泣ける2ちゃんねる
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親孝行について

369 :就職戦線異状名無しさん :04/08/16 07:15

内定0の状態が延々と続き、しかも本命の最終落ち・・・と鬱なときに親に電話してみた。
その日はおやじの誕生日。「内定をプレゼントしたかったんだけどね」と漏れ。
いつもはあんまりしゃべらないおやじが一言、「それでもがんばるおまいの姿が今年の誕生日プレゼントだ」。
親の前(電話口だけど)ではじめて号泣しますた。悔しいのとうれしいのと、たかがシュウカツでここまで弱ってる自分が情けなくて・・・

でも、本当に親を大切にしなきゃっておもった。「ありがとう」・・・

381 :就職戦線異状名無しさん :04/08/31 10:51

俺は入学式で着たスーツ・ドンキで買ったYシャツとネクタイで就活を終わらせた。
でもさすがに新社会人になるにあたってスーツを欲しく思い、
「スーツを買おうかな、なんて」と母ちゃんにメールを送ってみた、
するとすぐさま電話掛け直して来て「いいよ、いくら送ればいい?」と即答してくれた。
受話器からは風を切る音が聞こえた、パートに出かける途中だった。
こんな風の強い日にも…。電話じゃ言えないからここで言うわ、ほんとごめん、ほんとありがとう。
たった5分前の出来事。

96 :就職戦線異状名無しさん :04/05/14 21:16

ここで語らせてくれ。
母ちゃん。内定取ったよ。第一志望だ。

大学2年の時に亡くなった母ちゃん。母ちゃんの残した財産で何とか大学院も卒業できそうだし、就職もできたよ。

女で一つで、パート頑張りながら俺を育ててくれた母ちゃん。県外に出たくって受験の時は喧嘩もしたな。
でも結局、地元の国立を目指したのも母ちゃん一人残して行くのが心配だったんだよ。言わなかったけど。めでたく合格して、泣いて喜んでくれたっけ。
できるだけ母ちゃんに負担かけたくなかったから奨学金もらいながらそれを授業料に当てたり、免除申請もした。
それが当時の俺なりの親孝行だったんだよ。

パソコン欲しくって、それぐらいは買ってやる。って言ってくれて、めちゃうれしかった。
でも、電気屋に「パート勤めじゃローンが無理。」と言われた時、母ちゃんめちゃくちゃ悔しそうだった。
俺は恥ずかしくって「もういいよ」って言って足早に連れて電気屋出たけど、おれもあの時は本当に悔しかった。絶対就職してスマートにカードで母ちゃんに何か買ってやる!!って思ったよ。

そんな母ちゃんが癌ってわかって愕然とした。
それからたった1年でみるみる痩せてって。
亡くなる日、ずっと苦しそうだった。俺は手を握ってやるぐらいしか出来なくって。
あの時、ベッドを個室に移そうってなって、抱きかかえようとしたら、涙出して俺にしがみついたな。さすがに涙でた。

母ちゃん死んで、色々家の事とかあったから大学院に進んだ。
授業料は母ちゃんの生命保険でなんとかなったよ。ありがとう。

大学に入った時、早く就職して楽させたい。なにか買ってあげたい。と思ってた。
就職決まってうれしいけど、なんか、ぽっかり穴空いてるんだよな。
母ちゃん。あと、2、3年生きてくれれば色々してあげれたのに。

育ててくれてありがとう。面と向かって言えなかったし、親孝行もあんまりしてあげられなかったけど。今度お墓でしっかり報告するよ。

128 :就職戦線異状名無しさん :04/05/20 15:14

都内の企業と、地元の企業で死ぬほど迷っていた時、俺を決心させたのは親の存在だった。
「長男だから親の面倒を見なきゃいけない」ではなくて、
「長男である俺を快く東京の私立に送り出してくれたこの人達を、これからは俺が支えていきたい」と、素直に思えた。

