3.11。

あの日から10年経ったんだね。「まだ10年」かな。「もう10年」かな。私自身、地震自体の被害はあまりなかったけれど、停電もしたし、学校もボロボロになった。学校は休校。登校できても、しばらくはマスクをして登校だったし、首からガラスバッジ(被爆量を測定するもの)を首から下げてた。その時私は、「いつか終わる。気にならなくなる。」と思っていた。

 

中学には避難で転校してきた子がいた。その子はいつも明るかった。二人でいるときに、震災の時の話をしてくれたことがあった。両親が仕事で震災の時には一緒にいなくて不安だったこと、妹と祖母と一緒に家にいたこと、間近まで津波が押し寄せてきたこと、沢山話してくれた。震災があってすぐだったのに、話してくれたことに驚いた。たぶん、とても辛かっただろう。それでも彼女は「今生きててよかったって思うんだ」そう話してくれた。

県外の人々から見れば私も「被災者」なんだろうけど、自分が地震で受けた被害なんて、ちっぽけなもんだとその時思った。

 

私が進学した大学は東北にあるため、友人も宮城、岩手、福島出身の人が多かった。そのせいか、震災のことが話題になることも多かった。中には「死」を目の当たりにした友人もたくさんいた。

目の前に津波が押し寄せて来た話、たくさん聞いた。

家が全壊してしまった話、たくさん聞いた。

原発事故の影響で誹謗中傷された話、たくさん聞いた。

 

私はそういう経験を身近に体験しなかったけど、

悲しいような、悔しいような言葉にできない複雑な気持ちになった。 

それと同時に、その時はそれぞれ違う場所に居て、顔も名前も知らなかったのに、出会って今こうやって「あの日はすごかったね、怖かったね」って話せているのはちょっとした奇跡なんじゃないかと思った。

 

10年。多くの人は節目の年だというけど、そんなことない。あの日から首にガラスバッジを下げて登校するようになった中学時代。私が教育実習に行った2019年もまだ中学生はガラスバッジを首から下げてた。「まだ終わってなんかないんだ」と痛感した。

ガラスバッジだけじゃないよね。まだ故郷に帰れない人だっているんだもんね。家族が見つからなくてずっとずっと探してる人だっているんだもんね。

 

10年が経つからと言って、綺麗に終わった事にして「今は前を向けている」という事実だけに目を向けるのは辞めてほしい。

乗り越えたからといって、全部なくなったわけじゃない。

 

まだ前を向けない人だっている。

進みたくても進めない人がいる。

ずっとずっと闘ってる人がいる。

そんな人たちを置いてけぼりにしないでほしい。

 

あの日を、あの出来事を、

あの時の悲しみを、苦しみを、

無かったことにしないでほしい。

 

「抱えながらもなんとか10年やってこれた」それで十分じゃないか。

 

「10年前は酷かったなぁ。でも今日までなんとかやってこれた。また明日から少しずつ歩いていこうよ、たまに休みながらさ。」って手を取り合いながらこの先も生きていければ良いな。

 

 「被災者」と呼ばれようと

 「被爆者」と言われようと 

私はフクシマの人間。

 

 

これからも、ずっと。