私の中に“仲良く”とか“人との摩擦を避ける”とか

思いすぎていたところがあって

それが自分を苦しめる一つの要素となって

いたのかなと最近思うようになりました



意見の相違があることや

人と人がぶつかり合うことも

当たり前のことで

それを最初から避けるのではなくて

何があった時にそれをどう修正していくか



相手の考えと自分の考え

気持ちのすれ違いはどうして起こったのか



もしかしたら思うところは実は“同じ”なんだけど

それぞれが見ている景色が違っていて

気持ちがすれ違うこともあります



とにかく話すこと

自分の意見を言うこと

本音を伝え合うこと

をしなくては理解し合えないのですよね



だけど私の場合はその前段階で

諦めてしまうという事を繰り返してきました



話し合う

意見を言い合う

という事に慣れていなくて

自分の育った家庭でもやってこなかったので

とにかく何も言わずに我慢するか

諦めて無難にいかせることばかり

してきていたんだな、と気づきました



親子だから上手くいくとか

言わなくても分かるとか

いつでも円満なんてあり得ないですよね



親子だからこそ、

恐れずに本音を伝え合う、

意見を言いあえる



でも親子だからこそ、そこに他人とは違う

甘えがお互いに生まれてしまったり



親子はすれ違うものなんですよね



私は娘に対して自分の子どもだという事を

思いすぎていた部分があるのかな、と

思いました



それこそ私の中に甘えがあったのだと思います



親子はすれ違うもの、

人と人は分かり合えない、

という前提が

私の中に最初からあれば

何かあった時に小さく「修正、修正」を

繰り返しながら

お互いのちょうど良い所を探して

着地点に持っていく努力を出来たのかな、とか

そんな風に思っています



自分の中にあった“当たり前”の前提



変えたほうが生きやすくなりそうなものは

前提を変えていく努力をしてみようと思います