人に報いることができる自分であること。
伝わる「ありがとう」が言える自分であること。
死ぬまでにこれだけはってものが誰にでもあるだろう。
隠している例のアレを処分せずには死ねんとか
一発ヤラずに死ねるかとか
あれを食べてからとかあの国に行ってからとか
ハンター完結まではとか
あの人と一緒になるとか
子供が聖人するまではとか
まあ他所様から見ればギャグだが本人は真剣な
様々な"これをやらずして死ねるか"ってのがあるだろう。
逆に、"これをやるまでは死んでくれるな"
というものがある人もいるはず。
そちらのパターンは切実で急務、
自分以外のコントロールが難しいものが
メインになっているわけで
自分ができる限り全力で進まなければならない。
自分はそちらの方の気持ちも強くあることを
実感する出来事が昨日あった。
それは先方が大きな病気で手術が必要という話しで
それを聞いた時に味わったことのない嫌な気持ちになり
その気持ちを吟味した結果成したいことがあったと気づく。
それは「俺が対等になる前に死ぬな」である。
とても自分勝手な気持ちで、
これはよーするに「親超え」的なものだ。
尊敬する人であり、報いたい人である。
そういう人に何を思うかというと、
自分の場合「越えたい」と思うらしい。
その人が一目を置く成果を出して
人間的に成長し同等になりたいのだ。
評価ではなく、結果を出したい。
相手が100m10秒で走れることに
価値をおいているとしたらそれを成したい。
その結果こちらをどう思うかはわりとどうでもよく、
しかしそれを成した自分になる前にその人に去られるのは
とてもとても嫌な気持ちになる。
エゴイスティックな一面だなあと思う。
同時に、単純に、命と向き合った瞬間でもあった。
こちらはいわゆる「いい話」だ。
まだまだ生きると思っていた人の命が終わるかもしれない。
何も成してない報いることもないままさようならかもしれない。
(そんなこと必要ないってこともわかるが、その感覚があるのだから仕方ない)
そう思うと、自分の日々を省みて、
瞬間瞬間を一生懸命だっただろうか、
全力を尽くしただろうか、
あるいは最高に楽しんだだろうか、
といったベタなことを思う。
そうして大切なことを確認する。
生き方に熱量をもっと、と思う。
言ってしまえば後者が達成されていればよい。
前者は所詮エゴだしそのために後者のスタイルを
生きられていたなら納得できることだ。
そうでない場合に困るのだ。(悔やみきれない)
自分の場合、お世話になった人全てに対して
報いるために2つのことを達成すればいい。
(ここが整理できていることが成長だ)
1.「自分」を追求して生き続けること
2.事業活動を安定して成り立たせられること
そのための生き方として、
モノゴト選択の問いはいつも
1.全力を尽くしたか
2.最高に楽しんだか
の2つだけだと、強く思った2018年の4月5日だった。
p.s.
生前になんとしてもやることは
ひと言で言えば「事業家になる」ことで、
それ以外はどうでもいい。
自分らしさというものは順番として2位でもあるし、
自分らしさを発揮しなければそれは成り立たないであろうから、
という面もある。
ついでに書くと譲らない生き方は
「縁あった人がそれを誇りに思えるほど個性を極めること」
「自分に敬意を持ってくれる人にいい目を見せること」
「最高に楽しいことをすること」
もっともできるようになりたいことは
「時間を捨てて生きて、全ての時間に間に合う生き方」だ。