まぶたがわたしを閉じてから -9ページ目

とある平日の午前10時




開店間もないスーパーマーケット




まだ閑散とした食品売り場で




ひときわ異形の老婆が独り




カートを押しながら何やら喚いている




息子が迷子になりました




どうか探してくださいお願いします




ひとさらい、ひとさらい




アタシの息子がいなくなった




ひとさらい、ひとさらい




しかし店員の反応は鈍い




なぜなら




これはもう幾度も繰り返された光景だから




老婆は糞尿垂れ流し




強烈な異臭が辺りに漂い




近寄る者は誰もいない




私は彼女に声を掛ける




坊っちゃんは先に帰ったよ




家で待ってるから早く帰ろうね




老婆は安堵の表情で




ああそうでしたか助かりました




コレくださいな、アタシは息子のお菓子を買いに来たんです




老婆はたどたどしい鉛筆書きの紙片を震える手で私に差し出した




「みるみる と かぷりこ」




コレ、うちの子が好きでねぇ




私は突然声を上げて泣く




ああ好きだよ




知っているさ、わかってる




さあ、早く帰ろうなお母ちゃん




私は渋る母を背負うと、いつものように家路につく




私は悪い子だったから




故郷には居たたまれず、まだ少年の頃に実家を飛び出した




やがて私よりもなお悪い人間だった父が死に




懐かしい我が家には歳老いた母が独り、ぽつねんと私の帰りを待っていた




ひとさらい、ひとさらい




時の流れにさらわれた親子がゆっくりと坂道を登る




家についた私は、母を風呂に入れ




鶏ガラのように痩せこけた背中を流す




今日の母は上機嫌のようだ




唐突に子守唄を口ずさむ




おどまいやいや




なくこのもりにゃ




なくとゆわれてにくまるる




なくとゆわれてにくまるる




そう、私はこの歌を聴いていた




いまは萎びた乳房を吸いながら




私は別れの挨拶を送るように、母の体を順番に洗う




脳みそちゃんには心配かけたね、もう何もかも忘れてかまわない




心臓さん心臓さん、どきどきはらはらさせてごめんなさい




胃袋ちゃんも肝臓さんも腎臓さんもサヨナラだ




おまんこちゃんよ、ありがとう




あなたは私の故郷です




お母ちゃん、帰ってきたよ




ここは故郷の行き止まり




時の迷子は帰ってきました




お母ちゃん




ただいま。