サイケデリック -5ページ目

サイケデリック

モノクロかもしれません。

楽しかったよ。
スゲェ楽しかったよ。
TVでこれだけ幸せな気分になれるって
ちょっと前の自分じゃ考えられない。


いーと思うよ。


あーいう感じで
ワイワイしたいなって思うよ。


平均年齢38~9のおじさんたちが
爆笑してるのって
羨ましいなぁ・・・って思う。




いーと思うよ。




復活しねぇーかな。




月11:15。

『ラーメンズ』 は 『お笑い』 じゃない。


あれは 『ユーモア』 だ。


演劇調の喋り方に


当初 とっつきにくさを覚えたが


あれが 良い味 に感じられる。



すごい。



いくつかの ラーメンズのライブは観た。


TUTAYA で借りて。


まだ 一部しか観れてない。


全部観たい。


でも 多いよ。


金ねぇな。


なしえたら BOX で欲しい。


できれば 今 欲しい。



『ラーメンズ』 としてのもさることながら


『小林賢太郎プロデュース』 の方もスゴイ。



『SWEET 7』 で トリコ。


あいつぁーすげぇ。


笑わせた上に 感動させる。


なんだあれ。


最後は 鳥肌が立ったよ。


まいったね。




それから数ヶ月


今日 『good day house』 を観た。


やっぱり 賢太郎氏 独特の


『しつこさ』 がひっかかったケド


3F の種明かし的 結末の アレには


思わず声があがった。



あの人は そーいう 『サプライズ』 を魅せる。



っていうか 最初と最後で


『つながり』 があるものならば


映画であれ 本であれ


大抵 『おおー』 って言っちゃう


ある種の 『方程式』 的な ものはあるケド



それだけに 甘えない


『アイディア』 がある。



王道技法って言っちゃ簡単に聞こえるケド


実際使って 客を納得させる


その他の 『要素』 がスゴイ。



きっと 簡単な言い方しちゃえば


『センス』





フェンス・・・



ごめんなさ・・。





全体的に 『シンプル』 だしね。


ラーメンズって。



そこが 『デザインチック』 に思うよ。



なににしても


ずば抜けて 『オシャレ』



過去の 『広告批評』 での彼等の記事


ものすごく読みたいケド


完売だってね。


流石。



資金的に余裕さえあれば


もっと 観たいよ。


ラーメンズ。




49Ch で さまぁ~ず以外が増えないのは


買えないのと


時間がないからだよ。



いろいろ 好きなもの多いんだけど。


ね。




『おぎやはぎ』 とか


『バナナマン』 の


ライブDVD 観てぇなぁ・・・。



『濱マイク』 のDVD 欲しいなぁ・・・。


つーか いろんな映画


DVD で欲しいなぁ・・・。



欲しいなぁ・・・。



金・・・。











ねぇなぁ・・・












1日で5億稼いでみたい。



【注意】

※恐ろしく拙く 脈絡無く長い文章です。

※読むのならそれなりのテンションで・・・

※つーか読む人いる?

※文章にしたかっただけってのもあるカラいいや。

※読んでくれたなら これ幸い。

※どんな自己表現だよ。







とても 解放 された気分です。


ずっと長いこと迷走してた


『わだかまり』


が スッパーッ と晴れた気分だよ。



今 一番 『スッキリ』 してる。


断言できる。


スッキリ便所。



便秘が治った時みたいな 心地。



自分を曇らせて大雨降らせてたのって


原因いっぱいあるケド


1個は 『好きなモノの対極』


つまりは こいつら▽



内村プロデュース⇔プロジェクトX


高橋歩⇔岡本太郎


NOPLAN⇔PIERROT


マイナスターズ⇔COCCO


さまぁ~ず⇔ラーメンズ


おぎやはぎ⇔スピードワゴン


少年ジャンプ⇔IKKI


カネコアツシ⇔松本大洋


くど監作品⇔濱マイク


ウーピー⇔ジョニーデップ


ディズニー⇔ティムバートン


コメディー映画⇔シリアス映画


無印良品⇔ヴィレッジ


サイケデリック⇔シック

 



