パチドール屋を訪れてから一年以上後、まったくの別件であの工房兼店の…つまりは恩田社長の会社の近くを車で通りかかる機会があった。

運転していたのは同業の編集者&雑文業のJ…そして行きつけの店の女の子二人である。

Jとは恩田社長を通じて知り合った仕事&遊び仲間であり、その夜は女の子達の店が終わったあと…ぶっちゃけアフターと言うヤツで食事に出かけたのだ。

…目黒駅の裏あたり…恩田さんの会社の近くに美味い店を見つけたんですよ…

確かその夜のドライブはJのそんな言葉で始まったはずだ。

自慢じゃないが僕は相当の方向音痴だしJもかなりのモンである。

それ故…と、言うべきが当然と言うべきか僕達はたちまち道に迷った。
…銀座を出るとき泣きだしそうだった空は白金辺りでついに我慢出来なくなり、フロントガラスに大粒の雨粒が当たりはじめる。

今いるところすら怪しくなったJに僕は取り敢えず位置関係が判る場所…つまり恩田社長の会社まで行ってみることを提案した。

…いや~、ボクも一瞬それを考えたんですがね…あそこって夜行くと恐いじゃないですか?

バカ! なに子供みたいなこと言ってるんだよ!

Jが夜行くと恐い…と言ったのは勿論あのパチドール屋の駐車場に捨てられた人形の面(おもて)の話である。

社長の会社は狭い私道…しかも行き止まり…の途中にあり、車がUターンするにはどうしてもあの駐車場に頭を突っ込まなければならかったのだ。

ナニナニ? 何の話し?

この近くにナンかあるの?

二人の話を聞いた女の子達がたずねる。

僕はパチドール屋とその駐車場に捨ててある面(おもて)の話をした。

それ見たい! あたし恐いのスキ!

エ~ツ!? やめようよ…恐いの嫌い! お人形苦手~!

二人の反応は正反対だったが結局僕達は行ってみることにした。

恐いもの見たさ…見せたさ(?)てのも在ったが目的の店のラストオーダーの時間が迫っていたのだ。

いつもの道順では無かったので多少手間取りはしたがJは五分ばかりで恩田社長の会社へ…つまりはパチドール屋へと続く路地に入った。

その頃には雨足はかなり強くなっており路地の入り口脇に立てられた…『この先私有地行き止まり』の看板が無かったら確実に道を間違えていたろう。

道幅はまさにギリギリ一車線の小道である。
右手に恩田社長の会社そして正面にパチドール屋の駐車場…

雨に濡れた砂利をタイヤが踏む音が車内にも聞こえる…。

そのとき四人全員が声にならない…なんとも形容し難い呻きをもらした。

前方…雨に濡れて黒く光っている砂利の上に『ソレ』が在ったのだ。



『ソレ』…人形の面は僕の…そしておそらくはJの予想とも異なる姿をしていた。

捨てられた面は瞳の無い…つまりは黒目の入っていない状態のはずだった。

だが青白いヘッドライトの光芒に浮かび上がったそれには明らかに黒目が…文字通りガラスのドールアイが光っていたのだ。

玉砂利の上…降りしきる雨に濡れなから面は無表情な瞳をこちらに向けている。

よくよく見ると瞳が入れられた面(おもて)は一つだけで、そのまわりには黒目のはいっていないヤツが幾つも転がっていた。

一瞬のあいだ思考停止状態に陥っていた僕は我に返るとJを促し、彼は乱暴に車をUターンさせた。

後部座席の女の子達は身体を寄せあうようにして竦んでいる。



その夜、僕達は結局、目的の店には行かなかった。

パチドール屋の駐車場を出たあと、なかばパニックを起こしたJが闇雲に車を走らせ、気が付くと三田の慶応近くまで来ていたのだ。

女の子達はすっかりおじ気付き、半泣きで早く帰りたいと訴えた。

結局、一人は恐いので片方の家にもう一人が泊まると言うことになり二人を東中野まで送っていくという話になった。

実はこの辺りからの四人の記憶は甚だ曖昧になる。

Jは僕と二人して彼女達をマンションまで送って行ったと主張しているが、僕の記憶では送ったのはヤツ一人なのだ。

女の子達の話も同様にハッキリせず、一人はJと同じく二人に送ってもらったと…もう一人は僕と同じで送ったのはJ一人だけだったと記憶していたのである。

非常に短時間の…しかも単純な出来事についての記憶がこうも食い違っているのはそのときの僕達がいかに狼狽え、平常心を無くしていたかの証拠だろう。

ま、誰の記憶が正しかったか? なんてことを今更議論しても始まらないので、ここは僕の記憶に基づいて話をすすめよう。

基本的にオカルト…超常現象に関して僕は極めて鈍いタイプの人間である。

所謂、霊感めいたものは一切無いし…予感とか、虫の知らせと言った経験をしたことも殆ど無い。
(皆無ではない!)