もし俺が東京で就職しても経済的援助は十分できただろう。そうなったらそうなったで弟が実家を継いでいたかもしれない。
でも、決して裕福とは言えない家計状況で3人の子供に十分すぎる教育を与えてくれた父、母を俺は心から尊敬してる。
だから、都内の企業を蹴って、田舎に帰り、親と同居しながら社会人として生きる事に何の後悔もないんだ。

この前内定者懇談会に出席する為に実家に帰った際、どうしても感謝の念を伝えたくて、親父と酒を飲んでておかんが3本目の熱燗を持ってきた時に、
思い切って正座して、「今まで育ててもらって本当にありがとうございました」って言ってみた。

案の定、涙もろいおかんはすぐに目を真っ赤に腫らすし、照れくさがりな親父は急に酒のピッチが早くなった。俺も面映くなってすぐに足をくずしたけど、
就活が成功してよかった、と心から思えた瞬間だった。

俺はこれからもっともっともっと親孝行したい。そしてそれが十分出来る環境を自ら選び取った自分を、ちょっとだけ誇りに思う。

235 :就職戦線異状名無しさん :04/07/07 13:16

2,3年前の話.
おれの両親は二人とも高卒で大学行ったことなくて
学祭に行ってみたかったらしく,
おれの大学の学祭まできた.
そのとき,おれはサークルに入っていたので店を出してて
親が来たときはまじで顔から火が出るくらい恥ずかしかった.

ちょうど学祭があったのが11月か12月くらいの寒い時期で
おれが寒そうな格好をしていたので,親は学祭のフリマで
服を買ってきてくれた.それがめっちゃ趣味悪くておれは着たくなかった
けど,親に悪いと思ってしょうがなく着てた.

正直,来るなよって思ってた.
でも親は本当に学祭で楽しそうだった・・・

おれは出店のかたづけとかあったので,親は「じゃあ,そろそろ帰るね」
って言って帰っていった.
そして,アパートに帰ったら,部屋をきれいに掃除してくれてて
食料も冷蔵庫にいっぱい入ってた.

そして,携帯が鳴って,「冷蔵庫何も入ってなかったから買っておいたよ」
って.

おれは自分を恥ずかしく思った.親の気持ちも知らないで・・
ほんと,学祭楽しそうだったなぁ・・
それから服ありがとう,あったかかったです

276 :就職戦線異状名無しさん :04/07/13 01:14

第一志望に内定もらった日の夜、家に帰ったら親父が一人で酒を飲んでた
その親父に内定の報告をしたら
「よくがんばったな!苦労が報われて良かったな!」
とねぎらってくれた。
その言葉を聞いた俺は
「親父が俺を大学に行かせてくれたからだよ。ありがとう。」
と素直に感謝の気持ちを伝えた。

そして親父の方に目をやると
普段無口で無愛想な親父が、目にうっすらと涙を浮かべながら照れくさそうにしていた。

親父、本当にありがとな。
定年退職まであと5年、体に気をつけてがんばってくれよ!

341 :就職戦線異状名無しさん :04/07/30 03:32

俺は、岐阜で生まれ、東京の大学に進学した後、大阪で就職することにになった。
この前、内定者懇談会の時、前泊をするために立ち寄った実家での出来事。

俺が朝起きていくとオヤジは俺の靴を磨き、
母親は俺のカッターにアイロンをかけていた。
そして何か話していたが、俺が起きたのに気づくと会話を止めた。
何の会話をしていたかは明らかだった。
オヤジのでかい声はいつも俺の部屋まで聞こえること、何回も言ったはずなのに。

Uターンできなくて、ゴメン。
だけど、それ以上に俺が社会人になることが心配なのか・・・。
とりあえず、どうやったら俺は両親を安心させることができるかな?

