私が障害の事を書いた理由。 | つくしのブログ

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母(私)つくしです。
発達障害の兄弟、にぃーにとちびちゃん。たまに娘、おねぇーちゃん。

みんな障害だけどいろいろあるけど、手仕事大好きでお料理や畑の記事も多いです。




解離性同一性障害と
あらためてupした理由。


前にもupさせてもらってるし

紹介の所にも書いてるから


知っている方は
知ってみえるのですが…


私のblogを読んでくれている
方の中には

今、闘病生活をしてみえる方

必死で病気や障害と
闘ってみえる方

お子様や親御さん
親族を亡くされた方

いろんな方が
私のblogを見て下さり

とても有り難くて…。


実際、おねぇーちゃんも
闘病生活をしてて、



でもね


年末から自身の調子が良く
なくて

夏の終わりから
随分と続いててね


おねぇーちゃんの事
にぃーにの事

他にもいろいろ
たくさん、いろいろあって


生きているのだから
いろいろあって当たり前
なんだけれど


踏ん張りきれない
頑張りきれない
自分に気がつきました。


「私が居なくなればいい」

私が生きているから駄目なんだ!
私が死んだら良いんだ!

皆んな楽になれるんだ‼︎

3度も動脈を切って
傷だらけの手首に手をあて


また何度も  何度も
動脈の確認をしながら

もう助けないでって

他の人格の子たちに
お願いしてた。


解離性同一性障害と診断される
前の10年近い

引きこもりの中

その後も多々


自分が生きている事が
皆を苦しめている!

自分が駄目なんだ!

自分がわからなく
自分がいらなくなり


何度も、何度も
「これで死ねる」

そう思った。


人様の命を大切にする
看護師をさせてもらってながら

その知識で
自分の命を絶つ事だけを
考えた日々があった。


確実に動脈を切り
それでも3度、助かった

首吊りをし
それでも気づいたら
助かっていた

まだまだ死ねる薬が
処方される時代であったから
致死量の三倍以上を集めて

飲んだけれど
気づいたら胃洗浄され
炭で黒々となりながら

生きてベッドの上

とにかく確実に死ねる
考えられる事を
書けないけれど沢山しました。


その後、自分の体が
救急車を呼び
助かっているのだ、、

交代した、他の人に
助けられていた

生かされていた。


そうかと思うと
自分に全く記憶のない


リストカットやODもあり
交代した人がするんだけど

私に嫌がらせとしての場合、

交代したその人が
苦しんでいて、してしまう場合、

それは
いろいろでした。




母に生かされたこの体

多分、死ぬまで私の中で
母は存在し続けるのであろうと
そう思う。


私は解離性同一性障害と
向き合って
生きていくと

そう決めたけれど

絶対に自分で死なない!

決めたけれど

揺らいでしまう事はある
たくさんあるんだよ


たくさん考えると

結果として

自分が生きている事が駄目なんだ!


それが結論になる。


逃げたい訳じゃない
そう言われた事があるけど

逃げるだけなら簡単だ
きっと

いらなくなる自分と闘う事が

いらなくならないように

大切にする事が
私には、とても大切です。



正気と言うか
正しい判断が出来る時は

死にたいにはならない。


守るべき子供たちが
いてくれるから

旦那さまが
いてくれるから

旦那様のご両親が
いてくれるから


再認識のための
解離性同一性障upだったと
思います。