『黄ばんだゴム手袋』
あらすじ
駄菓子が買える値段で中古のエーアイアンドロイドが買える時代。エーアイアンドロイドは、法律で「創作」が禁止されエーアイアンドロイドは、「肉体労働」として重宝されている。
作家の私は、肉体労働の追体験を書くべくエーアイアンドロイドを取材するが・・・・・・
『黄ばんだゴム手袋』
駄菓子が買える値段で、中古のエーアイアンドロイドが買える時代、エーアイアンドロイドは、法律で絵や文を「創作」できなくなった。
代わりに、エーアイアンドロイドは、「肉体労働」で重宝されている。
例えば、人類は、トイレ清掃をしなくなって何世紀経っただろう。人間の身体は、トイレ清掃をとうに忘れてしまったのだ。
このような背景から、作家の私は、「労働」をテーマに文を書くことにした。特に、肉体労働についてである。肉体労働を身体化された人間が、エーアイアンドロイドに淘汰されいなくなった世界に肉体労働を追体験できる文を書きたかったのである。
しかし、私は、肉体労働なんて何ひとつできなかった。
だから、エーアイアンドロイドを取材することにした。
仕事でトイレ清掃をしているエーアイアンドロイドは、あらかた私の質問に応えた。
私は、作品を完成させ公表した。
世間は、その作品を見逃さなかった。
エーアイアンドロイドと「対談」している、「創作」だ。違法だ、犯罪だと批判が集中した。そして、私は、逮捕された。だが、結果的に、エーアイアンドロイドとの「会話」を「創作」と見なされなかった。
私は、反省して、もう一度「労働」をテーマに書くことにした。
今度は、エーアイアンドロイドに取材しなかった。私が、肉体労働、つまり、トイレ清掃することにした。
おぼつかない手つきで便器を擦る私。くり返す。トイレ清掃を体が覚えるまで。
とうとう我が家に、トイレ清掃するエーアイアンドロイドは、いらなくなった。
そうして、作品ができ公表した。
今度は、作品に対して反響はまるでなかった。肉体労働の追体験なんて誰がやるか。そういう態度が世間には、あったのだ。
作品はそうだったが、私自身は違った。私は、トイレ清掃する人間として注目された。
そして、私にトイレ清掃を依頼する人間まで現れた。血の通った肉体労働として市場価値を認められたようだった。
今日も、私は、エーアイアンドロイドにまじってトイレ清掃する。人間として。