂っている。(なぜ兄貴のはプリントなのに、自分のはシールなんだよ!?)とでも言いたげだ。
大人になった今考えると、“目”なんてどうでもよい。いや、むしろない方がカッコいい。しかし、弟は兄貴と同じものでないと気が済まなく、自分だけが損したと感じるのだろう。
ただそこは弟自ら選んだ凧。大っぴらに不満を漏らせば父や兄貴を不快にさせてしまうと思ったのだろう。表面上は特に波風立たせることなくその場は収まった。
翌年元旦。私たちは父に頼み、朝から近くの河原に凧を揚げに連れて行ってもらった。
風の強い日だった。私たちはそれぞれが組み立てたゲイラカイトを空に飛ばす。確かに竹ひごと和紙の凧よりもスムーズに舞い上がり、空高く漂う。とても気持ちよい。初めての楽しい凧揚げだった。
一方、弟は幼いゆえ上手く揚げるのに苦戦していた。そこで父が代わりにチャレンジ。父はこういった昔ながらの遊びは得意なので、あっという間に私の何倍も空高く揚げてしまった。それは高所恐怖症の私にとって、地上から眺めるだけで怖くなるほどだった。
やがて風がさらに強くなったため、私たちは撤収することにした。凧糸を巻き上げ、それぞれ凧を回収する。さほど高く揚げていなかった私の凧は、無事すぐに手元まで降りてきた。
一方、父が揚げていた弟の凧は、高く揚がっていた分、回収に時間がかかっている。それでも慣れた手つきで糸を巻き上げる父の手元にもやがてそれは戻ってきた。
ところが、凧をよく見るとある異変が! なんと“目”がないのだ。どうやら空を飛んでいる間に剥がれてしまったらしい。
父は“目”が剥がれようが凧揚げに影響はない、とばかりに全く気にしていない。しかし弟は明らかにモヤモヤしているようだった。
もともと自分の凧だけ“目”がシールで気に食わなかった上に、自分のせいじゃないのに取れてしまった。しかも誰も謝ったり新しいものを買い直すなど申し出ようとしない。
それ以来、弟は凧揚げをしたがらなくなった。父は兄弟片方だけとは遊ばない。一緒に遊んだりどこかへ連れて行く時はいつも兄弟セットだった。したがって、父や弟と凧揚げをしたのは、結局これが最後になった。
あの時は小学生ゆえ、弟に同情することはなかった。ただ、自分の凧は無事でよかった。従兄弟たちに話す面白いネタを手に入れた。そんなことしか考えなかった。
たまに不意に思い出す幼い頃のワンシーン。果たしてあの時、私はどう振る舞えばよかったのだろう? 自分の白い凧を譲れば弟は納得したのだろうか? 弟はそれを望んだろうか? おそらく違うと思う。
いくつになっても長子と他の兄弟姉妹の間には、お互い理解し難い思いがあり、多分それは一生わかり合えないのだと思う。
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©️2026 Koichiro
