715 :就職戦線異状名無しさん :05/02/23 02:51:27

地元の中小と東京の大手の選択肢から後者を選ぶことにしたとかーちゃんに言ったとき。
母一人子一人なのに地元に帰らなくて申し訳ないと思う俺の気持ちを察したかのように、
「おまいが成長できる環境を選んでくれてうれしい」と言ってくれたかーちゃん。
その夜、俺は布団の中で泣いた。かーちゃん、俺、がんがるからな。



お母さん!弁当のおかずなんとかならんか


867 名前:もぐもぐ名無しさん 投稿日:02/04/22 17:43

普段母が作ってくれるお弁当はいわゆる味重視の「茶色い」弁当
だったけれど、クリスマス近くにはナプキンとリボンを巻いた
チキンが入っていたり、ひなまつりには
てっぺんに顔をかいたウズラの卵が爪楊枝で刺さってて
薄焼き卵の着物を着た可愛いお雛様と、同じく海苔を着たお内裏様の
三角おにぎり2つ(余白におかずいっぱい)。
イベントの日の給食の時間はいつも注目の的だった。

そんな高校三年間、一番注目を浴びたお弁当は「日の丸弁当」。
弁当箱開けたら一面白いご飯で真ん中に小梅がポツン。
何が起こったのかと思ったら、その白飯の下にから揚げを
薄切りにしたものや卵焼きや味付け昆布などのおかずが
ぎっしり埋まってた。(笑)

ああ・・・今は就職して毎日コンビ二食だけど
また母さんのお弁当食べたいな・・・。

875 名前:もぐもぐ名無しさん 投稿日:02/04/24 04:48

お母さんのお弁当といったら、前日の晩に出たてんぷらを味醂醤油と砂糖で
甘辛く煮たものがおかず、って記憶しか浮かばないなぁ。
他にもあったハズなのに、何故かそれしか思い出せない…。

でも微妙な甘辛さ加減が絶妙で、ごはんがパクパク進んだっけな。

高校の頃は、学校を抜け出して近所の喫茶店でオムレツを食べたりするのが
流行ってて、せっかくのお弁当を食べずにこっそり帰り道捨てたこともあった。
「オレにも付き合いがあるんだよ」とか呟きながら…。

「アンタは御飯粒ひとつ残さないで食べてくれるから、洗うのが楽だよ」
なんて笑ってたお母さんのコトを思い出すと胸が締めつけられるような気分になるよ。

くそぉ、あの御飯に汁が染みた、茶色いお弁当喰いたいなぁ。
あの、甘辛くて一口で御飯、くち一杯に頬張れる茶色い弁当が食べたくてしょうがないよ。

せめて、「オレ、昔、母さんの弁当捨てたことがあった…ホント、ごめん」って
謝っておけば良かった。ホントごめんな。あの格好ワルイお弁当、凄く美味しかった…。

881 名前:もぐもぐ名無しさん 投稿日:02/04/25 20:21

875
私も同じ、天ぷら煮弁当でした。
しかも、前の晩の残りじゃなくて、冷凍保存した物を、ほぼ毎日(w
それも一面。他のおかずなしです。

私も甘辛い味が大好きで、結構おいしく食べていたんだけど、
ある日、一緒にご飯食べていた子に
「ねえ、○○ちゃんのお弁当、お母さんが作ってるの?
○○ちゃんのお弁当って、なんか汚いよね」
って言われました。
多分、色目が茶系だったからそう言ったんだろうけど、母まで
バカにされた気がして、すごくへこみました。

当時は仲間はずれにされるのが恐くて、何も言えなかったけど
今でも怒らなかった自分が情けないです。
母は何も悪くないのにね。センスがなかっただけで(w
お母さん大好きさ。

925 名前:もぐもぐ名無しさん 投稿日:02/05/12 20:13

今日は母の日。お母さんありがとう。
うちは両親とも教師で、母は朝7時過ぎに家を出なければならないのに
毎日お弁当を作ってくれました。栄養を考えておかずの種類も多く、
しかも美術の教師だったので彩りも美しかった。
一時期は家族5人分作っていた母。5つ並んだお弁当箱は壮観で、
お手伝いしながらその手際のよさに感動してました。
一人暮らしをはじめて自分で作るようになって、
そのすごさを改めて感じています。
お母さん、ホントにありがと。長生きしてね。