かと言ってその種の事象を信じていないとか、嫌いだとか言うわけでも無い…むしろ怪談やオカルト話は大好きな野次馬である。

すごく卑怯で狡い考えだとは思うが…僕には超常現象ってヤツで自分が傷ついたり呪われたりすることは絶対に無いと言う妙な確信が在るのだ。

閑話休題…話をあの晩にもどそう。
僕の記憶では三田の慶応近くで、女の子達を家まで送って行くと言う話になった。
魚藍(ギョラン)坂に在った行きつけのスナックで飲むことにした僕はJ達と別れ車を降りた。

一方、東中野から一旦自宅(渋谷)に戻ったJは、タクシーで新宿へ出て飲みはじめた。

かたや魚藍坂のスナックで飲んでいた僕もそこのマスターと新宿で飲むことになったのだ。店が暇なのを良いことに早仕舞いをして遊びにいこうと考えたマスターに誘われたのである。

ま、所詮業界人の行動範囲なんてのは狭いモンで、二人は区役所通りにあるMなる店で再会したと言うわけだ。

余談ついでに書いておくが、このMなる店…業界ではかなり有名で、店名が某カルトクイズの問題に出されたことさえある。

再び閑話休題…あのバタバタした一夜(J曰く恐怖! 光る眼の夜)から数日後…僕は恩田社長に電話をかけた。あの店がどうなったか気になったのだ。

ヱ!? 沙羅パパは知らなかったっけ?

恩田社長は素っ頓狂な声をあげた。

いや…あの店さァ無くなったんだよね…。

聞けばパチドール屋は半年ばかり前に突然閉店したらしいのだ。

しかも建物自体も取り壊され、いまは駐車場になっていると言う。

家賃だか地代の支払いで、地主と揉めたらしくてさ、あっという間に取り壊しちまった。引っ越す…てェのに行き先も言わなきゃ挨拶も無しだ。まったく近ごろの若い連中はよう…

じ、じゃァあそこはいま?

僕は社長の言葉を遮って尋ねた。

だから、いまやあそこは全面駐車場…つ~か、ただの更地。
地主の爺さんは年内にはなんか建てるっていってたけどどうなることやら…

そのあと恩田社長とどんな会話をしたのか…どう言うタイミングで電話を切ったのかまったく記憶に無い。

翌日…僕は何の予定も無いのにJRに大枚を払って東京に出た。

勿論、ことの真偽を確かめるためだ。
結論から言ってパチドール屋が建っていた場所は恩田社長の言うとおり綺麗サッパリ、更地になっていた。

唯一、以前から敷かれてい小粒の玉砂利と、後から敷かれた大粒で不揃いの砂利の境目が、以前この土地に何か建物が建っていたことを物語っている。

そして問題の人形の面(おもて)は影も形も…瞳の入ったヤツも白目をむいたヤツも一つも落ちてはいなかったのだ。

だがこの期に及んでも僕はこの話の合理的解決ってヤツに少なからず自信を持っていた。

店が無くなった後も捨てられた面が残っていた…ってのは充分有り得る話だし、ましてや引っ越しが急だったとすれば、そのどさくさで完成品の人形が壊れ、黒目の入った面が捨てられた…と、言う可能性も無いわけじゃナイだろう…。

そしてこの土地に何か新しい建物を建てる話が決まり僕達が見た雨の日以降…つまりここ二、三日のあいだに面が片付けられた…なんてコトも有り得ると思ったのだ。

だが残念ながら僕の考えは間違っていた。
恩田社長の話だと、そもそも揉めた切っ掛けは、駐車場に不良品の面が捨てられていたことらしいのだ。

地権者…大正生まれの爺さんは僕と同じく、たとえ不良品でも商売物を…まして人型をした人形を粗末に扱うなと説教したらしいのである。

つまり、引っ越しの切っ掛けが捨てられた面だとすれば、それらは一番に先片付けられたと考えるのが合理的だろう?

