【うつ病で苦しんでいる方々へ】三味線野郎壱号のうつの遍歴と対処が参考になれば | 三味線野郎壱号(旧姓:I・bot)のブログ

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2009年欝の療養中に元嫁大阪府堺市在住TはSN子君に自宅を追い出されて、2010年3月に離婚して右往曲折の末2012年実家の堺市に戻ってまいりました。
ただいま、若くて元気な花嫁を募集中です。姉二人に妹、それに個性のきつい母親と仲良くできるか勝てる方に限ります。

今年もあと僅かです。
今年も薬が手放せない状態で年を越すことになりました。
ここの日記はうつ病の方が結構見てくださっているので、年末に際して一言メッセージを発信したいと思います。

そもそも私がうつ病を発症したきっかけは、今から12年前に仕事で赴任した埼玉工場から大阪本社に戻ってきてすぐに右手を怪我し、復帰してからになります。
何をやってもうまくいかず、叱られてばかりの上に当時の部長と意見が合わずにいたことがきっかけでした。
そのうち部内で班を変えられ、製作班から組立から発送までやる班に移りました。
そこでも思い通りの仕事ができすに周りに迷惑をかけ、部長には散々怒鳴られしかもほぼ毎日徹夜の仕事内容でした。
元々、父親の職場に中途採用で就職しましたから退社なんて選択肢は無い上に所帯を持ったばかりでしたから家で仕事の愚痴を言うこともできない毎日でした。
やがて、自分を責めるようになり、何かあると謝ってばかりの自分がいました。
そんな自分が嫌になり、退社することを決意したある日、今の製造部部長、当時は品質保証部課長に声をかけられ、品質保証部に異動になりました。
ここではうつの発症もほとんどなく順調に生活ができていましたが、品証部課長が製造部部長になられて新しくこられた品証部部長がきてからうつがひどくなっていきました。
この頃は息子が生まれ、仕事を頑張らねばと張り切っていましたが、嫁の意見を尊重しすぎて自分の今までのやり方や兄弟との摩擦の解消なんかに気を使ってクタクタの状態だったところに、無神経の部長だったため、平社員の私に何かと責任を取らされる上に同僚ともウマが合わない状況が続き、ストレス解消に大食いが始まりました。
やがて自暴自棄になり、ある日大量服薬しました。
そう、自殺です。
当然、未遂で終わりましたが精神科に強制入院させられました。
正直、楽になったとこの時は思いました。
何もかもから逃げることができたと思いました。
ただ、ここからが本当の始まりでした。
会社が原因を最初はそう思っていたので、会社は長期休暇を取りました。
その間に、うつに聞くと言われることは大体やりましたが一向に良くならず、これも自分が悪いんだと自分を攻め、二度目の自殺未遂をしました。
この頃から嫁の態度が険悪になり、非協力的になりました。
やがて私は病気を理由に家を追い出され、実家に戻りました。
荷物を取りに行くときも、あらかじめ連絡をして嫁が家にいないときに来るように言われその通りにしていました。
息子にも会えません。
そのあいだにも2回自殺未遂をしています。
やがて離婚調停の手紙が裁判所から来ました。
それが届いた時はものすごくショックでした。
この時も自殺未遂を起こしました。
そして話し合いの末に離婚。
所帯を持っているあいだに出来た借金から何から負債は全て私が引き受けました。
そのせいで収入はすべて借金返済に消えました。
ですから養育費が払えなくなり、その事を告げると話し合いで決めていた息子との面会を拒否されるようになりました。
現在も会わせてもらえませんし、養育費も払えません。
やがて自己破産。
持っていたもの、全てを失いました。
正直ショックでした。
ここまで落ちぶれたのかと思いました。
もうだめだと思いましたが、今度は自殺しようとは思いませんでした。
なぜなら、両親並びに兄弟たちが私を支えてくれたからです。
友人も助けてくれました。
会社も復帰をしたものの、休んでばかりだった私を解雇せずに見守ってくれました。
ただ、会社は組織ですから処罰しないわけにいきませんので、今は契約社員という立場です。
働く場所もストレス一杯の品質保証部から製造部に戻り、良くしてくださった元品証部課長、現製造部部長の下で働くことになりました。
おかげで、自分から口に出さないと赤の他人さんにはわからないくらいにまで復帰することができました。
ただ、まだ世間の雑音が気になるので、出かけるときはノイズキャンセラー機能付きヘッドフォンが手放せません。
それもごく近くなら必要なくなるくらいになりました。

うつで入院したのが2008年12月。
それから4年がたって、やっとここまできました。
でも完治にはまだ道半ばです。
薬のせいで無事にすごせているということもありますが、
私の場合はやはり人に恵まれていたことが要因だと思います。
精神科の先生は自殺未遂をするたんびに真剣に怒ります。
母親は私のやりたいようにさせてくれ、父親はそれに協力してくれます。
兄弟たちは口は悪いですが、異口同音に気にしてくれます。
会社もこんな私を雇い続けてくれました。
本当に頭が下がります。

”うつは心の風邪”なんていう方がいますが、私は重症の一歩手前まで行きました。
この言葉に”風邪は万病の元”をつけておきます。

うつで苦しんでいらっしゃる方へ。
決して一人ではありませんよ。
苦しい時、必ず誰かが助けてくれます。
それを信じて治療に専念してください。
現に私はそれを体感しました。
みなさんにもあるはずです。
決して自殺なんか実行しないでください。
楽になんかなりません。
周りが悲しむだけです。
両親がいるでしょ?
兄弟がいるでしょ?
お子さんがいるでしょ?
友人がいるでしょ?
親戚がいるでしょ?
お知り合いがいるでしょ?
それらの方々の笑顔が一番の処方箋です。
そのために自分に何ができるか考えてください。
必ず良い結果が生まれると思います。
いつまでも雨の日はありません。
いつまでも日照りの日もありません。
気持ちのいいさわやかな日もあります。
そんな日が一日でも早くくることをお祈りいたします。


乱筆ですいません。
それでは、今年はより良い年になりますように。
2013.1.1
三味線野郎壱号こと、石飛征人