futoの急性膵炎記録

futoの急性膵炎記録

急性膵炎になり入院。その記録を綴ります。

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入院中、何度か点滴のやり直しがありました。基本女性は血管が細いから次の場所探すの大変みたいなんですが、私もそれにもれず細い上に「くねくねしてるかなっ?」って言われました。あと脂肪…も分厚く巻いてるから看護師さん本当に大変だったと思います。本当に感謝。あれって下から蛍光灯みたいなのあてて血管が透けて見えたらいいのにね!お互いのために(;^_^A

懸命にさがしてくださって、痛いね~ごめんね~なんて励ましてくれてイザ!って点滴落とすと皮膚?に漏れてしまうらしい。看護師さんが「ああ…ダメだ…ごめんなさい…」って本当に申し訳なさそうに謝られるたんびにこちらこそ細細な血管ですみません(ノ_-。)って思います。点滴が濃いからアレかなぁ~なんていいながら2、3人看護師さんが変わって打ってくれるなんて事もありました。でもやっぱり何度も打たれると痛くて痛くて、体が硬直するようになってしまい、終いには手のひらに大量の汗をかくようになり、看護師さんにびっくりされたりしました。メンタル弱いのは知ってる(TωT)汗をかくと冷えて余計血管が収縮してしまうのでお湯を入れたビニール袋と蒸しタオルで腕をくるんで血管を広げてから点滴を打ってもらったりしてました。我ながら手のかかる子…( ̄_ ̄ i)

あと、点滴が空っぽになったりして血が管に逆流みたいになった時、新しい点滴で管の血を押し戻す事があるんですが、あれ…痛いですよね…。そんなも2回ほどありました。やり直しに時間かかったり、無事入っても痛かったりで点滴のピッチを遅めにしてもらいました。基本6時間交換みたいで、ノルマがこなせずにいました(^_^;)

そんなで入院8日目から9日目にかけての深夜、看護師さんが巡回にこられたとき、遅れ気味の点滴ノルマを挽回するべくピッチを少し上げられました。でも暫くしたら痛くて痛くて寝る事が出来ず、ナースコールしました。そしたらまた点滴が漏れてると…。

まだちょっと熱も安定せず、微熱の時もあったりで今の体にはまだ点滴が必要だから必要分を私に入れないとという思いがあったのだと思います。でも…。でもピッチ上げなかったら上手くいってたんじゃないの?!せっかく懸命に打てるとこ探してくれたのに!!…と、初めて看護師さんを疑ってしまいました。

そんな間にも看護師さんが暗い中、懸命に血管を探してくれている姿を見て、申し訳なく情けない気持ちでいっぱいになって涙がでてしまいました。こっそり泣いていたんですが、鼻水が止まらずバレてしまい、「ああ…ごめんね~痛いよね…」とオロオロされる看護師さん。違うんです、申し訳なくて情けなくて…と心が病んでたのか涙が止まらずボロボロ泣いていました。その瞬間バッ!!と出て行かれ、また打つのが上手い看護師さんを探しにいってるのかな~って思っていたら戻って来られて「aibamiさん、このまま点滴外してみて様子見ましょう!先生も様子みましょうっておっしゃったので!」と嬉しそう(に見えた)言ってくれました。前日位から水分の許可が下りてたので「点滴の代わりに水分は十分とって、もし何かあったら直ぐコールしてくださいね!」といって出ていかれました。

結局そのまま点滴は外れることになり、担当医さんからは3分粥まではと思ってたけどね~!ま、このまま行きましょう!と言われました。

本当に周りの方々に恵まれてたなぁっていまだに思います。本当に感謝。そして無事その日の朝から重湯のスタートになりました。

まだちゃんとした病名を知らない3日目位、担当医にいつ退院出来ますかー?って聞いたら最低でも2週間は…と言われ絶望しました。え?!そんなに長い?!Σ(゚д゚;)しかも言い方のニュアンスが2週間では的な感じもする。全ての予定がぶっ飛ぶ…頭真っ白になりました。全て心待ちにしてた予定、中々心の整理がつきませんでした。薬飲んで通院出来ないのかとか、予定当日だけでも途中抜け出せないのかとか頭ん中ぐるぐる。ダメだ、食事どころか経口全てが禁止だし点滴生活だしなで何とか諦め付けて、よし、こうなったら最速最短で退院だ!!と気持ちを切り替えました。最低でも2週間で退院と言う目標を掲げましたがとりあえず寝る寝る。それしか無い(;^_^A
が、入院して1週間後にMRIして、胆石が流れず血液検査結果が芳しく無かったら手術の方向でと言う 突然の担当医からの言葉。し、手術?!