もしかすると引っ越しのとき壊れて捨てられた人形が残っていて…なんて言う僕の推論は完全に成り立たなくなったのだ。

S川早苗とK森定夫がどうなったか? 気になった僕は伝手を辿り行方を追ってみたが二人の行方はついぞ分からなかった。

その後、恩田社長の会社も葛西だか何処だかに引っ越し、めっきり会う機会も無くなくなった。

あの女の子達が勤めてた銀座の店も既に無い…。
Jは編集者を辞め、奥さんの実家のある某地方都市で酒の卸問屋を営んでいる。

つまらり僕のまわりにあのパチドール屋のことを…そしてあの夜の出来事を知る人間は誰も居なくなってしまったのだ。

いまでも僕は雨が振る夜にはあのパチドール屋の事を思い出すことがある。

別段恐ろしくは無い…人間ある程度長く生きると、世の中には理屈で説明できない事柄がいくつも在る…て、事がだんだんと判ってくるものだ。

と、ここまでがmixiに書いた『光る眼』①~③の話であります。
構成が不味いとか…
文章が拙い…

なんて話は一先ず置いてきぼりにして…

この話…実は終わってはいなかったのである。

話は二十年近く前、世の中がギリギリ『昭和』だった頃、JRの目黒駅近く…
迎賓館と植物園のそばにアンティークドールのレプリカ(パチモン)を製造販売している店があった。

僕は当時仕事で付き合いのあった社長に付き合わされこのパチドール屋を訪れた。

社長の会社…事務所がこの店の隣だったのだ。

用件はここで造っているレプリカドールの生産性に関してだった。バキュームホームと無発泡樹脂で造っている人形の顔にロスが多くなんとかならないかと言うのだ。

一通り人形の製造現場を見て回った僕が気付いた改善点を話すと社長のS川早苗は経理を見ていると言う男…K森定夫に相談した。

人形造りに関してはともかく、経営の実権はK森が握っているらしい…僕は聞こえてきた二人の会話からそう直感した。

早苗は言わば形だけ…名目上の社長であり実質的なオーナーはK森なのだろう…。

そうなると僕の感じた、S川早苗の…そして他の従業員達の人形に対する不可思議な嫌悪感も漠然と理解出来た。

彼女達が嫌っていたのは人形そのものでは無く、K森と彼に接しているときのS川早苗の態度だったのだろう…。

K森定夫は自分が喋る時も他人の話しを聞くときも殆ど表情を変えない。
やり手と呼ばれる経営者にたまに見られるタイプたが、感情を表に出すとさっき切った手形が不当りになると思っているタイプらしい。

なるほど…真空成形の方はともかくクーラーは痛いな…かなりの大型を入れんとあそこの温度は下がらんぞ…。

彼はそう言うと腕を組んだ。

樹脂…無発泡ウレタンをシリコンの型に流して、人形の顔を造っている現場は、建物が安普請なこともあってかなりの室温になっていた。

ま、ここの工房は建てるとき、かなり予算を削ったからやむおえんか…たかが人形造りに御大層なことだ。

K森の言葉は明らかに早苗に対する皮肉だった。

ま、職場の環境はある程度よくしないと生産性は上がりませんからね…ここの…事務所の冷房は少し効き過ぎみたいですからあっちに回したらどうですか?

僕がそう言うと彼は一瞬不愉快そうな表情を見せたがやがて納得したように頷いた。

解りました、貴重なご助言をありがとうございます。

女社長…S川早苗の言葉を最後に、僕と恩田社長はパチドール屋をあとにした。
今にして思えば当初、S川早苗に抱いたた嫌悪感はまだ納得出来る。
僕にとって自分が携わっている仕事…造っているモノに自信と誇を持てない人間はどうにも理解出来ないし、許せない存在なのだ。

たとえパチモンであっても…会社の人間関係にどんな事情が在っても、人形造りを商売にしてんなら、人形を好きになってやれよ!