これが どこまでも続くかと思わせるような

曇天の旅路で出会った

こよなく愛するのにも関わらず

良きも悪きも対極しあう奴等。



だいーいぶ 苦しんだ。




ケド それは


『どちらも好きでいいじゃない。』


っていう びっくりする位


『普通』


の答えで終着した。




きっと 『モノをつくるコト』 を冒頭に置いてさえいなければ

こんなコトは迷う以前の問題だったと思う。


ケド


モノをつくるコトをベースに考えたとき

『つくるモノ』 (言い方嫌いだケド『作品』)の



『方向性』 を決めなければいけない。



そう思ってたカラ


迷ってた。



一貫性を持たせたい。


自分の 『色』 を固定したい。


と思ってたカラ


困って 迷ってたけど


そーいうんじゃないと思った。


その時に作りたい 『色』 で作ればいーじゃーん?


って素直に思えた。



サイケデリックなのを作った後で

モノクロ作ったっていいじゃない。


コメディー作った後で

シリアス作ったっていいじゃない。


その時 作りたいものを作れば・・・


いいじゃない。



そんな単純なコトに漸く気付いた。


ある種。

完全主義者的な性質が根本にあるカラね・・・。


空間 や 自分自身 までも


『一貫したシリーズ』


として完成させたかったんだと思う。



ケド それは 非常に不愉快。


そして 自由じゃなくなる。


発想を失う。



呼吸が出来なくなって初めて気付いた。



シンプルとカオスの狭間で


うんざりするほど行き来してたよ。



コレが曇天理由の①



②は きっと 世間の捉え方。

そして生き方。



恐ろしい程 焦ってた。


恐ろしい程 シビアに考えすぎてた。



ある種 トラウマ。


あー まいっちゃうよ。



不況の時代に生きるには


安定した仕事を得なきゃとか


小学校の頃に 思ってた (年寄りかよ)



世間を必要以上に厳しく捉えすぎてたと思う。



選挙権を貰える年になって初めて


我に返る様に気付いた。



世間はそんなに厳しくない。



っていうか 


実際 厳しい。


ケド


自分の想像してたボーダーより


はるかにぬるい。



子供つくる気がないんなら


充分フリーターでだって


食ってける。



なんだそりゃ。



ひょうしぬけもいいところ。


逆に世間知らずだったのかもね。


っていうか理想が かたくな過ぎたのかもしれない。



そう・・・それ。



『理想』


それが第③の原因。




良い言い方


自分は 恐ろしい程に 一途。


いや・・・


ひねくれた一途。



ゆがんだ理想がありすぎる。


そして現実の醜態にげんなり。



対極の時もそうだけど



逆のものに憧れて

逆のことをしたくなり

逆の自分を想像する。



っていうか 全部 理想


こーなりたい っていう願望。



それって必要だけど


ありすぎると動けなくなるよ。



もはや意味不明だもの。




例えて言うなら


愉快なフリをしつつ御道化を演じて


面白い人だね


って言われ始めると


急にもう一面の自分を理解して欲しくなる。



実際 どーなってるのか分からないケド



めんどうな些細な事を考えている


誤解を恐れず言えば


ネガティブで深い自分 


それも同時に理解してもらいたくなる。



っていうか理解は不可能だケド


ニオイを感じてほしい。



と願う。



明るくて社交的な自分と


暗くて不可解な自分


これはどっちが本物かはわからないし

どっちを作ったのかもわからない。

それにどっちも偽者かもしれないが


どっちにしろ


2面の自分の理解を求める。



そのアプローチの仕方はこうだ



まずは 初対面の友人には愉快に接する。


そして会話もまわすし笑いもはさむ。



楽しいね。


意味など何も無い会話を楽しげに話す。



ケド



理解してくれそうな人間を察知したら


静かにゆっくりと近づく。


距離をちじめる。



そして2人きりの時間が出来て


空気がその方向へといった時


さぐりを入れるように


それっぽい会話をする。



その食いつき加減で


さらに見極める。




そして 波長があうのを感じ取れたならば


深みのある話を出来るように


全力で近づく。




これが知り合いを超えた


『友達』 のつくりかた。



だけど 知り合いレベルの友達にも


時折 終着ポイントまで求めたくなる。


ケド それは不可能だし


きっと 不愉快。



かくも難解な友達づくり。



なんでこうも複雑になったんだろう。


笑えない。



そして 


知り合いレベルの友達を


かつては ある意味 『否定的』 にとらえてた。



カラオケや

チープな会話や

『暇』 を連呼する 子たちを


完全に否定的に捕らえてた。


っていうか ある種 

蔑みにすら近い感情だったコトもある。


何故にもっと必死にならない?

