CC0401 ソグド商人とゾロアスター教 Ⅰ ◇NHKCC 文明史講座をかえりみて

 2025/02/12

 

NHK文化 センターさいたまアリーナ教室をステーションとして2024年10月から開講した講座の「復習」を順次おこないます。オンライン講座を受講するかた向けです。
(
教室講座を受講しているかたには、対面で説明します。)

「美術品から学ぶユーラシア文明史」シリーズ
第4回 シルクロード商人のいのり ~ソグド人の信仰~ 2025年02月06日

(1) ソグド人のふるさと

地理から歴史にはいりましょう。
『シルクロードと唐帝国』森安孝夫教授(1948-2024)の著書から「ソグディアナ」の説明をおかりします。(*1)

「ソグディアナというのは「ソグド人の土地」の意であり、紀元一千年紀のユーラシアに雄飛したソグド人の故郷である。ソグディアナはユーラシアのほぼ真ん中に位置し、パミール高原から西北に流れアラル海に注ぐアム河[
ダリヤ]とシル[ダリヤ]に囲まれ、同じくパミールから流れて砂漠に消えるザラフシャン河やカシュカ河によって潤されてきた。」

「アム河・シル河という二大河の流域は人類史上きわめて大きな役割を果たしてきた。
「南にあるのがかつてオクソス(漢字名は烏滸[
うこ]すい)とかジャイフーンと呼ばれたアム河であり、北にあるのがヤクサルテス(漢字名は薬殺水)とかサイフーンと呼ばれたシル河である。
「この両河の中間地帯を、南の方からの視点で、マーワラーアンナフルとかトランスオクシアナという。前者はアラビア語で「大河(すなわちオクソス河)の彼方の地」を意味し、後者はその欧米語訳である。前者は七世紀後半にアラブ勢力が進出してくるようになってからの呼称であり、後者は現代語である。
「このトランスオクシアナこそが西トルキスタンの中心であり、内部にキジルクム砂漠を擁しながら、鉄器の使用が普及した紀元前六~全五世紀頃から灌漑網が整備されて、農業を基本とする緑豊かなオアシス都市国家群が栄えた土地である。そしてそのトランスオクシアナの一大中心がソグディアナなのであり、場合によっては両者はほとんど同義語として使われる。」

ソグディアナの諸都市を、中国側からの漢字の呼称とともに列挙します。(*2)
 サマルカンド 康国
 キッシュ   史国 (現シャフリ=サブズ)
 クシャーニヤ 何国
 ブハラ    安国
 チャーチ   石国 (現タシケント)
 カブーダン  曹国
 ウスルーシャナ 東曹国
 イシュティハン 西曹国
 マーイムルグ 米国
 
「これらの都市国家の経済基盤は農業であり、後世にはアラビア語地理書で世界の四大楽園の一つに数えられるほど豊かな土地となった。」
「仏教の極楽とか西方浄土、キリスト教のエデンの園など、いわゆる楽園というのは砂漠の中の緑豊かな別天地、すなわちオアシスのイメージなのであるが、まさにそういう所だったのであろう。」
 
(2) ソグド人の遺したもの

「石床囲屏門闕」全13点、12図 MIHO MUSEUM蔵 (*3)
 北周 6世紀第4四半期 大理石 200×90×62cm

物件の命名は、石製の床(とこ)を囲む屏風および入口の門という意味。墓のへやである。本来、しかばねをよこたえる石板(「石床」)とその脚があったはずだが、いま失われている。
 
囲いの屏風は(上図のように)12図あるが、第10図と第11図が一枚の石に浮彫りされているので、屏風の板11枚と左右の門2点とからなる。もと彩色されていた。美術館・博物館に展示されている美術品/考古遺物は、時をへて退色しているのである。
 
年代の北周(556-581)は中国南北朝時代の北朝、西魏にかわり鮮卑系の宇文氏が周王朝をたて、東魏をついだ北斉を577年にほろぼして華北を統一した。のち北朝最後の王朝、隋にとってかわられる。
 