929 名前:もぐもぐ名無しさん 投稿日:02/05/13 23:32

私はもう勤め人なんだけど、父+高校生の妹の分があるから
ついでついでーと言いながら母は毎日弁当を作ってくれた。

その日の朝もいつも通りだった。
いつも通りお昼に会社でお弁当を食べた。
3時過ぎ、会社に父から電話が入った。
「お母さんが倒れた。すぐ病院に来なさい」
妹の学校によって病院に着いたら母はもう他界していた。
52歳くも膜下出血でした。

ドラマか小説みたいな話だけど、こんな事もあるんだよ。
お弁当はよく味わって食べて下さい。
感謝の言葉は照れずに伝えてあげて下さい。

今から7年も前の事だけど、未だに卵焼きは食卓はに上りません。
毎日毎日お弁当に入っていたから、見るだけでダメなんだー。

935 名前:もぐもぐ名無しさん 投稿日:02/05/15 15:28

午前3時、実家から電話。急いで来て欲しいと母。
行ってみると癌を患っていた父が冷たくなっていた。
おろおろする母を一人にはできず、急いであちこちに連絡。
「そういえば今日は息子の遠足の日だ・・・どうしよう・・・」
当時4歳の息子、バタバタしている最中なので遠足に行かせてしまおうと思ったが
遠足の弁当を作っている時間がない。それでもあせって自宅に帰ったら、中一の娘が
遠足の弁当を作ってくれていた。普段はカップラーメンぐらいしか作らないのに。

ごはんにふりかけをかけて、ウインナーや卵焼き、ほうれん草のおひたしetc…
「ありがとう・・・」ジンときたよ。

その弁当を持って息子は遠足に。
私は葬儀の手配など忙しく動き回っていた。夕方保育園まで息子を迎えに行って
お弁当箱を開けてみるとキレイに食べてあったが、ほうれん草のおひたしだけが残っていた。ほうれん草スキなのに。
「コノホウレンソウ、辛カッタ・・・」
食べてみるとそれは大量のカラシナの漬物だった・・・。
・・・でも、娘よ、ありがとね。

947 名前:65537 ◆65537JPY 投稿日:02/05/21 00:54

誰も書いてないけど書いて良いものだろうか?
いいや、書いちまおう。

この間お袋が一時退院してきた。
膵臓ガンで、あと半年持つか持たないかって事らしい。
本人には告知してない。多分、これが最後の帰宅になるかもしれないとの事。

いつもは離れた街で独り暮らししていた俺は、お袋の一時帰宅に合わせて
実家に戻っていた。でも月曜日の朝、仕事があるので朝早く車で出勤することにした。

そしたら朝早いのに、お袋ちゃんと起きてて、おにぎりを握って持たせてくれた。
そして、俺の車が見えなくなるまで見送ってくれた。

多分、これがお袋の作る最後の弁当かと思い、泣きながら食べた。

次の日、お袋は病院に帰っていった。
奇跡でも何でも良いから、直って欲しい。


天国のあの人にメッセージ


194 :本当にあった怖い名無し :2006/04/19(水) 14:12:29 ID:taavW+pK0

いつもいつも頑固でわがままでかわいげのない娘でごめん。
父さんがいなくなって、あたしはずっと後悔し続けています。
あのまっしろな歯を思い出すよ。
病気であたしより細くなった腕よりも、やっぱり元気で筋肉質な
男らしい父さんの姿を思い出すことが多いです。
あたしは東京にきてしまってからますます父さんとは連絡をとらないようにして、
本当に親不孝だったなと思う。
でもほんとは喧嘩しても叩かれても、父さんが大好きだったよ!!
今でも!!
愛されたかったから反抗してきたんだ。
愛されてたことも、最後に分かった。

