2018/05/12@川越

監督 デヴィット・リンチ

1.1980年の作品

2.誰にもある偏見と差別から目を背けるな

3.そして今日、号泣

 

デヴィット・リンチ特集で復活。念願のスクリーン観賞、妻と出かけました。

 

初見は小学生だったと思います。兎に角ルックが怖くって、目を背けながらTVで観ていました。衆人に頭巾を剥がされ、追い詰められた時の叫び「僕は人間なんだ!」が心に突き刺さりました。エレファントマンを恐怖と好奇の対象として見ている自分に気づき、自己嫌悪に陥ったのです。この映画には善人と悪人が描かれていますが、自分はどちらの人間なんだろうか、願わくば、偏見ではなく、その「人なり」を見られる人間になりたいと思って今まで生きてきたのです。

 

大人になった今、大きなスクリーンで観て、涙が溢れてしまいました。トリープス医師の家に招かれて夫人と会話して「今までこんな美しい人に優しくされた事がなくて」と涙を流すジョン、、、。ジョン・メリックの人生がワーっと迫ってきて僕も号泣です、まだ中盤なのに。

 

今日観賞して、ジョンを所有していた興行師も時折優しい視線になったり、トリープス医師もジョンを社交界の見世物にしていると後悔する場面もあり、ただ善人・悪人だけではなく相反する気持ちを抱えながら人は生きている事を再確認。自分の中にある差別や偏見を意識しながら、如何にそれを平等にできるか、常に考えている。ジョンは病気なのだから、悪い事をしている訳がなく、1980年の映画であり、実際のジョンは19世紀末の人物であり、その偏見と差別は今でも現実にある訳だから、人間の闇はなくならない、普遍的な問題なのです。

 

そして、さすがはデヴィット・リンチの出世作、こだわりの作品に仕上がっている。実際の出来事になぞらえながら、奇形のエレファントマンが恐ろしく見えるようにモノクロだったり、登場のさせ方、印象的な頭巾、その佇まい、歩き方、監督の作家性が随所に見られる。デヴィット・リンチの演出だから、小学生の僕が恐怖を感じても仕方がないと思ったし、それがあるからジョンが人間であることを強く意識されて心が揺すぶられる。自分の中に善と悪が同居することをハッキリと意識させられる気味の悪さ、これがデヴィット・リンチ、一級のエンターティメントです。

 

看護の日の今日、改めて自分の原点である作品に触れて、トリーブス医師に異議を唱えた看護婦長を見て、「ロンドン病院の婦長さんは筋が通っていて、なんてカッコいいんだろう。」と思ったのと同時に、「妊娠して4か月後に象に踏まれたから奇形になって生まれた。」と映画の中の設定を信じていた俺。象に踏まれたら生まれる訳がないと今更気が付いたのです。