嫌やーー!!

心の中で叫びましたよ…こんなフォントで(;^_^A

とにかく嫌だったので非現実的なんですがイメージしましたよ。この水分たっぷりの点滴が胆石を押し流すのだ…と(笑)途中同じ経験をされた患者さんに「手術したら早いで!!やってまい!!」とか言われつつ(笑)口ではそうですかーとか言いながら「絶対嫌や!!」とイメージを続けました。それしか方法ないから(^▽^;)

そのイメージが功を奏したのか、MRIでは胆石を確認できませんでしたと報告され、胆のうにも石が確認できませんでしたよって言われました。やったー!!

ちなみに初MRIで私は閉所恐怖症気味なのかなと思いました。と、言うか音?が無理…

ヘッドフォンではうっすらとクラッシックが流れているのですが、部屋に流れてたBGMとMRIの音が強烈でクラッシックが消えてた。どこの病院もあんな音なのかな。音の改善の余地ないのかな(;^_^A

しかも20分位…長かった(T▽T;)



入院して2日間位発熱のせいかほとんど寝てたし意識もぼんやりな感じでいました。正式な病名は胆石による重傷性急性膵炎でした。退院してから画像見せてもらいましたが、有り得ない位膵臓腫れてたと言われ、普通は細長いらしいのですがそう言われりゃパンパンに腫れてる感じ…。炎症が腎臓にまでいってたので重傷と付いたらしいです。

3日目からは意識もはっきりして来て、会話も出来るのですが絶飲絶食なのでとにかく口がカラカラ…。喋るのが辛い(ノД`)何度もうがいをしてしのいでいました。あと口の中が気持ち悪かったので看護師さんに歯磨きして良いですか?って聞いたら食事をしないので唾液が出ないから口内環境整えるためにも磨いて下さいね~って言われました。なるほど。何となくミントが刺激的かなぁって勝手に敬遠した(;^_^A
その頃位に看護学校の実習生さんが入って来て、それぞれ患者さんに付いて体温や血圧計ったり。私にもとっても可愛くて優しい女の子が付きました。

入院して初めてちゃんと(?!)看護師さんと関わったのですが、看護師さんって素晴らしいなぁって毎日どころか関わる度に感動してた。ので実習生さんにもその感動をずっと伝えてました。

弱ってたのかどうなのか、やっぱり不安で仕方なかったからなのか看護師さんの言葉で毎度毎度本当に救われたんです。腎臓のダメージのためトイレで小を量って記録していくのですが、「あ!量増えてる~!」ってとっても明るく言ってくれたときマジ?!良くなってる?!って気分が上がりました。それだけなのに本当に嬉しくて嬉しくて。氷枕も何度も何度も変えてもらったのですが嫌な顔まったくされませんでした。そして夜中も何度も巡回されてるんですね…。患者さんの中には不安で仕方ないせいか、何度も何度も同じ事を言って来たり質問したりする人に対しても毎回明るく応対してる看護師さん。その素晴らしい応対に癒されていました。私たち患者の知らないところでは色々あるかも知れないけど、とにかく「今、ここ」の姿勢とかプロ根性と集中力が凄いなって。そんな姿勢をみて私の仕事は早く良くなる事だって思ってとにかく安静にしてとにかく寝てた。絶飲絶食の点滴生活だったから動きまわる気力もなかったけど(;^_^A


点滴は6時間毎に交換され2つぶら下がってました。1つは水分1つは炎症抑える奴とか抗生物質とか。血管が細いからか一回外れたら探すのが大変で看護師さん泣かせだったと思います。それに加えて2日に1度の血液検査。針がとにかく辛かったなぁ。入院するまでは何ともなかったけど、針がちょっとトラウマ気味(T▽T)腕がかなり青タンできました。みんなそんなもんなんかな??

私、顔が嫌そうだったのか針刺す前に看護師さんに毎回「ごめんね~、痛いね~」って言われてました。幼稚園児みたいな気分になりました(笑)

いまの看護師さんって本当に優しいですよね?それとも病院によるのかなぁ…?

