マイケル・サンデル教授著の【これからの「正義」の話をしよう】の第1章に二〇〇四年夏、メキシコ湾で発生し、フロリダを襲ったハリケーン・チャーリーによって起こった便乗値上げをめぐる論争が紹介されている。
・ 夏なのに電気が止まって冷蔵庫やエアコンが使えないので氷が必要なのにその氷を普段なら一袋二ドルなのに十ドルで売る人間。
・家の屋根から二本の木を取り除くだけで二万三千ドル要求する業者。
・通常二五〇ドルの小型発電機を二〇〇〇ドルで売る店を紹介している。  
 多くのフロリダ住民が物価の高騰に憤りを隠さなかった。
 『USAトゥデイ』紙は「嵐の後でハゲタカがやってきた」と見出しを書き、屋根から倒木一本どかすのに一万五百ドルかかると言われた住民は「他人の苦境や不幸を儲けの種にしようとする」連中は間違っていると語った。フロリダ州司法長官チャーリー・クライストは「ハリケーンの後で困っている人の弱みにつけこもうとする人間の欲深さには、驚きを禁じえない」と言っている。
 クライストは「便乗値上げ禁止法」を執行したのだが、一部の経済学者はその法律や一般市民の怒りは見当違いと論じていた。

 「風が吹けば桶屋がもうかる」ということわざもあるが、クライスト氏が業者から金銭を受け取り、一部の経済学者の説を受け入れ、「便乗値上げ禁止法」を執行しなかったらどうだろう・・・。

 

 

 

 その法律や一般市民の怒りは見当違いと論じる経済学者の説は、「越後屋と悪代官式手法(法則・ルール)」と揶揄されることになるのではなかろうか?。

 一般ピープルから見えないように手渡していたとしても、果たしてこれが、アダム・スミスのいう「見えざる手」なのだろうか?。

 マイケル・サンデル教授はその著書『それをお金で買いますか』の中でこう述べている。

「あるものが『商品』に変わるとき、何か大事なものが失われることがある。これまで議論されてこなかった、その『何か』こそ、実は私たちがよりよい社会を築くうえで欠かせないものなのではー?」と。

 

 

 

「100億人ー私達は何を食べるのか?」というドキュメンタリーの中で次のようなことが述べられている。

 「本来は基本的人権に当たるものが投資商品として扱われるようになってきています。食料へのアクセス、水へのアクセスなどは市場の売り買いの対象にされるべきものではありません。」まさにこれが答えだろう・・・。

 次のような場面を考えればよくわかる。

 こういう場面で「このフリーライダーが!」と水を求める男に蹴りをかますことは正しいことなのか?。基本的人権を否定し、「強者のみが利益を得られること」を正しいとするなら、水を求める男に蹴りをかますことは正しいとなる。

 フリーライダーなどと「如何なる種類の人間」であるかを問う前に、基本的人権は先天的に認められる権利である。

 

 

 

 基本的人権を認めるなら、こういう場面で警官は「水を求める男」の方を助けることになる。

 金権政治や政治に食い込むカルト宗教の怖い所は、罰せられるべき罪を犯す者に罰を適用せず、自由にさせることである。まるでルターが批判した免罪符のように・・・。

 

 公明党など真面目な顔して「金くれたら話きいたるわ」などというから驚きだ・・・。

 

 

 

 

 これからの正義とマイケル・サンデル教授は謳うが、正義とは、過去・現在そして未来においても共有されるべきものをいうべきだと思う・・・。

 

 

 

 

 

 

 さもなくば、こういう場面で警官が「このフリーライダーが!」と水を求める男に蹴りをかますことに対し、「時代」「立場」「法律は法律」などといいだせば、水を求める男に味方することは正義ではなくなるからだ。

 

 

 

 ほんま、ハゲタカやハゲワシの言葉におどらされないことを祈るばかりだ・・・。