簡単に言えばそう思ったのだ。

駐車場に捨てられた面(おもて)と、綺麗にディスプレイされた店の人形達…。
S川早苗は人形に対して複雑な…愛憎半ばする感情を抱いていたらしい。

たがK森に感じた感覚はなんだったのだろう? 彼は一見、やり手のビジネスマンでありパッと見、人を不快にさせるような外見的要素は無い。

少し話してみれば、彼が金儲けだけの底の浅い人間だと言うのはすぐに判るだろうがあのとき僕はK森とはろくに口をきいてはいないのだ。


普通なら夏の暑い最中、クーラーの効いた室内から、外に出れば暑さにげんなりするのが当たり前だが、この時ばかりはホッとしたのを今でもハッキリ覚えている。

パチドール屋の事務所は僕にとってそれほど居心地が悪かったのだ。


なんか嫌な感じだろ、あのK森って男…。

会社に戻ると恩田社長は開口一番そう言った。

なんて言うか得体が知れないですよねあの人…。

ああ、怪しいよな。

恩田社長は自分のことは完全に棚上にして言った。

確かに世間一般の人間が見てK森と恩田社長、K森と僕…どちらが怪しく見えるかは一目瞭然である。

恩田社長は朝鮮戦争当時の怪しげなブローカー(判らない人はお父さんに聞くか古い映画を観て勉強しよう)みたいな雰囲気だし、当時の僕は歌舞伎町の鞄屋(注・ハンドバックやスーツケースを売っている人では在りません)みたいなナリコ(格好)だったのだ。

社長は知ってるんですか? 彼の素性…?

一応はな…。

僕の問いに恩田社長は思わせぶりに答えた。

彼のK森に関する知識…情報は、すべてS川早苗がニュースソースであり彼女が事実を話したとは…事実を知っていたとは限らない。

だから以下はあくまでもS川早苗から恩田社長が聞いた話であり事実かどうかの確証は無いのだ。

K森定夫は某大手商社に勤務、30代で独立し輸入雑貨の会社を興し成功したらしい。

一時期は都内にいくつかの直営店を持ち、たいした羽振りだったと言う話である…。

日本の小金持ち…俄か成金の常で、本業がある程度成功すると彼も不動産業に手を出した。

そしてこれも世の常なんだろうが最初のうちはかなり儲かっていたらしいのだ。

話がこのまま順調に行けば誰も苦労はしないんだが、ここでも御定まりの不幸がK森の身に降り掛かった。

億単位の金を投資していたリゾート開発が空中分解したのだ。

あくまで噂だがどうやら主催者側は最初から計画倒産を狙っていたらしい。

K森氏のためにここで一つ断っておくが、彼はこと金儲けにかけてはしたたかで抜け目の無い男である。

詐欺同然の開発事業に引っ掛かったのはK森氏が間抜けだったのでは無く、金貸し(世間では銀行と言うらしい)と地上げ屋(こっちは一般的に不動産屋と呼ばれる)の悪知恵が氏より一枚上手だったためである。

かたやS川早苗の方だが、こちらはかなり数奇な…言っちゃあ悪いが僕好みの人生だったらしい。

彼女の父親はかなり有名な人形作家で、60年代の終わりから70年代初頭にかけて海外でいくつか賞を獲った人物だったそうだ。

一時期は都内有名所のカルチャーセンターの講師を勤めていたそうだから…僕流の分類でいけば1.5流の文化人と言うヤツだったのだ。

これでTVのトーク番組やらワイドショーのコメンテーターのくちでもかかれば人生安泰だったのだろうが、商売同様、芸術家稼業も甘くは無い。

人形師としての腕はともかく彼はクリエーターに在りがちな破滅型の男だったのである。

人形作家として多少とも名前が売れると途端に女遊びが始まり家に寄り付かなくなったのだ。

ネオンの巷で浮き名を流す程度ならともかく、彼は自分の生徒…カルチャーセンターの受講生である人妻に手を出してしまったのである。

言うまでも無いがカルチャーセンターに通っているのはその大半が暇を持て余した専業主婦…昔の言葉で有閑マダムと言う人種だ。
(この言葉も知らない人はお父さんかお母さんに聞いてみよう)

勿論、素人の人妻相手の火遊びが表沙汰になってただですむわけは無い…。

立つ鳥後はグチャグチャ状態でS川早苗の父は急死した。

後にはかなりの借財と不名誉な噂だけが残ったと言う。

相続放棄をしちまえば親父の借金とは縁が切れる…早苗でなくともそう思うところだが、話はそう簡単では無かった。

故人は家族…妻やら早苗の兄を連帯保証人に金を借りていたのである。

普通のサラリーマンだった兄は蒸発し、当時大学生だった早苗は学校を辞めて働きはじめた。

ま~この後の経緯を僕は知らないし…知りたくも無いが父親の借金を返すため彼女がかなり苦労したのは事実だろう。

門前の小僧状態だったのか? 遺伝…『血』による才能の継承だったのかは判らないがS川早苗にはアンティークドールの善し悪しを見分ける眼力と、古い人形を修理する才能が備わっていた。

