255ex_S1 旧御射山の穂屋まつり◇霧ヶ峰 八島湿原の東 2026/08/05

 

霧ヶ峰、八島ヶ原湿原の東のはてに旧御射山(もとみさやま)の遺跡がある。

(旧御射山 ⇒ FM217_S1「武者のまつり◇諏訪下社の旧御射山」2025/07/18 へ)

 

穂屋(ほや)まつりの穂屋とは、ススキ(薄、芒)で葺いた祭祀のために参籠する小屋をさす。ススキの花穂が尾花(をばな)であり、また穂のでたススキも尾花という。

 

諏訪下社にかかわる山の奥宮であるが、いまその御射山の祭場は下社秋宮にちかい山中にうつり、もとの御射山は遺跡となって本御射山神社がのこる。

 

八島湿原の西はじにある八島ビジターセンターあざみ館を出発して、湿原の植物群落を北にみながら木道をたどり、湿原の東端に達した。

 

これは祭祀の場所をしめすガイダンスではなく、名物カレーなど食事と休憩の御案内にござる。

 

ススキをかきわけて「ヒュッテみさやま」にすすむ。なにはおいても腹ごしらえ。

 

なお画面後方に段丘状の高みがある。これが祭祀場の痕跡であるという。いっとき「日本にもあったコロシアム」とか「日本オリンピア」とかさわがれたそうな。

 

ヒュッテからさらに東に、かつての御射山の祭場がひろがる。いま湿地と草原である。見出し写真におなじ。

 

宿泊もできるヒュッテみさやま。さりげなく採集された遺物が展示されている。旧御射山遺跡でみつかった中世の狩猟神事のなごり、諏訪下社に関係するものといわれる。

 

かわらけ。素焼きの皿である。ほかに古銭や鉄鏃が出土している。

 

 

 

 

黒曜石。

 

「数十年前に旧御射山遺跡の周辺で採集されたものです。霧ヶ峰の周辺には黒曜石の原産地があり、黒曜石製の石器が多く見つかっています。」(展示パネル)

 

土器片。縄文時代早期後半とされる。器壁の表裏両面に条痕がある。

 

本御射山神社とよばれる石祠のわきに、前回訪れたさい案内解説板をみた。見ただけで、読んでない。このさい写真を解読しておく。(*1)

 

いにしえ旧御射山の地で武人が流鏑馬や犬追物をおこなったと解説する案内書が流布しているが、これは「虚偽」である。鎌倉時代の古図だとして下社旧社家にあった図を多くの案内書が掲載しているが、それは江戸時代末期につくられた「幼稚な」想像図である。

「ひたすらに国民の低俗なる歴史観に迎合し、ジャーナリズム的感覚を以て、愈々虚偽と誤謬を積み重ねて居る」-遺憾である、と口をきわめてののしる解説冊子にであう。

 

それは、ヒュッテみさやまで手にいれた1958年(昭和三十三年)の遺稿を後日印刷に付した小冊子。買っただけで、きちんと読んでない。よむ価値はありそうだ。(*2)

(大井 剛)

 

(*1) 旧御射山遺跡の案内解説板。(2025年7月18日撮影)

「本御射山神社」とは、この旧御射山の石祠の名であると説くが、「社務所」とあるところをみれば、移転先の「御射山神社」をもさすもののごとくである。

 

〔以下は案内解説板の翻字、かすれて消えた文字は推測により補った〕

 

旧御射山[もとみさやま]
 霧ヶ峰一帯は旧石器時代の遺跡が多く、また国内有数の
黒耀石の産地です。ここは旧御射山といい、諏訪神社下社大祝
金刺氏の禁足地で太古から御射山祭が行なわれた所です。
 鎌倉・室町時代は信濃武士・鎌倉武士が参加する全国的な
大祭として盛大でした。『諏訪大明神画詞』から、中世の下社
御射山祭を想い描いてみましょう。
 旧暦七月廿六日、大祝・神官社人・御頭役(祭の当番)一行が山に登り
尾花(ススキ)で葺いた穂屋に五日間籠りました。周囲に見える
人工の土壇は穂屋の敷地跡です。別名穂屋祭りと言われる由縁です。
この頃ちょうど二百十日に当るので、雨風を鎮め五穀豊穣を祈るため
狩猟を行ない、その幸を山宮の神に供えました。この間奉幣・
狩猟・饗膳[きょうぜん](神と人が相嘗[あいなめ]する式)があり、廿九日の矢抜きの儀には
鹿を射止めた者に、尾花を添えた尖矢[とがりや]が授けられました。
 参集の武将たちは小笠懸[こかさかけ]・相撲・草鹿[くさじし]・武射・揚馬など
競い、馬乗に秀でた諏訪の武士は名声をあげ人々の心を引き
付けました。また鎌倉幕府の篤い崇敬により、諏訪神の
武神としての信仰が確立したといわれています。
 諸国から白拍子・田楽・巫女・呪師などが山に群集し、祭場は
里のような賑わいであったと和歌にも詠まれています。この祭を
機縁に諏訪神が広く勧請されていきました。各地の諏訪
神社の多くが廿七日を祭日としているのも故あることです。
 江戸時代の中頃、御射山の祭場は秋宮近くの山中に遷され、
以来旧御射山は遺跡地となりました。ここに鎮まる石祠を
「本御射山神社」といい、建御名方神をお祀りしております。
付近には清水が湧き風そよぐススキは秋の稔りをほうふつさせます。
旧御射山は諏訪大社下社の山宮・水霊の籠るお山であり、諏訪信仰の原点です。
  尾花ふく穂屋のめぐりのひとむらに しばし里あり秋の御射山
                       下社大祝 金刺盛久
  ススキ箸 見たばかりでも涼しいぞ     小林一茶
  雪散るや 穂屋のススキの 刈り残し    松尾芭蕉
      本御射山神社 社務所
 

〔以上、引用〕

 

(*2) 『御射山祭の話 下社旧御射山遺跡』伊藤冨雄(1891-1969)著、刊行年なし。「ヒュッテ御射山 笹岡栄 笹岡ひさ」の名による刊記「遺稿出版にあたって」、および「伊藤冨雄略歴」を付す。頒価500円。

本書はネット通信販売「日本の古本屋」サイトに2軒の書店から約3千円の価格でうりたてられている。判型B6、36ページの小冊子にしては高価。(2026年8月18日現在)

 

同書の原稿は、『御射山』の著者も執筆の参考にしていると笹岡さんがしるしている。

『御射山』金井典美著、学生社、1968年。同、新装版、1990年。246p.

こちらもネット上では3千円くらいで出まわっている。本の価値は読むひとによってきまる、売り値ではない。

 

(更新記録: 2026年8月5日起稿、8月18日公開)