『ソラリス』タルコフスキー版とソダーバーグ版の比較 | アンパンマン先生の映画講座

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映画の面白さやストーリーの素晴らしさを伝えるため、感想はネタバレで、あらすじは映画を見ながらメモを取って、できるだけ正確に詳しく書いているつもりです。たまに趣味のAKB48のコンサートや握手会なども載せます。どうかご覧ください。

2019年8月に上山市立図書館の『惑星ソラリス』の上映会を見て、ブログに「ネタバレの感想」「ネタバレの詳しいあらすじ」「映画と原作の違い」を載せ、同じ原作によるスティーヴン・ソダーバーグ監督の『ソラリス』(2002年)についても、そのうち紹介すると書いた。なかなか暇がなかったが、コロナ禍で映画館が休館になり、『ソラリス』のDVDを見た。「ネタバレの感想」「ネタバレの詳しいあらすじ」「タルコフスキー版とソダーバーグ版の比較」を紹介する。

 

アンドレイ・タルコフスキー監督『惑星ソラリス』(1972年)とスティーヴン・ソダーバーグ監督『ソラリス』(2002年)の2つの映画は、同じスタニスラフ・レムの『ソラリスの陽のもとに』(1961年)なので、同じ場面が描かれるが全く印象が違うのに驚く。そこで2作品を比較した。

 

1.出発前の地球の場面

タルコフスキー版 クリス・ケルヴィンの実家で、父親の友人の宇宙飛行士バートンのソラリスでの事件の報告、バートンの帰り道の場面など地球の場面が長々と続く。

ソダーバーグ版  クリス・ケルヴィンが精神科医だという紹介。妻について悩んでいる様子。

タルコフスキー版は出発前の地球の場面が長い。しかし、バートンの諮問委員会のビデオにより、ソラリスの海についての予備知識を持つことができる。また、最後に登場する地球の場面とも関連している。ソダーバーグ版はすぐステーションの場面になり、原作に近い感じがする。

 

2.ステーション内の状況

タルコフスキー版 ステーション内は散らかり混沌とした様子である。スナウトは挙動不審で、部屋の中に子供の耳のようなものが見える。サルトリウスの部屋から、ありえない小人が出てくる。

ソダーバーグ版  ステーション内に血痕がある。スノーは状況を説明しないが、はっきりせず軽い感じであり、ヘレンも部屋の中から物音がするが、はっきりわからない。

 タルコフスキー版の方が、ステーション内は何かの異変が起きているようだが、何だかわからず、緊張感が漂う。ソダーバーグ版はすぐ死体の発見から入ったためか、混とんとした状況の描写が少なく、緊張感が少ない印象である。

3.乗員の「客」

タルコフスキー版 ギャバリャン:娘 スナウト:子供(?) サルトリウス:小人(?)

ソダーバーグ版  ジバリアン:息子 スノー:弟(本当は自分) ヘレン:不明

 タルコフスキー版では、サルトリウスの部屋からいきなり小人が出てくるのには驚かされる。鈴の音と共に青い服を着た少女が後ろを通り過ぎる場面は幻想的ですらある。ソダーバーグ版ジバリアンの息子ははっきり見せすぎかも。ヘレンの客は死体袋しか見せない、誰だろう?スノーの「客」は自分だったというのは、原作にもなく、面白いアイデアだと思う。

 

4.ジバリアンの死体の発見

タルコフスキー版 クリスが青い服の女の子を追って冷凍室に入って見つける。

ソダーバーグ版  クリスがステーションに到着してすぐ、血痕を追って冷凍室で見つける。もう1体のヘレンの「客」もあった。

タルコフスキー版は、クリスが徐々に謎に迫っていく中で見つける。ソダーバーグ版はすぐ死体が発見される。よく見ると天井にスノーの死体の血痕がある。発着場にあった血痕はスノーの死体?それともヘレンの「客」?発着場で殺害して冷凍室まで運んだのはなぜ?

