因縁とは

この世に残った形の無い結果である。

因縁とは明暗で言えば 暗。

因縁とは軽重で言えば重。

因縁とは深浅で言えば深。

因縁とは善悪で言えば悪。

因縁という言葉は、一般的に

そんなイメージを

持っているのではないでしょうか。

何、因縁つけてんだよ、

因縁をふっかける、

とか あまり良い表現で使われる

こともないでしょう。

ですが因縁には

良縁因縁もあります。

良縁因縁を享受されている方々は、

因縁でこうなって成功した

とは言いません。

大抵が、自分の成功した過程や道のり、

己の努力であったり、

己の力であったり、

強運の持ち主、運があるとか

人に恵まれたり、助けられたり、

世襲であったり、

時代の波に乗ったり、

才能と知恵があったり

人徳があったり等々。

成功者はより具体的に話します。

因縁で成功した、

そういう表現は使いません。

これらは全て良縁因縁でもあるわけです。

因縁とは、

成功者にも共通するものです。

成功者にとっては、

実際に体験に寄るところが

大きいので、より具体的に

伝えることが出来ます。

因縁と云うと、あまりにも

成功者視点では、抽象的な

マクロ話しになります。

と同時に冒頭の様な悪い印象が

ある為、好んでは使わないのでしょう。

成功者も、その姿形は、

両親から頂きました。

その両親もまた、先祖から頂いた形です。

この人としての形は先祖代々、

受け継がれたものです。

それに因縁が在るのです。

時流を読む力があるのも、

商売や技術に長けた才能や知恵も、

感覚や感度が高いのも

説得力や営業センスがあるのも、

統率力やリーダーシップがあるのも、

両親や先祖から頂いた賜物なのです。

そういう基礎の上に、

更に本人の努力が加わることで

成功している方も多いのです。


本人の努力+先祖の徳(良縁)


成功の花を咲かせるわけです。


彼は知恵もあるし、行動力もある。

しかし、

何をしても上手くいかない。

精一杯、努力したが形にならない。

才能があっても、裏目に出てしまう。

側から見ていて、あの人が

なんで上手くいかないのか

不思議だと感じる方もいます。

そういった方々は意外と多いのです。

これは、業悪因縁の影響を受けている

場合があります。

いくら本人が才能があって努力しても

自分の望み願う形にならない。


本人の努力−先祖の負(業悪因縁)


先祖の負である業悪因縁が基礎に

あると、なかなか上手くいきません。

業悪因縁の怖さは、

本人が成功や成就すると目指す

対象そのものが、実は負や失敗で

あったりします。

それに気付かずに目指します。

知らずに

わからずに

気付かずに目指すわけです。

本人は成功すると思い努力する。

実は、

業悪因縁へ魅せられて動くわけです。

自分が持っている因縁は

人の姿形に個性があるように、

人それぞれ、異なります。

先祖の生き方、在り方が

それぞれ異なるからです。

その先祖の方々の色々な血が

交じり合って私達は

人として生まれました。

従って因縁もそれぞれ異なります。

業悪因縁は解消することで、

先祖の残した負の遺産を終わらせる

ことになります。

良縁因縁へ繋がっていく

機会を頂けます。

一生懸命、努力しても

努力しても、全く上手くいかない。

だからと言って

全く諦める必要はありません。

それだけの業悪因縁を

持って生まれてきたこと自体が

尊いことだからです。

これは命(魂)が、相当な力がある

証です。

業悪因縁が大きければ

大きいほど、

それを解消すれば、

良縁因縁の力も大きいのです。

解消するまでは

従って、人や物や金や健康で

相当な苦しみや辛さがあります。

だけど、それを持って生まれてきた

命は尊いです。

美しいです。

命とは、愛と心であると

私は感じてます。

愛と心が強くて大きい人程、

抱えてきた業悪因縁も大きいと

感じてます。

とてつもなく、不幸な環境や

状況で生まれた人の中で、

大きな成功する方がいるのも事実です。

業悪因縁に負けずに、

業悪因縁を解消すれば、

良縁因縁に結び付けられます。