何故に将来のコトを真剣に考えない?


とね


ふざけたフリをしつつ

真剣に熱かった自分は


まったくもって

知人レベルの友人を卑下して思ってた。


親友は

それを割り切って完全に『卑下』として捕らえられてたけど


自分は

あくまでも『他人は他人』として捕らえてた


だから割り切れてなかったケド



漸く割り切れた。


それは切り捨ての割り切りじゃなくて


違う終着。



そういう子も 『アリ』 だと言う

完全な割り切り。


否定ではなく

存在を『アリ』だとした。


否定するのならば そこには 『嫌悪』 が伴う。

しかし

『アリ』と理解した場合 そこに 『嫌悪感』 はない。


それが違い。



カラオケや

チープな会話や

『暇』 を連呼する 子たち


に嘗ては 嫌悪すら感じていたが

今はソレが無い。


何故なら 

思うに 初めから


そういった子たちを否定する気はなかった。


と いうか 『他人は他人』 の意思は やはり

自分の中で限りなく核心的な言葉だったといえる。



しかし 何故 その 他人は他人の意思が崩壊して

嫌悪や蔑みに変わるほどの憎悪を生んだのかと言うと


きっと 『同じ友達』 がいなかったからだと思う。



変な言い方ライバル(ライバルって単語も好きじゃないケド)


刺激しあえる友人。


親友はそれに相当する


と・・・いうより むしろそれすら超えた奴だ。



だが 学校で深みを探れる程の 友人を

見つけられなかった。


それがこのイライラの原因だと思った。



他人を強制する気は毛頭無い。

他人に干渉して強制的にベクトルを変えるのは

お門違いだと自分は思う。


だが


あまりにも普通の中に身を沈めると

危機感を覚える。



学校生活での友人を10とすると

10の中の1だけでも


『熱い』 子がいれば

他の9の普通の子とも

それこそ楽しくやっていける。


けれど

モグラって実在するもの?

とか言い出す子や

「一番いっぱいテレビに出てた人に投票した」

とか言うトンチンカンな子や

家帰っても暇だからねぇ・・・

とか言って講義を受けている


10の中の10がそんなの子だと

どうにもこうにも精神のバランスがおかしくなる。



それが今の大学生活。


高校の頃は

美術部の連中が その貴重な『1』の存在だった。

限りなくディープな不思議なニオイを放つ連中だった。


だから ほかの『9』の子とも

ある意味楽しく会話したり出来た。



強烈なニオイは察知できるものだ。


それを高校の頃には3人に感じた。



でも 今は身近な友達にはそれを感じない。

知らない人では 学内には存在するのかもしれないが

今現在 見つけ出せていない。


贅沢かしら?

