FM231_S4 角間町十王堂の由来◇諏訪市元町 2026/01/04
上諏訪駅から南東に約1キロメートル、国道20号と旧甲州街道(甲州道中)とが交叉する諏訪市元町に、「十王堂跡」の碑がある。むかしの角間町(かくままち)である。
(十王堂跡 ⇒ FM231_S3「」2026/01/02 へ)
「角間十王堂 由来」と題する解説板がある。じつに見づらいが、おもいのほか読みやすい文章であった。下にうつしとる(改行とも原文のまま)。
〔以下、引用〕
初代高島藩主諏訪頼水には、亀姫という末娘があり家臣
小沢家に嫁いだ。ある日、この亀姫が書状を下男に持たせ
城に参上させたところ、途中平素仲の悪い隣の下男がこの
書状を奪い取り衣ノ渡川[sic]に捨て後難を恐れて永明寺[sic]駆け
込み命乞いをした。頼水は寺僧にその下男を渡すよう命じ
たが、これに応じなかったので寺を焼き払い、そのものの
首を刎ね槍の穂先に貫き、この場所に捨てて帰城した。
町の人たちは怨霊の祟りを恐れ、その首級を埋め十王信
仰に基づき亡者の裁きをする十王像を祀り堂宇を建てて
供養したと伝えられる。その後堂宇が老朽化したので明和
元年(一七六四年)、角間が生んだ名工、初代立川和四郎
富棟が江戸修行より帰郷後の初仕事としてこの十王堂を
建て替え、角間の守護霊として祭祀供養を続けた。
享和三年(一八〇三年)三月二日、高国寺裏手より出火
した火災(天狗火事)によって堂宇は焼けその後間もなく
多くの信徒の力で再建され、明治維新まで庶民の信仰の場
としてにぎわった。維新政府の達しにより神仏が分離され
排[sic]仏毀釈となり堂宇は廃寺、十王像は唐沢山阿弥陀寺の観
月堂に移され、内陣は岩屋堂として移築された。
なお、十王堂(念仏講)の遺品は、角間町に移され町の
文化財として保存されている。
〔以上、引用〕
文中の固有名詞をひろって、簡潔に注記しておこう。
諏訪頼水(すわ よりみず 1570-1641) 高島藩の初代藩主。1600年(慶長五年)の関ヶ原の戦で徳川秀忠に従い上田城を攻め、翌年上野国惣社より本領の信濃国高島に復帰した。1578年(天正六年)から9年間諏訪上社大祝(おおほうり)をつとめた。
衣之渡川(えのどがわ) 高島城の北を東から西にながれ諏訪湖にそそぐ川。
永明寺 上原城のあった永明寺山のふもとにあった寺。いま永明寺跡がある(茅野市ちの上原)。
永明寺山〔諏訪市博物館ウェブサイトより〕「茅野市と諏訪市の境界にあり標高1119m。山腹に上原城があり、諏訪氏が武田信玄に滅ぼされるまで中心となって栄えていました。鎌倉五山にならって極楽寺、光明寺、金剛寺、法明寺が建てられました。現在は永明寺山公園ができています。」
立川和四郎富棟(たてかわ わしろう とみむね 1744-1807)
〔諏訪市博物館ウェブサイトより〕「諏訪郡下桑原村(現諏訪市)の生まれ。江戸に出て寺社建築を修業、諏訪下社秋宮幣拝殿(重要文化財)を建て名声を高めました。合理的に組織された建築活動をしました。」
高国寺 旧甲州街道(甲州道中)に面する寺(諏訪市諏訪)。宣妙山高国寺。
〔諏訪市博物館ウェブサイトより〕「1624(寛永元)年江戸の日長上人が創立したと伝えられています。」
〔諏訪神仏プロジェクト・サイトより〕「上社「上り仁王門」(旧材は一部のみ)と仁王像を今に伝えます。参加寺院唯一の日蓮宗で、神仏分離の混乱の中、下取りによって保全された一例です。神宮寺と直接関係はありませんが、高島三代藩主忠晴の母、永高院によって再興され」ました。
阿弥陀寺 唐沢山の山腹にある寺(諏訪市上諏訪唐沢)。法国山阿弥陀寺。1598年(慶長三年)弾誓上人の開山。(⇒ FM231_S5 [未公開] )
〔諏訪市博物館ウェブサイトより〕「岩壁に面して本堂が建っています。」「本堂の裏に岩屋堂があり、石造十一面観音菩薩をまつっています。」
十王信仰 〔国指定文化財等データベースより〕東京国立博物館蔵「十王像(閻魔王)」(室町時代)の解説を引く。ここに「仏教」というのは、日本の仏教という意味である。
「仏教には、人が亡くなると、生きていた時の罪について十人の地獄の王の下で裁きを受ける、という考えがあります。その王たちの裁判の様子を描いたのが十王像です。亡くなった日を1日目として、49日目までの7日ごとに秦広王 (しんこうおう)、初江王(しょこうおう)、宋帝王(そうていおう)、五官王(ごかんおう)、閻魔王(えんまおう)、変成王(へんじょうおう)、太山王(たいざんおう)が裁きを行い、それでも結論が出ない場合は、100日目に平等王(びょうどうおう)、1周忌に都市王(としおう)、3回忌に五道転輪王(ごどうてんりんおう)が裁判を行います。このような過程を経て、亡くなった人が極楽浄土に行くのか、それとも地獄に行くのかが決まると信じられていました。
「描かれているのは、いずれも亡くなった人物が十王の前に引きずり出され、鬼から責めを受けている場面です。こうした絵は、法要などの行事で用いられると同時に、生きているうちにも悪いことをしないよう、人々への戒めの意味が込められていたと考えられます。 十王による裁判には、実は救いがあります。地獄に落ちそう、あるいは落ちた時に助けてくれるといわれているのが、地蔵菩薩です。そのため、十王、とくに閻魔王と地蔵は深いつながりを持つようになり、十王信仰と合わせて地蔵信仰も盛んになっていきました。」
(ColBase:[webpage] colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-764-5?locale=ja)
廃仏毀釈(はいぶつきしゃく) 「排仏毀釈」とも書く。仏法を廃除し釈迦を毀損する意。その運動は古来、中国でも日本でも生じたが、とくに幕末から明治初期に激化した運動をさすばあいがある。
(大井 剛)
(更新記録: 2026年1月4日起稿、1月9日公開)


