FM236_01 生家と墓地と◇間宮林蔵記念館 (Ⅰ) 茨城県筑波 2026/02/06
間宮林蔵(1780-1844)の生家を移築復元したたてものによりそって間宮林蔵記念館*がたつ。2025年12月23日にはじめて訪れ、あくる年2月再度参観した。
(写真は茨城県つくばみらい市上平柳にて2026年2月6日撮影) (ただし記号〔*〕を付した写真は2025年12月23日撮影)
利根川の支流、小貝川の堤から数十メートルはなれた道に面して記念館の敷地がある。
塀の外からみた復元家屋と、記念館の入口(写真右)。
家屋の背面。
「縣指定文化財/間宮林藏之生家」の石柱。右は正門。
茨城県指定、記念物、史跡「間宮林蔵生家」である。(*1)
記念館のたてものの前にたつ間宮林蔵ブロンズ像。
台座の背面に刻文がある。(*2)
測量器具を手にする間宮林蔵のすがた。
館内には蝦夷地の地図をはじめ著作、測量器具にいたるまで、実物と模造品とをおりまぜて豊富に展示してある。地図の大きさを実感することができよう。
林蔵には実子がなかったが、生地伊奈と江戸とに間宮家をつぐ後継者がいた。現子孫宅に伝わる遺品もあつめられている。
観覧のはじめに、映像「間宮林蔵の一生」をみるよう勧められる。すなおにしたがう。9分間で生涯がよくわかる。現在の実写映像ではなく、全篇むかしばなしのような絵で通したところを買う。(切り絵:西山三郎、作曲:石原眞治、ナレーション:宗方一生)
案内・解説ブックレットがまことにゆきとどいている。(*3)
冊子、展示ともに蝦夷(北海道)、樺太(サハリン)、千島を分別しており、いらぬ誤解をさける配慮とおもわれる。ただし、林蔵の生きた時代には北海道のみならず樺太、千島をあわせて「蝦夷地」と呼んでいたことに注意すべきである。
生家の復元たてもの。
〔*〕「龍」字をかかげた破風。屋根の棟木の末端にあたる。一般に龍は火伏せの意をこめたものという。(*4)
内部。南からかまどのほうをみる。
かまどのほうからいろりをみる。
かまど。
復元生家の間取り。および復元前生家の平面図。(*5)
間宮林蔵記念館のまえにひろがる耕作地。
〔*〕地平線にかすむ筑波山。上の写真とはややことなる地点から。
この案内図の中央下部に間宮林蔵記念館(赤い字で現在地とある)、および間宮林蔵の墓とある。そのほとりを流れる小貝川。かつて筑波郡伊奈町(いなまち)であった。2006年(平成十八年)に谷和原村(やわらむら/やわはらむら)と合併してつくばみらい市となる。
図の中央上から左下にのびる緑の線は常磐自動車道、その下に並行する線が鉄道つくばエクスプレス線である。
記念館の駐車場にたつ石碑「県単圃場整備事業記念碑」。(*6)
数理と土木の才をみとめられて江戸にでた間宮林蔵にふさわしい。
それでは間宮林蔵の墓に参ろう。後半につづく。
(大井 剛)
(後半 ⇒ FM236_02 へ)
(*1) 茨城県教育委員会ウェブサイト「いばらきの文化財」による。
(*2) 間宮林蔵先生像、その台座背面の刻文。平成元年(1989年)七月。
(*3) 『間宮林蔵』つくばみらい市教育委員会 間宮林蔵記念館編刊、2018年。14p.
金100円也。記念館の入館料も一般100円である。65歳以上50円、70歳以上無料。
(*4) 日本建築学会 会員 WK氏がその情報網を駆使して筆者の質疑に回答をもたらした。諸家の御教示に感謝する。
(*5) 生家の移築復元について。昭和四十六年(1971年)実施。(案内解説板)
「復元前は、増築が繰り返され広くなっていましたが、部材等を検証し現在は23坪の茅葺平屋の建物です。
「当初建てられた位置から数回移動しているということです。」(茨城県教育委員会ウェブサイト「いばらきの文化財」の「間宮林蔵生家」による)
(*6) 「県単圃場整備事業記念碑」。昭和五十八年(1983年)建立。県単事業とは国の補助をうけない県独自の予算による事業をいう。
つぎに全文をうつす。記号< 」>は改行をあらわす。文意不明の個所もあるが、句切りに空格をおく。
狸渕(むじなぶち)の地名は現在ものこり、国土地理院地図にみえる。総工費4400万円のうち、「補助金40% 村15%」というのは、経費を地元の村と県とが分担した割合をあらわすのだろうか。事業主体である「福岡土地改良区」にたいして県が「補助」した分と理解しておく。「県単」とうたうからには、国庫補助金ではありえない。
此の事業は 狸渕浄圓寺前より中平柳地区界までの陸田地帯を 上平柳地区」
土地改良事業として 昭和五十六年七月より着工し 五十八年六月完了する」
昭和四十五年度より政府の米の生産過剰に依る稲作の減反が続き 再編(?)」
対策として転作を要請される 寛永年代関東郡代伊奈半十郎忠治公が谷原」
領開発以来の農地は 急速に発達した農業機械の高度利用と省力化の為に 」
圃場整備の必要にせまられ 受益者一同の總意に依つて完成したものである」
茲に事業を記念し後世に銘記する」
昭和五十八年八月吉日建之」
事業主体福岡土地改良区面積一六・八ヘクタール總工費四千四百万円」
補助金四〇% 村一五% 工事請負 有限会社 秋田興業」
(更新記録: 2026年2月6日起稿、2月16日公開、2月17日修訂)

