ハハッ。



まぁ そーいう考えで

身近に 『強烈な奴』 がいないってのが

卑下の原因だと思ったのだけど


それ以前に


根本的に


熱く生きること自体が 

それほど 偉いってワケじゃないってのは勿論ある。


逆に言えば

のんびりなんとなく生きてる人が悪いわけじゃないってこと。



素晴らしいか素晴らしくないか

良いか悪いか


なんて全て 『価値観』 の違いなんだから


他人がその人を強制しちゃならん。



ただ思うのは

それに満足しているかしていないか


その生活

その生き方に

その人が 『満足』 しているのなら


それは 否定するべきではないと思う。


そして


その生活

その生き方を

その人が 『楽しい』 と思えるのなら


それは 充分に素晴らしいと思う。



それを漸く 机上で理解したフリをするんじゃなくて

体感的に 受け入れられた。



きっと自分にしか分からない言い方だケド


内P と プロジェクトX の 

両方を一気に受け入れられた気分。



っていうか その2つでの共通点を

見出せたと言った方がいいのだろうか。



内P は 楽しさ をマジで追求してて

ゆるい中にも 熱を感じる。


プロジェクトX は 喜び を追求してて

厳しい中の 熱を感じる。



人生をどっちかの路線で行くかを

無理に決めようとしてたから

面倒なことになってたんだと思う。



時折路線変更するのだって

全然ありじゃん。


そう思えた。



つーか やるときゃやる

それが一番いいんじゃないかと思った。



ずっとプロジェクトXみたいに

キツイ熱さを持つのは苦しいし


ずっと内Pみたいに

楽しさを追求し続けても

出来ないものがでてくる。



時折レバーを引けばいいんじゃない?

そんくらいのテンションでいいんじゃない?


みたいな気楽さを受け入れようと思った。



つまりは


『楽しむ』


今まであまりにも一生懸命すぎた。

理想がありすぎた。

一途にこだわりすぎていた。

めんどうに考えすぎていた。

きっと本をだせる位 余計な事を考えていた。


でも その結果


全然楽しくない日々が続いた。


将来をみすえすぎて

手前が真っ暗

っていうか本当に楽しくない。



人間の根本は 楽しむ事だと

今は そう言える。



苦しいことをしている人だって

その先に楽しいことがあるからやっているんだと思う。


そうじゃなきゃ到底出来ない。



自分の場合

その楽しい事があまりに遠すぎて

あまりに高すぎて


ネズミ返しの鍋底で迷走。

真っ暗な空ばっかり見上げすぎて

足元が意外に明るい事に気付いてなかったようだ。



そこに気付いたとき


今まで嫌悪すら感じていたコトに

それを感じなくなるようになった。



相変わらず理想はある。

ぬぐいきれないものだカラ

それは致し方ない。


ケド


だいぶ 楽になった。




親友の名言


『服着すぎ』


大爆笑な程に命中だよ。




がんじがらめな理想に

手足がもぎとられてたよ。



やっと薄着になれた。

(ってことはまだ着てる)


裸にはきっとなれないケド

動ける程度の

理想と見栄を着て

今は かなりスッキリした気分。



狭い空間でしか生きられなかったのかな。

正直 やっぱり もう少し熱い友人が欲しい。


でも 自分には


奥浦未夏 と めぐに


という最強の親友がいるから大丈夫。



それに


いま この瞬間を楽しむ コトに若干目覚めたカラ

きっともう息苦しくない。


一途に熱くなりすぎると

どうしてもまわりのぬるさに苛立ちすら覚えるが


なんかバカみたいに騒ぐのもいいなって思えて

すごく楽になった。



バカ騒ぎのフリはしてたケド

それを本気で楽しんでもいいと思った。



っていうか


『将来の為』 にうんざりする程 『頑張ってきた』


ケド それを辞めて


『今』 を 『楽しむ』 ことしにした。



シフトチェンジ。



いや・・・・それもケースバイケース。


将来の為に頑張らなきゃならない事があったとしても

それを 『楽しめる』 かどうかを見極められるようになりたい。



楽しもうよー

つーか楽しくいこうよー



って思った。


いいよ 時折沈んでも

不意に深みにはまりそうなコト考えても


でも それを一貫して持ち続けるのはやめよう。



ベースは楽しくいこう。





『人生は楽しむべきだ』


と


『決断はケースバイケース』



この2つが今の自分の断言できる言葉。





きっと絶対また迷うし沈むコトがあると思うケド

今 とりあえず 長く続いた曇天を

吹き飛ばすことが出来ました。


それには 上の様な事柄や

その他 言い切れない事象が存在するけれども


晴天の最大の要因を担うのは


やはり他でもなく



スーパーストライク の 『奥浦 未夏』


と


ウルトラ変化球 の 『めぐに』



この2人の最強の親友の存在だと思う。



この2人の親友と 


そして 『1つの映画』 と 『1人の馬鹿な女』 の

偶然のタイミングの遭遇に



心から感謝したいと思います。


本当にありがとうございました。

親友が


「大変な選択を迫られているんだ!! 」


と 鬼気迫る声で電話をかけてきた。




―大変な選択 !?




