〜Haereticus〜bc.motoki_life -175ページ目

あと1回かな

最近スキーが楽しくて仕方がないアップアップ

それもきっと、いろんな出会いお陰だろうにひひ

そんなわけで、回数券ラストのKに行ってきました~車

上手くなる為に、毎年毎年シーズン券を考えるも貧乏すぎて断念ショック!


そんな今年の秘策は飛ぶ回数を足で稼ぐ!すなわち休まず動く!!
死ぬまでハイクですドクロ

走るの嫌いなわりに動けたな~
って並んでたからガッツリ休んでるんだけどね汗


今年は、いろんなアドバイスがホントに体に入ってきましたチョキ

アドバイスやってみると、キターーーっアップ

初めて高回転の光が…

ありがとう~まさに天の声音譜音譜


そして、遥か昔に山でやったDスピン頭着から10年ドクロ

即席のダンボールコルセットから10年ドクロ

二度と縦はしないと誓って10年ドクロ

たまに行くKですらしなかった、Kらしい練習をやり出した今年…

やれる自身もないのに、
やってきた練習も後1セッショングー



ワシの二人に影響を受けた軸
踏切を変えた夏
グダグダになった夏
トランポリンとリンクした夏
ネコ神が現れた夏
グラブが持てなくて泣く
でも、気持ちは立つ
為にやってるもののメンタルはカス
どうなる冬

てな感じの数回だったな~キラキラキラキラキラキラキラキラ

中には、無理もしましたガーン

断りもしましたガーン

その断った夏から、
いよいよの祭りが開催され挑戦もしましたガーン


あと一回頑張ろう~グッド!




iPhoneからの投稿

WJ祭り~

最近は、WJの終了も近づいてきたのか、


山を意識したり、思い出を残しにだったり、


それぞれの楽しみかたがありますよねにひひ






そんな中、横の繋がりが広がっている今日この頃音譜




Kの重鎮とも少しづつ絡み始めた楽しい最近のシーズン




そんな重鎮達からは


特になんか属しているわけではないが、


気づけば鷲ローカルという言葉が発生してたあせる






おーーーそんな言葉が発生しているとはまた喜ばしいようなはてなマーク


ってワシはバラバラに流して適当に滑ってるだけなんだけどね~あせる




少しでもダイナの上手さにすがれる様になんても思いつつ


縛りの怖さを感じていたショック!




そんな中、特に誰とでも仲のいい友達N氏が祭りの若頭に抜擢されたビックリマーク




N氏は縦を一度もやったことが無いあせる




バックフリップなんて怖くてやらないと




そんな中のフリップ祭り開幕打ち上げ花火


しかも、フリップはフリップでも


   SWバック




自分もやったことが無かったSWバックガーン




完全ダイナスキルに心がへし折れそうになり始める中




2番でいいよと、些細な優しさ


確実に初縦のN氏にはデカイことだろう




一般の人たちは


このダイナ×ワシという構図をどう思ったのだろうか?




当たり前のように出来るダイナ勢に同じ気持ちを与えるべく言ってみた


「うちらはこれが限界だから、ぜひ祭りらしくSWダブルバックが見たいと・・・」




そこでの返しは


「みなで同じ技をやる!みなで力を合わせ気持ちを一つに」と・・・






う・うまいえっ




返しがうまい(笑)






そんなこんなで、一番ヤバそうだったのはN氏




もちろんN氏がラストドクロ




どんどん飛び僕も無難にできた


そのあとスタートに残されたN氏をアゲる声




絶対逃げれないあの空気




絶対山ならオレ逃げます・・・




お腹痛くなります。。。






結果は??










そう、みなが一つになりました★


終わったあと、N氏がダイナのみんなと握手を交わし


完全に一つになった瞬間でした




なんか、みんなスキーがハンパ無く好きなんだな~アップ




こうしてN氏の2011年WJ思い出エアーが無事終わりましたとさチョキ




                                              チャンチャン











ウェットを大事に衣替え

そろそろ街も、みんなも衣替えを終えてきた時期かな?

そんな中、僕もウェットを衣替えのため春から秋用ウェットを洗いましたグッド!
photo:01


下のオレンジのバケツにウェットが入ってます☆


洗うと長持ちするし、いい匂いアップアップ


洗った後の水は毎回黒いΣ(゚д゚lll)


このサーフィンのウェット用のシャンプーand柔軟剤を使用しますグッド!