遺品は蒐集品であるため出土地は不明。真贋をめぐり議論があったが、近年中国で類似の出土遺物が複数みいだされ、また世界各地の美術館に蔵される類品との比較を通じて、本件の本格的な研究が緒についた。
 
(3) 囲屏浮彫の意味するもの
 
墓主が正しく手あつい葬儀をへて楽園にいたる道すじをあらわしている。囲屏の構成をみると、「中央に死後の楽園での饗宴場面⑥を置き、その両脇に葬儀⑤と守護神の祭礼場面⑦を配している。この三つの場面は少なくとも墓主一族にとって一番重要な部分であったに違いない」。(*4)
 
この重要な図像について、続篇 CC0402 であらためてとりあげよう。
 
ここでは墓主の生前のなりわいであったとおもわれるキャラヴァン交易の場を観察する。
 
囲屏④である。図像の下部を省略した。
駱駝に荷を積み、東西のオアシス・ルートをゆきかう隊商をひきいて、交易に従事するさまと推測される。
「その護衛に長髪の突厥人とバンダナをつけたエフタル人が騎馬で護衛にあたっている。」(*5)
5世紀以来ソグディアナはエフタルの支配下におかれ、6世紀後半には突厥の支配をもうけるようになったが、エフタル、突厥ともども東西交易の経営にソグド人を重用した。
 
(4) 中国の漢字史料にみえるソグド人
 
『通典』所引『西蕃記』逸文
「康国[サマルカンド]人は並[み]な賈[こ] (あきない)を善[よ]くし、男は年五歳となれば則ち書を学ばしめ、少しく解すれば則ち遣[つか]わして賈[こ]を学ばしむ。利を得ること多きを以て善[よ]しと為す。」(*6)
 
『西蕃記』は隋の煬帝の命により杜行満とともに西域に遣使された韋節の旅行記。この書じたいは散逸したが、唐の杜佑の編んだ『通典』巻193、辺防、西戎に引用された文がのこる。
 
『旧唐書』巻198、西戎伝、康国条
「その人、皆、深目高鼻にして、鬚髯[しゅぜん] (ひげ)多し。
「丈夫(男性)は翦髮(短く切り揃えた髪)、或いは辮髪なり。
「その王は、氊帽[せんぼう] (フェルト製の帽子)を冠[かむ]り、飾るに金宝を以てす。
「夫人は盤髻[ばんけい] (大きいまげ)し、幪[おお]うに皁巾[そうきん] (黒絹のキレ)を以てし、飾るに金花を以てす。
「人は多く酒を嗜[たしな]み、好く道路にて歌舞をなす。
「子を生めば必ず石蜜(氷砂糖)を以て口の中に納め、掌[てのひら]の内に明膠[よいニカワ]を置く。その成長して口は常に甘言し、掌は銭を持つこと膠の物に黏[ねばりつ]くが如からんと欲すればなり。
「俗は胡書(ソグド文字ソグド語)を習い、商賈[しょうこ] (あきない)を善[よ]くし、分銖[わずかのカネ]の利を争う。
「男子は年二十となれば、即ち遠く旁国[ぼうこく]に之[ゆ]き、中華にも来適[らいせき] (来たりてゆく)し、利の在る所にて到ら不[ざ]る所は無し。」
[中略]
「隋の煬帝の時、その王・屈朮支[くつじゅつし]は西突厥の葉護[ヤブグ]可汗の女[むすめ]を娶[めと]り、遂に西突厥に臣たり。」(*7)
 
『旧唐書(くとうじょ)』は唐代をあつかう正史の一。正史とは公式の史書の意、かならずしも正しいとはかぎらない。
生れた子の口に氷砂糖をふくませ、手のひらには良くつくニカワをつける。長ずるにおよんで口はつねに甘言をはなち、手のひらにはニカワが粘りつくごとく銭がおさまるようにと願うからである。
ソグド語を筆記するソグド文字をあやつり、商売じょうずで、一分の銭の利益をあらそう。
多言語に通じて書記能力をもつ商人は、統治者にとってまことに便利な存在であったにちがいない。たいせつにあつかわれたのである。
 
