統一教会問題が、日本社会にはびこる、世界にはびこる問題だという事で、問題解決の必要性が昭和の時代から続く問題だという事を再認識した。
昭和の時代からというのは、宗教問題が常に存在し、政治介入が許されずに来たという事だ。
なるほど、日本社会の無責任体質による問題の取りこぼしか、垂れ流しという事だ。
これは行政作業の仕事の効率をはじめとする社会問題と捉える。
行政の執行は法律を根拠として作業は進む。
前回、統一教会批判において法学者批判を重ねたが、社会運営は法に基づいて行われるわけだから、法律の見直し、点検責任は法学者が引き受けざるを得なかろう。
宗教問題に政治介入が出来ないというのは、政教分離、信教の自由に基づく法律問題だ。
宗教が、社会問題を引き起こすのであれば、法制及びあらゆる手立てを使って対処するしかない。 30年据え置かれたという事は、30年の無策を表す。
以前、九州大学法学者の発言に批判の記事を書いた。
北九州での、暴力組織による民間人攻撃を裁く判決に、強引な法の適用で容認できない旨の教授発言だったのに対する批判だった。
要するに法の適用が間違いなら、目の前の社会不安にどの様に対処するかの責任を持つ法学者が、正しい道をさし示さなくて誰がその任を追うのかという批判だった。
出来ませんでは社会運営は成り立たない。どうでもいいから考える頭を持って発言しろ。
私は前回、日本の法体系の間違いに言及した。
裁きの法では、社会運営が出来ない。 待ちの法での社会運営は後手を取る。
対処は出来ませんの法では無く、どうするかの法を考えろと発言した。
その為には、国家運営、社会運営の方法論としての法制度でなくては役に立たないだろうと訴えた。
統一教会と安部さんの接点が明るみに出てきて、政治家との係わりが見えてきた。
いつものパターンだ。 いい機会だ、これを追及してこの際統一教会を潰してしまおう。
その方法論を考えてみようと思う。 本格的にやろうとすれば金が掛かってしようがない。
行政というのは金を食うものだ。仕事の効率化を図るのも法制の仕事と言ったのはこれに当たる。
欧米は民主主義国だが、宗教問題が社会に不安を及ぼすなら果敢に対処している。
国家運営に必要なら、国家権力を高めて、スパイ法や、多くの規制を制度化して国を守っている。 国を守るという事は国民を守るという事だ。
私には出来ませんというのなら、職務から降りてもらいたい。
松尾洋