左から3人目が | 瀬戸際おじさんの徒然日記

鹿鳴館時代より前の明治15年4月7日に撮影し、ガラス乾板写真に写っている私の曽祖父の21歳の洋服姿です。


桐の木枠の裏側に撮影した日時と場所がはっきりと書いてあります。


この中に、神戸新聞社設立者の一人も写っています。


ちなみに、この写真が撮影された前日の4月6日、板垣退助が岐阜で暴漢に襲われ、「板垣死すとも自由は死せず」の言葉を残しています。


まだ世の中は時間がゆっくり流れていたのか、情報が伝わって来ておらず、そんな大事があったにもかかわらず、何事もなく5人すまし顔で写っています。


西南戦争から5年、あの篤姫さまも健在でした。


大大名家の写真は立派ですが、われわれ下々ではこの程度がやっとだったのでしょうね。


公務員のFXヘロヘロ日記