明日までに決断しなければいけない就職の決断か!?



はたまた とんでもないミスをしてしまい


指を詰めるか 身を売るかの


選択を迫られたとでも言うのか!?



いや・・・奴のことだ


前々から追いかけていた男に


かぐや姫なみの難問をなげかけられたのかもしれない。





一瞬のうちに いろいろな想像が


頭をよぎる中




彼女は言った。



「ライトセーバー と インテリライト どっちがいいと思う?」






!?





何??





どうやら 卒業パーティー(?)で

ダースベーダーの格好をしなければならなくなって

その小道具に

どうしても 『ヴォーン』 ってやつがいるらしくって


本物仕様の3000円くらいの方と

偽者インテリ雑貨の1900円くらいの


どっちを買ったらいいだろうか!




と いう相談の電話だった。





・・・・・




心中爆笑。




あまりに受話器の向こうの声が切迫していたから


一瞬


本当に緊張したよ。






そんな あなたが大好きです。



なにもしないコトを受け入れよう。


そう思った。



ヱの一枚も描いてないし


意識的に意味ある事は何一つしてないし


心から楽しむ事もしてないし


腹の底から我慢する事もしてない。




何も生産せずに


ただ貪るように消費を続けて


社会的に完全に害にしかなりえない生活。



それがおそらく普通の子の生活。



なんにもしてません。


教養のカケラもない映画を眺めて。


爆笑しているテレビを覗いて。


新聞を破り捨てて


ダンボールに洋服を押し込めました。



なにもしてません。



あんまり面倒なコトを考えるのをやめようと思った。


ずっと思ってたけど出来ないけど


思い続けていつかシンプルに近づければいいと思う。



難解になりすぎた。



親友に


『服着すぎ』


って言われた。



まったくだ。



お前はナイスピンポイント。


理想がありすぎるのだよ。


イメージが分散しすぎているのだよ。


だから嫌悪と謎が生まれるんだよ。



お前はナイスピンポイント。



友人のチープな会話の意図をさぐるのも


バーンアウトの糸をたぐるのも


デザイナーの環境破壊について悩むのも

世界の悲劇を嘆くのも


人は何故生きて


何の為に生きて


その存在価値を考えるのも



それを改善したいとかじゃなくて


理由がしりたいだけなんだ。


世界を救いたいだなんて


そんなヒーローな戯言は思ってない。


漠然とした考え。



どーしてこーなっちゃってんだろう・・・


位の疑問。



そして そこから生まれる


嫌悪とか


うっとおしさとか


憤り



そいつらも


結局は意味がない事を知っていたけど

面と向かって

やめろと言ってくれてありがとう。




そーいう負のスパイラルみたいな会話を


中途で裁断した


まさに 『あのタイミング』 は


気持ち良い程にナイスタイミング。



言いたいだけなの。


きっと。


答えがでないし


自分が何をできるわけでもなく


したいわけでもないことは


知ってるから。



言いたいだけなの。


きっと。



あまりにも


殻にこもりすぎて


そーいう会話すらする場を失っていたから


っていうか


そーいう会話ができる人が


皆無だったから。



『今日カラオケ行くのv』


ってジャンルの友達ばっかで



根源的な


しゃにかまえた会話が出来そうな人が


皆無だったから。



そーいうコト


話たかったんだ。



自己確認。



カテゴリーの違う子ばっか。


同じニオイのする子がいないの。



それは平気って言ってたけど。


案外しんどいね。






お前がいてくれて良かったよ。


壊滅しないですんだ。




あぁ・・・


ビンのラムネが飲みたい。

当初 ブログのスタイルを

日記みたいにはしたくないな・・・


と ぼんやり思ってたけど。



思ったより書けない日が多すぎるカラ

日記ともいえないような 戯言を

できれば

ちょろちょろ書けたらいいな。


と ぼんやり思って


今年最後の暦からスタート。



読むに耐えない内容だから

読むに耐えない人は

読まない方が

安らか。



っていうか 

日常の垂れ流しは

どこまでが

ボーダーラインなんですか?