先月急性膵炎で入院していました。

こんなのわざわざブログに上げなくても…と思いましたが、入院中や退院後の今も急性膵炎や食事に関して検索し続けている自分に気付き、もしかして自分の体験が誰かの役に立つ…とまではいかなくても「へー」位の情報になるかなと思い、また自身の覚書として記しておこうと思い書き込みします。


入院前日の昼はMドNドでフィレオフィッシュとブラックコーヒーを。そこから職安に行って座った時「ピキ!」といった感じの違和感を覚えました。油っこいし早食いだしで消化悪かったかなーと思いつつちょっと胃が張ってんなー位で過ごしていました。

晩御飯の頃になってもお腹があまり空いてなかったのですが、ご飯と野菜のおかずで軽く済ませました。

その日の夜、お風呂に入ったのですが湯船に長く浸かっても中々体が温まらず多分1時間くらい浸かってやっと湯船から出れるくらいの温まりかたでした。

そして布団に入ったらめまいが。風邪引いたかなと思い、その日の夜はとりあえず寝ました。


朝起き上がると強烈なめまいが。フラフラになりながら白湯を飲みトイレに行き、冷や汗が急激に出て止まりません。これは何となくおかしいと思いつつ、また白湯を飲み布団に戻りました。その直後猛烈な吐き気をもよしましたが吐けず。吐くのが怖かったから我慢もしていましたが…。じっとしていても猛烈な激痛が寄せる波の様に繰り返し起こり吐き気もピークに達し、これはかなりヤバいと思い家族に助けを求めました。この時点で息も切れ切れな感じになっていました。汗は滝の様に流れ、体がドンドン冷え行き胃の辺りを両手で全力で雑巾を絞られている様な感じになりました。

余りの痛みにベランダから飛び降りたい!!!と何度も何度も思いました。痛すぎて同じ姿勢がとれずのたうちまわっていました。

家族が救急車を呼んでくれて、待っている間何回も吐きました。救急隊員が来ても吐き、中々椅子?ストレッチャーっての?に乗れないほどでした。自力で殆ど動けませんでした。

そこからは意識も途切れ途切れで、ただ凄くずっと寒かった。救急隊員の方に汗でビショビショやん!と言われたのは覚えています。


1件目の病院では設備が整ってなかったのでCTだけ撮り、入院する事になる病院へ移されたと後から聞きました。うん、先生が血液検査無しで!!って看護婦さんに叫んでた。何でかなー?って思いつつ聞いてた。

異常に汗をかいたせいか、喉が渇いて渇いて水を欲していました。最初はペットボトルキャップ1杯の水なら良いよって言われて飲んでて暫くして気付くと水は1滴もダメって言われ何で何で??と思っていました。今思えばちゃんと病気が判明したからなんだなーと。それと確かに飲む度、直後吐き気をもよおしていました…。

入院先の病院で改めて造影剤でのCT検査と血液検査を。いつ血を抜かれたか覚えていない…

造影剤が入った瞬間は体の中を一瞬にして暖かい物が廻り、へぇ~!って感じでした。

そこから次は気付けばベッドの上。なんか看護婦さんが色々言っていたけど痛みと疲れで朦朧としていたのでとりあえずナースコールのボタンだけ覚えて目を瞑りました。


これも後から聞いたのですが、結構な数の病院から拒否られ、これがたらい回しかと思ったそうです。そういや昼に発病してベッドに就いたの夜7時?8時?位だった。私に生命力があったのが良かったね(笑)でも家族や周りは心配で心配で仕方ないよね…。

こんなご時世だから本当に健康に気をつけようとつくづく思いました。



中々無い経験だし、もう経験したくないので思い出として描写して行きます。サクッと要点だけ欲しい方にはごめんなさい。長いですが続きます。



はじめまして。aibamiです。

今日からブログ始めますスマイル初心者マーク


いつからブログを書こうかなと思っていたら

1月10日が新月の日キラキラ新月キラキラそれで今日から始めてみました。


新しい年の新月というきっかけでブログを書き始める人も多いんじゃないかなぁと思いつつ、そんな波があるなら乗っかってみたいなとも思ったりサーフィン


アメブロでブログを始めたのは、大好きで尊敬するブロガーさんがいて、そこにコメントしたり「いいね!」を押したかったのできゃはきゃはっ


これから何を書こうかなぁと思ったらワクワクしますね!

公開の独り言とか…なんかサイコーっすきらきら!!ぺこきらきら!!


始めたばっかなのでそんな気持ちなんかなw


では宜しくおねがいします!ぺこり