父が残したいくつかの人形は彼女の手で修理されかなりの価格で売れたと言う。

格安航空券でヨーロッパに渡り安い…つまりはあまり状態のよくないジュモーとかのアンティークドールを買い付け…修理して転売する…S川早苗がいつ頃からそんな商売に手を染めたのかは判らないが、日ならずして彼女はその業界では有名になっていた。

そして早苗は買い付けに訪れたフランスの田舎町でK森と出会ったのである。

K森がパリやロンドンならともかく、なんでそんな田舎にいたかと言えば本人曰く、雑貨類の仕入れのためであり…業界の噂では債権者から逃げるためだったらしい。

彼は件のリゾート開発にからんであまり知り合いになりたく筋の金融機関からも融資を受けていたのだ。

不幸な境遇にある男女が異国の地で出会う…僕なんかには能力も興味もないが、ソコソコの才能のある人間が書けば二人の出会いは安直なTVドラマ程度にはなりそうなシチュエーションである。

そして、こちらもまるっきし興味が無いが、二人の間にナニが在ったか…どんなドラマが存在したかもある程度は想像できる…

結果としてK森は早苗にアンティークドールのコピー…レプリカ造りを事業化するよう奨め彼女もその話に乗ったのだ。



S川早苗とK森定夫…好きか嫌いかは別として、なかなかに興味深人間ではあるが、二人に関して僕が直接知っている…自分の耳で聞いた話はここまである…。

あの夏の日からしばらくのあいだ、僕は恩田社長の仕事をすることは無く、必然的にあのパチドール屋を訪れ機会も無るかったのだ。


事実と言うヤツはフィクションの…小説や映画のように起承転結やら序破急と言ったドラマツルギーを無視して動く。

これから書く出来事が無ければS川早苗のこともK森のこともとうの昔に忘れてしまったことだろう…。

それはパチドール屋を訪れてから一年以上後の夜の出来事だった…。

『闇に光る眼』②終わり・③に続く。
この話…実はmixiで一度書いている。
それをなんでまたこっちに再録したか?

と、言うと…理由が二つばかりあってのコトだ。

一つは左半身の痺れが思いの外ひどく…新しいネタを書くのがシンドイし…書いても愚痴にしかならなくてヤダ! という僕の個人的理由…

もう一つは3話で完結していたと思ったこの話に実は続き…つ~落ちがある…。

と言うのを最近になって知ったからである…本当はこの『落ち』と言うか後日談を踏まえて少しは文章に手を入れた方か良いのだろうが…
そーすると話本来の面白さが損なわれてしまいそうなんで(ぶっちゃけ身体もキツいし…)このままでいくコトにしました。

では始めましょうか…


ギリギリ昭和の御代だった時代…山手線の目黒駅…
迎賓館と植物園の近くにインチキな人形屋が在った。

店…と、言うには大きく、会社…と、言うには規模が小さい…

工房…と言えば良いのかも知れないが、物造りにかける真摯さ…なんてモノとはまるで無縁な人間がいたりした。

僕はこの店の事を秘かにパチドール屋と呼んでいた。

ここで造っていたのはアンティークドールと呼ばれる古いフランス人形の偽物(格好よく言えばレプリカ)だったのだ。

興味の無い人にはまったく無縁の世界だがケストナーだとかジュモーの本物は恐ろしく高い。

バブルがぶっ飛んでだいぶ値下がりしたが、それでもオークションの初値が五十万だとか百万の品がゴロゴロしている。

二昔前のガレキがウン万円でヤフオクに出ているのに驚いていては、あの世界にはついて行けない…少なくとも昔のガレキ怪獣はちゃんと組んで塗装してやればそれなりの仕上がりになるが、ウン十万の御人形さんはハナからボロクソの状態だったりするのだ。

で、話は件のパチドール屋だ…あ、断るまでも無いだろうげどパチドールのパチはパチモンのパチです。
パチ物…つまり、この店は高価なアンティークドールの偽物…今様の本質をすり替えた言い方をするならレプリカを造っていたのだ。