そして、風呂でデカイバケツにウェットを入れて1~2プッシュグッド!

だから、何回か使用できますねにひひ
昔、全部使わないといけないと思ってた~あせるあせる

そして、ぬるま湯入れて僕は踏むあし

しっかり洗い流したら、
次に柔軟剤も同じ要領で踏み踏みあし

そしたら、そのまま5分ぐらい浸しますグッド!
これで柔らかくなるみたいですね(^-^)/

僕のセミドライも昔からやってれば、
まだビリビリになることも無かったかもなしょぼん

そして、柔軟剤は洗い流しませんグッド!
そのまま乾かして終わり~☆


使い方は、ボトルにも書いてあるんで、シーズン終わったウェットから洗ってあげよ~う(^O^)/

海水や塩素が入った水で使用したら、
間違いなく悪くなるからね~にひひ
ウェットも安くないから大切に~☆

逃げ道?と生死

「逃げ道」とは


◆その一◆


怒る時、叱る時に必要なものに、「逃げ道」があるかもしれません。

まあ、怒る時に、いちいち逃げ道のことなんて考えないわけですが、
逃げ道がないのは怖いかもしれませんね。



逃げ道がない怒り方をしたら、怒られる方は、
そりゃもう、自分が死んでしまうか、相手を殺してしまうか――そうするしかなくなるかもしれません。

別に、実際に死んだり殺したりしなくても、
内的には、死んだり殺したりするかもしれません。

なんせ、逃げ道がないですから。
それだけ追い込まれてしまうわけです。



でも、最近、そういう救いのないケースが多いような気もします。

容赦ないほど、一斉に攻撃されたり、
容赦ないほど、一斉に攻撃したり、

あっちと、こっちが、一緒に攻め立てたり、

逃げ道そのものがなかったり、逃げ道を作ってくれる人がいなかったり、
そういう傾向があるように思います。


なんか救いがないですね。
(他人(ひと)の事いえませんが――反省)



(誰かがポカンと頭を叩くのはいいかもしれませんが、みんなして叩いてたら大変ですわな。頭が変形したり、過ぎると死んでしまいそうです――まあ、実際に叩くわけじゃないにしても)



まあ、一つには、「怒る役割」の人が不在で、
誰も怒らないから、みんな溜まりに溜まってるんですかね。
いろんなものが。

誰も、「ガツンッ!!」とやらないから、一斉に、「わ~!!」と、力が集中したりするんでしょうか。


人間に内在する、そういう力が、あまり使われていないので、
何か機会があった折には、「わ~!!」と集中して、使われるのかもしれません。

噴火しきれない溶岩が普段から溜まっていて、
行き場を探しているのかもしれませんね。

「きっかけ」を待っているところがあるのかもしれません。


――ということは、
普段から、噴火すべき時には、噴火しておいた方がいいような気もします。

小噴火なら被害は少ないかもしれないけど、
大噴火なら大変なことになってしまいます。

取り返しのつかないような噴火は、やっぱり避けたいですもんね。


でも、まあ、噴火そのものが悪いわけではなくて、
むしろ、人間としては必要で、
ただ、噴火の仕方は考えないといかんようですが…

逆に、噴火そのものを否定してしまうと、人間としての活力が失われてしまうし、
後の大噴火を招きかねません。

火口に蓋をしたら、どっかから爆発しそうですもんね。
あるいは、暴発・大爆発かな。

蓋をしたところで、火山内部の活動が収まったわけではないですから。
(まあ、それを見ないようにしているだけでしょう。当たり前に、あるものはあるし、ないものはないです。蓋があろうと、なかろうと、ですね)

「自然」というものを考えても、噴火するのは、どちらかというと「自然(自然な出来事)」で、
噴火を無理に抑えるのは、「不自然」なのかもしれません。



話を戻すと、
逃げ道のない噴火は危うい、という事でしょうか。

その為にも、普段から――あるいは小さい頃から――
(適度な)噴火の仕方を経験しておくのも、いいかもしれません。

(救いのない噴火は怖いですから――と言いつつ、噴火なんて、なかなかコントロールできないですけど)

