FM239 クシナダヒメの父をまつる足長神社◇諏訪市 四賀 2026/03/22

 

かれ、そのおきな答へまをししく、「あれは国つ神、オホヤマツミの神の子ぞ。あが名はアシナヅチといひ、めの名はテナヅチといひ、むすめの名はクシナダヒメといふ。」とまをしき。

(『古事記』神代)(*1)

 

スサノヲ(須佐之男)が出雲の肥川(ひのかは)にくだり、八俣(やまた)のヲロチを退治するはなし。ヲロチの犠牲となろうとするクシナダヒメ(櫛名田比売)の両親がまつられたやしろが、足長神社と手長神社である。

 

父のアシナヅチ(足名椎)をまつる足長神社が、諏訪市四賀(しが)足長山にある。母のテナヅチ(手名椎)をまつる手長神社は、諏訪市上諏訪茶臼山にある。

(手長神社 ⇒ FM151ex_S1「崖の上の宿◇上諏訪温泉」2023/01/12;
FM231_S1「元日の手長神社◇上諏訪」2026/01/01 へ)

 

足長神社の所在地名は四賀普門寺地区であるが、桑原城址のある山(山頂は標高約981m)の尾根の末端にある(山頂直下の三角点は標高976.9m)。ふもとの上桑原村のウブスナ(産土神)として足長神社が尊崇されたという。(*2)

 

甲州道中に接した丘陵のすそから石段をのぼって境内にむかう。

(写真1枚目、長野県諏訪市四賀にて2026年3月22日撮影)

 

一日数本かよう小型バスの停留所がある。この路線は今月末で廃止になると予告されていた。

 

石段のさきの鳥居をくぐり、石段がつづく。

 

足長神社の参道から真南の方角に、高遠にこえてゆく杖突峠がある。その右(西)が守屋山である。

 

画面中央に福山通運の倉庫、その左に小松精機の工場、右の緑色のタンクは諏訪ガス。これらの手まえ(北)に中央本線と国道20号がよこぎり、その向こうがわ上川(かみかわ)をわたると中央自動車道諏訪インターチェンジ、さらに南に諏訪上社前宮(諏訪市中洲宮山)や神長官守矢史料館(茅野市宮川)がある。

(史料館 ⇒ FM149_S1「生き神の筆頭神官◇諏訪上社 神長官守矢史料館」2023/01/12 へ)

 

参道はいったん車道をわたり、さらに石段をのぼる。車道は桑原城址の西をめぐって、北の霧ヶ峰のほうへのぼるが、この道路の丘陵にとりつく屈曲部が参道を切ったかたちになっている。

 

やや平らになった段丘のうえにいくつか建てものがある。

 

扁額「足長大明神」のかかる舞屋。神楽殿である。

 

屋根のうえに社紋。足長神社は、諏訪上社の末社に位置づけられる。旧社格は村社である。(*3)

 

段丘の平地からあがる石段のさきに拝殿がある。両つの燈籠の右に「本殿」の解説板(赤い消火器をおさめる箱のとなり)、左側に「拝殿・舞屋」の解説板がひかえめに立つ。

 

「足長神社拝殿・舞屋」解説板(諏訪市教育委員会) (*4)

諏訪市文化財、1988年(昭和六十三年)10月18日指定

 

木だちのなかに隠れるようにたつ拝殿。

 

扁額は「足長大神」。

 

しばらく社殿をめぐり、彫りものをみる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

拝殿のうしろの本殿とおもわれる。渡り廊下は後補とのこと。

 

「足長神社本殿」解説板(諏訪市教育委員会) (*5)
諏訪市指定有形文化財、1994年(平成六年)12月22日指定

 

拝殿のわきにさりげなく置かれた「足長神社」の旧い扁額。石製で鳥居のものであろう。

 

拝殿の下から西方、諏訪市のほうをのぞむ。画面左端に舞屋の屋根がのぞく。

 

丘陵の西側につづく道。登山靴のひとがひとりおりてきた。

 

てっきり城址にのぼる山道かとおもったら、じきに車道にでた。名づけて足長丘公園という、もとゲートボール場は、いま伐採した焚き木の集積場になっている。

 

いかにも見ちゃいかんという風情の道案内。

 

トゲトゲをかいくぐってのぞきこむ。

左右にはしる道は、手まえから国道20号、中央本線(鉄道)、旧甲州街道(甲州道中)。地図の左下端に諏訪警察署。甲州道中にそうように左から足長神社、仏法寺(仏法紹隆寺)、神戸(ごうど)神社の屋根がみえる。足長神社の右上の山が桑原城址。画面中央、仏法寺の右にある四賀小学校が目印になる。

 

石垣の地衣類。葉状地衣。ウチキウメノキゴケか?

 

車道をくだりはじめると、神社の舞屋に直登する階段があった。こちら側の集落からは、これがお参りに便利。

 

路傍の石仏群にまじって馬頭観世音、昭和七年(1932年)に矢崎さんがまつったもの。矢崎の名字も茅野に多い。

 

上諏訪駅から片道3キロメートル、徒歩約40分(よりみちしなければ)。往復の道すがら撮影した写真ははぶく。

(大井 剛)

 

(*1) 『古事記』神代、須佐之男命によるコシのヲロチ退治。

故[かれ]、其の老夫[おきな]答へ言[まを]ししく、「僕[あれ]は國つ神、大山津見神[おほやまつみのかみ]の子ぞ。僕[]が名は足名椎[あしなづち]と謂ひ、妻[]の名は手名椎[てなづち]と謂ひ、女[むすめ]の名は櫛名田比賣[くしなだひめ]と謂ふ。」とまをしき。

(倉野憲司校注)、『古事記 祝詞』倉野憲司、武田祐吉校注、岩波書店、1958年、日本古典文学大系。p.85.

