文藝春秋6月号です。 倉本聰さんが、人間の暮らしを取り戻そうと誌面に訴えている。

地球にやさしい、自然の恵みや恩恵を享受する、安らぎのある生活を取り戻そうと呼びかけて皆さんの意見を募集していらっしゃいます。

生活の知恵や、「貧幸時代」の実践例」とアイデアだそうです。

締め切りは、令和4年5月31日、宛先は文藝春秋編集部「貧幸時代」係。

「貧幸時代」とは、華美に流されず人間生活の必要な分に沿った、幸せに寄り添う安らぎの生活と言えばいいのでしょうか。 対比する言葉は「消費時代」かと思います。

 

地球に生かされる人間が、地球を食いつぶす生活を続けてどうするかと叫ぶ倉本さんの怒り、心配が手に取る様に分かる手記です。

せめて日本社会だけでも何とかしなければと焦る倉本さんの姿を髣髴とさせる。

 

私は個の結集を社会と見て社会の単位で物事を捉え、導く道程に関心を向けています。

導く道程が政治です。

個々の声の高まりが世論を形成して政治に反映される。 個々の声は小さなものではなく世論形成の出発だと考え、個々の声を大事にする倉本さんの手記に勇気をもらいます。

そして、伝える事の大事さも政治の根幹だと考えています。

政治に感じる一番の不満というか、不信は、政治声明の曖昧さですね。 政治家の発言が国民、社会に向いていない所以の曖昧さと不満を常に感じています。

何処に向いているか? 方向は常に政権調整です。 政権維持を目指した、派閥間や政党間の政策調整を採用することで、政治の本質からずれた発言となってしまう。

そのままに報道するジャーナリズムを批判するのも、ずれた政治声明を問い質す事が言論の本質であるはずなのに、何を憚ってか知らないが用をなしていない。

倉本さんや私たち年寄りの経験や知識を反映させる言葉を、「歴史の俯瞰」という言葉で表現していますが、『政治とは歴史を俯瞰して将来を画す事』と定義する所以です。

歴史の俯瞰が見えない政治は、この国において歴史の総括がなされていないからだと判断する私は、その職責に在する者への批判としてブログに記載しています。

 

私は、あの世に背負っていけない物は持たないように心掛けています。

今どれだけ必要か、使用した後どれだけの価値が有るか等を価値判断の基準とします。

時々思い出すのは、不便を感じることなく暮らしてきた、物のなかった時代。 

対比すると、物の有難みと価値がよくわかりますね。 持つか持たないかの判断基準としても使えますよ。

松尾洋