別に、噴火をせかすことはないですが、(小さい)噴火が起こりそうな時には、
それと付き合うことにも意味がありそうです。

(まあ、我が子とか、身近な人には、ですね)



はじめ、「怒る」・「叱る」というところから始まって、
「噴火」の話になりましたが、
噴火とは、まあ、感情の爆発みたいなもんでしょうか。

で、怒るや叱るにしろ、感情の爆発にしろ、
逃げ道がないのは、救いがないかもしれませんね。

(ただ、怒るや叱る、感情の爆発、そのものは必要だと思いますが)

(限度を超える怒り方は勘弁して欲しいです)


◆その二◆


「逃げ道」がないのは、恐ろしいです。救いがないかもしれません。


家というものを考えても、そうでしょうか。

逃げ道がないと、それこそ家を出るか、自分を殺してしまうか、相手を殺してしまうか、
――そういう思考になってしまうかもしれません。

実際に行動するかどうかは別にしても、です。

まあ、別に家に限らなくても、どんな集団でも、そうでしょうかね。

「逃げ道」や「息抜きの場」がないのは、怖いです。
危ういですよ。

どうしても、追い詰められてしまうし、心休まらないです。
安らぎがない。

そいでもって、追い込まれると、何をするか分からない。
どうなるか分からない。

自分も、相手も、ですね。



救いのない怒り方、
救いのない状況、
救いのない○○、


そういう意味で、「救い」=「逃げ道」くらいあってもよさそうなもんですね。
(まあ、赦される範囲で)


でも、「追い詰められてこそ変われる」ってこともあるわけで、
この辺は難しいでしょうか。


救いのない状況に陥ることで、救いが見える――ってこともあるかもしれません。
(暗闇でこそ、かすかな光が見えるように)

今まで見えなかったものが見えたり、
やっと方向転換できたり、
やっと決意できたり、
――そういう事は、あるかもしれませんね。

でも、ギリギリだから難しいです。
ギリギリだから、危ういですね。
そういう場面の転換って、ギリギリだったりします、往々にして。



でも、まあ、常時、「救いがない」=「逃げ道がない」、
ってのは勘弁して欲しいもんです。


上でも書きましたが、最近、救いのない事件が多すぎるような気がします。
「救いがない」の一面として、「逃げ道がない(なかった)」というのは、あるかもしれませんね。


罪は罪で消えないし、
特に、犯罪に関するような事に対しては、断固たる態度を執らなければならないのですが、
それとは別に、「逃げ道」ということを考えると、また、考えさせられるものがあるかもしれません。

(重ねて言いますが、罪は罪で消えないし、それで犯罪が赦されるもんでもないですが…)


犯罪のようなものに関していえば、
そのような時の「逃げ道」は、反省の伴なった逃げ道がいいですね。

反省のない、逃避の逃げ道なんて、やめて欲しいです。




一面的になると、救いがなくなったり、逃げ道がなくなったりするのかもしれません。

「アカン!!」ばっかりじゃ、逃げ道がなくて、救いがない。
そして、「まあエエやないの」ばかりでも、成り立たないでしょう。

悪い態度を修正する、そんな道を塞いでしまうかもしれません。
悪い態度の奥にある、メッセージを伝える道を塞いでしまうかもしれません。


一面的だと、方向転換しにくいです。
逃げ道がないです。

危ういですね。
(「アカン」、「まあエエやないの」)どちらにせよ。



何にせよ、逃げ道がないのは、救いがないかもしれませんね。
追い詰められてしまいます。

で、そういうことを避けるのにも、
「二面性」や「相反するもののペア」が助けてくれるんでしょう。

何かに追い詰められたり、
自分で追い詰めたり、

そういう中で、二面性という矛盾が、逃げ道を用意してくれるのかもしれません。

あるいは、自分の否定しているもの(「影」)の中に、
逃げ道や、打開策が、あるのかもしれません。


そういう意味で、一見、価値が低いと思われるようなものの中にも、
「意外といいところ」があるのかもしれませんね。

(こういうところから、「投影の引き戻し」が始まったりします)