商品は大雑把に分けて三種類在った…
ここでは値段の高い順にA.B.Cと呼んで説明しよう。

Aは純粋な高級レプリカ…名画の複製の様な物である。
社長と呼ばれていた女性が海外で購入してきた本物のアンティークドールを正確にコピーし、衣裳なんかも全部手縫いでかなり忠実に再現してあった。

人形は顔が命…てのは某社のキャッチだが、このタイプの顔は本物と同じ陶器製で非常に良く出来ていた、アンティークドールに造詣の深い銀座の某マダムに言わせれば…現在(当時のことです)世界中で造られているこの手のレプリカの中でも五本の指に入る出来だそうである。

当然、値段も高くあの頃で一体、十万程度したと記憶している。

そしてその下位に位置するのがBタイプ…こちらもパッと見はオリジナルそっくりだが、顔は陶器では無く樹脂製である。

無論、陶器風の艶有り塗装はしてあるが、風合いと言うか質感の深みがAタイプとは微妙な差があった。

単品で見るとわからないのだが、Aタイプと並べて見ると違いが判るのである。

値段はAタイプの約半分程度…。

そしてCタイプ…こちらは完全な量産品で顔はバキュームフォームで造られていた。

バキュームホームの原型と成っているのはAやBと同じく本物の骨董人形だが、真空成形の常でエッヂのタチが甘く全体にフォルムがぼんやりしている。

衣裳も同様で柄こそ本物を模してはいたが見るからに人絹(死語)丸出しの生地だった。

こちらは国内ではなく殆どがアジア向けに輸出され、彼の国の小金持ちが買っていたらしい。

さて、なんで僕がこのパチドール屋に詳しいかと言うと…当時、仕事上、若干関係が在った恩田なる社長の事務所がこの店の隣にあり、彼から件の女社長を紹介されたのである。

初めてパチドール屋を訪れたのは八月の下旬…今年(2007年の記述です)ほどではないがやはり暑い年だった。

恩田社長の会社と店の間は中型車がギリギリ通れるくらいの私道で、どちらの駐車場も狭いので、向きを変えて車を止めるためにはお互い相手の敷地内に一旦車の頭を…鼻面を突っ込まなければならなかったのだ。

で僕はこのパチドール屋に当初、あまり良い印象をもっていなかった。

ナンでか? つ~と駐車場のすみ…店の横の空き地にAからCタイプまでの面(おもて)の失敗作が捨てられていたからだ。

Aタイプの…焼き物の顔は雨に洗われ風に曝されてれば、やがて土に還るだろうが、樹脂やら真空整形のヤツは所詮、化学製品である。

汚れ、色が褪せ、細かく砕けても百年や二百年では形を失わない。

如何に人形…作り物とは言え、もうちょい違う処分の仕方は無いもんかいな?
てぇのが正直な感想だったのだ。

夜…暗くなってから恩田社長の事務所を訪れたときなど、捨てられた失敗作の面…人形の顔がヘッドライトに照らされてそれは不気味だった。

砂利のうえから瞳の無い眼でこちらを凝視している無数の顔…怪奇なモノには人の数十倍(当社比)耐性のある僕でも出来れば遠慮したい光景だったのだ。



薄暗く人けのない店内には売り物である人形が綺麗に並べられている。
塵一つ落ちていない棚を見て僕はちょっと不思議な感覚にとらわれた。

少なくとも展示されている本物のアンティークドールとレプリカを見るかぎり、この店は古い人形が好きな…人形のことがよく判っている人間が切り盛りしているのに間違いは無かった。

僕が奇異に感じたのは失敗作の面(おもて)を平気で外に…地面に棄てると言う行為と、店内のディスプレイのギャップだったのだ。

そして店の奥、効きすぎるほどクーラーの効いた事務所には女社長と総務の女性、そして常勤ではないが経理を見てもらっていると言う中年男性がいた。

S川早苗と申します…恩田社長が僕を紹介すると彼女はそう言って名刺を差し出した。

S川女史は年令不祥…たぶん三十は越えていた…で、何処か陰のある女性だった。

ま、世間的評価で言えば謎めいた美女…と、言うことになるのだろうが僕は初対面のときから彼女に対し漠然とした不信と嫌悪感を抱いていた。

一つには彼女は目が笑わないタイプの人間なのである。

唇の端をあげ、わざとらしく口元を手で隠してはいるが、笑うときの眼が恐いのだ。

そしてなにより僕に嫌悪感を抱かせたのは彼女が『人形』を本当に好きでは無いらしいという言う点だった。

嫌い…と、言うわけでは無いのかも知れないが、なにか屈折した感情を人形に対して抱いている…

商品であるレプリカとその元になっているアンティークドールを内心は恐れて…もしかすると憎んでいるのではないか?

