私たち中年夫婦は長い間ギクシャクしている。子供でも居れば違うのかもしれないが、残念ながら二人っきりの生活だ。
東京に居る親戚の結婚式に夫婦ともよばれた。飛行機で行き、あてがわれたホテルに落ち着いた。夕食をとるためにホテルを出た。土地鑑がないから外観で店を選ぶしかない。翌日の披露宴は和食とわかっていたから、洋食にしようと、わりとお洒落なレストランに入った。妻は何も言わずについてきた。二人で外食するのは何年ぶりだろう。
レストランは、どの席からも厨房が見えるように配置されていた。白い厨房服を着たシェフやスタッフが忙しげに動き回っていた。
案内された席に座りメニューを見る。私は食欲があったからコースを、妻はもともと少食だからアラカルトで一品だけ選んだ。
改まった感じで向かい合って座ると、気まずい雰囲気になってしまう。
妻は置かれている空の皿をしげしげと見ている。皿をひっくり返して、裏にある銘に見入っている。妻は陶芸に興味を持ち、近眼だから眼を細めて舐めるように見詰めている。それが済むと、店内をくまなく見回し、私と眼を合わさないようにしている。
妻は近眼にありがちなしかめっ面をして、対象が不明なときはじっと見詰める癖がある。たまたま眼が合ったシェフは、妻が視線をそらさないから戸惑っていた。
私は、明日は和食のフルコースということを思い出して、先ほど注文したコースの一部は取り消してもらった。
料理が運ばれてくるまでどうして過ごそうかと思案していた。腕組みをしたとき、腕に硬い感触が伝わってきた。スーツの内ポケットを探ると、先日買った電子辞書が手に触れた。今日は結婚式に出るために上等のスーツを着てきた。電子辞書を買ったときにも着ていて、ポケットに入れたまま忘れていたのだ。
英語を勉強するためだったが、フランス語の辞書も内蔵されている。メニューに載っているフランス語綴りのメニューを翻訳してみた。料理が運ばれてきたが、妻との会話はないから、目の前の料理とメニューを対照しながら、次々と電子辞書で翻訳していった。
今後のために、いつも持ち歩くメモ帳を取り出し、書き写していった。料理を目の前にすると、メモが生きいきとしてくる。とうとう会話がないまま食事が終わり、レジに向かった。
そこへシェフが泳ぐようにあらわれて言った。
「あの~、調査員の方ですよね?」私はある金融系の会社で調査部に在籍している。どうしてこのシェフは知っているのだろう。どうも記憶にない顔だが。
「はい。そうだけど……」
「星の調査員ですよね!」
私の名前を知っているとは驚いた。
「はい。星野ですが」
「よろしくお願いします! 勘定は結構です!」
このシェフに恩恵でも与えたことがあるのだろうか。私は必死で思い出そうとしていた。シェフはふたたび「よろしくお願いします!」と言い、レジ係りになにやら耳打ちして厨房にもどった。
レジ係に勘定を要求すると、めいっぱいの笑顔で「結構です」という。わけがわからないままレストランを後にした。
翌日の披露宴で出された和食は、今度ミシュランガイドで選ばれた、そのホテル内にある店のものだった。そのことを誇らしげに披露宴の司会者が告げたとき、前日のいきさつがわかった。私達夫婦は、ミシュランガイドの星の調査員と勘違いされたのだ。
私は帰郷してインターネットでミシュランガイドのことを調べて確かめた。
・席に着いた直後に皿を裏返してしげしげと眺める
・2名で来店し、1人がアラカルト、1人がコースで料理を注文する
・コースの内数皿だけ省略するよう要望する
・電子辞書で食材を調べる
・メモを取っている
それ以来、私たち夫婦は、そろって外食することが多くなった。面白半分だったが、もう調査員と勘違いされることはなかった。
それよりも、間違われたことから会話が弾むようになって、すっかり夫婦仲が戻ったのが何より嬉しい。
今回の結婚式はその意味で三ツ星だった。
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