12 | ギターと音楽と、そしてBEER! --from 沖縄--

ギターと音楽と、そしてBEER! --from 沖縄--

沖縄発インストゥルメンタルグループ『4edge』ギタリスト、studio SOUNDSGROW森山マサルのMusicLife

こんばんは。
今宵も無事にスタジオ業務も終わり、
最後のお客様との談話も楽しく終了。

そのバンドの子らにも話したんだが、
最近気になる、というよりも、
意識する数字、12。

みなさんは12という数字について何を思い浮かべますか?

人それぞれ、その数字に対する思い入れや思い浮かぶ直感もあり、
そのイメージは多岐にわたる事は想像にするに難くないね。

僕は、
幸運にも音楽に携わっている事もあり、
1オクターブに存在する12音を意識しています。最近ね。

いわゆる、ドからドまでの間を12に分割した音程。
現在の、巷で流れている音楽も、この12平均律という調律が用いられているよね。

ここで調律に関するウンチクを述べるつもりは全くない。
もっと、単純で根本的な、シンプルな話。

現在音楽を生み出す上で、この12平均律が標準として用いられているとするならば、
(とは言ってもそれが全てじゃないですよ!)
単純に、12音の組み合わせでいろんな音楽が生まれてきている事となります。
いわゆる、この12音を駆使して楽曲が生まれているわけです。

とりあえず、
現在のスタンダードとして使われている音は12音というわけです。
乱暴な言い方しているのは重々承知していますが、学術的な話をしたいわけではありません。

ってな部分で想像してみた。

例えば、僕らが日常で使用している日本語で構成される言葉、
基本的に50音ですよね。
濁音とか抜きに。
今しているのは、そんな細々した話ではありません。

その50音の組み合わせと発するタイミングによって、
そして効果を持つ言い回しによって、
会話を初め、意識伝達をしていると考えます。

例えば、素晴らしいスピーチをされる方がいたとして、
それは50音の組み合わせ、リズム、そして言い回しのバランスがちょうど相手の心に響いたという結果なんじゃないかと考える。

そうするとですな、
12音って、はるかに単純に思えませんか?
ってところに、最近妙に惹かれるんです。
ましてや言葉ではなく音。
受け手によってその意図や効果も変化する可能性もある不安定な、
調律の目線から見ても決して正確ではない12音、
それが現状のスタンダードで全世界で使われている組み合わせの最もシンプルな形として、
とても惹かれるわけです。

世の中の音楽には、便利さや理路整然を求め、様々なジャンル分けが存在します。
好みの分別、または伝達手段としてのジャンル分けは便利ですが、
時には考え方を窮屈にしてしまう、たまらなくつまらない代物だと感じてしまう。

その根拠は、
元をシンプルにすると、
そこに存在するのは最大でも12個の音だから。

例えば、
なんでもできるミュージシャンに成りたい人がいるとします。

どうしますか?

あらゆるジャンルを研究し尽くさなきゃ、
もっと指が動くように、
全てのコード進行を理解しなきゃ、
たくさんの言い回しを覚えなきゃ、

などなど、
やらなきゃと思いつく個々の練習は山ほどあります。
それこそ各ジャンルの音楽を理解し、自由に演奏できるようになるには、
世界中の言葉を覚えるのと一緒だ!

と、
考えて途方に暮れる事もあるかも知れない。

でもね、
俺は違うと思う。

とことん単純なところまでシンプルにすると、
どれも12音で構成されている。
その組み合わせによって、ロックやブルースやジャズ、そしてポップスな匂いがするだけだと、
そんな感覚に名称を付けたのが、ジャンルだと、
乱暴だとは知りつつ敢えて考える。

と、すればだよ?

この12音の存在意義というか、あるべき姿を理解すれば、
必要な事を発するリズムを理解できていれば、
ジャンルという垣根もなくなるし、
世界各国の言葉、つまりジャンルごとにフレーズを覚えなきゃっ、
みたいな考えから脱却し、より自由な世界に行けるのではないかと考える。

だって、
その方が楽しいし、俄然やる気出るよねっ(笑)

言葉をないがしろにするつもりは毛頭ない。
そんな事じゃないんだ。

もっと単純に、
やりたい事をイメージした脳みそから具現化する為のスピードを上げるためにも、
現代の音楽を構成しているモノを極力シンプルにすると12音なんじゃねーかと、
そこを理解することで広がる世界観や視点は、何もかも超えるのではないかと、
只今誠意取り組み中なのです。

そこを意識するかしないかで、
練習の質がものすごく変わる。
特に、有る程度経験を積んだ状態ならなおさら。

またしても例えば、、だが、
僕らは生まれてすぐに言葉を使うこと、つまり会話はできなかったはず。
有る程度会話ができるようになり、相手との意思疎通が普通にかわせる状態になったとき、
言葉に対するそれ以上の貪欲な姿勢って今でも持っていますか?
スピーチをするときも、そう。
日常会話で伝わるから、通じているから、これまでできている事でいいや、
で済ませるのはもったいないと感じる。

もちろん、それがその人のスタイルで変えないってのもいい。

でも俺は、それを選択しない。

むしろ必要な状況で必要な、自分がしたい表現を自由に発する為に、繰り返す。
その為の時間が練習だと意識している。

だからその意識なく、
ただ単純にフレーズを覚えても、
速く弾けるようになっても、

その練習は遠回りじゃないかな。決して無駄とは言わないけど。

想像したら楽しいよ。
自由に脳みそのイメージを具現化できたらさ。
しかもそれはジャンルや言語や国境や文化も超えると確信している。
言葉のコミュニケーションに関しては、通訳というプロの方がいるじゃないか。
俺は音で伝える部分に特化したいな。自分のためにも。

また、
今宵も長文になってしまった。

要するに、
何事も根本のシンプルな部分を自分のモノにしないと、
うわべだけ頑張っても結局遠回りっつーこと!
迷ったらまずはシンプルに。