逃げ道にしても、いい逃げ道と、そうでない逃げ道、
良い未来につながるものと、そうでないものとがあるでしょうから、

できれば、良い(逃げ)道を歩みたいものです。


◆その三◆


逃げ道がないと、救いがありません。
救いがないと、やりきれなくなるかもしれません。



人生は厳しいです。

厳しいばかりじゃないものの、
その一面は、やっぱり厳しいです。

また、厳しさは必要です。
厳しさが人を育てる一面もあります。

でも、やっぱり、
厳しさばかりじゃ、辛いかもしれません。

救いがないかもしれません。

(ここでも、矛盾する「二面性」があります)



西洋的な厳しさは、ハンパないです。

そりゃもう、容赦ないです。

失敗しようが、なんだろうが、
自業自得が基本でしょう。

夢も大きいですが、その反対も容赦ないです。
そりゃ、もう、怖いくらいです。

で、そういうものの救いとして、聖母マリアに象徴される、
「大いなる赦し(ゆるし)」「無償の赦し」があるのかもしれません。

厳しい判断を下す、父性的な絶対神の補償作用として、
聖母マリアの無償の赦しがあるのかもしれません。



父性の神は言います、

罪は罪である、
したことは消えない、
事実は事実として残る、
罪は裁かれねばならない、


母性としての聖母マリアは言います、

何があっても赦します、
何があっても、あなたは私の子なのです、
いつでも帰ってきなさい、
いつまでも祈っています、



どちらがいい、というのでもありません。
どちらかがいい、というものでもないでしょう。

どちらも必要で、
両者が両者を補うのでしょう。


それは表であり、裏であり、
陰であり、陽であり、

厳しさであり、赦しであり、


そういうところに、希望と救いがあるんだと思います。



片方では足りず、
また、片方は片方として必要で、

互いに補っていく事が大切なんでしょうね。


ここに、ユング心理学の奥義、
相反するものの補償作用があるように思います。


そして、身近にありながら、案外見逃しているようなところにも、
希望や救いがあるのでしょう。


【追記】

聖母マリアの愛には、

何があっても愛し続けるという、
――そういう強さがあるのだと思います。

胸に何本もの剣を刺されようと祈り続けるという、
――そういう強さがあるのだと思います。

故に、人智を超えた、深みがあるのだと思います。

父性の神とはまた違った、強さがそこにあります。
(また、それは人の域を超えています)




これは人の言葉ですが、痛感します。
ニュースも実は身近に、起こりうる現実なのかもしれませんね。



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無敵な胃が…


人は謝ることをして謝ったあと、
それ以上に何をしたらよいのだろう?

確かに傷つけてしまったとか、
悪いことをした奴が悪いと言えば悪い。

しかし、謝った以上に何が出来るだろう。


記憶にない
やっていない

そのように、
訴えている人に対して必要に
ウソを付けといいつづけたら、
後には何が残るだろう?

それが冤罪になるのではないだろうか汗

もう、言われることに疲れて
言われるまま流れた方がラクになるのではと、ほとんどの人が考えるだろう。


または、死んだ方がラクになるのではないだろうか…などと



そして、願いや思いをどうしたら相手に伝えれるだろう?

伝えられないならば、話すことは無くなってしまうのではないだろうか?


問題が分からない。
先生に聞く。
なんで分からないんだ?お前がバカだからだ…

その先に何が残るのだろう。
生徒は、教えて欲しかったに違いない。

バカなんだー
勉強嫌いだ。
先生に話しても意味ないや!っと離れて行くしかない。

人でもそうだ。
見下してる人
怒りやすい人
人見知りの人
友達を増やして欲しい人
カッコよくなって欲しい人…

よりイイ人に、
より楽しくなる為に
そんな気持ちを伝えること自体が、
おせっかいになるという事実。

確かに押し付けがましい。

しかし、伝えて怒られるなら、
伝えることは無くなる。
言う必要もなくなる。

ならば、どうでもいい人になってしまう。

社会人も
地域会も
チームも
夫婦も
友達も
距離が遠くなるんじゃないだろうか?

まぁ、それが今の世の中なのかもしれないけどな~ダウン





そんな事を考えつづけていたら、
胃がキリキリし始めたあせるあせる
病気?
そんなん別にいいや~
ストレス程度だろうけど、
段々歳とるとなんでも良くなる時期もくるのかな?

子供にも、同じようにしたら、
絶対グレるか、命を粗末にすると思う。


好きなスポーツに命を削っている人って、その覚悟があるのかな?











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