上記の引用に対応する『旧唐書』の原文はつぎの通り。
「[前略] 其人皆深目高鼻、多鬚髯。丈夫翦髮或辮髮。其王冠氊帽、飾以金寶。婦人盤髻、幪以皁巾、飾以金花。人多嗜酒、好歌舞於道路。生子必以石蜜納口中、明膠置掌内、欲其成長口常甘言、掌持錢如膠之黏物。俗習胡書。善商賈、爭分銖之利。男子年二十、即遠之旁国、來適中夏、利之所在、無所不到。[中略]
「隋煬帝時、其王屈朮支娶西突厥葉護可汗女、遂臣於西突厥。[後略]」(*8)
 
(5) さきにすすむよすが
 
なにが問題なのか:
1 ソグド人の墓の装飾浮彫はなにを表現しているのか。
2 ソグド人の言語は理解できるか。
3 ソグド語文書とはどのようなものか。
4 キャラヴァン(隊商)交易の実態はわかるか。
5 ソグド人の活動は中国の文化や歴史にどのような影響をのこしたか。
6 ソグド人はその後どうなったのか。
 
【読むひとのために Ⅰ】
01『シルクロード世界史』森安孝夫著、講談社、2020年、講談社選書メチエ。
02『ソグド商人の歴史』エチエンヌ・ドゥ・ラ・ヴェシェール著、景山悦子訳、岩波書店、
2019年。
03『シルクロードと唐帝国』森安孝夫著、講談社、2007年、<興亡の世界史>05。
同、講談社、2007年、講談社学術文庫。
04『ソグド人の美術と言語』曽布川寛・吉田豊編、京都:臨川書店、2011年。
05『ソグド人と東ユーラシアの文化交渉』森部豊編、勉誠出版、2014年、
<アジア遊学>175。
 
(大井 剛)
 
(*1) 『シルクロードと唐帝国』森安孝夫著、講談社、2007年、<興亡の世界史>05。
同、講談社、2007年、講談社学術文庫。文庫版 pp.95-100 参照。
 
(*2) 註(*1)前掲森安著書、文庫版 p.99 に地図がある。
高等学校「世界史」科目、ないし大学入学試験受験用の参考書としての世界史年表・地図が参考になろう。手もとにそなえることをお奨めします。
 
(*3) 『文明をつなぐもの 中央アジア』MIHO MUSEUM 2022年秋季特別展、主催:MIHO MUSEUM、深圳市金石藝術博物館、京都新聞。
同図録、MIHO MUSEUM編刊、2022年。292p.
図版・解説:図録 pp.140-147. うち図版 pp.141-144.

『中国☆美の十字路展』2005年:東京展、森美術館。滋賀展、MIHO MUSEUM。2006年:福岡展、九州国立博物館。宮城展、東北歴史博物館。滋賀展主催:MIHO MUSEUM、日本経済新聞、京都新聞、中華文物交流協会。
同図録、大広編刊、2005年。275p.
図版・解説:「棺床屏風 大理石に彩色」図録 pp.241-244 に「参考作品」として掲載。
 
(*4) 註(*3)前掲図録『文明をつなぐもの 中央アジア』所収(pp.140-147)、「MIHO MUSEUM所蔵 石床囲屏門闕に託された物語」稲垣肇執筆。
 
囲屏のうち死後の楽園での饗宴場面⑥は、浮彫の写真が註(*1)前掲森安著書におさめられている(p.212)。
 
(*5) 註(*4)図録解説論文。
 
(*6) 註(*1)前掲森安著書、文庫版 p.103.
 
(*7) 註(*1)前掲森安著書、文庫版 pp.103-104.
 
(*8) 『𦾔唐書』後晋:劉昫等撰、〔標点本二十四史〕、北京:中華書局、1975年。
巻一百九十八、列伝一百四十八、西戎、康国。p.5310.
 
【見出し写真】 三彩駱駝 東京国立博物館蔵 横川民輔氏寄贈 高さ77.5cm 唐 7~8世紀
列品番号 TG-689 画像番号 C0089113
 
(更新記録: 2025年2月12日起稿、2月13日公開、2月14日修訂)