稲の農作業をしなくなってもう何十年になるでしょうか,この頃になると田園地帯では農作業の後、藁や籾殻を焼きますがその匂いが夜更けに漂ってきて目が覚めることがあります。こういう時布団の中でふと、かつて一緒に農作業をしたやさしかった今は亡き父や祖母の想い出が走馬灯のように駆け巡ります。
ここは50万都市といっても中心地から電車で20分の田園地帯の環境の良い場所(六麓荘にはちょっと負けますが)で生まれ育ち、自慢ではございませんが財産も何百軒に1軒という家にたまたま生まれたばっかりにこんなトホホな公務員になってしまいました。
忘れもしない昭和46年10月9日、そこの市立高校の2時間目の休憩時間に先生が、一緒に神戸銀行(今の三井住友)の就職試験を受けた女子学生に窓から「おーい おまえら銀行受かっとったぞ」「おい○○、後で職員室にこい」 職員室で引導を渡されてそのまま家へ帰りました。くしくもその日が私の18歳の誕生日で最悪の日となってしまいました。家に帰ると先生から電話で「すぐ学校へ戻って来い、次の対応を考えるから」と連絡があり又,その足で学校へ戻り「○○銀行へ行かへんか」と言ってくれはったが「もう銀行はええわ」と断り「ほな明日、役所の試験があるけど行かへんか? 行くんやったら弁当を持っていけ,、話はつけるから」といってくれ受験しなんとか合格,それから30年余りトホホな公務員生活を送って来たわけですが、私の人生はたった半日の軽々しい判断から、すでにトホホな人生が始まっていたんではないでしょうか。