 

アシナヅチ、テナヅチのツチ(椎)は、「野椎神の椎と同じく、威力あるものの尊称」(同書 p.85 頭注)。ノヅチ(野槌)が「野つ霊[]」の意とすれば、霊格はチにやどる。「自然物の持つはげしい力・威力をあらわす語」(『岩波古語辞典』1974年)であるチは、イカヅチ(雷)、ヲロチ(蛇)、イノチ(命)、タマヂハフ(魂ぢはふ)などの複合語をつくる。

 

コシ(高志)は出雲国の地名。『出雲国風土記』神門郡に古志郷がみえる。現地名、島根県出雲市古志町。神戸川下流域に位置し、弥生時代後期を中心とする集落遺跡、古志遺跡群がある。

スサノヲ(須佐之男)の命は天界から追放されて、出雲国の肥川[ひのかは]をさかのぼった鳥髪[とりかみ]の地におりたつ。いまの斐伊川にあたる。その水源は船通山(せんつうざん、標高1142.2m)で、伯耆国と出雲国の境にある。またの名を鳥上山といい、中腹に鳥上の滝がある。

 

『日本書紀』には諸伝あり、「簸之川」[ひのかは]、「脚摩乳」[あしなづち]、「手摩乳」[てなづち]とする。また「奇稲田姫」[くしいなだひめ]の表記が、霊妙不思議に稲の豊かに稔る田という語源をよくしめすと考えられる。

『日本書紀』上、坂本太郎、家永三郎、井上光貞、大野晋校注、岩波書店、1967年、日本古典文学大系。p.121.

 

(*2) 諏訪市博物館ウェブサイト「上桑原村(かみくわばらむら)」によれば、
  「和名抄」にみえる「桑原郷」に含まれると考えられ、

  中世には諏訪神社上社の御頭役を何度かつとめています。

  武田信玄との戦いで諏訪頼重が最後に立てこもった桑原城の城跡が

  北方の山の上にあります。
後世、上桑原村と下桑原村にわかれ、足長神社は上の村に属することになった。桑原の地名が、足長神社の南方、四賀桑原にのこる。下桑原村は高島城のある諏訪市中心部、諏訪市役所のあるあたりをさす。

 

諏訪市博物館ウェブサイト「足長神社」はつぎの通り。

  足長神社は諏訪神社の末社で、桑原・普門寺・細久保・武津の

  産土神(うぶすながみ)です。大隅流の工匠たちによる拝殿の彫刻が

  写実的で優れています。

 

(*3) 『日本の神々 神社と聖地』谷川健一編、第九巻「美濃 飛驒 信濃」白水社、1987年。同書 pp.168-171.「手長神社 足長神社」(執筆:矢崎孟伯)。

 

(*4) 「足長神社拝殿・舞屋」解説板(諏訪市教育委員会) 西暦年次を漢数字にあらためた。また長さのメートル換算の記述をはぶいた。

「祭神は足摩乳[あしなづち]神で、上桑原村の産土神[うぶすな]として崇敬されてきた。拝殿は天保十三年(1842)大隅流の大工矢崎専司らによって建造された。桁行[けたゆき]一間 梁間[はりま]二間、五棟造で三方に切目縁をまわし、擬宝珠[ぎぼし]高欄[こうらん]をつける。

「木鼻に唐獅子、欄間に竜・鷹・鶴、脇障子に麒麟・鳳凰、内部扉の両脇羽目に竜、その他各所に彫刻がついている。

「舞屋(神楽殿)は、文久二年(1862)石田房吉らによって建造された。間口五、七間 奥行三、五間、正面開口部上に大きな虹梁[こうりょう]を渡し、その上に竜・獏[ばく]などの彫刻を置き、木鼻は獅子の彫物とする。」

 

拝殿に「桁行一間(三、八メートル)」、「梁間二間(三、一メートル)」とあるが、換算に誤りがある。

舞屋に「間口五、七間(一〇、三メートル)」、「奥行三、五間(六、四メートル)」とあるのは、一間を1.8mで計算するとほぼ合致する。

 

(*5) 「足長神社本殿」解説板(諏訪市教育委員会) 西暦年次を漢数字にあらためた。

「この本殿は、拝殿より一段高い場所にあって拝殿とは後補による渡廊[とろう]によって結ばれている。

「この社殿の特徴は建築意匠にある。木鼻[きばな]はいずれも拳鼻で、獏、唐獅子などの写実的なものになっていない。蟇股[かえるまた]も板蟇股の中央に彫刻化する過程にみる絵様[えよう]的彫り出しである。脇障子に至っては、竹に小鳥を配した線彫りに近いものである。

「以上建築様式からみて、江戸後期、彫刻意匠の風靡する前の時代の建造物で、社額裏面の延亨[sic]四年(1747)の墨書などからして、十八世紀の建造物と考えられる。」

 

文中の年号は「延享(えんきょう)四年」。

 

(更新記録: 2026年3月22日起稿、4月4日公開、4月6日修訂)