 

5.妻の最初の複製

タルコフスキー版 最初はハリーの出現を夢かと思っていた。現実と気づいたクリスが、ハリーをカプセルに乗せて打ち上げる。ハリーの叫び声が聞こえ、慌てたクリスは逃げ遅れて発射の炎に巻き込まれて火傷する。ハリーの服には切れ目がなく、鋏で切らないと脱げなかった。

ソダーバーグ版  現れたレイアとセックス(?)する。クリスが目覚めてすぐ、レイアに驚いておびえる。レイアは緑色のワンピースを着ていた。レイアをカプセルに乗せて発射し、クリスは悲しそうに見送る。

 タルコフスキー版は、クリスの慌てぶりが良く表現され、スナウトも同じことをしていたとわかる。また、クリスの記憶が曖昧なためか、ハリー服に切れ目がなく脱げない。彼女が記憶の産物だと分かり、ドキッとする。ソダーバーグ版はあっさりとした印象。クリスの記憶が曖昧な所はなかったのだろうか。

 

6.妻の2番目の複製

タルコフスキー版 ハリーは同じ切れ目のない服を着ているが、自分で服を鋏で切る。

ソダーバーグ版  レイアは青色の服。

 タルコフスキー版では、最初と同じ服を着たハリーが出現するが、クリスの1番目のハリーの記憶が反映されているのか、自分で服を鋏で切って脱ぐのが興味深い。ソダーバーグ版では、レイアが1回目と別の服(寝巻?)を着て登場するのが興味深い。

 

7.扉の破壊

タルコフスキー版 クリスが部屋の外に出て扉を閉めると、開け方が分からないハリーが金属製の扉を破る。大けがをして瀕死の状態になるが、すぐ傷が治る。

ソダーバーグ版  破壊された扉が一瞬映るが、クリスの幻想かはっきりしない。

 タルコフスキー版は、主人がいないと孤独を感じる複製の性質が悲しく感じる。複製の驚異的回復能力を劇的に表現している。ソダーバーグ版のDVDの、製作のキャメロンとソダーバーグ監督の音声解説によれば、レイアが扉を壊す場面は撮影したが、自殺の蘇生場面を強調するためにカットされたそうだ。劇的場面に欠ける気がするので、上映してほしかった。

 

8.液体酸素を飲んでの自殺

タルコフスキー版 ハリーが液体酸素を飲んで自殺し、体と服が凍り付いている。ハリーが大きく痙攣しながら、蘇生する。最初凍っていた寝間着代わりのクリスのシャツが解けて、ハリーの裸の体にへばりつき、体が透けて見える。

ソダーバーグ版  レイアが部屋着で自殺。痙攣しながら蘇生し、口がただれていたが治る。

 タルコフスキー版は、ハリーが苦しみながら大きく痙攣し、蘇生する姿が不気味であるが、美しくもある。ソダーバーグ版はあっさりした印象。

 

9.地球でのハリーの自殺

タルコフスキー版 喧嘩してクリスが家を出て行った。ハリーが家にクリスが持ち込んだ実験用の毒薬を腕に注射して自殺した。

ソダーバーグ版  妊娠したレイアが勝手に中絶し、クリスが怒って家を出ていった。レイアが睡眠薬を飲んで自殺した。

 タルコフスキー版では、自殺の場面はクリスの話だけ。複製のハリーの左腕には、注射針の跡がある。ソダーバーグ版では、クリスとレイアの対立をはっきり表現している。複製のレイアは、睡眠薬の記憶はある。

 

10.水のイメージ

タルコフスキー版 川の流れに揺れる水草。実家近くの湖の水でクリスが手を洗う。実家のベランダで、にわか雨に当たるクリス。容器に入った水でクリスの手を洗う母親。複製の地球で家の天井から流れ落ちる水に当たる父親。

ソダーバーグ版  雨が降り続く地球。

 タルコフスキー版では、水のイメージが様々に姿を変えて現れる。地球に対する思いか。ソダーバーグ版の雨は、タルコフスキー版に対するオマージュか?それとも『ブレードランナー』(1982年)へのオマージュか?

 

11.最後の場面

タルコフスキー版 複製された地球の実家で父親に会う。

ソダーバーグ版  複製された地球のアパートでレイアに会う。

 原作では、クリスはハリーの復活を期待してステーションに残る。タルコフスキー版では、地球に戻って来たと思ったら、そこはソラリスの海の中に存在する複製された実家で、クリスは複製の父親に再会する。地球に対する望郷か、父への愛か。なかなか理解が難しい場面である。ソダーバーグ版もクリスはステーションに残る。クリスが冒頭の場面のように包丁で指を切るが、傷がすぐ治るので自分が複製だと分かるのが面白い。クリスがいるのは複製の地球なのも、タルコフスキー版のようで興味深いが、(3番目の複製の)レイアと再会し、レイアとの愛に終始しているのがタルコフスキー版とは違う。

 

 

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