少しばかり彼女と話した僕はそんな印象を持ったのだ。
そしてしばらく後に僕は自分の感じた思いが当たらずとは言え遠からずだった事を識ることになる…。

さて、当時駆け出しのフリーライター(つ~か実質は何でも屋)だった僕を恩田氏がパチドール屋に連れて行ったのは、女社長からレプリカの生産性の向上に関して相談されたからだ。

さきに説明したように一番値がはるAタイプの顔は陶器である。

抹茶茶碗だろうと、ぐい飲みだろうと…そして人形の『面』(おもて)だろうと陶器を焼けば失敗作が出るのは当然である。

いくら型で作り電気炉で焼いていても所詮は手作りなのだ。何割かは必ず割れたり罅(ひび)がいったりするのだろう。

女社長自身、Aタイプの生産性の低さ、歩留まりの悪さは在る程度覚悟している様子だった。

問題はBタイプとCタイプである。
造り手…若い女性が何人かパートで働いていた…が慣れていないのもあるが、Bの樹脂製には発泡不良やらヒケやら気泡が多く、Cのバキュームフォーム製にも、かなりの率で成型不良が混じっていたのだ。

店舗部分の奥に作られた作業場を案内された僕は、最初にここに入った時、感じた違和感…通常、こうした小規模の『物造現場』ではまず感じない嫌な雰囲気が決して自分の気の迷いでは無かったのを知った。

社長である彼女を始めここの従業員達は人形を、そしておそらくは仕事と店そのものが好きではないのだろう…。

自分の仕事が好きでは無く、自分の造っている物に『愛』を感じられなければ…仕事はただの労働に墜ちてしまう…。

どこがどうだと、具体的に説明するのは難しいが、なにか『物』…商品であれ、作品であれ…形の有るナニかを生み出している現場にある特有のオーラのようなモノがここには感じられなかったのである。


一応問題点のあらい出しを終えた僕は事務所に戻ると改善すべき点を出来るだけ事務的に彼女に告げた。

まず…バキュームホームの方はコンプレッサーの容量が少な過ぎます。
いくら小さくて厚みの無い人形の顔でも、これだけの数を一度に造のは、この機械じゃ無理です。

もっと大きなのを入れるか一度に成型する顔の数を減らすしか在りません。

次に樹脂の…無発泡ウレタンの方ですがこっちはまず作業環境が悪すぎます。

この暑さと湿度のなかで、クーラーも入れずに型抜きをしようとすれば、あの程度のロスは当然です。

湿気は無発泡ウレタンの大敵なんですよ。
作業する人間がいくら注意してやったってこの暑さだ…汗が樹脂の中に落ちることだってあるでしょう、そうなりゃ硬化バランスが狂って、無発泡ウレタンが発泡しちまう!

まずは除湿の出来る大型クーラーを入れることです。
そうすりゃロスは一割…いや、二割以上はさがるはずです。

…僕がそう言うのを女社長は頷きながら聞くと…判りました。ありがとうございます。

と、言い席を立った。

S川早苗は経理を見てもらっていると言う触れ込みの中年男性に近づくと、彼に何事か囁いた。やがて男は席を立ち、僕と恩田社長の前にやってきた。

K森です。

そう慇懃に頭を下げた男に僕は形容し難い不快感を感じた…不快感…果たしてそのとき感じた感覚をそう表現してよいものなのか、僕はあれから二十年近く(あくまでmixiに掲載当時です)経過した今でも確信が無い。

快か不快かと問われれば間違い無く不快だし…
好悪いずれかと言えば絶対に悪感情である。

だが目の前のK森氏は初対面の人間が激しい嫌悪感をいだく人間とは正反対のタイプだったのだ。

○○産業代表取締役K森定夫

そう印字された名刺を手にしたまま僕は一瞬固まっていた。

『闇に光る眼』①終了②に続く…