なんて誰に聞いてるの。


掃溜めみたいな

ネットの中で

結構

みんな

自由に

暴露。


逐一。

宣言。


逐一。

露出。


逐一。

報告。



必要?



・・・・必要なのかもね。

わっかんないけど。


自分の日常 食み出させるのは

どうかと思って

ずっと

自分にしか解らない


『言い回し』


を愛してきたケド。



自分自身

友人 知人の


『食み出した感情』


を知りたいって思うカラ

垂れ流してもいい部分は

垂れ流してみようかと思った。



個人名あげちゃうケドさ

奥浦の日記は 『痛快』 だから。


羨ましい。


と 思った。



そして 彼女は 『自由』 だから。


羨ましい。


と いっつも言ってるし思ってる。




なんにもしなくても くだらない

んだから

なにかして くだらなく

なろうと思った。



何か物事を始めるときに

無意識に作る

『ルール』

が

いつのまにか

巨大化。


膨張して

それに身動きとれなくなってるよ。



あーあ。

冬だ。



脈絡まったく無い。

こんな書き方で

しばらく

遊んでみようと思います。



『戯言』コーナーで。

『アントワーズ・プレジウソ』


は1957年 


ジュネーブに生まれた 『時計職人』



スイスで権威ある時計学校を主席で卒業。



ジュネーブクオリティを満たす


基本に忠実な作りでありながら


その独創性に溢れたデザインを持つ男。



そんな職人が作ったのが


『Hours of Love』 (アワーズ・オブ・ラブ)


プレジウソの代表作。



腕時計なのだけれども


文字盤の裏に男女のオートマトン(からくり人形)


が備え付けられていて


リュウズを巻くと


『SEX』


をはじめる。




まさに


『エロティックなオートマトン』




クラシカルな外観とは裏腹な


その悪戯気溢れる細工が愉快。



ちなみにリュウズを早く巻けば


男性の腰も速く動く


思わず笑いを誘う愉快な腕時計。




種類は



背景に車と建物が描かれた

『 After Hour 』 (アフター・アワー)


船上を背景にした

『 Boat 』 (ボート)


プールサイドの男女を描いた

『 Pool 』 (プール)



などがある。




こういう 『遊び心』 って素敵だと思う。


『人生を楽しもう』


なんて あたりまえの言葉。



でも意識して考えてみたら


どうだろう?



楽しんでた?自分。


んー楽しんでなかった。



『若年寄』


ずっと先の将来の事を考えて


『将来的』 に 『役に立つこと』 を考えてばっかりで


『メリットデメリット』 の損得勘定。



それが 『賢い生き方』 だと思ってた。


―小学校。



勉強して大学入って就職しないと


生きていけないと思いこんでた


―中学校。



ある意味 『恐怖観念』



『社会は甘くない』 なんて暗示に近い危機意識。



その恐怖感を抱きながらも


固定観念が壊れた。


―高校。



みんな同じ制服で


流行の髪型して


顔と名前が一致しない。


言い知れない違和感を感じた。



必死こいて勉強して


点取り合戦に夢中。




その先に何があるって?




平凡な暮らしを夢見てた幼少期から一転


親友との腹のカチ割り合いのお陰もあり


その夢は夢でなくなった。




カテゴリー 『美術』 で食っていきたいと思った。




でも そう決めたときから


今度は それに縛られた。


『恐怖観念』 の再来。


いらっしゃいませー



どんな仕事があるのかすら想像出来ないから


生きていける?


と不安。


人よりも出来る人にならなければと


『焦』



そして数年。


山アリ谷アリ


谷谷谷


今年の春は 相当キてた。



勝手に追い詰められて


勝手に焦って



将来に繋がる事しなきゃ と


勝手に追い詰められて


勝手に焦って



まわりの 『おともだち』 は


驚くほど 『のんびり』



大丈夫?



