まぶたがわたしを閉じてから -7ページ目

日本人の間で見られる、もっとも一般的な精神疾患は鬱だろう




反面、欧米人に多いヒステリー患者は、日本ではほとんど見かけない




たしか精神科医の中井久夫がその背景について、日本のように同調圧力の強い社会と欧米のような個人主義の社会との差ではないか、とどこかで書いていた




私も真性のヒステリー患者とおぼしき人物に関わったのは、今までの人生でただ一度きりである




ここで告白しよう




私はその女性を殺した




だがこれまで私が罪に問われることは無かったし、これからも無いであろう




今回は彼女にまつわる思い出について綴ってみたい




私の地元には灘・甲陽・六甲・神戸女学院といった、全国に名だたる進学校がひしめいており




私が六年間通った地区の小学校も、公立にもかかわらず進学熱の非常に盛んな校風だった




むろん、私のようなDQN児童にとっては有名中学受験などまったく縁の無い話だったのだが




こういう学校では、やたら授業の進度が早かったり、教師が個人指導にまで駆り出されていて




勉強以外の面に教師と保護者の関心が向きにくいため、生活指導についてはほぼ放任状態といってもよく




私などそれをよいことに自由な小学校生活を日々満喫していた




関西でも指折りの山の手地区のため、私のように家庭に問題を抱えた児童は、ほとんど存在せず




先生もどちらかというと、上品で優しい方ばかりだった印象がある




ただ一人の例外を除いては




私の学校の養護教諭(保健室の先生)は、鬼教師として全校生徒から非常に恐れられる存在だった




重永(仮名)という名の四十代後半の女性教師だったが




日によって生徒への対応が著しく異なり、機嫌の悪い時に重永の地雷を踏んでしまうと




辺り構わず喚き散らし、低学年児童相手でさえ手加減無しに鉄拳制裁を喰らわせるという、非道っぷりである




ふつう、どこの学校でも養護教諭というのは癒し系のポジションの筈だが




うちの学校ではダントツのドS教師だった訳である




また「手かざしによる浄霊」で世間に知られているカルト宗教の熱烈な信者であり




幅跳びでアキレス腱を切った女子に対し、当初はたんなる肉離れだと言い張り、手かざしで治そうとした挙げ句




後日自分の判断の誤りを指摘された際には「だいたい肥えすぎや、せやからブチッといてまうねんハハハ」と




松葉杖で立っている本人の前で言い放ったそうである




ところが同じ宗教の家の子が体調を崩して保健室を訪れると、常日頃の態度が一変




猫なで声で「ナイショね~」と茶菓子を出した上、寝つくまでベッドの枕元でおとぎ話を読む、というサーヴィスぶりだった




重永にまつわる鬼畜伝説は枚挙にいとまがないのだが、そのうち最も悪質な話は




鼻血を出して保健室に来た、私と同クラの女子児童に対して「換えたてのシーツが汚れたやろが!」と




手に持っていた金属製のチリトリで顔面を殴りつけ、鼻骨を骨折させた件である




鼻血を止めようとして訪れた保健室で鼻をへし折られるとは、なんたる災難か




この時はさすがに、保護者の間からも「保健室に行って負傷する児童がいるというのは如何なものか?」と




至極もっともな陳情が学校側に寄せられたが、知らぬうちにうやむやにされてしまった




ある保護者から聞いた話では、重永にはかつて精神疾患で一年半もの間休職していた履歴があり




職員のあいだでは病気の話をタブーとする雰囲気が既に出来上がっていて




彼女の常軌を逸した振舞いに対しても、差別と受け取られることを恐れて、同僚の立場では強く指摘しづらいのだという




おさまらないのは我々クラス一同である




私のいた六年二組の教室は、たまたま保健室の隣に位置していたため、そうじ当番を担当していた




「雑巾の絞り方が悪い」と往復ビンタを喰らった者や




うっかり牛乳を廊下に溢し「口で吸え!」と怒鳴られた者もいた




また、ある女子は保健室の隅のゴミの掃き残しを咎められ「オマエのアゴでさらわんかい、このしゃくれがっ!」という暴言を浴びせられ




たまたまその場に居合わせた私は、そのあまりに的確かつ当意即妙の表現に、心ならずも




ぶっ




と吹いてしまい、翌日彼女から「マジキチの重永はともかく、なによりejクンに笑われたことに傷つきました。一生あなたのことを恨みます」




という、たいへん有難いお手紙を頂戴する羽目になった




彼女はまだ私のことを恨んでいるだろうか




「一生恨む」と言われたのは、私の人生で後にも先にもこれっきりである




いずれにせよ、六年生になってから半年余り、重永に虐待され続け、耐えに耐えてきたクラスの面々にとって




今さら灰色決着など断固として受け入れられない




重永には辞職か、さもなくば死を!




…しかし、どうやって?




もはや親も教師も頼みにはならないというのに




呪おう




呪うしかない!




じつに小学生らしい発想だが




クラスには一致団結の高揚感が漲っていた




今なお伝説として語り継がれる
『丑の刻参り実行委員会』
誕生の瞬間である。


 (つづく)