俳句とは・・・ | 鯖水袖洗(鐘梨) さんのブログ

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正岡子規の俳号はホトトギスという意味。ホトトギスのくちばしが赤いので血を吐いたように見えるから結核を意味するとか。つまり子規は結核で自分の死期を悟り自虐的「俳号」を名乗った。
小生は俳号を「鐘梨」(しょうり)と称す。「車到山前必有路、船遇頂風也能開」

こんばんニャにゃー


俳句とはなんでしょう?


難し過ぎる~うあせる


「季語」とか「切れ」とかとかくルールが多い。


なんせ5・7・5の17文字で表現しなければならないのだから。


正岡子規は「俳句とは写生である」と言っていた。


たった17文字の中に見たままの風景を織り込み心情を詠むなんて、私には無理無理 叫び


だいたい俳句を詠むには教養がないとね汗


無駄な文字を削って削って17文字にするんだから、それを読んむ方だって教養が必要。


省略された文を推察し想像し・・・ん~ん共通認識ないと詠み人の気持ちわかんないよ。


川柳の方がまだわかりやすい。


なんせ季語とか決まった定型ないから自分の感情をストレートに表現していい。


俳句は自分の感情を書いてはいけないんだそうだ。


では何故そんな面倒くさいことを始めたのか?


それは「血」であろう。


「鯖水家」は大正期まで富農であった。


父の話では曽祖父は村人から「旦那」と呼ばれ、俳句を詠み教養人であったそうだ。


かつて鯖水家生誕の地に行ったことがある。


村の墓地では一番上の場所に一基独立して鯖水家の墓があった。


昭和に入り没落し、戦後農地を没収されたとはいえ、鯖水家に生まれたからにはプライドがある。


残念ながら父の代、私の代で出世した人が鯖水一族にはいない。


なんせ文化人だから出生欲とか国に仕えるとかいう発想がない。


軍人を出していないのも鯖水一族である。


非国民と呼ばれようが一族の誉れである。


なんせ先祖は平和主義で商売っ気のない農民ですから・・・。


それ故私はその血を受け継ぎ「俳句」を詠みたいのである。


それが私なりの「鯖水家の再興」なのである。



しかし私、実は武闘派です。


お国のために働くのが「鯖水家の汚名返上」と思って青春期を過ごしました。


でもやっぱり鯖水家は平和な一族、国家公務員にならなくて良かったと今は思います。




ほにゃパー おやぶみ~いぐぅぐぅ




by 鐘梨