FM238_01 幕末の西洋式砲術演習◇高島平 板橋区立郷土資料館 (Ⅰ) 2026/03/07

 

天保十二年(1841年)日本ではじめて近代的な西洋流砲術の演習がおこなわれた。ところは徳丸原(とくまるがはら)とよばれた現在の東京板橋区北部、高島平である。

 

当時の徳丸原はひろびろと草地がひろがり、徳川幕府の鉄砲稽古場や鷹狩の地として使用されていた。

 

西洋式砲術演習の三年後、弘化元年(1844)に印行された地図に「徳丸原 鉄砲稽古場芝地広大也」としるされている。

 

武蔵国豊島郡の徳丸本村、徳丸脇村があり、その北に「城山」とあるのが赤塚城址である。「名産 大根芋」の字がみえ、いまもなじみのある地名の練馬、成増、新座などがとりまく。徳丸原の東を新河岸川が早瀬から戸田、川口へと流れくだる。成増で西から合流する白子川の名がみえる。城山をふくむ赤塚台地の西をかぎるのが、石神井川と川越道である。

 

地図は『増補東都近郊全図』弘化元年(1844)板元山崎清七、三田屋喜八ほか(板橋区立郷土資料館蔵)である。

 

「敬白起請文前書」と題する文書に、「西洋シイホルヨリ高嶋先生江相伝之砲術」云々とある。この高嶋先生こそ、くだんの西洋砲術演習を指揮した高島秋帆(たかしま しゅうはん 1798-1866)にちがいない。この徳川時代の文書の年次は不明。(板橋区立郷土資料館蔵)

文中に「礮」すなわち砲の異体字がもちいられている。

 

没後160年記念展「高島秋帆 ~高島平のはじまり~」*を板橋区立郷土資料館*に参観した(会期:2026年1月24日-3月15日)。(*1)

2階の特別展・企画展のへやである。(写真は東京都板橋区にて2026年3月7日撮影)

 

赤塚城址はいまも城山とよばれ、都立赤塚公園の西はじをなす。(*2)

城山をふくむ赤塚台地の北縁の崖線にそって東西約2km、ほそながい赤塚公園がつくられた。首都高速5号池袋線の高架道路に並行する。(*3)

城山の南側の丘陵上に赤塚植物園があり、郷土資料館は北側の低地、赤塚溜池公園にある。ちかくに板橋区立美術館もある。(*4)

(赤塚植物園 ⇒ FM238ex「赤塚城の南◇板橋区立赤塚植物園」2026/03/07 へ)

(板橋区立美術館 ⇒ FM014「徳川幕閣の生物画コレクション」2011/09/29 へ)

 

「高島秋帆」展の構成は、つぎのようである。

  第1章 はじめまして、高島秋帆です。

  第2章 徳丸原演習と高島秋帆

  第3章 広がる高島流砲術

  第4章 その後の高島秋帆

  第5章 もう一つの顔

  第6章 高島平のはじまり

高島秋帆の生涯をたどり、秋帆の流れをくむ砲術が地方へと普及するさまを紹介し、明治以後における秋帆の業績の評価、高島平の地名のなりたちにいたる大河ドラマである。

 

入館はただ、つまり無料。写真はとりほうだい(光源は不可)。ソーシャル・メディア等への公開も可とする。以下に記録をのこそう。

(大井 剛)

 

(続篇につづく)

 

【見出し写真】 「高島四郎太夫砲術稽古業見分之図」天保十二年(1841年)五月以降、伊村榮以画、紙本着色、板橋区立郷土資料館蔵。

 

(*1) 没後160年記念展『高島秋帆 ~高島平のはじまり~』板橋区立郷土資料館編刊、2026年1月。

 

(*2) 「赤塚城址と徳丸ヶ原」案内解説板(板橋区教育委員会)。

 

(*3) 「自然と歴史と文化の里・赤塚」案内図。

図面の右上(北東)はじに新河岸川。その下(南)に東西に都営地下鉄三田線、左(西)に終点の西高島平駅。その下が首都高速5号池袋線と赤塚公園。下(南)に東武東上線、川越街道と東京メトロ(正式名称は東京地下鉄株式会社)有楽町線・副都心線。

 

(*4) 案内図(部分拡大)。

 

(更新記録: 2026年3月7日起稿、3月14日公開、3月18日修訂)