言いたいことはこんなことじゃないのに
何て言いたいのかまとまらない。

あなたは強く、最後まで生きるのを諦めなかった。

最後にあたしが喋ったとき、止まったはずの心電図が復活したね。
聞いててくれた?
約束は守るよ。
父さんの娘として恥ずかしくない生き方をします。
父さん、あたしが向こう行ったらなかよくしようね。

またね。

98 :本当にあった怖い名無し :2006/04/02(日) 01:57:31 ID:mOYkuI+C0

お父さんへ
高校生だった私は 今はお母さんになっています。
結婚式も孫の顔も見ることなく逝ってしまったけど
きっとどこかで見ていてくれてるよね。

お母さんへ
突然逝ってしまって 肝心なことをいい忘れたよ。
ありがとう…。
生きているときには 恥ずかしくて言えなくて
でも一番言いたかった言葉なんだ。

妹 なおちゃんへ
最愛の息子も 中学生になったよ。
なおちゃんそっくりだよ。
腕を切り落として 頭蓋骨までも一部切除して
痛かったでしょ。苦しかったでしょ。
泣き言一つ言わず よく絶えたね。がんばったね。
胸にチューリップをさして 炎の中へ消えて行った。
永遠の24歳だね・・・・。

みんなに届くといいな。
私は結構幸せに生きてるよ。
また家族として 巡り合いたいね。

136 :本当にあった怖い名無し :2006/04/10(月) 02:12:58 ID:2YENm7/f0

ぃょぅ!カネヤン!
お前が死んで1年以上なるな。
女好きで合コン好きで酒好きで・・・。
楽しかったよな。
一緒に飲んだ時、お前言ったよな。「○○ちゃんと1回だけやったことある」って。
そいつお前の事が好きで告白したけど返事返さなくてさ、だけどしっかりヤッちゃったりして。

今な、その子と俺付き合ってるんだ。
彼女は俺がその事知らないと思ってるみたいだし、一切口に出してない。
俺もその事に関しては知らない振りをしているよ。

なぁカネヤンよ。
俺、幸せにするからさぁ、見守ってくれよな。

186 :本当にあった怖い名無し :2006/04/19(水) 02:42:14 ID:r4sGWG+EO

永遠の26才のあなたへ

やっとあなたよりも大切な人ができました。
あの日、私だけ生き残ってごめんなさい。
でも何度もあなたには追い返されてるね。
ごめんなさい。私はもう彼と新しく生きるよ。
あなたは大切だよ、特別だよ。お供えもするし、夢にもたまに来てくれるね。
心配しないでね。
愛想つかされてもいい。
ありがとう。
幸せだったよ。
でももっと幸せになるから。

新しい指輪をはめた元嫁より

274 :本当にあった怖い名無し :2006/05/19(金) 07:12:34 ID:qo4S5TAD0

届いて欲しい。
ママ、そっちはどう?おじいちゃん達に会えましたか?
おととい、叔母さんも亡くなりました。
まだそっちには行ってないかな。
お父さん、癌だって検査結果出ました。
もうね、これ以上人が死ぬのは嫌だよ。寂しすぎるよ。
この1年で、お父さんは何回喪服を着ただろう。

ママが死ぬ間際に、「まだ誰も連れて行かないよ」って言ってたけど、
1人1人名前を呼んだ中にお父さんの名前が無かったのが気になってます。

まさか連れて行かないよね?
お願いだよ、この年で両親亡くすのはつらい。
来年には結婚します。バージンロードを1人で歩くの?嫌だよ。
ママに花嫁姿を見せてあげられなくてごめんね。
ママには謝りたいことばっかりだよ。
今、私も病気でつらいんだよ。
ママに会いたいよ。いつもみたいに背中を撫でて欲しい。
お父さんのことも不安でたまらない。
こういう時は、無性にママの声が聞きたいよ。
ママが生きてたらなって毎日考えます。
お願い、見守ってて。私たちを応援してください。