刺激の無い毎日にイライラ。



このままじゃマズイ。



焦りに焦って意味無く袋小路。



あーあ。





紆余曲折しながら夏を越えた。





そして 夏が終わった時 これを思った。


『なんで生きてるの?』


その答えは単純だった。


『楽しいことをしたいからだよ。』



シンプル。



今まで掘り下げて言えば


『楽しい将来』 を夢見て


『苦しい現実』 ばかりを生きていた。


(※大きな意識的な問題)

(※勿論 生活の合間合間には楽しいことをしてきた)



つまりは


『蟻とキリギリス』 をモロに飲み込んだ人生。



『今』 をチープな楽しさで浮かれている子を見ると


不安になってたから



『何かしなくては』


と足掻いていた。




そのお陰で 出来る様になった事も多い。


けれど


そのせいで 蓄積した疲労も大きい。




今でも 『頑張ること』 は大切だと思ってる。


だけど そのせいで あまりにも


『今』 が犠牲になることはどうだろうと思った。



きっと 今 死んだら後悔する。



現代流行言葉で言えば


『ストレス』 『鬱』


そんな類に近い日常は


その先に 『楽しいこと』 があったとしても


素晴らしいといえる?




今 いろんな事で迷ってる。


だからこそ


『楽しいこと』 をしようと思った。



実体験で実証済みな事


それは


楽しくなければ身にならない。





まだ たった20回しか冬を越してないんだから


焦らないで生きてみようと思った。

映画の字幕を観てふと気付いた。


『句点』 【 。】
『読点』 【 、】


が無い。



無いと言ったら御幣になるけれど


『ほぼ』 無い。





私は 『読点』 【 、】 が嫌い。


文章が中断される感じが嫌だし


何より 文章が汚く見える。


折角の日本語の美しい配列が乱される感じがする。




【 、】 を付ける位ならば

【 】 とスペースを開けたい。




でも 意外にポスターやCMのコピーに


【 、】 は多い。


何となくだと違和感は無いけれど


やっぱり意識を止めるとモヤモヤする。




だから 映画の字幕で 【 、】 が無いのに気付いて


『素晴らしい』


と思った。






それに 『映画字幕』 は一文が短い。


翻訳家の 『語彙』 の多さに只々感服。


でも 肌に合う翻訳と


そうでない翻訳がある。


言葉の言い回しは 本当に難しいと思う。






それと もう1つ。


『吹き替え』 が気持ち悪い理由は


簡単に考えれば 『声のミスマッチ』 だけれど


もう少し突っ込んで考えた時 気付いたのが




『クサイ台詞』 だった。




日本語だけかは知らないけれど


『クサイ台詞』 を声に出して


『喋る』 と鳥肌が立つ (※悪い意味で)




だけど 不思議と


『クサイ台詞』 を文字にして


『文章』 で読むと 胸に染み入る。




ここに 『喋り』 と 『黙読』 の壁を感じた。


実際の映画の人間は 『喋っている』 のに


字幕を 『黙読』 して


まるで 画像付きの 『読書』 さながら。





他の人は違うかもしれないけど


『邦画』 に違和感を感じるのは


そのせいかもしれない。


と 思った。




一度邦画の台詞を 『外国語』 にして


『字幕』 で 『邦画』 を観て見たい。


監督はきっと怒るだろうけどね。


特別版を観た。


普通のを忘れたから違に気付かなかったケド


きっとカットされてない処がいっぱいあったんだろうね。



思うところは やっぱり


大人なのに子供な 『レオン』 と


子供なのに大人な 『マチルダ』 の関係。



特にマチルダが振る レオンへの質疑応答が


12歳のそれとは思えない 『やりとり』



『NO』 と言う彼に 『YES』 と言わせる。



あのやりとりは絶品。


変に知的ぶってる会話も好きだけど


真に迫った気持ちの会話は逆に


飾った言葉よりもずっと自然に知的。



『知的』 というより 『機転』 って言葉が合うかも。



兎に角 2人の会話が展開を面白くさせてる。



それに細かい雰囲気作り。


レオンって男を


マチルダ って子を


どんな人間なのかを伝える手段が巧妙。



それは随所にちりばめられているから


本当に自然にスッと入ってくる設定。


理論めいてない。


さりげない仕草。





そして あのラスト。


木々の隙間から上空へ引いていって


エンドロールに滑り込む瞬間。


こみ上げるものがある。





2階からビデオデッキを借りてきてまで


観たかいがあったと思った。