FM247_番外地 まいにちロシア語から生まれた日露交流史『日本とロシア』
<新刊卒読> 2026/06/24
シュラトフ・ヤロスラブ著『日本とロシア 忘れられた交流史』柏書房、2025年。335p.
著者は1980年ロシア極東生れ。いま早稲田大学政治経済学術院教授。
本書は、『ラジオ まいにちロシア語』(NHK出版)誌の連載「日露の400年~その知られざる歴史」(2014年4月号~2017年3月号)をもとに増訂して成った。
外語講座テキストの記事36回と加筆分は、各回ほぼ均等の分量で、文章はわかりやすく、固有名のロシア語表記、登場人物の生没年など、ていねいに情報が提供されている。
なによりも巻末の参考資料に圧倒される。おもな史料館・文書館・図書館のリストにはじまり、日本側の一次史料、ロシア語と日本語ほかの史料となる典籍、さらに露日の多数の参考文献が列挙され、ふつうの概説書にはみられない「根拠」の提示である。
あいにく索引はないが、こまかい章だてと見出しが手引きになる。そこで、本書の目次を一覧し、各回が対象とする年代をおおまかに示してみよう。
【本書の目次】 各回の表題・副題とその各項のあつかう年代(年次は引用者による)
はじめに 日露関係の出発点 --忘れられた交流、その多面性
第1部 初めての対面から、正式な国交樹立まで
第1回 ロシアに渡った初の日本人 ~ 1600年、17世紀初頭
--ニコラスの旅
第2回 相互認識の起源 ~ 16世紀末-17世紀
--日本とロシア、それぞれのイメージ
第3回 漂流民と日本語学校 ~ 1696年-1816年
--流れ着いた最初の使者、立川伝兵衛
第4回 日本を目指すロシア人 ~ 1702年-1739年
--「元文の黒船」事件
第5回 ロシア脅威論の出現 ~ 1771年-1791年
--ある冒険家をめぐるスキャンダル
第6回 外交の萌芽 ~ 1777年-1791年
--蝦夷地での交渉と大黒屋光太夫の長い旅
第7回 大黒屋光太夫の帰国 ~ 1785年-1793年
--そしてロシアからの遣日使節
第8回 すれ違う両国 ~ 1794年-1802年
--江戸幕府の強硬姿勢、露米会社の太平洋進出
第9回 平民による、日本人初の世界一周 ~ 1803年-1805年
--漂流民たちの数奇な運命
第10回 嵐の前夜 ~ 1805年-1806年
--矛盾に満ちたレザノフの肖像
第11回 初めての衝突 ~ 1806年-1808年
--「文化露寇事件」がもたらした波紋
第12回 ゴロヴニン捕囚事件 ~ 1807年
--「裏切り湾」、地名に刻まれた記憶
第13回 捕虜をめぐる駆け引き ~ 1807年-1816年
--ロシア研究、日本研究の進展
第14回 高田屋嘉兵衛の外交 ~ 1812年-1821年
--「民間人」がもたらした平和的決着
第15回 日本の「ボロジノ」 ~ 1803年-1821年
--「大東諸島」につけられた別名の謎
第16回 日本開国前夜の極東政策 ~ 1835年-1854年
--激化する東アジアをめぐる列強間競争
第17回 開国を迫るロシア ~ 1850年-1852年
--アメリカとの競争
第18回 長崎での開国交渉 ~ 1852年-1854年
--第一ラウンド閉幕
第19回 日露国交樹立 ~ 1854年-1855年
--親密な条約、プチャーチンの手腕
第2部 加速する外交、多様化する相互認識
第20回 「ピョートル・モデル」 ~ 1820年代-1855年
--近代化の師としてのロシア
第21回 加速する両国関係 ~ 1856年-1859年
--開国後の「最初の危機」を乗り越えて
第22回 箱館と長崎 ~ 1858年-1906年
--日露交流を担った町
第23回 日本における正教会 (1) ~ 1861年-1869年
--ニコライの来日
第24回 日本における正教会 (2) ~ 1871年-1912年
--知識人にとどまらない庶民レベルの交流
第25回 ロシアを目指す日本人 (1) ~ 1855年-1877年
--「密航者」橘耕斎、「外交官」志賀親朋
第26回 ロシアを目指す日本人 (2) ~ 1865年-1927年
--初めての「留学生」、市川文吉の活躍
第27回 ロシアを目指す日本人 (3) ~ 1860年代-1890年代
--嵯峨寿安の「シベリア横断」
第28回 最後の平和的な国境画定 ~ 1869年-1875年
--榎本武揚と樺太千島交換条約
第29回 宮廷外交 (1) ~ 1871年-1887年
--アジアを外遊するロシア人皇子たち
第30回 宮廷外交 (2) ~ 1871年-1917年
--「ツァーリ」の国、「ミカド」の国
第31回 大津事件 ~ 1890年-1891年
--ニコライ皇太子来日と襲撃の衝撃
第32回 メンデレーエフ家の謎 ~ 1860年代-1890年代
--ロシアの偉大な科学者と、日本人の子孫
第33回 革命運動家と明治日本 ~ 1850年代-1930年
--ノーベル賞学者メーチニコフの「兄」の功績
第34回 日露戦争 ~ 1891年-1905年
--「第0次世界大戦」
第35回 日露同盟の興亡 ~ 1905年-1917年
--日露協約、第一次世界大戦、ロシア革命
第36回 日本研究の勃興 ~ 1870年-1938年
--東のスパルヴィン、西のポズドネーエフ
最終回 ロシア日本学の黄金時代 ~ 1920年代-1980年代
--粛清、亡命、波乱の時代を生きた天才たち
おわりに 残された課題 --交流、そして探究の旅は続く
資料・参考文献
十七世紀にロシア人と日本人とがはじめて接してから、おおむね1917年のロシア革命までの日露関係史をたどり、20世紀なかばのロシア人による日本研究で幕をとじる。まことにバランスのとれたロシアと日本との交流史である。
(大井 剛)
【見出し画像】 Российский фрегат Паллада, Алексей Боголюбов (1824–1896), 1847. Central Naval Museum, Sankt Peterburg. 〔public domain〕
ロシアのフリゲート艦「パルラーダ号」Pallada、Alexey Bogolyubov 画、1847年。プチャーチンが日本に来航したさいの乗艦である(1852-1854年)。北太平洋をめぐる露米の競争は、ペリーの黒船(1853年)と日米和親条約(1854年)に先をこされた。
日露和親条約の締結にいたる、つぎの来航のときの乗艦「ディアナ号」とその命運はまた別のはなし(1854-1855年)。ときはクリミア戦争(1853-1855年)、ロシアとオスマン帝国、イギリスほか諸国とのあいだに戦争中であった。
(更新記録: 2026年6月24日起稿、7月7日公開)

