撫子さんへ。 | つくしのブログ

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母(私)つくしです。
発達障害の兄弟、にぃーにとちびちゃん。たまに娘、おねぇーちゃん。

みんな障害だけどいろいろあるけど、手仕事大好きでお料理や畑の記事も多いです。



コメント返信が長くなる為
本文で、書かせて頂きます。



撫子さん

以前からblogを拝見させて
もらっております。

撫子さんの無念な思いや、

なにより娘さんの最期、
無念でなりません…

どうぞ、今は自由に
苦しみなき世界でって
いつも思いながら

その事を願って止みません。



「無意識の世界に閉じ込められたトラウマが原因ですが、正しい治療がされたら、トラウマの受容、共有し、完治可能な病です。」


撫子さんから頂いた
コメントから引用させて
もらいました。



私の場合

発病当初から解離性障害と
病名はつきましたが
(20代前半)

解離性同一性障害と診断が
つくまでに約10年かかりました。

他の色んな病名は
細々と診断されておりますが…


撫子さんのおっしゃる通り
日々の生活に

とくに時間!

とても支障をきたして
いると感じていましたし、

自身の憶えのない行動、

大変に不快な思いや
苦しみ、屈辱、

言葉では表せないです!


約10年、正しい診断名が
つかなかった原因としては

・解離性障害(解離性同一性障害を抜く)
   の症状で全て収まりがつく、

解離の中で
してしまった事であり
自身で憶えていないだけと。


・その当時の主治医の先生が
    解離性同一性障害に批判的であり
    ご自身で、認めにくいと…

その中で解離性同一性障害と
診断された事には

本当に色んな事がありました。


10年近く
私はその先生を信頼し
今でも信頼しておりますが、

私自身が引っ越した事と

先生が解離性同一性障害を診ると
悪くしてしまう恐れがあると

その二点から
病院を変える事になったの
ですが、


現在でも、とても解離性同一性障害を
正しく診て下さる先生や心理の先生
は、とても少なく

簡単に診断し診て下さる
先生に限って

症状を悪化させてしまう事に
繋がると思っています。


私は今現在、44歳になりますが

当時、この障害自体
正しい知識や治療法など
無いに等しく

本を読みあさったり
なれないパソコンを使って
調べたりしながら

赤城高原ホスピタルに
連絡を取りましたが

当時の時点では
「現在、解離性同一性障害については
   診ておりません。」
との事でした。


とても遠かったのですが
この先生ならと‼︎
思う先生がいましたので

連絡をさせてもらい
折り返し、先生自身から
連絡が頂け

それだけで嬉しかった事を
覚えております。

しかし先生自身、予約の方だけで
手一杯で診察して頂くまでに
どれだけ待たなくてはならないか
わからない状況でしたので

その先生から
教え子と言う、名古屋の大学の先生を
紹介してもらい

予約を入れ受診したのですが

研究に参加しなくては
ならない書類にサインをする事が
一番のネックになり

継続受診は断念しました。

なにより第一印象で
合わないと感じた事も大きな理由
と言えると思いますが…。



中でも、私自身いろいろと悩み
考えた結果ですが

統合を望まず、
共存すると言う事を選びました。

他の人格の子、人も
統合を望まない方がみえましたし

私にかわって
辛く 哀しい思いを沢山
持ってくれています、

私自身、これ以上の苦しみが
あったのかと!

診断された時は
本当にビックリしました。


解離性同一性障害と
私達家族との付き合い方
については

私なり、主人のblogで
綴っていきたいと思っております。


ありがとうございました。