放送法問題がニュース上に高市総務大臣国会答弁の映像で流れて時間が経つが、未だにニュース性を失わず報道上に登場している。
偏向性を持たない公平な報道の現実性の問題ではないか。
このような法の実効性が問われているように感じる。 報道上の偏向性の証明、不公平不平等の定義など、評価、判断基準を明示できなければ結論は平行線をたどる。
戦後日本に公平な報道、言論のあった事が無い。 為に現在の日本の低下を招いていると
嘆く私の目には、役にも立たない法で時間つぶしをするなとの怒りがこみ上げる。
繰り返すが、戦争を招く軍隊はいらないという偏った発言に振り回され、国民の安全保障がおざなりにされてきた。 数えればきりのないリベラル発言の偏向性を正すことを怠り、国の政治を歪めてきた日本ではないか。
今更役にも立たない議論を蒸し返していないで、まっとうな政治に向かってはくれまいか。
民主主義というのは、手続きを要する面倒くさい方法論だ。
しかし、専制政治の危険から政治を守るために選択した民主主義なら、その有効性を論じて効率化を図るべきであった。 そのための研究機関である学術界がこぞってリベラルを名乗り、偏向性の中に身を置いてきたため、日本においては未だに戦後70年変わらぬ無様を呈している。
無様とは、持ち寄った議論を審議して合意を形成し、優先順位をつけて国の方向性を正す作業性を持たない現在の政治状況を指す。
意見を持ち寄って議論を重ね合意を形成するなど出来るものか。 それぞれ有権者との約束を持ち寄っている。 簡単に自分の意見を曲げることなど出来ない。 合意形成などと出来もしない事を軽々しく口にするな。
当然の批判の声が聞こえてくる。 私の内からの声がそう叫んでいる。
だから民主主義手続きは面倒なのだ。 だから政治は出来ませんでは国が成り立たない。
その成り立たない政治を、戦後70年に続いてこれからも続けるか?
難しいのではない。 有権者の票集めに徹してきた政治構造にメスを入れて、政治家の資質向上を図る方法論を構築するしかない。
70年という長い時間を、自己利益に向けてきた政治言論界を揶揄するのは、彼らが日本への貢献を果たさず、時間を無駄にしてきたからだ。
70年、議論の効率化を含めその合意形成の方法論を試行錯誤していれば、日本の民主主義も成長していたはずだ。 頭を使わない学者集団はいらない。
日本の大学の在り方を批判する基もここにある。
70年間日本の議論の在り方に疑問を持ち、日本の議論の成長を夢見てきた。
馬鹿を淘汰する議論の在り方くらいは身に付く時間ではなかったか70年は。
松尾洋