まぶたがわたしを閉じてから -5ページ目

(前回のつづき)

運命の水曜日がやってきた




今回の教職員親睦会は、われわれ六年二組チームと先生チームとでソフトボールの試合を行うことになっていた




試合に参加しないクラスメートたちもギャラリーとして詰めかけ、固唾を呑んで成り行きを見守っている




だが実のところ、私は呪術の効力などこれっぽっちも信じてはいなかった




あんなものは迷信だ




いざとなったら、重永のドタマにでもぶつけてやるしかない




そう肚を括り、私はピッチャーを志願した




「デッドボールのひとつも喰らわしたったら、あの重永の性格からして、凄い剣幕で詰め寄って来るで。そしたらお前ら、仲裁するフリして、周りから見えんように囲んでボコれ。せやけど顔は痣ンなるから殴るなよ、腹を殴るか足を蹴れ」




私はチームのみんなにそう指示を与え、改めて自らの固い決意を伝えた




「もし後で問題になったら、お前らは俺に強要された言え。責任はぜんぶ俺が取る。エエねん、どうせもう卒業やし。それに俺は私立の受験もカンケーないしな」




ちょっとイタい目に遭わせてやりゃ、みんなの気も済むんだろうし、私の面目も立つ




…ところがいざ試合が始まってみれば、そうは簡単にいかないことが分かってきた




まず、野球のようにデッドボールでダメージを与える事自体が、下手投げのソフトボールでは至難の技だ




しかも、これはかなりの誤算だったが、重永は学生時代にソフトボールの経験があるらしく




わざわざマイグラブ、マイバットを持参するほどの熱の入れようで




傍目から見てもキビキビとかなり良い動きをしていた




そこで私は急遽方針を変更し、わざと甘い球で重永にヒットを打たせておき




牽制球に見せかけた全力投球で、他の先生と会話を交わしていた塁上の重永を狙った




意表を突かれた重永は顔面への直撃は免れたものの、さすがにかわしきれず




ボールはべちっ、と鈍く湿った音を立て、重永の右耳に当たった




重永は相当痛かったのか、うずくまって悶絶していた




わざとらしく、大丈夫ですかー、などと一塁側に駆け寄りつつも




「よしよし、これで誰にも怪しまれず仕留めることが出来た」と私は内心ほくそ笑んでいた




呪いは成就されたのだ!




私は自らの使命を果たした誇らしさと安堵感で胸がいっぱいになりながら




すみませーん、痛かったですかー?などと呑気に声を掛け、重永の背中をさすったりなどしていた




すると、我々のクラスの担任である小西先生が血相を変えて私に詰め寄って来た




「ejお前、なんてことするんだッ!わざと当てただろ!」




私はどうやらひどい過ちを犯していたらしい




そもそもソフトボールに牽制球など存在しないのである




野球と違い、ソフトボールでは投手が打者に向かってボールを投げるまで、走者はベースから足を離してはいけないルールになっている




つまり、走者のリードが禁止されているため、牽制球を投げること自体が説明のつかない行為なのだ




私がこうしたルールをまったく知らずに牽制球を投げたのは事実だが




結果として周囲の目には「わざと狙って投げた」とあからさまに映ってしまったようだ




私と小西先生はたちまち掴み合いになり、チームのみんなが一斉に割って入った




想定の展開とはやや違うが、こうなってはもはや引くに引けない




おどれら、いてもたれやッ!




総掛かりで小西先生を囲んで押さえつけると、とたんに悪ノリで殴る蹴るの暴行が始まった




いったん火のついた集団心理を押し留めることは難しい




センセー、アンタは少々他人事に首を突っ込み過ぎたようだ




気の毒やが、ここはみんなのガス抜きの犠牲になって貰うしかない




「ア痛ッ!何するんだお前ら!いま蹴ったの誰だ!アッ、また!…え?どうしたんだお前ら。オイッ、やめろよ!やめろってば、うわわわー!」




小西先生が取り乱して叫ぶ




まさか手塩にかけた自分の教え子たちから、白昼堂々襲撃を受けるとは思ってもみなかったことだろう




私だってそうだ




小西先生はとても面倒見のいい先生で、私は大好きだったし尊敬もしていた




だが私がやらねば、仲間の誰かがこの事態の責任をとらねばならなくなるだろう




私は心を鬼にして先頭に立ち、小西先生への暴行に加わった




センセー、アンタは前にゆうとったよな?




「叩く俺の手も痛いんだ」ちゅて




わかる、わかるでその気持ち、いまならわかる




俺の手ェも痛いわ!




恩師を我が手にかける罪悪感とクラスのみんなへの責任感、さらには暴力への抗い難い快楽と興奮という




相矛盾した感情が一気に押し寄せてわけがわからなくなった私は




心で号泣しつつ顔面で爆笑しつつ




ただもう無我夢中で先生に殴る蹴るの暴行を働いた




「なんだよッ!俺がなにしたってんだよー!」先生の声がだんだん悲痛な調子を帯びはじめて




事ここに至り、ようやくこれは只事では無いと気づいた他の先生たちが駆け寄って来たが




私はそれらザコには目もくれず、祭りの仕上げに「脱がしたれッ!」と叫んだ




みんなはゲラゲラ笑いながら、一斉に小西先生のジャージをずり降ろしにかかり




あっという間に半ケツを剥き出された小西先生は涙目になりながら




「くっ」,「むう…」などと、声にならない声を発しつつ、股間だけは死守しようと




半身の姿勢でもがきながら白のブリーフを両手で必死に押さえていた




その時である




「やめなさい!」と鋭い叫び声がグランド上に響き渡った




虚を突かれた私たちの動きが一瞬止まり、小西先生はほうほうの体でようやく難を逃れた




叫び声の主は重永だった




小西先生のブリーフを剥ぎ取るのに夢中で、すっかりその存在を忘れていたが




元はと云えばコイツが諸悪の根源なのだ!




さてどうしてくれよう…憎悪に充ちたみんなの視線が一斉に重永の方へと注がれた瞬間




我々を待ち受けていたのは意外な展開だった




重永が…




あの悪魔のような重永が泣いている!




「みんなが…みんなが私を恨んでいるのは分かっていました。そして今日アンタたちが何かを企んでいたことも…」




しゃくり上げながらそう言い切ると、重永は自分の赤い金属バットをぐいと私のほうへ突き出した




「ej君。そんなにアタシが憎いのなら、これで殴りなさい!」




グラウンドは静まり返り、隣の誰かが唾を呑む音が聴こえた




「…さあ!」重永は力を籠めて腕を引っ張り、無理やり私の手にバットを握らせようとした




いくらなんでもバットで殴るつもりなど無かったが、こうした物言いで圧を掛けられることを私は好まない




衆目の中、やれるもんならやってみろ、と啖呵を切られている訳なのだから




さて…どうする?




こういうギリギリの場面での判断にこそ、人間のほんとうの値打ちがあらわになるものだ




私は掴まれていた腕を振り払い、逆にバットをもぎ取って重永の鼻先に突き付けた




すると驚いたことに、重永は跪いて目を閉じ、私に向かって例の「手かざしの浄霊」を始めて




「この汚れた血を浄め給え、悪しき霊を養う濁った血よ、浄くなれ!」と一心不乱に唱えだした




「汚れた血」だの「悪しき霊」だの、自分に向けてそんな言葉が放たれる日が来ようとは、まさか思いもしなかった




私はいったん冷静になろうと努め、息を深く吸いそして吐いた




風はぴたりと止み、ただ自分の心臓の鼓動だけが聴こえている




それから私は




バットを重永の頭上にゆっくりと振りかぶった…


(つづく)