201 :本当にあった怖い名無し :2006/04/21(金) 03:50:35 ID:EU/BW6lWO

お義父さんへ

お義父さんのお葬式の夜
ずっと気丈に振る舞っていた
あなたの息子が
真っ暗な部屋で一人
声を殺して泣いていました。

327 :本当にあった怖い名無し :2006/05/29(月) 18:07:21 ID:K4fl6vaf0

親友へ

君が天国に行ってちょうど1年が経ちました。
私18になったよ。もうすぐ卒業だよ。君と卒業式出たかったなあ。
もう一度会いたい、話したい。
帰り道2人で帰った道は、どこも変わってないよ。
ただ私が1人で歩くだけ。
たまに君が後ろから走ってくるような気がして、振り向くよ。
でも君はいない。

一年前、君と私は部活のテニスラケットを持って帰り、庭で遊んでいたね。
だんだんあたりが暗くなって、夕食を一緒に食べて、君は何か思いつめていたね。
でも聞いても話してくれない。
もっと問い詰めればよかったんだよね。

そのうち帰る時間になって、君が自転車に乗って遠ざかっていく。
私は君がラケットを忘れて行ったのに気づいてあわてて追いかけたね。
でも君は振り返り、「もう使わないから」。

その晩だったね。
君が天国へ行ったのは。
悔しかったよ、悲しかったよ。
私は君のぶんまで生きる。
そしていつか行くから、その時は言いそびれた言葉を言わせてね。
まだ長いけれど、待っててね。

358 :本当にあった怖い名無し :2006/06/04(日) 09:09:00 ID:6Qg5VLebO

大好きなあなたへ

1年たってやっと
空を見上げる事が出来る様になったよ。

そこから私の姿は見えてますか?

いつか私もそっちに行くから 絶対待っててよ!!
天国で再び出会えたら
今度こそ 結婚しようね。

591 :本当にあった怖い名無し :2006/07/29(土) 02:20:23 ID:PY4UElpMO

お父さん

「男は人前で泣くものではない」と厳しく言ってましたよね。
だから、お父さんが亡くなる時も通夜でも葬式でも
俺は決して泣かなかったのです。

あの頃、まだ幼稚園児だった弟はもう大学生です。
成長する毎に、顔、声、体格、なぜか仕草まで、
お父さんに生き写しと誰からも言われるようになりました。

弟が俺の結婚式で着ていたのは、お父さんのスーツでした。
「これお父さんの服」と弟に言われる迄、気付きませんでしたが。
弟はただ、ピッタリだからというだけの理由で着たようです。
しかし、それを知ったが最後、弟にばかり気を取られます。
一瞬、お父さんかと錯覚する程似て見えます。

お父さんに、今日のこの場所にいてほしかった。
そして「育ててくれてありがとう」と言いたかった。
初めてネクタイを締めた弟の姿を見せたかった。

様々な思いが去来する中、俺に「おめでとう」と言った弟の声が、
あまりにもお父さんに似過ぎていて涙を堪えきれなくなったのです。

言い付けを守れなくてすみません。
けれど、こればかりはお父さんも許してくれるのではないか、
と甘く考えていることも、正直に書いておきます。

344 :本当にあった怖い名無し :2006/05/30(火) 01:47:32 ID:aA3L/HDP0

小さな2つの命ちゃんへ

天国で仲良くしていますか?
性別も分からず、天国へ帰してしまったママを許してね。
あなたたちのおかげで、お姉ちゃんはがんばって生きているよ。
10歳まで生きれないって言われたけど、11歳になったよ。
これからもお姉ちゃんを見守ってあげてね。

もしもの時は、神様に、
ママの命をお姉ちゃんにあげてって頼んでね。